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 何気無い日の何気無い夜。大阪第二の繁華街 ミナミの最寄駅改札口。

 週末のこの遅い時間帯は酔客などでごった返すものの、ウィークデーのこんな日は人も疎らであった。

 改札を通り抜けた細長いフロアの向こうで、年頃若い男女が腕を押し合い引っ張り合い、仲睦まじく戯れる光景が見て取れる。

 若いっていいものだ……誰しも自分の過去と照らし合わせ、心の中でこう呟くだろう。

 だが、少し違和感がある。徐々に近づいて来る彼らを見るに、彼に腕を絡ませた彼女はすれ違いざま吐き捨てるように訴えかけた。

「この男、チカン!」

 呆気に取られ、通り過ぎ行く彼女たちの背中を追うと、改札駅員に導かれ階上の交番の方へと消えて行った。


 最近の女性は強くなった――現実を目の当たりにした場面であった。

 痴漢は女性のプライドを踏みにじり、心身ともにダメージを負わす極めて卑劣な行為であることには間違いない。だが一方、冤罪の声も多く聞かれており危惧するところでもある。

 痴漢冤罪を追ってみたい。



「やっていないのだから無実を訴え、出るところへ出るとますます泥沼へ填り込み人生を賭けたアンフェアなゲームになる」

 痴漢冤罪を上手く表現した言葉だという。俗に「ベルトコンベアの流れ」として喩えられることがある。

一 駅長室に半ば強制的に連行される。

二 警察に引き渡される(駅長室に連行された時点で、私人による現行犯逮捕が成立したと見なされる)。

三 否認する。よって、勾留+勾留延長で三週間は取り調べとなる。

四 起訴および裁判(起訴後、二ヶ月以内に公判が設定される)

 起訴されると、保釈保証金(相場200万円)を積めば出れる。但し、被害者証言が終わるまで勾留され出れない場合がある(この間、最長半年)

 *保釈金は判決が確定されれば全額還付されるものの、途中、被告人に逃亡・証拠隠滅などの不穏な動きがあれば一部または全額が没収される。

五 最終的に無罪を争えば一年を要するが、確固とした証拠がない痴漢裁判は有罪率99.9%(1,000件中999件は有罪)


 こと痴漢犯罪に対しては、物的証拠ありきの刑事裁判において異質なもののようである。元来、日本では軽微な性犯罪として扱われてきたこの種の犯罪は、「女性保護重視」の立場から是正され、被害者の証言が最重要視されることとなった。それは、物的証拠がほとんど残らないという犯罪の性質上、やむを得ないのかもしれない。


 一方、冤罪ではあるがその罪を認めると――

 罰則と示談交渉が待っているものの、勾留されてから翌日翌々日には出れることが多いようだ。適用される罪状および示談金の詳細は以下の通りである(2014年度調べ)


罪状

 強制わいせつ罪:六月以上十年以下の懲役

 迷惑防止条例違反(痴漢行為):六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金

示談金相場

 強制わいせつ罪:50万円〜150万円

 迷惑防止条例違反(痴漢行為):20万円〜50万円


注1)着衣の上から触った場合が迷惑防止条例違反となり、下着の中まで手を入れた場合が強制わいせつ罪になるといわれている。

注2)強制わいせつ罪は親告罪であり、示談により被害者が告訴を取り下げると犯罪行為自体が成立しない。

注3)示談金は、痴漢被害回数・犯行時間の長さ・触られた場所・加害者の態度により金額が決定する。


 不本意にも痴漢冤罪に巻き込まれたとして、どちらを選択するのが得策なのであろうか。

 正義を信じ、万に一つ冤罪を勝ち得たところで、冤罪を訴えたことによるマスコミの実名報道、それに伴う社会的信用の失墜や失職。誣告者に対しては、民事訴訟で損害賠償請求を起こしたところで慰謝料は微々たるものなど……

「痛手は少ない方がいい」

 世の多勢はこうではないだろうか。



 以下に、実際にあった事例を参考にしてみたい(主としてWikipediaより抜粋)。

冤罪が確定した事件

 防衛医大教授 痴漢冤罪事件は、小田急小田原線で痴漢行為をおこなったとして、強制わいせつ罪で防衛医大教授が逮捕された事件である。2006年4月18日朝、東京都世田谷区内の小田急線成城学園前〜下北沢駅間を走行中の準急内で、被害者の下着に手を入れ下半身を触ったとして防衛医大教授が強制わいせつ罪で逮捕された。起訴された後も被告は一貫して容疑を否認した。一審・東京地裁は教授の左手で触られていたとする女性の証言の信用性を認めて懲役一年十ヶ月の実刑判決とした。被告は控訴したが二審・東京高裁もこれを支持して有罪判決を下した。

