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もう二十年も前のことだ。学生だった私はろくに学校も行かずフラフラゴロゴロしていた。太陽が真上に昇るくらいに起き出し、バラエティー番組を眺めながら親が作り置きしてくれていたおかずを何気なく口に入れる。夜になると同じようなぐうたらな野郎が集まりボウリングやカラオケ、ゲームセンターに遊びに出掛ける。カネがなくなったらなくなったで単発のアルバイトに勤しみ、貯まったら貯まったでまた怠惰な生活を繰り返す。

 そんなある日「面白いアルバイトを経験した」という同級生の話を聞いた。楽をして稼げるバイトの情報交換は学生にとって最大の関心事だ。「どんな仕事なのか?」と聞いてみると「探偵」という。

探偵……!? 彼は二、三日の単発の募集で行ったらしく、仕事内容の詳しいことは伝わってこなかったが『テレビや映画で観る難事件の捜査か』と非常に興味をそそられたのを覚えている。私は、早速教えてもらった探偵社の電話番号をダイヤルしてみた。

数日後、私は陽が西に沈みかかるオフィス街にいた。道路脇に駐車した車の助手席で、小じんまりしたビルから出て来るある男を待っている。運転席では同じように、本職の探偵が目を凝らして出入りの人物を監視している。午後六時を回った頃、特定と思しき人物が確認された。「これだ!」という本職の合図で追跡が始まる。

――浮気調査。探偵社の依頼の大半がこうした行動調査であり愛人の有無を調べる。それは、依頼人が旦那あるいは妻に裏切り行為がないという確証を得る目的であったり、もう関係修復が不可能であれば裁判資料であったりもする。

私はバイク班。“屋根”といって“車”持ち込みの本職のアシストとして、バイク特有の足回りの良さを活かして追い掛ける。時には駅で乗り捨て、ある時は渋滞時に尾行がバレないように先回りして身を潜める。

アルバイトを始めて半年は経っていたであろうか、事務方の南さん(仮名)から「次に仕事で呼び出しがあった時は俺のところまで訪ねてくれ」と連絡を受けた。はて何でしょう? と二、三日後に顔を出してみると「お前にぴったりなイイ仕事がある」という。聞けば家出人探し。

「場所は岡山県の、特に東岡山地方にいる可能性が高い。パチンコ店の住み込み従業員を当たってもらう。期間は一週間くらいで行ってくれないか」「どうか」という南さんの問い掛けに、何か楽そうだけれども遠いなぁと、私は乗り気ではなかった。南さんは続けた。「もし見つけたら報奨金も出すよ。それと、ちょっとくらい観光でもする経費も見ておくから」

 私は二つ返事でこの仕事を受けた。事務所別室の待機所に入ると、本職の探偵がニヤニヤしながら歩み寄って来た。

「お前、家出人探しで呼ばれたのだろう。俺にも話しがあったよ」と言う。「でも見つかる訳がない。俺は断った。お前が見つけたら逆立ちして天王寺まで歩いて行ってやるぞ」とありがたい言葉をいただいた。

 後日、南さんから「仕事を始める朝と終える晩には事務所に一報入れてくれ」と、家出人の写真とパチンコ店三百軒くらいの住所リストをもらった。さあ、仕方ないのでバイクに着替えを積んで旅行気分で出掛けることにした。

暑い夏日、大阪から岡山まで行くだけでも疲れてしまう。出発当日は兵庫県の赤穂を越え岡山市に入って宿を取るだけで精一杯だった。

捜索初日、朝から頭がはっきりしない。というのも前日は移動で疲れていたにもかかわらず、パチンコ店の住所リストから如何に効率よく店を回るか、地図上に書き込む作業に追われていた。ろくに寝れなかったためだ。しかし、初めの一件目は頭の血管が破裂しそうなくらい緊張した。

パチンコ店は全国どこも十時開店である。それに合わせ、客も混み合わない朝一に捜索を開始する。先ず、店内を見渡す。勤務している従業員に、らしき人物はいないか確認する。

家出人――駆け落ちカップル。女性、男性とも○○歳。女性の特徴、右口元にほくろ。芸能人でいえば○○似。身長○○センチ。男性の特徴…。店内を一周し確認できなければ住み込みで早番・遅番の二交代の可能性があるので、従業員に写真を見せて聞き込む。それでも居ないとなるとパチンコ店の建物の外観をカメラに収める。訪問したという依頼者への証拠、報告用だ。

 夜の七時過ぎまで回っただろうか。一向に探し当たる気配はない。それに加え幾ら地図とにらめっこをして効率良く回っても一時間に十件も回れない。捜索先のパチンコ店の聞き込みで薄暗い事務所に通されて、ちょっと怖いお兄さんに逆に詰問されたこともある。地元で事を起こして流れ着いた者、借金を踏み倒して逃げて来た者、周囲に反対されて駆け落ちして来た者など訳ありが多く、当時の従業員の身元を探るのは御法度であった。

