Letter

アンディー・フグが急逝しました。
学生時代、体育会空手道部というところに所属していた私は、 K1の熱烈なファンとまではいきませんが、 中継があればついつい見てしまうと言う程度にK1を楽しんできました。 だから元気だったアンディー・フグがあっけなく死んでしまった事には驚きました。 病名は急性前骨髄性白血病。発病から死に至るまで本当に急性な経過を辿ったようです。
白血病と一口に言っても、色々な病型があるようです。 私の親しい人のなかでも今まで2人の人が白血病で亡くなりました。 一人は大学時代の先輩。私が大学院の2年目の時、 留年して学部7年目だったその先輩は、昼休みに食事をしに下宿に帰ってきた学生に、 御自身の部屋から半身を廊下に倒れこませた状態で発見されました。 私が駆けつけた時には、救急隊も蘇生を諦め、警察官が入ってくるところでした。 いったい何が起こったのか、その場にいる誰にも分かりませんでした。 その1週間前に、私は大学近くのバス停でバス待ちをしていた先輩に出会って会話をしていました。 「今年は卒業できそうだよ。」 とニコニコしていた元気な先輩の顔は15年経った今でも忘れられません。 その晩の仮通夜の席、 警察の調べで彼は前々日に病院で白血病と診断されていたことが分かったと知らされました。 自覚症状が出てから、数日で亡くなってしっまったのです。
もう一人は私の従姉です。発症してちょうど1年後に亡くなりました。慢性リンパ肉腫でした。
ずっとこのページを見て頂いている方は気付いてらっしゃるかもしれませんが、 前回の更新から、このページには日本骨髄バンクのリンクを貼っています。
骨髄バンクの登録者には年に1度「骨髄バンクニュース」が送られてきます。 その中に骨髄バンクのホームページのアドレスがあったのでアクセスしてみたところ、 リンクを依頼する文書がありました。2000年9月8日現在、アクセス数は11000件ほどです。 登録者が約13万人であることから考えると、 アクセスしたのはほとんどが既に登録している人かもしれません。
そこで私もアクセス向上に一役買おうとリンクを貼ったわけです。 でも、本文では特に骨髄バンクのことに触れませんでした。 これには私の複雑な感情があります。
私は今まで、積極的に骨髄バンクへの登録を他人に勧めることはしないで来ました。 私自身はよいと思って登録していますが、健康な肉体を傷つけて骨髄を提供するわけですから、 人に勧める事には抵抗を感じていたのです。
それに、私自身が登録しているということにも、なるべく触れないようにしてきたように思います。 善意でしていることを売名行為のように言う人もいます。 中傷で自分の気持ちを踏みにじられる事が恐かったのだと思います。
数年前、ドナーの候補者にリストアップされて最終検査を通知する電話が職場に掛かり、 私が登録している事が職場の人に知れました。 移植するとなれば休暇を貰わなければならないので、 私は正直に最終候補に挙がっている事を話しました。 私の話を聞いて、 若い同僚が「僕も登録しようかな。」とつぶやいたのですが、 それに対して別の同僚が「別にお前は自分の仕事をして社会に貢献してるんだから、 そんな事をする必要はないよ。」 と言ったのを聞いて、私はすごく淋しい思いをしました。 彼の言葉の裏を返せば、仕事で社会貢献ができない人が骨髄提供をするって思ってるの? せっかく骨髄バンクに興味をもってくれた人がいたのにどうして妨害するの? その時の私はそう言い返すこともせず、 バンクに興味を持ってくれた同僚に日本赤十字が窓口になっていることだけを教えました。
社会貢献についても、臓器提供についても考え方は人それぞれです。 収入を得るために行っている仕事で社会貢献をするという考え方も正しいと思います。 どんな職業でも人の役に立っていて、それだからこそお金が取れるのです。
でも、忘れてはいけないのは世の中には金で買えないものもあるということです。 骨髄もその一つです。移植医療に対して批判的な人もいるかもしれませんが、 そういう人でも、 風邪をひいて肺炎になりかければ病院に行き抗生物質を投与してもらうんだと思います。 骨髄移植は新しい医療技術でまだ、一般的な治療と認知されにくいかもしれませんが、 抗生物質のなかった時代には、肺炎も死を覚悟する病だったのです。 もちろん今でも肺炎で命を落とす人はいますが、 自分が肺炎で死ぬと思う人はほとんどいないと思います。 医療の進歩でどんどん新しい治療法が登場します。 今、骨髄移植という治療法がある以上、患者さんに「骨髄はありません。」というのは過酷な事です。 昔抗生物質が高価だった頃には、貧しくて投薬が受けられずに死んでしまったりしていたそうですが、 それと同じような状況、治療法はあるのにその治療を受けられずに死んでいくという状況に 白血病の患者さんたちは置かれています。
勿論、移植を受ければ必ず治るわけではありません。 それでも移植は患者さんにとっては希望の光です。 従姉の1年間の闘病生活を見ていてそれを強く感じました。
彼女の場合、自覚症状がほとんど無い状態で入院しました。 蕁麻疹のようなものができて病院に行ったところ、検査入院をするように言われました。 私が見舞いに行くと、痛いところもないし至って元気な彼女はベッドの上で退屈を極めていました。 検査入院にしてはかなり長い期間を経て、彼女は白血病と診断されました。
気丈な彼女は病気と闘い続けました。 その姿を見て、私は初めて「闘病」という言葉の本当の意味を理解しました。 それ程に治療は過酷なものでした。 世間では女の人の髪が抜け落ちることを白血病治療の最大の悲劇みたいな取り上げ方がされますが、 体はそれどころじゃないほどダメージを受けていて、あまりの苦痛に死にたくなるそうです。 それでも、戦い続けられたのはいつか完治するという希望を最後まで捨てなかったからでしょう。 いつか、ドナーが現れて移植が受けられるという一筋の光が過酷な治療に耐える力を与えていたのです。
従姉の場合、最後は自分の骨髄細胞から正常なものを集めて再度戻すと言う治療を受けました。 当時はバンクも発足したばかりでドナーが見つかる見込みがなかったからです。 最後には、彼女の免疫低下した体は感染症に耐えられず死にました。 43歳。愛する家族を残して無念な死だったと思います。
私の白血球は彼女のものとは適合しませんでしたが、 どこかで彼女と同じ思いをしている人と適合するのではないかと思い、 彼女の死後すぐ、骨髄バンクに登録しました。
随分重い話になってしまいましたが、 興味を持たれた方は「日本骨髄バンク」のバナーをクリックしてみて下さい。
長い文章を最後まで読んで下さってありがとうございました。

2000.9.8
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