子どもが学校に行かなくなること…それがどういうことなのか、なぜそうなるのか等いろんなことを、周りの大人は考え、時には子どもの気持ちを推測、代弁することもあります。私も、ご相談を受けた時に、子ども理解につながればいいな、という気持ちで「今、子どもさんはこう感じているのではないでしょうか。」とお話することがあります。でも当事者は子ども本人です…「子どもを理解するには子どもの声を聴くこと」という大切なことを忘れてはいけない、と今この連載を始めるにあたって改めて思っています。
“不登校”の当事者ではない私ですが、親の当事者として子どもの不登校に向き合ってきた経験、という私の原点に帰って、今子どもの不登校に向き合っている方や支援している方のお役に立てるような連載を目指して書かせていただきます。どうぞご愛読ください。
@ 「待つということ」
今から13年半前、下の息子・啓介が「学校に行きたくない。」と言い始めたころ、“不登校”は“登校拒否”と言われることも多く、その情報に関してはおおげさではなく、今の十分の一以下といってもいい状況でした。当時、啓介は小学校3年生で、「小学校低学年の不登校は長引かない。」という説(?)もあり、「4年生になったら登校すると思うよ。」と保健室の先生に言われたりもしました。
それを信じたい、でも不安…そんな中、なにかヒントがほしい、と読んだ本の中の「不登校は今まで新幹線のように全速力で走っていた子どもがゆっくり歩くこと。今まで気づかなかった道ばたに咲く花に気づくような時間です。」という言葉に救われ、私も道ばたの花に目を向けられるようにゆっくりいこう、と思いました。
そして「子どもが動き出すまで、待ちましょう。」という言葉。「行かせようとしないで、じっと待ったらいいんだ。4年生まで待とう。4年生になったら…。」…でも、4年生になってもさみだれ登校、そしてまた全く行かない日々。「こんなに待ったのに。」と、私の中に、啓介を責める気持ちが大きくなりました。
でも同時に「待つ」ってどういうこと?という疑問もわいてきました。「待つ」ということは、今の状況、今の子どもがダメだから、そこから脱することを「待つ」ということではないのかしら?もちろん動き出してほしい、でも「道ばたの花に気づきだした今」を否定するのは違うんじゃないかな、と思いました。そこから私は「待とう」ではなく「見守っていこう」と、自分の中の言語を変えました。
例えば、体がしんどくて横になっている時「早く起きて動き出して。」と、ベッドの横でずっと待たれていたら、ゆっくり寝ていられないかもしれません。でも全くほっておかれたら、寂しいし不安。私にとって「見守る」とは、「今は休んでいるんだなあ。」と思いながら、時々のぞいたり声をかけたり…というイメージです。
振り返ってずっと「見守ってきた」とは言えないかもしれませんが、「今を否定しないで、見守っていこう。」と思えたことは、その後の、私自身の気持ちを軽くしてくれたように思います。
A 「親の居場所」
下の息子・啓介の“不登校”が始まった頃、「不登校は今まで新幹線のように全速力で走っていた子どもがゆっくり歩くこと。今まで気づかなかった道ばたに咲く花に気づくような時間。」という言葉に出会って、不登校にもプラスの意味があるんだ、と気づきました。
でも、それは頭でわかっていても、「みんなは朝学校に行って、勉強して友達と遊んでいろんな活動して夕方帰ってくる。その間、息子はずーっと寝ているか、ゲームしているか、テレビか漫画だけ。」という毎日のくり返しは、本当につらくて、当時の私は、啓介がゲームの間ずっと座っているざぶとんが、私の心の重しになっているように感じていました。学校に行けなくなって一番つらいのは、当事者の子ども。でも、親も本当につらいのです。将来に対する不安、自分の子育てが間違っていたかと自分を責める気持ち…ですから、親にも自分の気持ちが軽くなったり受け入れられたりする「居場所」が必要だと思います。
私にとっての「居場所」の一つは、近所の友人と話す場でした。身の置きどころがないように感じた時、一緒にお茶を飲んで、たわいもない話をしたり、自分の不安な気持ちを聞いてもらったり、「啓ちゃんはいい子だから大丈夫だよ。」という言葉にホッとしたり…どれほど助けてもらったかわかりません。
でも中には、「叱らなさすぎじゃないの?」とか「習い事が多かったんじゃないの?」と、不登校の理由を考えてくれる人や「強く言えば行くんじゃないの。」と助言(?)してくれる人もいました。今思い返すと、なにもわかっていない無責任な発言です。でもその時は、そんな言葉に「そうじゃない。」と言うこともできず、自分が責められているように感じてつらかったです。そんな時、一緒にいてしんどくなる人には「今はしんどいので、余り話したくないの。ごめんなさい。」と断ったり、自然に距離を置いたりしていい、と思うのです。本当に大切な友人なら、またつながっていきますから。
