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 毎年の事ではあるが新年度も一段落した頃「五月病」が世間を騒がせる。ここ数年は鬱、自殺という言葉も日常的に耳にする機会も多く、非常なるストレス社会であるのは誰もが周知の通りだ。

 贅沢なことだが、私自身も年に数回は社会との接点を絶ちたくなる時がある。誰も知らない、人間関係も何のしがらみもない、ただ一個人がぽつんと存在し得るだけの世界を求めて一人旅に出たくなる事がある。

 十年以上も前の事だ。何時ものようにふらっと旅に出た私はインド北部の都市・バナラシの駅に降り立った。此処はヒンズー教、仏教の聖地といわれインド中から人々が集まる地だ。特段、宗教に関心がある訳ではなかった。テレビで映し出されたガンジス川の畔で、白い煙に包まれ荼毘に付される遺体の光景がショッキングだったからだ。

 駅の改札を出るとリクシャと呼ばれる自転車のタクシー、オートリクシャと呼ばれる単車のタクシー、そして一般的な車のタクシーが蜘蛛の巣を張るように待ち構えている。言葉も満足に喋れない私のような外国人をカモにできるのは、最もハングリーなリクシャの運転手だ。値段も安くスピード感があるオートリクシャに乗るつもりだったが、運転手どうし勝手な客の争奪戦の結果、リクシャに乗るはめになった。

 座席に腰を掛け安宿への行き先を告げる。

「君はどこから来たんだい」人懐っこい運転手が話しかけてくる。

 ここでお人好しで名高い「日本だ」と答えると運賃をふっかけられるので、「韓国だ」と答える。「中国」と答えてもよいのだが、印中国境紛争がありインド人受けが悪いと聞くので控える。

「そうか、インドは楽しいだろう」大勢のインド人は愛国心が強く、こう言い返してくる。

 片言ながら取り留めのない話で宿に向かう。さんさんと太陽が照りつける最中、必死でペダルをこぐ運転手の後ろ脚は棒切れのように細い。

「俺は三人も子供がいるんだ。家族を養うために朝早くから遅くまで働いて大変だ。けど、家族がハッピーならば俺もハッピーなんだ」私の拙い英語力で理解すると確かに彼はこう言っていた。

 宿に着くと、やはり乗る前に合意した代金より若干高めを請求された。仕方がないのでチップの意味を込めて渡す。すると今度は安宿の主人に向かい「俺が観光客を勧誘して来たのだから幾らかよこせ」と二重に交渉を展開している。

 私がインドの空港に着いたのは三日前。以来道すがら、顔の色が違う外国人と見るや一斉に取り囲まれ押し売りをされることはもう何十回と経験していた。しかし何故か憎めないのは、この民族にはある種の凛とした信条を感じているからである。

 チェックインを済ませ暫し休息を取る。しかし、部屋にはテレビもなく暇を持て余すのでふらっと街を散策することにした。

 最初の訪問地・カルカッタと異なり、ここバナラシは治安が比較的良くないようである。定点間隔で配置されている警察官は手に手にライフル銃を持っている。拳銃と比べ、その銃身の長さは命中率を高めるためだという。

 毎度ながら街を歩いているだけで土産物や花束を買えと寄って来る人たち。乳飲み子を小脇に抱えた十歳ともいかない少女までいる。一度買ってしまうとキリがないので買わない。手持ちの筆談用紙片で紙飛行機を作ってやると純粋に喜ぶ。

 いきなり数人の男に腕を掴まれる。「君のカメラで一緒に写真を撮ろう」と言う。インド人は写真好きのようだ。撮り終えると「呑みに行こう」と言う。確かヒンズー教の多いこの国は酒を禁止しているはずだが…と想い、この先のトラブルの種を断つ。

 また歩いていると腕を掴まれた。今度の男は「すごい人に会わせる」という。強引な勧誘ではなく神妙な面持ちだ。猜疑心よりも好奇心の方が勝ってしまい付いて行く。「この中にいらっしゃる」と案内されたごく普通の民家の部屋に、白い髭を顔いっぱいに蓄え如何にも仙人かと思わせる人物がいた。

「この方は食べない、飲まない、言葉を発しない。修行によって得た超人的パワーの持ち主でサイババの兄だ」彼の側で座禅を組んでいる弟子が訥々と説明する。

サイババの兄は何時しか私の頭に手をかざし呪いを唱え始めている。二、三分ムニャムニャと言葉を発した後、エイッヤーと喝を入れて終了した。

 弟子が「これであなたにも幸福が訪れる。それではお布施を」と言う。特に祈祷を頼んだ訳でもないのでその場を立ち去ろうとすると、得の高いはずのサイババの兄が「マネー、マネー、マネー」と喚き出した。修行中で言葉を発しないはずだが…と思いつつも、余りに前後のギャプが滑稽で面白かったので三百円ほどを包んで勘弁してもらった。

 外に出るともう夕暮れ時だ。宿に戻ると番台の主人に「明朝、ガンジス川の朝焼けを見るツアーがあるがどうだ」と勧められた。

 ガンジス川――。ヒンズー教の教えにより人々は生まれ変わるつど苦しみに耐えねばならないとされる。しかし、バナラシのガンガー近くで死んだ者は、輪廻から解脱できると考えられている。このためインド各地から多い日は一〇〇体近い遺体が金銀の艶やかな布にくるまれ運び込まれる。また、インド中からこの地に集まりひたすら死を待つ人々もいる(web百科事典より抜粋)

