TOP PAGE


 彼は建築関連会社に勤務する中堅サラリーマン。

 大学卒業後、大手ゼネコンに就職するも不況の煽りを受け経営が悪化、沈没船からいち早く逃げ出すべくして新しく就いた飲食業では激務から体調を崩し程なく退職。その後、アルバイトで何とか食い繋ぎながらやっと元の希望である建築関連の大手設備会社に転職を果たした男だ。

 ある時、久しぶりに再開した彼から名刺を差し出された。

「会社の名前が変わったんだよ」

 聞けば会社は系列大手に買収、子会社化されたとのこと。屈託なく中華を頬る彼の表情に悲壮感は感じられなかった。

「これから俺の本当の生き残り作戦が始まるけどな」

 彼はグラスになみなみと注がれたビールをぐいっと呷った。

 それから三年は経ったであろうか。ほぼ音信不通になっていた彼から突然連絡を受けた。

「俺は現在、東京にいるんだ」

「家族旅行なのか。いいものだな」筆者は返した。

「いやいや、またまた会社が買収されてなぁ。今度は縁もゆかりもない所で単身赴任だよ」

 結婚十余年にしてやっと授かった愛娘と無理を圧して購入した新築一戸建て。これから家族団欒を楽しみに過ごすはずであった彼の無念は如何ほどであったであろうか。

 毎夜連日にわたる深夜残業。盆暮れの帰省もままならない。しかし、彼は言い放つ。

「六十歳で完全に仕事から手を引いて帰って来る。そのため今のうちに貯めるだけ貯めているんだよ」

 円単位ばかりか銭単位で切り詰める毎日。来るべく十五年後の夢の生活に、彼の借り上げアパートに吊されたカレンダーには一日の完了を意味する×印が並んでいた。

***


 煌びやかな夜の世界。一見すると華やかで悦楽の境地を満喫するかのような歓喜の声に包まれているが、ここにも明日を拓こうとする者がいる。

 彼女はロシア人。クラブホールでしなやかに踊るダンサー。

「こんばんは。はじめまして、マリアです」

 ピンクのドレスに身を包んだ彼女は夜の街に似つかわず、はきはきした物言いで筆者のテーブルに付いた。

「日本語が上手ですね。留学生ですか」

「いいえ、もう二十六歳ですから。専属のダンサーです」

 日本人女性より小柄な彼女は年齢に似つかわず若く見える。聞けば来日三年目。母国でダンサーを目指すも叶わず、しかしダンスは諦めきれずといったところだ。

「ダンスの勉強をしながら日本で働いてお金を貯めています。いずれ故郷に戻ってダンスホールを経営したいと思っています」

 彼女の眼差しの先には遠くて近い未来が見えていた。

「もうすぐダンスが始まります。見ていって下さいね」彼女は席を去った。

 店内に軽快なBGMが流れ出す。スポットライトを一身に集めポールを駆使して踊る姿は「水を得た魚」を如実に現していた。

***


 街角や主要駅周辺で雑誌を掲げて立っている人物を見たことはないだろうか。

 ビッグイシュー。イギリスのホームレス支援事業に範を取り、日本においてもそれを活用したものだ。先ずはホームレス状態から抜け出すことを目的とし、希望者に隔週発刊の雑誌「ビッグイシュー日本版」の売り子として活躍していただく。各国の文化・芸能・スポーツなどを通したホスピタリティー色の強い記事構成になっている。

 初回はホームレスである販売業者に定価一部三百五十円を十部無料提供し、それを元手に路上販売を始めていただく。以降は一部百七十円で仕入れ、一部売り捌く毎に差額百八十円が収入になるシステムだ。

 週末の家族連れや買い物客でごった返す雑踏の中、雑誌を目線の高さにPRする男性がいる。年齢は六十を超えているだろうか。本を購入し訊ねてみた。

「儲かりますか」

「そこそこやらさせてもらっております」

 礼儀正しい態度や言葉遣いからホームレスいや、元ホームレスといった雰囲気は微塵も感じさせない。

「一日に何時間くらい働くのですか」

「一日何時間働くか、一週間何日働くか全て自分のやる気次第なんですわ」

「事務局にいい条件の場所を割り当ててもらってます。怠けてたらバチ当たりますんでな」

 男性は頭を掻きながら続けた。彼は首に巻き付けたタオルで汗を拭い再び街頭に立ち続ける。



 生活に目標を持った人間からは爽快さが窺える。日々のルーチンな日常に慣れ親しんでしまうと、それ以上の努力をストップしてしまうのが人情だ。彼らからの「現在の努力は未来への投資」とする言葉が妙に耳に残った。


TOP PAGE