「居場所」として、相談機関や親の会などもあると思います。私もいろんな場所に行きましたが「子どもを受け入れたい。」という私の発言に「子どもにはアメとムチですよ。」と言われた場所にはそのあと行きませんでしたし、「親の生き方が間違っている。」と責められた場所にも行き続ける事はできませんでした。ただただ傾聴してくださるカウンセリングは、とてもいい時期もありましたし、物足りなく感じることもありました。
「あなたは母親として一生懸命やってきたよね。」と言ってもらい、子育てについてもう一度学べる場所が私にとっての居場所の一つになりました。そこでは初めは泣いてばかりいましたが、少しずつ自分を受け入れたり、子どもとの毎日を振り返りながら、楽しめたりできるようにもなりました。その時の、自分の状態によって合う場所や相性がありますから、いろんな場所に行って、まず「気持ちが楽になる場所」そして「子どもとの関わりや自分自身のことを考えたり発見したりできる場所」がみつけられるといいと思います。
親にとって、気持ちが楽になるのは、本音を言えば「子どもが学校に行くこと」です。でも「居場所」は子どもを学校に行かせるためにあるのではない、と思います。私が疑問を感じるのは「どうやって学校に行かせるか。」という相
談場所「○ヶ月で学校に戻します。」という場所。(だって、それを決めるのは子どもでしょ?)子どもの気持ち・状態を理解すること、子どもの力・可能性を信じることを大事にする「居場所」でなければ、当事者の子ども抜きの場所になってしまいます。
特に不登校が始まったばかりの時期は、親として自信がなくなっているので、すがりたい、なんとかしてくれる所…と思いますが、答が全部あるような場所は、親自身が自分で考える力を奪います。自分の気持ちを語り、同じような体験をした方の話を聞き、ヒントや意欲をもらえたら、自分で考え子どもとのよりよい関係を作っていけるような場所がいいなあ、そしてクロスロードの「親の会」や個別のご相談の場はそうありたいなあ、と思っています。
また、子どもにとって一番の「居場所」は家庭であってほしいと思いますが、親にとっても同じだと思います。私が落ち込み自信をなくしている時期に、夫、上の息子、父母や妹が、私を責めずに自然な形で元気づけてくれたことは本当にありがたかったです。「子育ては母親の責任」と思っているお父さんもいらっしゃる(その逆も)と思いますが、パートナーが大変な思いの時こそ、味方でいてほしい、共に乗り越える人であってほしい、と思います。
たくさんの「居場所」があることはとても大事。そして振り返ってみると、私は当の子ども、啓介とすごす時間が、何年か後、いつのまにかなにより楽しい時間になっていったことを思い起こします。それは、自分が受け入れられたり、学んだり、時には背中を押したりしてくれる「居場所」があったからだなあ、と思います。しんどい時は、人と会うのも話をするのもしんどいです。でも、そこにじっとしていないで、まず親が一歩を踏み出していきましょうよ、と声をかけたいです。そう、少しでも顔を上げられたら、親がまず第一歩を…。
B 「受け入れるということ」
下の息子・啓介の“不登校”の期間、私の最大のテーマは「どうやったら不登校している啓介を受け入れることができるか?」ということでした。学校に行っている子を「どう受け入れるか?」とはあまり言わないようなので、学校に行かない子を「受け入れる」ことは、それだけ簡単ではない、ということなのだろうと思います。
「受け入れる」って、どういうこと?と思い、啓介に「子どもにとって受け入れられている、ってどんなこと?」と聞いたら「自分が認められていること。」という返事でした。
振り返ってみると、学校に行っていた小3の秋までの時期でも、「もっと彼がこうだったら…。」「もっとこんなことができたら…。」と、その時の彼を認めていなかったような気がします。それなのに、それまでしていたことを全部放り出すような不登校の日々が始まって…「認める」なんてできない、強いて言えば前よりご飯を残さなくなったことくらい…でした。
もし私がじっと家にいたら、そこから動くことは難しかったかもしれません。でも気持ちを語る場に出会い、自分をふり返る中で「子どもを変えることはできない。自分が変わるしか彼を認める道はないのでは?」と思いました。「自分が変わる」とは違う人になるということではなくて、自分の価値観を動かす、違う視点で物事を見てみる、という感じでしょうか。
それまでは「当たり前」と思っていたこと…元気でいること、ご飯をよく食べること、笑っていること等の一つ一つを意識してみると、「よかったなあ。」とか「嬉しいなあ。」と思える時がありました。でも、学校以外に人と出会い学ぶ場がほとんどない日本では、学校に行くのは当たり前、行かないとダメ、という価値観を動かすのは簡単ではありません。
ただ私は、どうしても彼の全部を受け入れたかったのです。その目的に向かって七転八倒している中で、不登校が始まって4年たったある日、ふとジグソーパズルの最後のワンピースがうまるように、「学校に行ってる行ってない、ということじゃない、彼がどう生きるかが大事なんだ。」と思えました。それからの毎日の、気持ちの軽かったこと!楽しかったこと!
