キャバレー人気 再燃!
そんな記事が新聞の文化欄を飾ったのは数ヶ月前のことだ。
cabaret。
十九世紀末、フランスで興ったとされ、舞台で演じられる寸劇や歌などを楽しんだり、ダンスに興じたりできる酒場をいう。パリのモンマルトル界隈のキャバレーには、エリック・サティやパブロ・ピカソなど若き芸術家たちが足繁く通ったという。
日本では戦後、進駐軍向けの酒場としてオープンした。
今はもうネオンの灯を消してしまったが、一世を風靡した東京・銀座のシャンソン喫茶 銀巴里が有名だった。昼はシャンソンやジャズのライブハウスとして、夜はキャバレーとして、美輪明宏はこの銀巴里と専属契約を交わし、歌手デビューを果たしている。生バンドの演奏にのせ、華やかなドレスを着た女性とのダンスは戦後混乱期の苦しい生活に潤いを与え、明日への鋭気を養う場であったという。
全国各地に店舗ができ隆盛を極めたものの、1970年代のドルショック、オイルショックに続き1990年のバブル景気破綻により本格的に下火に。また、ディスコや安価で手軽に通えるキャバクラ、ガールズバーに押されネオン街の時代の変遷に飲み込まれていった。
現在は東京と大阪に数店舗、細々と営業を存続している。
このキャバレーが再び脚光を浴びているという。
昭和の香り漂うキャバレーとは如何なるものなのか。大阪・京橋にあるナイトクラブ 香蘭を訪れてみた。
ビルの入り口で黒のスーツに蝶ネクタイの年季の入ったボーイさんが迎える。二階のフロアへは宇宙空間を思わせるような薄暗い中に、赤青に輝く煌びやかなエスカレーターで上って行く。フロアのボーイさんに案内され、真っ赤な幅広のソファーにゆったりと腰を下ろした。
「ご指名はございますか」
「いえ、ありません」
告げると、暫くして両隣にフリーのホステスさんがやって来た。
二人ともこの道ちょうど七年目のMさんとRさん。歳の頃はまた二人とも五十代半ば頃のようだ。Mさんはバツイチで独り暮らし、Rさんはフィリピン出身で出稼ぎ中とのこと。
大瓶二本と付け出しが皿に盛られてきた。イカとタラコの煮物、ニシンの昆布巻き煮物など。
「ビールは飲み放題ですか」
「いいえ、ご新規さんは四十分四千円の料金制でビールは二本までなんですよ」
「家庭の味のようなこの付け出しは、ホステスさんが家で作ってきた持ち寄りですか」
「ちがうよ、ちがう。仕出し屋に頼んでいるのよ」
「指名の入らない私たち、給金もいくらにもならないんだから、そんなことをしたら大赤字よ」と、二人とも苦笑いで付け加えた。
それもこれも給料の善し悪しは、お客に指名されるかどうかで決まってくる実力の世界のようだ。
正面のテーブルでは、紅白歌合戦の小林S子を想像させるゴージャスな衣装を纏ったホステスさんが登場。お客の自営業風社長さんは大変ご満悦そうだ。
スポットライトが眩いステージからは、お世辞にも上手いとはいえない歌が聞こえてくる。初老の男性客もホステスさんもマイクで大合唱だ。
あらためてぐるりと周りを見るに、お客は白髪の目立つ団塊世代の男性ばかりだと見受けられた。しかも、どのテーブルもお一人様入店がほとんどだ。
ブームの終焉をとっくに迎えた店の何が再び受けているのだろうか?
強いて言うなら戦後社会を牽引してきた男たちが引退を目前にし、現役時代の栄光に思いを寄せることができる、いわばノスタルジーに浸れる場所であるのかも知れない。
現在はあまり見られない豪快な遊びの雰囲気に圧倒されつつ、筆者のテーブルチャージの制限時間がやってきてしまった。
「そろそろ時間ですね。寂しいけどまた来て下さいね」
Mさんは支払いを握りしめ会計へ向かって行った。
筆者の、もしかしたらと期待していた生演奏にダンスホール、フレンチカンカンにシャンソンはもちろん存在しなかった。
酒は楽しく飲むもの! 同時に人生の先輩諸氏からそう教わったような気がした。