明けましておめでとうございます

いよいよ21世紀の幕開けです。 30年前、小学生だった私には、「21世紀」という言葉は、夢にあふれた心地のよい響きがありました。
アポロ11号が月面着陸に成功し、大阪の万国博覧会では最先端の技術が展示され、 子供だけではなく、大人たちも21世紀にはいったいどんな素晴らしい暮らしが待っているのだろうかと、 胸を躍らせた時代だったと思います。
しかし現実に21世紀がやって来た今日、あのころの人々が想像もしていなかった日本がここにあります。
確かに、科学技術という面では、あのころ想像しえた要求は十分満たしています。 もしかすると、想像以上の成果と言えるかも知れません。
でも、あのころ高度成長期にあった日本人のほとんどは21世紀を迎える今日、 「不況」なんて言葉を聞くとは思っていなかったし、 10代の子供が起こした殺人事件のニュースが頻繁に駆け巡るなんて想像もできなかったと思います。
そう言うと、物質文化と精神文化が云々とか、 高度成長の歪がどうしたこうしたなんていう話になりそうですが、 よく聞くそういう論評はただの愚痴にすぎないのではないかとも思います。
今日、私はNHKの特番を見ていました。 視聴者から、21世紀の夢を募集していました。 その中に、小学生がよせたもので、「もっと便利な生活」というのがありました。 それを聞いた私は「これ以上便利になってどうすんの。」と思わず言ってしまったのですが、 言った途端、すごく反省してしまいました。
これって、年寄りの発想ですよね。 私が生まれた時に比べたら、私たちの生活は信じられないくらい便利になっていて、 もうこれで十分だと思えるくらい。 だけど、小学生にとってはこの生活がスタートラインで、今不便に感じていることがいろいろあって、 ああなればいいな、こうなればいいなと夢見ることが沢山あるのでしょう。 もうこれで十分だと思ったら、そこからの進歩はない。 「もっと便利な生活」を夢見る小学生の発想は、 30年前も今も変わらずきっと奇想天外で希望に満ち溢れているはず。
30年前、「もう、これ以上望んだらばちが当たります。もったいない、もったいない。」と言っていたのは、 老人だけだったように思います。 それと同じことを思わず口走った私は早くも老人になってしまっていたわけです。
ちょっと考えてみると、私にも不便に感じることはまだあることに気づきました。 たとえば、私は獣医をしていますが、突然急患が入って、その農家がえらく遠い時、瞬間移動できたらいいなと思います。
瞬間移動が無理なら、一農家に一台獣医ロボットというのがいて、診察をしてそのデータを送ってくれ、 私がそれを見てロボットに診療を指示すれば、 ロボットが応急処置をしてくれるっていうのはどうでしょうか。
勿論、私たちの仕事はコミュニケーションがかなりの比重を占めるので、 すべてロボット任せというわけにはいきませんが、 緊急時の対応や、反復的な作業はロボットがやってくれると効率が上がるかもしれません。
こんなこと言うと、「そんなのお前が獣医やってる間は現実にならないよ。」と言われそうですね。 あと、20年の間に現実になるかならないか、私には分かりません。 ロボットの技術がどの程度のところまできているのかよく分からないからです。 でも15年程前、映画「ブレードランナー」を見た時、 熊の縫いぐるみロボットが「お帰りなさーい。」と言って一人暮らしの青年を迎えに出てくるのを見て、 「私もあんなのほしー。」と言ったら、「あんなの死ぬまでにできないよ。」と馬鹿にされましたが、 今や、ペットロボットは市販されています。 この分なら、くまちゃんが私を出迎えてくれる日もそう遠くないかも知れません。
年をとると、せっかちになって、勝手に物事の限界を決めてしまうようになるんでしょうか。 子供は何時になるか分からない遠い夢でも臆面もなく語れるけど、 大人はそれが恥ずかしいことのように思えて、口に出すのをはばかります。 でも、発想したことは口に出して実現しなければ、どんなにすばらしい発想でも、 本当に夢で終わってしまうのです。
21世紀第1日目の今日、もっと前向きな魂を持たなければと大いに反省してしまいました。
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