でも、今私は、全部がOKにならなくてもいい、そこに向かっていくことが大事じゃないか、と思っています。そのための第一歩は、子どもを理解しよう、という気持ち。家で子どもが落ち込んでいても辛いですが、楽しそうにしていても「なんで?」と思うことがあります。でも、子ども達の声を聴くと、不登校当時のことは辛くふたをして思い出せない、という子もたくさんいます。じっとしているように見えても子どもなりに懸命に生きていること、たくさんのことを学び感じながら毎日を過ごしていることがわかれば見方が変わることもあります。そんな子どもの気持ちが聞けたり、自分の揺れる気持ちを語れたりすることで、自分が元気になる場所が大事。私もそんな自分の居場所にでかけ、心が軽くなって子どもと向き合った時、そのエネルギーが、どんな言葉より子どもに伝わっていたような気がします。
「受け入れている」ことを子どもに届けることは、「その子を愛し信頼している、大事に思っている」というエネルギーを伝えることかな、と思います。私にとっては具体的には「一緒にいろんなことを楽しむ」(それまでは毛嫌いしていたテレビゲームを、一緒にやってみると楽しかったです。)とか「いいこと、嬉しかったことを伝える」(「えらいねえ。」というような評価の「ほめる」ではなく)とか「ウンウンと、ただただ話を聴く」「笑顔でいる」(いつも、とは言えなかったかも…でも親も完璧じゃないので、ゴメンね。)とかいうことでした。
考えてみると、それはどんな人の子育てにも大切なこと。ただ、子どもが不登校になったからこそ、よりそのことを大切に思えたということがありました。だから、子どもの不登校があって、よりいい関係になれた、という親子が多いのだと思います。
そう思うと、不登校そのもの、学校に行かない子ども達のことを、親として受け入れられるような、そんな気がしませんか?あせらず自分を責めず一歩一歩、歩いていきましょう。
C 「子どもが甘えること」
前回の「つれづれ日記」は、学校に行かない子を「受け入れる」ことについて書きました。この「受け入れる」ということが「甘やかし」ではないのか、あるいは「不登校」そのものが「甘やかし」の結果だ、という声は、今でも変わらずあって、その見方が学校に行かない子ども、その親をさらに苦しめるものになっています。私も、息子・啓介が不登校になったことを告げると、周囲の人の中には「親が甘やかしたからじゃない?」とか「厳しく言ったら行くんじゃないの。」と言う人もいました。
不登校の原因をさがそう、とすることは、いじめなど子どもをとりまく環境、子どもの気持ち理解のために必要な面もあると思いますが、原因を「親の甘やかし」とすることは、あまりにも安易です。「甘やかし」と言われても、子どもが不登校になったことで自信をなくしている親は反論できず、ますます自信をなくしてしまいます。学校の環境や学校と子どもの関係を抜きに考えることはできない「不登校」を、「甘やかし」という言葉で親の責任だけにしてしまうことはしないでほしい、と思います。
また、不登校が始まってからの親の対応を見て「甘やかし」と捉える人もあると思います。子どもが「学校に行きたくない。」と言った時、ほとんどの親は、なんとか行かせようとします。私も啓介が学校に行きしぶりだした時、初めはランドセルを玄関外に放り出したりして、とにかく学校に行かせようとしました。でも、泣いて帰ってくる、朝ご飯の席から立つことができない、体調が悪くなる…そんな子どもの様子から、無理に行かせることはできないんだ、と思いました。また、なんとかして行かなくてはいけないと苦しんでいる子を前にして、「行かなくてもいいよ。」と言って、少しでも子どもの気持ちを落ち着かせてあげないといけない時もあります。いずれにしても、簡単に「行かなくてもいい。」と言えるわけではなく、親も苦しい思いの中で「子どもの不登校を受け入れる」わけで、それを「甘やかし」と見られるのは、辛いことです。
