ロウスキブデン・ファームハウス

幹線道路沿いにあるこのB&B。ゲートでタクシーを降りたが、入り口が見つからない。 うろうろしているとおばちゃんが出てきた。
「こんにちわ。私はスミノブエです。」と挨拶すると、「私はヘザー。お会いできて嬉しいわ。」とおばちゃんは言った。
それが、ヘザー・シンプソン。写真のおばちゃんだ。 ヘザーと言うのはイギリスではけっこうよくある名前らしく、マンチェスターの宿でクイズ番組を見ていたら、 解答者の女の人も同じ名前だった。 辞書をひくと、ヘザーは日本ではエリカと呼ばれている可憐な花を付ける樹のことだと分かった。 だから、ヘザーはさしずめ、エリカおばさんってとこだろう。 いっしょに写っているおじさんが御主人のビル・シンプソン。 ご覧のとおり、もう子育てはとっくに終わっちゃった世代の御夫婦だ。
ビルは、私が一人旅だと知って、「大丈夫?危険なことはないかい?」と心配してくれた。 イギリス人も、世代の感覚は日本人と同じだなと思ってしまった。 ビルの世代の人にとっては、女の一人旅は危険きわまりないものらしい。 彼の世代の日本のおじさんも同じ心配をしてくれる。
このお宅は、肉羊の繁殖雌羊80頭と、肉用牛の繁殖雌牛3頭を飼っている。 B&Bは、ローケーションの良さもあってか、連日満室。とても繁盛していた。
ヘザーは頭の良い女性で、私が英語は聞くより読む方が得意と察知して、話が込み入ってくると、紙に一生懸命文章を書いてくれた。
このB&Bに着いて、初めに外出する時、ヘザーは「農場のゲートの中には、絶対入らないでちょうだいね。」と強い調子で言った。 なんかおっかないおばちゃんだなと私は思ったのだが、散歩の途中で雨に降られて濡れて帰ると、服と靴を乾かせとか、 着替えのズボンが無いならかしてやるとか言ってくれて、とても親切だった。
後から思うに、到着早々、「その辺を散歩してくる。」と言って出掛けた私は、 いかにも農場の中を無遠慮に覗きまわりそうに見えたのかも知れない。 実際、私の興味はそこにあるわけだから彼女の勘は当たっていたわけだ。 もちろん、私はそんなに無遠慮に覗きまわるつもりはなかったのだが、「農場が見たい。」と顔に書いてあったのかもしれない。
しかしここでも、トランスウェイトホール同様、私が獣医だと知った途端、彼女の態度は一変する。
翌日、 ボルトン・アビーでトーマス親子と散歩を楽しんで帰ってくると、 ヘザーはキッチンでコーヒーと手作りのスコーンをごちそうしてくれた。 コーヒーを飲みながら彼女と雑談した。 ウィンダミアで中国人の女の子に中国語で話し掛けられて困った話をすると、 彼女は「中国人と日本人は共通の言葉を持っていないの?」と尋ねた。 そこで私は、日本語で使っている文字はもともと中国のもので、文法的にはまるで違う言葉だけれど、 その文字を書けば、お互いに意味は分かると言うと、ヘザーは興味津々で、日本語と同じような言葉を使う国は他に無いのかと聞いてきた。 そこで私は朝鮮語がすごく近い言葉だけど、発音が違うということや、戦前の悲しい歴史の中で、 日本が朝鮮の人に日本語を強要したこともあったことを説明すると、彼女は真剣に私の話を聞いてくれて、 「あなたはどういう仕事をしているの?学校の先生?」と言った。
そこで、「私は獣医。牛の獣医なの。あそこに子牛を連れた白い大きな牛がいるわね。」というと、 彼女は目を輝かせて、「そうよ。あれは私たちの牛なの。かわいい赤ちゃんでしょ。」と言った。 それからは彼女の牛談義が続き、狂牛病問題でいかに彼女たちが被害を被ったのか、 補償問題に関しては書類まで出して来て説明してくれた。 そして終いには、「うちの牛の乳房炎が治らなくてビルは困ってるの。 夕方、ビルといっしょに農場に行って見てみてちょうだい。」という。 絶対農場には入るなと言った時とはえらい変わりようだ。
で、私は夕方ビルといっしょにちょっと離れた放牧場にある小屋に行った。
放牧場 羊の放たれた丘のペンの中に1頭のシャロレイがいた。ビルが柵を開けると、体重800kgはゆうにあろうかと言う大きな牛が、賢く自分で枠に入った。
枠場の牛の乳を搾るビル ビルはその牛の乳を搾っていたが、それは乳ではなく膿というべきしろもの。
獣医としての質問をしてみたところ、彼は2ヶ月前にその牛が乳房炎になっていることに気付き、獣医の診察を受け、抗生物質による治療を受けたが治らず、今は薬剤は使わず、朝晩搾っているだけ、 3ヶ月後に分娩の予定とのこと。
結論から言うと、もうその乳房炎は治らない。でも、私はここではただの旅行者なので、「これは厄介だ。」とだけ言った。
帰り道、ビルは「あんた、本当に牛の獣医?帝王切開したことあるか?」と言う。どうやら、彼にとって、帝王切開は一番すごい獣医の仕事らしい。何度もやったと答えると、彼は感心してくれた。
