Letter
H2ロケットの打ち上げがまた失敗に終わりました。空の藻屑と消えた莫大な金のこと、日本の科学技術への落胆、人それぞれ色々と考えることはあったと思います。もしかするとニュースを聞いても「またか。」で終わりだったかも知れません。実は私はそうだったのです。でも後日、読売新聞の評論記事を読んでいて、日本での技術者に対する評価という点で、H2ロケットの問題に興味を持ちました。
その記事によると、今回の失敗の裏には、専門家であるはずの技術者が事務処理に追われ現場に足を運べなくなっているという事情があるということでした。近年、宇宙開発事業団は技術者に対し、なんでもできるゼネラリストであれという方針であるそうです。その結果、技術者たちは書類作りに時間を奪われ、専門分野に時間がさけない。便利な存在ではあるが、専門的知識を要する決断ができなくなっているというのが記事の論調でした。真偽のほどは当事者に聞いてみないとわかりませんが、世間の技術者に対する扱いからして、ありそうな話ではあります。
専門技術を持つ人間というのは技術を提供するために雇われているということは明白です。しかし、専門技術を要する仕事以外、例えば書類作りや雑用を専門技術を持たない職員に代行してもらって、技術者にしかできない仕事に専念しようとすると、「偉そうに人を使っている。」と言われてしまうケースはよくあるようです。単に仕事を分担していると考えれば合理的なのに、人を使っている、使われているという意識を持ってしまうのは、感情的な問題かも知れません。読売新聞の記事が本当だとすると、感情的な問題が莫大な予算を浪費させたということでしょうか。
また、かなり多様な事業を展開している組織の人に聞いた話では、専門的な仕事ばかりしてきた人間は、年をとって役職につけようとしても他の部署では通用しないので人事が難しいということでした。「専門馬鹿」として無能者扱いされてしまうそうです。そのため、専門職であっても他の業務を担当させるのだという話でしたが、技術者としての私は「定年まで技術者じゃいけないの?」という疑問を感じてしまいました。
専門分野に専念し、本来の使命を果たそうとすれば「専門馬鹿」と罵られるのに、宇宙開発事業団の職員の人のように上部の命令に従い業務全般に精通すれば、専門知識に欠けると叩かれるのでは本当に気の毒です。今回のことで、世間の人にも技術者の立場を少しでも理解して欲しいですね。

1999.11.21