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 平凡な日常生活を営む限りにおいて、裁判というものは新聞紙上の出来事だ。裁判とは一体どのようなものであろうか。機械的に整然とした万能制度なのだろうか。傍聴を試みた。


 大阪市北区西天満にある大阪地方裁判所。地下鉄南森町駅から徒歩十分圏内の簡素なビル街の一角にそびえ建つ。簡裁・地裁・高裁の合同庁舎で、出入り口というもの全てに無線をが鳴らせた警備員がガードしている。

「こんにちは」

 なにかと入り難い雰囲気ではあったが、意外とすんなり挨拶ひとつで中に入ることが出来る。先ずは正面玄関へ向かう。ここで下調べした事項を確認したい。

・裁判傍聴は老若男女関係なく誰でも傍聴できる

・裁判員とは違い、法廷で見聞きした事に守秘義務を生じない

・社会的関心の高い裁判は傍聴券情報がインターネットにアップされるが、通常のものは当日行われる開廷表を裁判所正面玄関ホールで確認し、傍聴したいと思う法廷に入室すればよい

・法知識のない者でも解りやすい裁判は、刑事裁判の「新件」(第一回目公判)または民事裁判の「弁論」(本人および証人尋問)である

・注意すべき事として、庁舎内は写真撮影・録音不可(但しメモは可)


 正面玄関に無造作に置かれてあるファイル。民事(簡・地裁)、刑事(簡・地裁)、高裁別に綴じられている。

 それぞれをぱらぱらと捲ると、午前十時から午後五時までの予定が羅列してある。法廷番号・被告人氏名・罪状。取り敢えず目についた刑事事件・新件の法廷へと向かってみる。

 開廷十分前。既に法廷内には傍聴人数人が待ち構えている。

しかし、想像以上にその空間はコンパクトだ。通常の映画館の四分の一ほどのスペースしかない。傍聴席も三十人も入れば満席になるだろう。膝の高さの衝立を挟んで、映画館で例えるならスクリーンにあたる部分には一段高い裁判官席の法壇、左手に検察官席、右手に弁護人席といった配置だ。一足先に入廷しただろう検察官、弁護人は机の上の分厚い資料に一心不乱に目を通している。

 開廷五分前。被告人と思われる人物が入廷する。手錠に腰縄を打たれ、両脇を司法職員が固めている。開廷を前に静かにその桎梏が外され、弁護人と並んで着席する。傍聴席から見ると手の届く距離ではあるが、衝立を挟んだ向こう側は別世界に感じられる。

 開廷時刻。裁判長が入廷する。一同一礼を交わす。

「これより被告人A(四十代女性)による暴行事件の裁判を始めます」

裁判長の発言により開廷となる。

 先ず、検察官によって起訴状が読み上げられる。

検察官「被告人は自重精神に乏しく、辛い事があると酒に頼る性癖でありました。離婚歴もありスナック勤務などをして生計を立てておりましたが、従前からの精神疾患ゆえにリストカット、心療内科への入退院を繰り返しておりました。本事件を起こす前、慎んだ生活を営んでおりましたが、実母から心療内科の先生から止められていた飲酒を咎められ、カッとなって実母の首をタオルで絞め暴行をはたらいたものです」

 次に、裁判長から被告人へ黙秘権が説明され、検察官の起訴事実に対し、弁護人・被告人の意見陳述に移る。

 弁護人「本件につきまして、被告人は幼少期から実父による暴力を受け、実父は今回被害者である母親まで暴力をふるい所謂DVにより母親は子を捨て家出をするなど、酒に逃げ自傷行為を繰り返す行動は、恵まれない家庭環境も一因であると考えられます」

