2004.5.17 いろいろ考えた挙句 2004.5.17

先月から、ずっと言いたいことはあったのだけど、うまく伝えられるのだろうかと言う妙な恐れから、 書くのを躊躇っていました。 まず発端はイラクで人質になった人たちについて。 私自身は彼らの行動には尊敬の気持ちなのに世間では愚か者扱い。 自分の父親とも久しぶりに言い合いになった。それだけでもへヴィー。 そして、解放直後の彼らが、イラクに残って活動を続けたいと言ったことに対する、 日本の国の首相が言った言葉。 こんな想像力のない人間が一国の首相なのかという、 とっくの昔に分かっていた落胆を再確認させられた。 もちろん、今までも、自分が多数派だとは思っていなかったけど、 お前の考え方は日本の非常識だと突きつけれた感じ。 ちょっと萎える。 このサイトに気持ちを書きたいと思うのに、パソコンに向かうと指が動かない。 思えば、子どもの時から少数派の意見を述べるたびに嫌な思いをしてきた。 決して弁が立つ方ではないし、言葉尻を捕らえられたら、終わりなのに、 それでも気持ちだけでぶつかり続け、 少しの共感と大きな誤解を受け続けているうちに、 誤解を恐れず素直な気持ちと行動をぶつけれれるようになってきたと思っていたけど、 その自信も本当に頼りないもんだった。情けない。 イラクで真の人道支援を行っている人や権力に規制を受けないジャーナリストが人質になったと分かり、 私は彼らは解放されても、「有難う、じゃあこれから仕事をしてきます。」 とイラクの町に消えていくんだろうなと思いました。ある意味信じてたのかな。 人質になったくらいで自分の意思を曲げない人でなければ戦禍のイラクには行けないもの。 そして私の想像どおり、彼らはきちんと使命を帯びてイラクに行った人で、 解放されたそのとき、イラクに残りたいと言いました。 解放された時に彼らが日本国内の騒動を知り得たかどうか。それは否です。 誘拐したグループも保護した聖職者協会も日本政府のコンタクトを受けていない (聖職者協会は日本政府から依頼を受けていないと言っている)のだから、 人質の彼らが日本での騒ぎを知りようがないのは当然で、 小泉首相がこんなに迷惑をかけといてよくそういうこと(イラクに残りたい)を言うよなっていう感想は、 自らの非力を認めない「逆切れ」としか思えません。 そして驚いたのは、外務大臣の「外国に行く時は自己責任で行っていただきたい。」 というとんでもない発言をほとんどの人が聞き逃していて、マスコミさえも取り上げなかったこと。 多分話の流れで、危険な外国に限定した話だったのかもしれないけど、 日本の外務大臣は「日本人が外国に行って危険なめにあうのは個人の責任で日本政府の責任ではない。」 と言い放ったのであります。 逆だろう! 日本人が外国に行って暖かい対応をされるのは民間の日本人の努力の成果であって 日本政府のおかげではない。 日本政府の政策のせいで日本の国民が他国で不利益をこうむったときくらい自国民を助けろよ。 他国に辛くあたる時は、その国に関わる自国民のことも考えて、 協力してくれる人脈を確保しておくという発想はないの? それが外務省の言うこと?どうやら日本人は海外では自国の保護を受けられないらしい。 それなのに、このゴールデンウイークもなんの危機感なく、海外旅行に出かけた日本人が、 高遠さんを初めとするイラクで活動する稀なる善良な人々を非難している。 国内での義務である年金の掛け金の支払いもできない国会議員が彼らを非難している。 じゃあ、お前はなんなんだ。そう言われるかも知れない。イラクにも行ってない。 戦争や内紛の起こっている地区には行ったりしない。 だけど、今回、高遠さんのことを思うと、手を差し伸べれば 笑顔を返してくれる子ども達が待っているのに、 飛行機に乗せられた彼女の無念さを想像して心が痛む。 彼女の活動、その善意を無謀だと言う人は、国内の例えば兵庫県南部地震のような時、 余震の続く被災地に援助に向かう人たちに、 無謀なことだと非難しただろうか。 確かに、非難した人はいた。でも善意の人たちが、 イラクに行った人のように国賊扱いは受けなかった。 その上、国会議員が年金を払っていなかったって話で彼らの問題はすっかりマスコミから忘れ去られ、 なんの自己責任も負っていない防衛庁長官に派兵された自衛隊は、自己責任を負うがために、 身動きできないまま日本に帰って来ようとしている。 戻る