 今日はもう限界というところで宿を取った。数を読んでみれば回った件数は四十件くらいしかない。捜索初日から早くも嫌気が最高潮に達していた。

捜索二日目、げっそりしながらまた十時開店から捜索を始める。少し区切りがつくのは今日で岡山市内の店を回り終えることができるということだった。岡山市だけで六十件近くあったであろうか。「前日と今日で終わることができる」――まだ先の遠いノルマ件数にささやかな達成感をこじつけていた。

 昼に少し休憩を取り再開。もう疲れと夏の暑さ、それにバイクから降りる度にエンジンを切りヘルメットを脱がなければならないという煩わしさに、ただ夢遊病者のように捜索を続けていた。この時になると既に家出人がいないのが当たり前になっている感覚なので、先にパチンコ店外観の証拠写真を収め、パッと見た雰囲気で居そうになければすぐに写真を見せて聞き込んでいた。そんなとある繁華街から離れたパチンコ店を訪れた時のこと。

 本当に営業しているのか? というほど建物の塗装が色あせている店があった。とりあえず写真撮影をする。店内に入っても客が十人もいない。従業員もまばらにいるくらい。とっとと聞き込みをして次に行こうと、閑散としたホールでやっと女性従業員を捕まえた。写真を見せて聞いてみる。

 ……返答がない。暑いのに早く答えて欲しい。それとも協力しないということか。

 ふと従業員の顔を直視してみた。表情がみるみる強張っていくのが手に取るようにわかる。そういえば、口元に小さなほくろ――。彼女は「ちょっと待っていて下さい」と残して店の奥の方にすっ込んで行った。彼女だ、探している彼女に間違いなかった。

 暫くしてどう行動しようもなく硬直していた私に彼女が男を連れて再び現れた。こうやって見れば、この男も先ほどすっと私の傍らを通っていた。そういう目で見れば男の体格、風貌からして探していた彼であることは一目瞭然であった。

「何の用でしょうか」男はぐっと睨みを利かせてきた。

「いえ、ご両親が心配しております……」の一点張りしか私は答えようがなかった。もう完全に舞い上がっていたのだろう。最後は、「俺たちは好きで一緒にいるのだから邪魔はしないでくれ」と押し切られてしまった。

「解りました」私はとにかくその場を離れたかった。五分も話していなかっただろう。

 現場を後にして自分の失態に頭の中は「どうしよう」の一点のみであった。彼、彼女たちは好きどうしで一緒にいる。親に反対されているだけ。理解できる。一方、両親は心配に心配を重ね探偵社に大金を支払ってまで依頼をしてきている。

――どれほどの時間考え込んだであろうか。私は事の顛末を事務所の南さんに報告することにした。

南さんに連絡がついた。「こらぁー」と一喝された後に、「二人で逃げる可能性がある。今から俺がそっちに向かう。いいか、女の方は絶対に逃がすな。張り込んで逃げる様子があったら腕を引っ掴んででも止めおけ」と命じられた。

もうそれからの張り込みの時間は生きた心地がしなかった。相手にはもう何もかも悟られている。逃げる時はどんなことをしても逃げるだろう

取り敢えず住み込み従業員の出入口を確認する。しかし遠巻きにしか張り込みはしたくない。恐怖と緊張で、たとえ人影が見えたとしても米粒くらいにしか目視できない距離に身を潜め監視していた。

 どれほど時間が経ったであろうか、もうすぐ陽が落ちてしまう。実は二人とももう逃げてしまったのではないか。酷いミスをしでかしてしまった……。ポケットベルが鳴った。南さんからの呼び出しだ。どんなに責めたてられるだろうか、仕方がない、南さんの自動車電話に架けてみた

「三十分ほど前、俺らが到着したのが見えただろう。見ての通り、両親が連れて帰ったよ」意外にも南さん弾んだ声が聞こえてくる。その時、全てを悟った。完全に見過ごしていた何とか完結したことに。全身の力がさぁーっと抜けていくのがわかった。

「まあ、結果オーライだ」

南さんの計らいで、近くの店でご馳走が振舞われた。焼肉の煙の向こうで今回の事情が語られる。

――今回は彼女の両親からの依頼だった。彼の方はお前には言ってなかったけど、素性は暴走族みたいなものに入っているらしい。それで、彼女の両親は交際に反対したんだ。反対したら、彼は彼女を連れて逃げて行ってしまった。で、どうして暴走族と彼女みたいな音大生が知り合う機会があるのかって? ドラマみたいな話だけど、チンピラに絡まれている彼女をたまたま通りかかった彼が助けたのがきっかけだったらしい。

 夏も終わろうとする月末、報償金をいただきに南さんに会いに行った。

「この間はご苦労さん」そして続けた。

「あの後、彼女は家に連れ戻され静養して元気になったみたいだ。元の通り学校にも通っているらしい。でも彼女、写真より老けて見えたよな。お嬢さんに逃避行生活なんて所詮無理だったんだ」

若い時の苦労は買ってでもしろという。良かったのか悪かったのか、あの夏もカンカン照りが続いていた夏であった。

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