 表情なく聞き入っていた被告人が証言台へと導かれる。

 弁護人「あなたには男三人、女二人の兄弟がいますが、お父さんは皆に暴力を振っていたのですか」

被告人「いえ、私と姉の女兄弟だけ厳しくされていました。男の兄弟は可愛がられていました」

弁護人「あなたはその辛さから自傷行為に走ったのですね。具体的には何時頃からですか」

被告人「十四歳頃からです。睡眠薬、首つり、リストカット……」

弁護人「しかしその後、あなたは一度立ち直ったはずです。真面目に働いていたのにある時を境に変わってしまったのはなぜですか」

被告人「パン屋で働いている時、突然行方不明だった父が現れました。『自分は胃癌だ。もう長くはない。最後の面倒を看て欲しい』と」

弁護人「それで緊張の糸が切れてしまったのですね」

被告人「そうです。何を今さら都合のいい事を言っているのかと」

 弁護人はまるで母親が子供を慈しむような口調で質問を続ける。

 弁護人「あなたはそれがきっかけでまた自傷行為を図るようになった。そして自殺を止める者を邪魔者と思うようになった。今回、お母さんの首を絞めたのはお母さんが自殺を止めたからですか」

 被告人「そうです。それから何度も止められていました」

弁護人「心療内科に入退院を繰り返すあなたを心配して晩御飯は一緒に食べるようにしていたお母さんですが、今回の状況を説明して下さい」

被告人「今回も自殺を止められました。二百錠くらいの睡眠薬を飲みました。連絡の着かない私を心配して姉が母に連絡、自殺が発覚しました」

弁護人「一命を取り留め退院してきましたが、ある時、母親に隠れて飲酒しているところ見つかった。そして『病院の先生にも止められているのに何しているの』と言われカッとなったのですね」

被告人「そうです。一時は私たち兄弟を捨てて逃げたくせに偉そうな事を言うなと」

弁護人「最後になりましたが掛かり付けの精神科医から。酒以外のストレス解消法を持つこと、目標を立てて生き甲斐を持つことが被告人の更生に繋がるとの所見が寄せられています。以上です」

 今度は検察官から被告人へ質問がなされる。

 検察官「兄弟は面会に来てくれますか」

 被告人「いいえ」

 検察官「出所した時の決意を答えて下さい」

 被告人「具体的には考えていません」

 裁判長が被告人に対し補足する。

 裁判長「連絡の取れる人は」

 被告人「いません」

 裁判長「定期的に会える人は」

 被告人「いません」

 検察官の論告・求刑へと続く。証拠に基づき事実及び法律の適用範囲の見解が示され、どのくらいの刑に処するのが相当であるのか意見が述べられる。

 検察官「実母は住所も変えて被告人と縁を切る覚悟であります。従前の罪である実父の居所に放火し懲役一年の服役中、刑務官に暴行をはたらき公務執行妨害に問われたのも被告人の性癖の粗暴さが露見したものと思われます。出所後も僅か数年で今回の事件に至っております。よって本件につきまして懲役十カ月を求刑します」

 弁護人の最終弁論へとなる。

 弁護人「被告人の幼少期からの不遇な生い立ち、恵まれない環境を充分に斟酌していただきたいと思います。また、パーソナリティ障害を患っておりますが、こちらは病院の先生とも密に連絡を取っており治療にあたっております。本人は深く反省し、出所後は自立支援センターに通うなどして更生を図ろうと努力の意図が見受けられます。よって寛大なる判決を求めたくここに申し上げます」

 最後に裁判長により結審する。

 裁判長「審理を終わります。被告人、何か言いたい事はありますか」

 被告人「皆様にご迷惑を掛けた事を深く反省しております」

裁判長「判決は二週間後の某月某日に言い渡します」


 別件 701号(仮称)法廷 被告人:三十代男性 罪状:窃盗

 被告人は外大・大学院を中退後、アルバイト等で生計を立てるも人間関係の不得手でどの職場も長続きしない。人のものに手を掛けないようにと心配した祖父母が月十五万円を手渡すも、本人は遊行費に散財する。とある深夜、大阪市福島区内の路上脇で仮睡していた泥酔者のかばん持ち去るが、警ら中の警察官に追跡され逮捕される。裁判長より、年金を切り崩して面倒を見てくれるお爺さんに無心しながらも、こんな事件を起こすなんてと叱責される。被告人は「辛抱が足りなかった、甘えていた。現在は仮釈放中でホテルの契約社員だが、これからはコツコツと努力して祖父母に恩返ししていきたい」と反省の念を述べる。検察官より懲役二年が求刑された。


