Cocco の歌詞に使われている言葉の話。



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(首。、遺書。、ベビーベッド、強く儚い者たち、小さな雨の日のクワァームイ、うたかた。、ウナイ、雲路の果て、海原の人魚、
しなやかな腕の祈り、つめたい手、珊瑚と花と、美しき日々、コーラルリーフ、もくまおう)


インタビューなどでCoccoはよく「海」への想いを、言葉の端々に散りばめているので、この言葉はわかりやすいですね。
母なる海という言葉もありますが、ズバリ「帰る場所」という。
もちろんただ故郷に帰る、というだけではなく、いずれ訪れる死の後に戻る場所という意味も含めて。
Coccoの場合は海=沖縄という図式が成り立っているので、そのまま「沖縄」という言葉に置き換えても良さそう。

全ての時期(アルバム)にまんべんなく登場している言葉ですが、ひとつ気になることが。
英語で「海」といえば「sea」と「ocean」のふたつの単語がありますが、
何故か「クムイウタ」に収録されている、楽曲の英詞では全て「sea」の方しか使われておらず
その他の「海」使用の楽曲では全て「ocean」なんですね。これは何か考えがあってのことなのでしょうか。
ちなみに細かい違いを述べれば、
sea=海という存在そのものを指す  ocean=太平洋など、広い海原の意味
と捉えているのですが、英語は詳しくないので正直よくわからんです。

個人的には、沖縄から臨む海は広大で生々しい"ocean"で、
都会などで想像したり接したりする海は漠然とした"sea"というイメージがあるので
98年頃のCoccoは最も、沖縄から遠く離れた自分を痛感し、また沖縄を恋しく想っていた時期なのではと思えるので
「クムイウタ」の海は思い出を探り想像するような、漠然とした"sea"だったのでは、と思っています。




(Rain man、Raining、小さな雨の日のクワァームイ、SATIE、樹海の糸、ポロメリア、けもの道、ねないこだれだ、かがり火、
しなやかな腕の祈り、箱舟、美しき日々、雨ふらし、幸わせの小道、荊)


雨といえば、Coccoの好きなものというイメージがありますね。
(正確には「晴れた空から降る、天気雨」ですけれど。思わず踊りたくなるんでしたっけ)
一般的に、"雨"のフレーズが物語るのは悲しみだったり、憂鬱な想いだったりと、あまりポジティブなものではありません。
しかし、反対に"恵みの雨"という言葉があるように、心を潤すような癒しのパワーを持つ存在として登場したりもします。
歌詞を読んでいくと、Coccoの場合はそのどちらでもあることが多いように思います。

Coccoにとって雨とは一体何なのだろうと考えたとき、ふと思いついたキーワードは「過去」。
Coccoが歌詞の中で幾度も想い描く、愛した人たちやそれを彩る美しい風景は
時に戻らない瞬間として痛みを、孤独を感じるときには優しさを、同じように与えています。
それは憎むべきものではないけれど、決して救ってくれるようなものでもない。
ただ時間と共に降り積もっていくものとして、甘く残酷に佇んでいる。

Coccoはその雨に慰められたり(または慰めを求めていたり)、二度と返らないのだという抗いようのない絶望を叩きつけられたり、
胸を締めつける想い出の出口を探し・・・雨上がりを予感したりと、様々な雨にうたれてきましたが
ベストアルバムのラストを締めくくった「荊」では、
「想い出が痛みを伴わないのなら、私は生きてるという実感も持てないだろう」という想いを提示しています。
ラストライヴで語った「想い出を全部力にして歩いていける人になりたい」にも、これは通じていますね。

恐らくCoccoは、もう雨に対してネガティブな意識は持たない(表さない)んじゃないかと思う。
「花が咲くためには、雨が必要」と最近のインタビューでも発したように
どんなに覚えていることが辛い過去でも、それがなければ今を生きる証である花は咲くことはないし
痛みに耐えながらも、過去を愛し続けることができたならば、その花はもっと美しいはず。
だから、雨にうたれながらも真直ぐに進んでいく覚悟がある限り、Coccoの目は雨を恐怖として映さないだろう。
活動復帰後の楽曲である「ガーネット」では「痛い雨ならその矢を受けて」と、力強くうたえるようになったのだから。



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(首。、走る体、遺書。、Rain man、がじゅまるの樹、強く儚い者たち、晴れすぎた空、うたかた。、ウナイ、ポロメリア、Again、寓話。、
つめたい手、かがり火、しなやかな腕の祈り、風化風葬、コーラルリーフ、もくまおう)


Coccoの歌のいたるところに風は吹いています。それはそれは生々しく。
今までの言葉は、調べ上げたときに漠然とイメージがあったのですが、「風」は言葉のイメージがあるのみで
Coccoがどのような意図で、この言葉を使用しているのかまでは全くイメージがわかないままでした。
とりえず、「風」のイメージすべてを挙げていくと

風:強く吹く(冷たさ、淋しさ)優しく吹く(心地よさ、軽快さ)
・世間の風は冷たい→現実、厳しさ
・一陣の風が吹き抜ける→夢から覚める、意識を戻す、何かに気付く(理解する)
・風はどこにでも吹き、どこへでも行ける→自由(故に孤独)

花びらや木の葉を遠くへはこぶ
匂いや、人が人へ伝わる話をはこぶこともできる→どこへ?=過去から未来へ
・昔と今を繋ぐ糸のようなもの−糸よりももっと細く、確証はなく、曖昧で、実態が掴めないもの
・風は さらう 急かす 動かす ことが出来る