 主人にツアーを頼んでみた。翌朝が楽しみだ。



 翌朝、陽もまだ顔すら覗かせないうちに主人に連れ出された。街灯はなく漆黒の裏路地をどんどん突き進む。十分と経たなくして視界が一面に広がった。

 ガンジス川だ。既に人々が肩をぶつかり合うように集まっている。男は腰に布を一枚だけ巻いた姿で、女は薄手のサリーでそれぞれ祈りを捧げたり沐浴をしている。

 私はボートに案内された。遊覧するのだという。手漕ぎのそれは、ボートというよりカヌーに近い狭さだ。客は私一人。

「今は神に感謝する時間です」船頭が静かにオールを操りながら語る。

水面から徐々に昇り行く太陽に川岸の様子が赤く照らし出される。

 腰まで水に浸かりながら手を合わせ一心不乱に天を仰ぐ者、川の水で身体を洗う者、また歯を磨く者までいる。川の水は泥水をひっくり返したように濁っている。雨期特有のスコールのためだろう。木片や生活ゴミも至る所で浮かんでいる。それでも川に触れるということは、インド人にとってよほど神聖なものなのだろう。

 川縁に彼の有名なクミコハウスもある。インドに魅せられインド人男性と結婚し、そのまま現地で安宿を営んでいる日本人女性だ。今や日本のマスコミの間でも知らぬ者はいないだろう。

 悠久のひと時を過ごした後、ボートは静かに元の船着場に戻った。宿の主人の計らいで、川からの貴重な角度でガンジス川を満喫しツアーを終えた。

 陸に降りる。今度はぶらぶらと歩いて見て回る。しばらく行くと、白煙が幾つも棚引いている個所がある。歩みを進め高台から下を覗いてみる。

 横長の筵に包まれた物体からモクモクと煙が立ち上がっている。それが川沿いに見渡す限り十はある。赤い炎に包まれゆくもの、完全に灰になって風が吹いただけでも崩れそうなもの。

 これがテレビで観た光景か……。ガイドブックを見ずしても、簡単に筵の中身が予想できた。側ではTシャツ一枚に草履履きの男達がその焼け具合を調節している。男の足元では別の屍が次の番を待っている。

 マニカルニカー・ガード(マニカルニカー沐浴場)。じゅうじゅうと燃え盛る屍体、酸味を含んだような臭い、徐々に音を立てて崩れ、やがて灰になり川に流れて行く。ここは数千年の歴史を持つという。

 私は暫し我を忘れ見入ってしまった。生と死、そしてそれが当然の自然の摂理だと言わんばかりに諭されている気がした。

「ここは管理地であり、入ってはいけない。ここではお金が必要だ」背後から近寄って来た男に注意される。男の格好は純白のYシャツにアイロンの当たったスボン、金のネックレスと周囲の雰囲気に似つかわしくない。

 人の死もカネか……。私はうんざりしつつ場を後にした。後日、判ったことだが火葬場で働く人々の組合のようなものがあり、荼毘に付す薪代と称し観光客に法外な金額をふっ掛けてくるという。

 日がな一日、まだ昼飯の時間にもなってない。場所を移動した静かな畔でのんびりと寝転がる。

 ギラギラ照りつける太陽が突然曇り空に変わったようだ――。何時しかうたた寝をしていると、瞼の外が真っ暗になったので目が覚めた。壁のような大きな牛だ。黒い巨体を揺らしながらのしのし歩いている。

 ヒンズー教で牛は神の乗り物であり、遣いでもあるとされ人々に崇められている。勿論食したりしない。聖なる牛を畜舎に閉じ込めるのは失礼なため、放し飼いにされているのが一般的だ。往来の多い交差点でもどっしりと横たわっている時があるが、誰も気にする事なく人間社会の一部に溶け込んでいる。

 牛とは対照的にその後ろから、彼のガンジー師を想わせる風貌の老人が現れた。

「秘伝のマッサージを施してやるから私の家に来なさい」老人は微かな声を振り絞るように訴え掛けてくる。

 興味深いが「今回は結構です」と断る。

幾度となく遭遇する出来事において、この国の人達に共通する概念は、単に他人からカネを巻き上げようとはしない。何かを提供しなければその対価を得ようとしない、労働対対価の考えがしっかり根付いている。有形の売るモノがなければサービスをといった具合だ。

 痩せこけた御体には感心もし、申し訳ないがサヨサラを告げた。

街なかは舗装されていない道路の砂埃を巻き上げながらも朝の活気で満ち溢れている。車とバイクと人でごった返しているが、信号機もまばらにしかなく横断歩道は皆無だ。

 白い杖をついている、とある老人が交差点を横切ろうとしている。だが、なかなか渡れない。それ以上少しでも歩みを進めれば、道端の蟻のようにぺちゃんこになってしまいそうな時、何処からともなく自然に両脇を抱える人が現れる。

 下水道も未整備な部分が多く、私自身も前日のスコールの影響で出来た泥濘に嵌ってしまった。片足が膝まで取られ抜けない。通行人が直ぐに手を引っ張ってくれる。道路前の商店主が空き瓶に水を入れ、これで足の泥を流せと持って来てくれる。

 翌日、インドとお別れをする日がやってきた。格安航空券のデメリット故、これからネパールに抜けなければ日本へは帰れない。しかしもう一つ、やり残した事がある。サドゥー(着の身着のまま物欲一切を捨てた修行者)に会うことだ。これもテレビで放映していた。ネパールでは遭遇出来るであろうかお楽しみだ。


「インドは楽しかったかい」空港の出国審査で問われた。

「ワンダフルな国でした」私は答えた。

 審査官どころか、後ろに並んでいる黒い顔からも白い歯がニヤリとこぼれた。


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