 被告が上告して迎えた2009年4月14日の最高裁で、痴漢事件としては初の二審の有罪判決を覆しての無罪判決を下した。判決では指から下着の繊維が鑑定で検出されていないなど客観証拠がなく、証拠は女性の証言だけで、被害者は痴漢にあってから一度電車を降りたのに再び同じ車両に乗って被告の隣に立ったこと、痴漢を執拗にやられたのに車内で積極的に避けようとしていないなどと痴漢の供述には疑いがあるとした。また、最高裁は「客観証拠が得られにくく被害者の証言が唯一の証拠である場合も多い。被害者の思い込みなどで犯人とされた場合、有効な防御は容易でない」として「特に慎重な判断が求められる」と指摘、最高裁で初めて審理のあり方を示した。

 なお、同教授は無罪確定後に復職が認められたものの、そのキャリアに約三年もの空白を作られることになってしまった。


冤罪の疑いのある事件

 沖田事件国家賠償訴訟は、1999年9月、帰宅途中の沖田光男(以下、敬称略)は、JR中央線の車内で周囲の迷惑を顧みずに大声で携帯電話を使用していた若い女に「携帯をやめなさい」と注意した。女は「わかったわよ」と言い放って携帯を切った。その後に沖田が国立駅で下車し南口のロータリーを自宅に向かって歩いていたところ、密かに尾行していた女が駅前の交番で「あの人に痴漢された」とウソを言ったため、沖田は警察官に痴漢の現行犯で逮捕された。沖田が犯行を一貫して否認したため警察は沖田を21日間も勾留したが、被害を訴えた女が検察への出頭を三度もすっぽかしたため裁判が不可能となり、証拠不十分で不起訴処分となった。

 女性の証言には矛盾点が多くある。当時車内は七割程度の混雑で痴漢行為のしづらい状況。沖田が股間を腰に押し付けてきたと訴えた女は身長170cm、当時7cmのヒールを履いており180cmほど。一方、沖田の身長は164cmでかなり無理があるうえ、被害を訴えた女と当時通話していた男性は、女が痴漢に対して「何やってんのよ」と怒鳴ったとの証言を否定し、「沖田さんが携帯使用を注意する声しか聞こえなかった」と証言した。

 その後、沖田は被害を訴えた女に1100万円の損害賠償を請求。東京地裁では「携帯電話の使用を注意されるようなことで虚構の痴漢被害を申告するとは、通常想定できない」という理由で請求を棄却。高裁も同様の判決だったが、最高裁で被告の女が「ここまでうそを言うことにあきれています。痴漢をしたのはこの人で間違いありません、私は嘘をついていません」と反論したものの高裁に差し戻された。2009年11月25日、差し戻し控訴審が東京高裁で行われ大橋寛明裁判長は「女性の証言には疑問があり痴漢行為があったと認めることは困難」として痴漢行為を認定した一審判決は誤りだったと認める一方、賠償請求は退けた。

 沖田光男についての補足。

 一部上場企業の会社員であり、不起訴となり21日間勾留された翌朝から出勤した。会社は同情的で、欠勤分は有休扱いとした。ただ、職場の雰囲気は少しよそよそしかったという。一年後、異動となる。

 2010年2月、再び、最高裁に申立の理由書を提出し、同補充書を六次にわたって提出、最高裁要請行動を繰り返し行うも弁論は開かれることなく、二年も経った2012年1月31日、上告を棄却した。これまで通算、十三年もの長い歳月が経過していた。


 ここまでを見てくると、印象深い言葉が想起される。

『裁判は真実を明らかにする場所ではない。裁判は被告人が有罪であるか無罪であるか、集められた証拠の中で、取り敢えず判断する場所に過ぎないのだ』

(「それでも僕はやっていない」 周防正行監督 2007年度東宝。痴漢冤罪をテーマとした作品より)