ビルが帝王切開を持ち出したのには、それなりの理由もあるようだ。
私が泊った部屋には、ジェームス・ヘリオット全集という本が置いてあった。これを読んでくれている大学時代の同級生はきっと懐かしいに違いない。西出英語で読んだヘリオット先生の著作。ヨークシャーの獣医の奮戦記だ。ヘリオット獣医はいつも難産に悩んでいたが、ヘザーと話していてその訳が分かった。この辺りで肉用に飼われているシャロレー種の牛は、親の骨盤の大きさの割に、子牛が骨太で大きく、難産になりやすいそうだ。そこでこのごろは、リムジン種の精液を人工授精して難産を防いでいるらしい。でも、この農場で1週間前に生まれた子牛はシャロレーの種を付けた純血で、見たところ100kgぐらいありそうだった。ビルはその親牛の体重を1000kgだと言っていたが、それにしたって、兵庫の和牛の親牛が400kgで子牛が25kgということを考えると、シャロレーに難産が多いことは当然と言えば当然。ホルスタインの500kgの初産牛が50kgの子牛を生む時の難産を思い出せば、同業の方にはその大変さが分かると思う。そりゃ、帝王切開した方が楽だ。だけど、子宮を切った後、100kgの子牛を引き出さないといけないなんて、考えただけでぞっとする。ビルが感心するのも無理はない。

話は前後するが、ボルトンアビーから帰ってきた後、私はスキプトンの街に出掛けた。
晩御飯も食べなきゃいけないし、スキプトン城というのも見ておこうと思ったからだ。日本を離れて6日が経ち、そろそろ米の飯が恋しくなって来ていた。街に出れば、中華料理店くらいはあるだろう思った。
街に行きたいというと、ヘザーはファームハウスの門の前で手を挙げて路線バスを止めて乗ればいいと教えてくれた。都市に住む人ならびっくりするような発言だが、日本でも田舎では、手を挙げれば路線バスが止まってくれる区間がある。淡路でも竹谷〜広石フリー区間と表示されたバスはその方式だし、但馬にいた時も、養父町を診療で回っていたら、手を挙げてバスを止めているおばあさんを目撃したことがある。だから私はヘザーに言われて、疑問を持たずに大きな二階建ての路線バスを手を挙げて止めた。別に運転手さんも慣れた様子で運賃を教えてくれた。
スキプトン城を見学して、中華料理店を探したがなかなか見つからない。世界中、ちょっとした街なら必ず中華料理屋があると思っていたが、そういう私の認識が間違っていたのか、この街は中華料理屋もないくらい田舎なのか、と思っていたが、諦めかけたところで、バスターミナルの裏に中華料理屋を見つけた。やっぱり中華料理は偉大だ。ところがこの店は閉まっていた。「クッソウ、米が食いてえ。」私は心の中で汚い言葉を吐きながら、バスターミナルの横にあるスーパーに向った。
ケンダルのスーパーではカップ麺を見かけた。この際、インスタントラーメンでもいい。カップ麺を求めてスーパーをうろついたところ、袋入りの麺を見つけた。マグカップに入れてお湯をかければ食べられる。間違いなくラーメンだ。二袋買って、惣菜売り場でマカロニサラダも買った。変な献立だが、私は炭水化物に飢えていた。パンも炭水化物には違いないが、あんなパサパサしたもんじゃなく、モッチリとしたものが食べたかった。
帰りは、バスターミナルからバスに乗り、ファームハウスの前で押しボタンを押してバスを降りた。
この街でのバスの乗り降りの仕方もすっかりマスターした。そう思っていたのだが、実はこのバスの乗り降りは正式なものでは無かったらしい。翌朝もファームハウスの前で路線バスを待ち、予定の時刻を5分ほど過ぎてからバスの姿が見えたので手を挙げた。するとバスは躊躇しながら、私の前を10mほど過ぎてから止まった。「Thank yuo.」と言いながらバスに走り込むと、運転手に「びっくりしたよ。あんたバスをヒッチハイクしたね。」と言われてしまった。
私はきょとん。若い運転手は運賃表を見ながら、エリカおばさんや昨日の運転手がいっていた額の半額ほどの運賃を請求してきた。どうやら、この乗り方はエリカおばさんの裏技だったらしい。昨日の運転手さんたちはちょくちょく、この裏技に対応していたのか素早く運賃を告げたが、若い運転手さんには初めての経験だったのだろう。運賃もいくら請求してよいか分からず、次のバス停からの運賃を請求してしまったのかもしれない。もっとも、昨日の帰りの運転手はLow Skibden Farmhousと言っても場所が分からなかったところを見ると、 この自分の好きなところでバスに乗って降りるという必殺技を使っているのは、エリカおばさんだけではないようだ。
あの若い運転手さんは事務所に帰ってから、 「今日、変な外人にバス停じゃないとこでバスを止めさせられちゃったよ。」と同僚に話していたかも知れない。
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