信楽焼の歴史は、聖武天皇の天平十四年の「紫香楽宮」の造営に発したと言われています。以来室町時代の後期までは、壷、甕、擂鉢等農村生活用品がその生産の中心でありました。それらの物は雑器として顧りみられなかったが、時の茶人、珠光、紹鴎、利休達は先を争って茶道の中に取りいれました。これに続く遠州、宗旦、新兵衛、仁清、空中、等も信楽を好み、旅枕、うずくまる、鬼桶水指等多くの作品が現在も愛用されています。

 一般に信楽の焼物の特徴にあげられるものに、「火色」、「灰被」、「こげ」の三つの窯変があげられますが、「土」、「ろくろ」、「窯」の三要素が相乗的に働いてあらわれるものです。特に水を用いる水指、花入等の濡れ肌は茶人ならずとも格別の雅趣を見い出し、賞翫されてまいりました。

 現代信楽の茶陶作家が多いなかで、江戸時代後期帯刀御免の窯元庄屋の後継者として、ろくろを学ぶかたわら茶道に心酔し、又一方穴窯を築き、茶陶の職人として日夜研鑽しております。近世の先人達が残したすばらしい道具に少しでも近づくようなお一層精進製作いたしたいと存じます。

                                     
 滋賀県甲賀郡信楽町 信楽英山窯

   
奥田 英山


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