また、不登校し始めた子どもは、どんなに「行かなくてもいい」と言われてもそうは思えず、行けない自分を責めて、精神的に不安定になることも多いのです。啓介は、不登校し始めた小学生の頃のことを、「気持ちがすごく不安定だったからだと思うけれど、お母さんにすごく甘えていた。その頃の自分は自分じゃないみたい。」と語っています。彼は、小さい時から私のことを「母さん」と呼んでいたのですが、学校に行かなくなってしばらくたつと、私のことを「ママ〜」と呼び始めました。「ママ〜、一緒にいて。」「ママ〜、遊ぼうよ〜。」「ママ〜、おでかけしないで。」…まるで、小さい子どもに戻ったようでした。
専門家の方の中には、そのことを「赤ちゃん帰り」と呼ぶ方もありますが、私はその捉え方はどうだろうか、と思います。子どもが退化したとするような捉え方で、小さい時に十分甘えられなかったからそうなる、と言われることもありますが、私は、ただ「今、小さい子のように甘えたいんだ、今そのことが必要なんだ」ということなのだと思っています。
子どもによっては、精神的不安定を「小さい子のように甘える」という形ではなく、親への反抗や時には暴力という形で出すこともありますが、いずれにしても「学校に行かない自分を、本当に受け入れてくれるのか」という気持ちからで、親はそのことを試されているのだと思います。その時、そんな子どもを受け入れることが、一時的には確かに「甘やかし」と思えるようなこともあるでしょう。でも、子どもたちは「認められている」「愛されている」という安心を得ると、落ち着いてくるもののようです。啓介の、要求が日々大きくなるような甘えもしばらくすると落ち着き、「ママ〜」も、1、2年でまた「母さん」に戻りました。
さて…周囲の理解が得られにくい原因の一つとして、「子どもの甘えに応えること」と「子どもを甘やかすこと」の違いを、多くの方が理解していないことがあるのではないか、と思います。「子どもを甘やかすこと」とは、「子どもが自分でできることを親が代わりにしてしまうこと」や「子どもが失敗しないように親が先に手を出してしまうこと」です。子どもがスキンシップを求めたり「一緒に遊ぼうよ。」「話、聞いて。」と言ってきたりした時に応えるのは「甘やかし」ではなく、「子どもの甘えたい気持ちに応えること」…そのことで、子どもは安心し、やがて親から巣立つー自立していくのです。
啓介が不登校していた時、私達はそれまでの何倍もの時間を一緒に過ごしました。一緒にゲームをしたり、真剣勝負の相撲をしたり、夜遅くまで話をしたり…なにしろ彼は一日中家にいるのですから大変だと思う時もありましたが、彼が求めてきた時は家事の手を止めてでも、一緒に遊んだり話をしました。今、振り返るとそんな時間が持てたことが幸せだし、よかったなぁ、と思います。(今は彼の方が忙しくて、なかなか相手をしてもらえませんが…)不登校の子どもに限りませんが、子どもが甘えてきた時は、せいいっぱい向きあって応えて、そしてそのことをぜひ楽しんでくださいね、と伝えたいです。
ただ、子どもができることを親が代わりにしてしまう、本当の「甘やかし」にならないように…子どもが落ち着き意欲を持てるようになったら、自分で決めて自ら行動していくことや家の仕事をすること約束を守ること等、子どもが自分で行動し責任を持つようにサポートしていかなくてはいけない、と思います。また、子どものチャレンジ、失敗を見守る勇気も必要です。子どもが自分でできることを広げていくこと、体験の中から学び成長していく環境を作ること…それは、自立を育てる親の大切な仕事なのですから。
D 「子どもが動き始める時」
学校に行けなくなったことで、子ども達は行けない自分を否定し、また、周囲の人にも否定されるような日々が続きます。そんな中で、子ども達の多くはなんとか学校に行こうとする時があります。息子・啓介も小3の秋からの5年半の不登校の間、学年が変わる、学期が変わる、引っ越しをする、等の機会にまた学校に行き始めることが何回もありました。でも、だんだん欠席の日が増えて、またずっと休む日が続く…という繰り返しでした。親としては、やはり登校し始めると嬉しいし期待もするので、また行けなくなった時の落ち込みは本当に大きかったです。今、啓介にその時のことを聞くと「行きたかったわけじゃなく、親からの無言のプレッシャーを感じて、行ったら平和かな、と思っていた。」と言います。