 702号(仮称)法廷 被告人:二十代男性 罪状:覚醒剤取締法違反

 数年前にも同様に覚醒剤を使用し服役したことがある。今回も内偵中の警察官に追跡され使用が発覚、逮捕された。再度、薬物に依存するようになったきっかけは付き合っていた彼女に振られた事。前回逮捕、服役前から交際していた彼女とは結婚を考えるようになっていた。出所更生後、彼女の両親に結婚の許しを請うも「刑務所帰り」に風当たりは強かった。前科者と言われ生き難い世の中に絶望し再犯に至る。証人台に立った実の父親からは「確実に息子の相談相手となり管理していきたい」と言上された。懲役二年四カ月が求刑された。


 703号(仮称)法廷 被告人:六十代男性 罪状:窃盗、その判決

「主文 被告人を懲役一年六カ月とする。但し、執行猶予三年とする」

裁判長より判決が言い渡された。更に続ける。

「あなたには窃盗の前科があるがもう三十五年も前のことです。だから執行猶予を付けました。執行猶予というのは無罪という事ではありません。あなたの様子を見ているという事です。生活保護を受けているんだし、趣味のパチンコは止めなさい。もう六十五歳なんだから正しい生活を心掛けなさい。分かりましたね」


 目の前で繰り広げられる人生模様。

わずか数分、数十分の間で、その人が歩んできた道程が足早に映し出される。それは傍聴する側にとっても、同情とも教訓とも警告とも受け止めることが出来る事実に他なかった。最終的に裁判長が事実・証拠・意見・根拠に基づき裁定を下す、極めて人間臭い空気が漂う「劇場」にも見えた。


 後日、傍聴券が配布されるという裁判を傍聴する。

開廷表には殺人・死体遺棄そして裁判員裁判案件と記されている。被告人 三十代女性。

 入廷した被告は黒ずくめの衣装に、眉間に深く刻まれている皺が印象的であった。裁判長含め裁判官は三名に裁判員十名。検察官、弁護人各三名。人員の多さから事件の重大さがよく分かる。

 検察官によって事件概要が明らかになる。――2010年4月 大阪府高槻市。臨月の娘の世話をするため、母親が娘夫婦の家に泊り込んでいた。事件発覚当日朝、母親は日課とする朝夕の犬の散歩で淀川沿いを歩いていた。すると堤防法面に大きなポリ袋が引っ掛かってある。何だろうと思い違和感を覚えたもののそのまま帰宅。夕刻、再び淀川を散歩していると、まだポリ袋が引っ掛かった状態である。よく見ると何重にも被されたポリ袋がはたけており中から靴が露出している。「まあまあ、まだ新しそうなのに勿体ない」と思い近寄ってみると、ポリ袋の隙間から人の脚のようなものが見て取れる。人なのかな? と思いつつも「まさかドラマみたいな事が私に起こるはずもない」と帰宅。しかし、どうも気になる。もし人だったら――可哀そうに、成仏も出来ないだろうに……。考えた末、娘夫婦に相談。近くの交番に事情を説明し事件発覚の端緒に至った。

 傍聴席側には提示されないが、衝立の向こうの法廷モニターには現況写真が次々に映し出されている。険しい表情を浮かべる裁判員たち。

 大阪・高槻養子縁組殺人事件。保険金目的で次々と関連人物を死に至らしめたとされる事件。公判は計十三回を予定されている裁判が始まった。

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