人外なる力、神に近いもの、自然の力、自然のなかでも見えないものでありながら強烈な存在感=『神風』

と以上のように連想していった結果、風は運命を動かすような力、
つまりCoccoが書く詞を展開させ、またCocco自身の人生を動かしてきた力ということが考えられると思います。

無慈悲に、すがりたくても消えていくことが目に見えてあきらかな希望などには容赦せず
もう少しだけここにとどまって甘えていたい、夢をみていたいと願っても、正しく時間を動かし、現実そして未来へと走らせる。
だけどそれは過去の古い空気を払い、涙を誘う戻らない匂いを消し、今そばに漂うやさしい匂いに気付かせてもくれる。

風、とはそんなものなのかもしれない。
宗教的なものを少なからず含んでしまう「神様」という言葉よりも、子供の頃から身近に存在し
そして圧倒的な影響力を与えた「自然」に、無意識にでもそんな意味合いを抱いてるのだとしたら、それはとてもCoccoらしい事だ。



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(走る体、眠れる森の王子様、やわらかな傷跡、晴れすぎた空、小さな雨の日のクワァームイ、濡れた揺籃、
Rose letter、うたかた。裸体、ウナイ、けもの道、樹海の糸、ポロメリア、海原の人魚、美しき日々、風化風葬、
Still、Dream's a dream、星に願いを、アネモネ、靴下の秘密)


夢はふたつあります。
まず眠るときに見る夢、そして叶えたい夢。
上記の楽曲を(あくまで個人的見解からですが)分けてみたところ、Coccoの歌詞上にあるのは「叶えたい夢」が圧倒的でした。
歌詞によってその夢には違いがあると思いますが、
やはり大部分は「愛する人と共に生きていけること」、「変わらずに愛する風景がずっとそばにあること」だと思います。
いたってシンプルなこの願いは、Coccoを苦しめ、けれど生きることを諦めさせなかった全てだと思います。

ひとつひとつを見ていくと、Coccoは愛があればそれに全力に夢を託していることが感じられます。
しかしその愛も失ってしまえば、夢も消えていくわけで、
生きる糧である「愛と夢」を同時に亡くすという状況は、とてつもない絶望を味わうことになると容易に想像できます。
だけどCoccoは何度でも愛するし、愛する心も捨てないし、その愛に夢を重ねることもやめない。

悲しみに沈む姿の方がより人間の印象に残りやすいものだとは思う、
けれど私はその後に、それでも信じたいと立ち上がる、Coccoの力強くバイタリティのある姿勢がとても好きなので、
だからこそきっとCoccoに絶望的なイメージを持ちたくないのだろうなと思います。
そして健気でいて図太くもある「愛に夢を賭ける性」を痛々しいものだと思いたくはない、とも。



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(カウントダウン、遺書。、Rain man、ベビーベット、がじゅまるの樹、星の生まれる日。、小さな雨の日のクワァームイ、あなたへの月、
夢路、Raining、Sweet Berry Kiss、'T was on my Birthday night、樹海の糸、海原の人魚、しなやかな腕の祈り、珊瑚と花と、
風化風葬、星に願いを、卯月の頃、焼け野が原、幸わせの小道、靴下の秘密)


集計する前に、実はこの言葉はそれほど多くないだろうと考えていたので、
ここまで沢山の楽曲に使われているとわかったときは「私もまだまだ読み込みが浅いなあ」と反省してしまいました。
しかも結果を何気なく話した兄には「俺はそのくらいあると思ってたよ」とかあっさり言われてしまい、悔しがることに。

「泣」の言葉とは表現的に種類は違いますが(「過去形」に近いかも)
もうひとつ派生として「涙」も一緒に調べてみたところ結果は「8」で、「泣」と合計で30曲もの数(3曲は混合して使用されていたので正確には27曲)
これほど泣くという行為が綴られている歌詞が多いとなると、面白くなってきます。

で、ここから少々ややこしいのですが分類していくと

他人関連の「泣(涙)」/10

カウントダウン/遺書。/Rainman/夢路/樹海の糸/寓話。/しなやかな腕の祈り/
珊瑚と花と/卯月の頃/幸わせの小道/

自分関連の「泣(涙)」/18

Way Out/ベビーベッド/SING A SONG/がじゅまるの樹/星の生まれる日。/小さな雨の日のクワァームイ/
あなたへの月/Raining/Sweet Berry Kiss/熟れた罪/'T was on my Birthday night/海原の人魚/星に願いを/
珊瑚と花と/風化風葬/焼け野が原/靴下の秘密/荊

*「珊瑚と花と」は「あなたの涙」と「誰と泣けばいい?」と私とあなた、両方の涙が流れている珍しいパターン。

こうして見ると、Coccoは「泣く(涙を流す)」という行為にまみれて生きています。
嬉しい涙ももちろんありますが、圧倒的に別れや悲しみのために流される涙ばかりです。

これを知ったとき、私はふとCoccoがラストシングルとして選んだ「焼け野が原」の歌詞の一節である
「もう泣かないでいいように」を思い出し、パズルのピースがかちりとはまるように
あの言葉にはCoccoの並々ならぬ決意が込められていたんだ・・・とやっと心から感じとれた気がしました。

今までこのフレーズは、Coccoにしては「ありがちな詞」だと注目していなかったので、ここでも反省することに。
つくずく調べれば調べるほど奥が深く、こうやって気付かなかった重要な部分を意識して聴くと
何度も聴いた楽曲なのに、また新たな感動に出逢い、本当になんて凄いものを作り出していたんだCoccoは!と楽しくも、関心するばかりです。








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