その後、彼は中1の秋に「学校に行かない」ことをはっきりと決め、音楽修行を始めました。そして1年半後、自ら「中3から学校に行く。」と宣言して登校。そこから高校卒業までの4年間は学校生活を本当に楽しんでいる様子でした。今、思い返してみると、啓介にはそこまでのエネルギーを貯めるために、5年半という時間が必要だったんだな、と思います。
啓介と同じように次のステップへとチャレンジする子ども達を見ていると、周囲の人に理解されたり、自分の居場所や信頼する人に出会ったり、エネルギーを奪ってきたものと距離を置いたり、自分自身の考えを整理したり、好きなことに出会ったり…そんな“時間”が「動き出してみよう」というエネルギーを子どもの中に作るのだなあと思います。
もちろん動きだす先にあるのは学校だけではなく、啓介の場合は、中1でのキャンプ参加や音楽修行が大きなチャレンジでした。一人一人形は違いますが、外での様々な出会いや体験が、自信や人への信頼、意欲を作った…多くの子ども達がそう語ります。やはり、人や場所との出会いの意味は大きいなあと思います。子どもが自ら動き出すこともありますが、子ども達に、「こんなことしてみたら?」という提案をすることも時には大事、と思うのです。
ただ、提案する人との間に信頼関係がないと耳を傾けてもらえないでしょうし、子どもが充分エネルギーを貯め動きだそうという“時期”での提案かどうかも大事だと思います。また、子どもが動き始めると、周囲が「次は…次は…。」と後押しすることも多く、私はそんな時こそ「もう少し待って。ゆっくり…。」と思います。
また、「提案」はあくまで「提案」。親の提案が本当に子どもにとっていいか、子どもの望むものかどうかはわかりません。提案しても断られることもあります。そんな時は一度ひいてみることが大事かな、と思います。ひかないのは提案ではなく、押しつけですから…。
私は啓介が小学生の時「勉強するなら教えてあげるけど、どう?」と何回か提案しましたが、いつも「学校に行ってないから必要ない。」と断られていました。半年か1年に1回は一応聞いてみようと提案するのですが、いつもNO。彼が中2でホームスクーリングの学習を始めたのは、自分から言い出してからのことでした。
多くの子どもたちを見てきて、特に学校や勉強については、そこから距離を置くことや、はっきりNOはNOと表現できることが、「後退」ではなく「成長」だな、と思える場面がたくさんありました。周囲の期待に応えるためではなく、本当に自分の気持ちと向きあって決めたんだなあ、と思って…。ただ、親としては、そんな風には考えられず、例えば登校を決めたのにまた休み始めると、非難してしまうことがあります。でも、そのことで、せっかく貯めてきた子ども達のエネルギーがまたしぼんでしまうことも多く、胸が痛みます。
クロスロードスタッフの光子さんの息子さんは小1から学校に行きませんでしたが、小学校卒業の時に「中学から学校に行く。」と、私達の前で宣言しました。息子さんは決意し、光子さんも期待していたと思いますが、中学校の入学式の日、彼は登校することができませんでした。光子さんは「そうか、行けないんだ。」と一日一緒に泣いた、と言います。彼を責めるのではなく、「一緒に泣いた」というこの日の話は素敵だなあ、と思います。その後、勉強を始め、少しずつ学校に行く日を増やし、高校に行ってからは1日も休んでいない彼のチャレンジと成長の原点の一つはこの日にあるのだろう、と私は思っています。
私が10数年前に東京まで通って講座を受けていたスクールソシャルワーカーの山下英三郎さんが言われたことで、ずっと私が信じ、クロスロードの活動を通しても確信してきた言葉があります。「子ども達が自ら決め行動したことは、自信になる。たとえうまくいかなくても、また次へ行ける。」という言葉です。もちろん提案されたことでもいい、「最後は自分で考えて決断した」ということが大事なのだと思います。そして、「自ら決めたことでも変わることもある、でもその先を信頼している」という眼差しで周囲が見守ることも…。
最近、ある方の「学校に行かない3年5年は、人生の誤差の範囲内」という言葉に出会いました。もちろん1ヶ月でも親にとっては長いんだけど、そう思って向きあうと余裕が生まれるかな、と思います。子ども達が自分で考え決めて次のステップにチャレンジする人生を応援するためには、本当に長い目で子どもの成長を見ていくことが大切なんですね。