 では、図らずも痴漢冤罪が身に降りかかった場合、どのように対処すればよいのであろうか。方法論は存在するのだろうか。



 其の一 「とにかく走って逃げる」

 その根拠は、「現行犯逮捕でなければ捕まらない」という理由。痴漢行為がなされた事が明確で、警察が本気で捜査に乗り出し捕まえる気があるのならば、後々逮捕状を持って現れるという。こと、テレビのバラエティー番組に出演している弁護士からも聞き覚えのある言葉だ。

 しかし、痴漢が行われる状況はすべからく人混みで溢れ返っている状態。通行人にぶつかり取り押さえられるなど、逃げ切ることは非常に困難であると推測される。


 其の二 「正当な方法でその場を素早く立ち去る」

 正当な方法とは……

 状況一 被害を訴える女性から駅員に引き渡されそうになる。

 対処:冤罪のベルトコンベアの流れを初段階で断ち切るため、名刺または免許証などの身分証を提示し、その場を立ち去る(根拠法:刑訴法第217条「軽微事件と現行犯逮捕」私人による逮捕を含む現行犯逮捕は、住所・氏名が明らかで逃走のおそれがない場合は、逮捕することができない)。

 立ち去った後は、警察に連絡され呼び出しがあった場合に備え、当時の状況(自分と被害を訴える女性との位置関係・自分の両手の位置・周囲にどんな乗客がいたか)をまとめておく。痴漢事件について警察は、推定有罪で捜査を進め、被疑者の無実の証拠について捜査はしないという。被疑者自身での証人の確保、証拠集めが必要となるようだ。


 状況二 仮に、駅員に引き渡され警察に連絡されてしまった場合

 対処:当番弁護士を依頼する。警察が来て身柄を拘束されそうになったとしても、当番弁護士に連絡したことを明示し、弁護士が来るまで警察署への同行には応じない(根拠法:刑法第194条「特別公務員職権濫用罪」現行犯逮捕の要件を満たさない者を警察が逮捕したり身柄を拘束したりはできない)。

 同時に、「繊維鑑定」を求めておく(もし真犯人であるのならば、女性の被服の繊維片が手に付着している可能性が高いという裏付け。鑑定専用のキットではなくても、セロハンテープを用いてもよい)。

 *当番弁護士制度とは、弁護士が一回無料で逮捕された人に面会に行く制度。依頼は家族でも本人でも可能で、逮捕された場所の弁護士会に電話をする。

 詳述すると、刑事事件で逮捕された者(被疑者)が、起訴される前の段階であっても、弁護士を通じた弁護権(現行法上、刑事事件の被疑者として逮捕された者には弁護権が保障されている)の行使を円滑に行うことができるようになることを目的に、日本弁護士連合会により提唱・設置された制度である。但し、基本的に二四時間対応だが、夜間等においては留守番電話などで受付のみしている所が多い。


 其の三 「最初から女性の近くには近寄らない」

 事前防止策で最終的に身も蓋もないが、究極のところこれに尽きるようだ。



 「痴漢冤罪」をテーマに、様々なメディアを引用させて頂き、文章として編集するに至った。調べれば調べるほど、酷い事案が数多く発生している事に驚きを隠せなかった。

 再度顧みるも痴漢行為というものは、女性を恐怖のどん底に陥れ、身も心も切り裂くような破廉恥極まりない行為である。しかし一方、それを逆手に取って美人局事件や被害女性の犯人勘違い事件等、冤罪事件も多く発生している。

 本文を記述するにあたって、不幸にも実際の冤罪当事者となってしまった人物よりコメントをいただいた。以下にメッセージとして締め括りたい。



 ――問題は取り調べなんですね。初めて房に入れられ、手錠をかけられ、否認すれば留置所から出られない。検察・警察の取り調べは「自白」を迫る強烈なものです。耐えられない苦しみを味わうのです。苦しみは単に自分ひとりだけではなく家族にも及ぶのです。

 後に知ったのですが取り調べの「調書」には絶対に署名押印をしないことが何より大事だと思いました。例え自分が喋ったことだとしても署名は拒否することです。何と言われようとも一切調書に署名しないことなのです。この覚悟があれば起訴されたとしても有罪にならないのではと思います。

 取り調べはあの手、この手と実にしつこいです。これに負けてしまいます。取調官の世界に入ったらだめです。いつの間にか自分は犯罪者だと思ってしまうのです。やってもいない犯罪を認めようとするもう一人の自分が現れるのです。そこをどう闘うのかということです。

 取り調べの可視化が絶対に必要です。


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