E「先生方にお伝えしたいこと」
私は、不登校の子ども達のための居場所を主宰していますが、決して学校を否定しているのではなく、また、子どもを取りまく環境が厳しい中で日々頑張っておられる多くの先生方にエールを送りたい、と思っています。
ただ、今の学校は、子ども達の「人権」を大切にしている場になっているだろうか、と思うことがあります。私が思う「人権」を大切にしている場とは、@安心していられる居場所であり、A自己肯定感、人への信頼が育つ場であり、B自分で考え選択し表現することができる場です。学校だけでなく、家庭が、また社会全体がそんな「居場所」になってこそ、子ども達は健やかに育つのだと思います。
不登校の子ども達の声を聞いてみると、学校に行けなくなった時には、上の3つのことを感じられない…つまり学校にいることが不安で、自分や周りの人への信頼感を持てず、決められたことを押しつけられるしんどさを感じていることが多いのです。そして、そんな子ども達の声は、決して一部の子ども達の声ではないのだと思います。
学校がしんどくなった時、子ども達はいろんな形のサインを出します。ある中学生の女の子の話ですが、学校に行くのが辛くなって遅刻が増えてきたとき、担任の先生に呼び出されて怒られた、というのです。先生には「怒る」ことではなく「どうしたの?何かあったのかな?」と聞いていただきたかった、と思います。そうすれば、たとえその時に話せなくても、先生が聞いてくれる、という安心を感じられただろうな、と思います。
啓介は、時々学校に行く、という時期がありましたが、その時に先生に必ず言われたのが「学校では元気そうですよ。」ということでした。でも、家に帰るとぐったり。元気そうにしていないと、学校にいられなかったのだと思います。また、彼は不登校し始めてから3年くらいの記憶が飛んでいることが多い、と何年も後に語ってくれました。学校に行かなくても、家でのびのびゲームをしたりして、私には元気そうに見えたのですが、彼にとっては封印したい記憶だったのでしょう。彼と同じように、不登校の時期の記憶があまりない、という子ども達にたくさん出会いました。また、「死」を考えた、という子どもの声を聞くこともあります。先生方には、子ども達にとって「学校に行けない」ことがどれほどしんどいことか、ということをわかっていただきたい…と思います。
不登校の子ども達への先生方の関わりは「北風」より「太陽」がいい、と私は思っています。どういうことか、というと…先生方の「なんとか学校へ…。勉強させよう。がんばらせよう。」という関わりは「北風」になって、子ども達はコートを着込むように身を固くしてしまいます。先生方の「やはり学校に来てほしい」という気持ちは当然だと思いますが、強い関わりは子ども達から人への信頼感を奪い、かえって学校から遠ざけてしまうことも多いのです。
啓介が、不登校2年目の小学校4年生の時の話ですが、午前中だけ登校する、という約束で学校に行きました。私が昼に迎えに行くと、先生は「午後もいたら?」と言われました。啓介の顔がゆがんでいました。「約束したので帰ります。」と告げると、先生は「仕方ないですね。明日はがんばってね。」と言われました。私も啓介も、重たい気持ちを抱えて帰りました。5年生で先生が変わって…同じように、昼に帰る約束をした啓介を迎えに行くと、先生は「今日はよく来てくれたね。」と笑顔で送ってくださいました。私も啓介も笑顔で学校を出ました。5年半の不登校の期間中、その学年が一番たくさん学校に通った学年でした。
最近は「別室登校」という形で通う子ども達もいますが、学校に行けば、次はクラスに…とか、勉強を…とか、スピードが早すぎるように感じます。不登校の子ども達は、ゆっくりした時間の中にいて、そのことが必要なのだと思います。周りと同じように、とか早く追いつくように、という形ではなく、一人一人の気持ちやペースにあわせて、「安心」し自分で「選択」できるように…そう、暖かい「太陽」のように関わっていただきたいな、と思います。
啓介は、不登校が始まって4年間は、勉強もしないし家族以外の人との関わりもほとんどなく、私は「進路は?社会の中で生きていけるのだろうか?」と、不安でいっぱいでした。でも、私自身が、気持ちを語り支えてくださる方々と出会って、とにかく家庭を、彼の安心できる居場所にしよう、と思ってきました。また、彼は音楽を学ぶことや人との出会いを通して自信をつけ「学校に行かない」ことも含め、自分で決め表現できるように成長しました。彼だけでなく、多くの子ども達を見ていると、成長って本当に長い目で見ていかなくてはいけないな、「勉強や人との関わりは、学校でしか学べない」というのは違うな、と思います。
ただ、そういう環境を作るのは簡単ではありません。「大丈夫!」と言って信頼してくださる方が強い味方。啓介が家にずっといた時にも、そういう強い味方の先生がいて、「学校へ。」という形でなくて、一人の大人として遊んだり話をしに来たりしてくださいました。そんな中で、学校や先生への信頼感をもち、後の再登校につながったのだろう、と思います。
不安の中にいる家族へのサポートも是非していただきたい、と思います。ただ、学校で全部を抱え込まず、「親の会」のように同じような思いをしている親同士が語り合う場もありますので、そんなところにつなげていただけるのもいいのでは、と思います。ゆっくり成長する子ども達や家族と、ゆっくりの時間を共有する…肩肘張らず、そんな風に関わり見守っていただけたら…と願っています。
F 「先生方にお伝えしたいことA」
昨年の「クロスロード通信」10月号のこの欄で掲載させていただいた「先生方にお伝えしたいこと」の続編です。前回と同様のことを、表現を変えてお伝えする部分もあるかと思いますが、ご了承下さい。
私は、子どもさんの不登校で相談に来られる方に、「子育てを間違ったから不登校になったのではないです。自分を責めないで。でも、少し立ち止まって考えてみるいい機会だから、自分自身や子育てについて振り返ってみてくださいね。そのことはきっと、親にも子にもプラスになるはず。」と、お伝えしています。
同じことを、先生方にもお伝えしたい、と思います。子ども達の不登校は、先生にとっては自分や自分の仕事を否定されていると感じられるかもしれません。でも、そのことで過剰に自分を責めることも、子どもや親のせいにして学校のあり方や自分自身のことについてふりかえらないことも違う、と私は考えます。どうぞ、一人の子どもの不登校にきちんと向き合ってください、とお願いしたいです。
不登校にきちんと向きあう、とはどういうことでしょうか。学校では、まず「登校刺激」を、と考えられる先生も多いようです。この言葉の主役は誰でしょうか?そう、行かせよう、とする大人です。子どもを「学校には行くべき」という大人の論理で導こうとするのではなく、また、不登校の子どもはダメという否定を持って向きあうのではなく、育ちの主役である子どもの声に耳を傾けていただきたいと思います。
例えば…「どうして学校に行けないの?」と聞くことは、子ども自身にもわからない場合が多いし、質問の形での“責める”ことにもなりがちです。でも、何も聞かないのではなく、“子どもの気持ち、状況を理解したい”、という目的で「しんどいことがある?先生にしてほしいことはある?」等、ゆっくりと聴いていただきたい、と思います。子どもが話してくれればそのことから、またご家族を通しての話等から、いじめがある、勉強がわからない、友達とのトラブルがある…いろんなことがわかってくるかもしれません。周囲の期待に応えようとがんばってしんどくなっている子もいます。一人一人違う子どもの気持ちや現状を理解することが第一歩。そこから、一緒に考えることや環境作り等できることもあると思うのです。
私は、先生の対応について考える時いつも、不登校をしていた息子・啓介の5年生時に担任だった先生の言葉を、思い起こします。「教師としての私の仕事は、啓介くんが来たいと思うクラスを作ることです。」
さて…先生や親が子どもの気持ちを理解することで、登校する子どももいることでしょう。でも、登校できない、しない子どももいます。行かないことは、子どもが「今は学校と距離を置きたい」ということで、大事な選択です。私は、たくさんの子ども達の気持ちを聴いてきて、学校と距離を置く方がいい時がある、休むことが必要な子どもがいる、と思っています。そして、そのことを周囲に理解されて、ゆっくり羽を休めることができたら、その中で成長し、意欲を持って自ら選択して次の場所へと羽ばたいていく(再登校だったり、進学だったり、アルバイトだったり、新しいことへの挑戦だったり、一人一人違いますが)…そんなこども達の姿をたくさん見てきました。それはいつもいつも本当に嬉しいことです。
先生方の中には「学校に来てくれないと何もできない。」と言われる方もありますが、そうではないと思います。啓介の4年生の時の担任の先生は、初め、学校に誘う形での家庭訪問をされました。その時は会うのを嫌がっていた啓介でしたが、先生が、ただ遊びに来てくださるようになって、「先生、また来てね。」と言うようになりました。先生がほとんど関わってくださらなかった学年が一番嫌だった、と彼は言います。先生に会いたくないという子もいますが、「NO」を言える環境、関係があるのはいいこと。そして、その「NO」を尊重することは当然のことです。でも、子どもの気持ちに耳を傾け、例えば間接的にメッセージを送るなど、「見守っているよ。」という気持ちを届けることはできると思うのです。
学校生活の中で、また学校に行かなくなったことで、人間不信になることの多い子どもにとって、信頼できる大人に出会うことは本当に大事なことです(どの子どもにとってもですが)。放課後の学校で一緒に卓球してくださった先生、家庭訪問してキャッチボールをしてくださった先生、手紙を届け続けてくださった先生…忙しい中で、そんな風に子どもと向きあってくださった先生がいます。たくさんの時間でなくていい、そんな先生との出会いが、子ども達を勇気づけ、羽ばたいていくことを応援するのだと思います。
また、相談室や教室に行ってみよう、と少しずつ通い始める子ども達をたくさん見てきましたが、学校の対応の多くが早急すぎるように感じます。全時間を学校で過ごし、勉強もし、行事にも参加する…それが、基本ラインで、足らないところを早く埋めようとされるのかもしれません。でも、例えば足の骨を折っている子どもに、いきなり「走ろう。」とは言わないと思います。また、ゆっくり少しずつリハビリすることを「甘やかし」とは言わないと思います。しんどさを感じているのが体ではなく“心”なので、見えにくい。だから、例えば骨折した足のリハビリ同様、少しずつ進めることが大事な時に、いくつものステップをとばして急いでしまう…そのことでまた学校にしんどさを感じてしまう子を多く見てきました。見えないからこそ、その時その時に、子どもの気持ちに耳を傾けていただきたいと思います。そうすることで、子ども達が、自ら次のステップへと動きだそうとする時の適切なサポートもできるのだと思います。
また、「午前中だけ」という約束だったのに引き留められたり、「相談室だけ」という約束だったのに教室へ誘われたりすることで、先生への信頼感をなくしてしまう子ども達がたくさんいます。やっとの思いで行った学校で約束が守られないと、次に行くことが難しくなります。約束を守る、という当たり前のことが、大人への信頼になります。どうぞ、子どもとの約束を大事にしてください、とお願いしたいです。
学校が大好きな子どもがいます。学校にたくさんの楽しみや目的を持っている子もいます。でも、今の学校と距離を置きたい、と思う子どももたくさんいます。学校のあり方が変わり、先生方がもっと生き生きと仕事ができる環境にならないと、不登校の子ども達が減ることはないように思います。
でも…啓介は5年半の不登校の時期を充実して過ごし、中3から再登校したクラスも、高校生活も楽しんで過ごし、自立した大人に成長しました。不登校の時間が今の自分を作った、しんどいこともあったけどよかった、と言います。彼と同じように語る子どもたちがいます。同じように語る家族がいます。
大変な思いをしながらも、子どもの不登校と真摯に向きあったお父さんお母さんが、親としての喜びを感じる時が来るように、不登校から学び、子どもやご家族と関わることが先生自身のやりがいや喜びとなるように…と願い、先生方にエールを送り続けたい、と思っています。