御言葉に聞く

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「私たちの現実の中で働く主」


regbook.gif「さて、すでに夕がたになったが、その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤのヨセフが大胆にもピラトの所へ行き、イエスのからだの引取りかたを願った。彼は地位の高い議員であって、彼自身、神の国を待ち望んでいる人であった。ピラトは、イエスがもはや死んでしまったのかと不審に思い、百卒長を呼んで、もう死んだのかと尋ねた。そして、百卒長から確かめた上、死体をヨセフに渡した。そこで、ヨセフは亜麻布を買い求め、イエスをとりおろして、その亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納め、墓の入口に石をころがしておてた。マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスが納められた場所を見とどけ た。」

マルコ福音書15章42節〜47節 

 
 アリマタヤのヨセフは金曜日の夕刻、十字架上で死なれた主イエスの遺体を引き取り、葬るために総督ピラトの官邸に出掛けて行きます。それは主イエスを一日、十字架上に死なれたまま放っておくことに耐えられなかったからだと思われます。金曜日の日没から始まる安息日には、遺体を引き取ることも葬ることも禁じられていたからです。
 主イエスが息を引き取られたのは午後3時だったと聖書には記されています。日没までには時間がなかった...。ですから彼には当時死者を葬る準備(香油を塗る)をすることができませんでした。ただ死体に亜麻布に包んで葬ることしかできなかったのです。
 主イエスに香油を塗りに行ったのは、マグダラのマリヤとヨセフの母マリヤでした。彼女たちは安息日が終わるのを待って、日曜日の朝早く主イエスの墓に出かけいくのです。
 このように主イエスが死なれた金曜日とマリアたちが香油を塗りに出掛けた日曜日のことは聖書に記されています。しかし、土曜日のことについては聖書は何も語っていません。空白の土曜日、何が起こっていたのでしょうか。
 使徒信条の中に、「ポンテオピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり」という一文があります。それに従うと、主イエスは土曜日に「陰府」に下られたということになります。陰府は人間の苦しみや悲しみ、絶望を象徴する場所です。その陰府に主イエスが下られ、すべてを経験して下さったということは驚くべきことです。そしてそれは私たちのすべての悩み、悲しみを主イエスが背負って下さったということも意味します。日曜日の朝、主イエスはよみがえり、私たちの現実の中で今も共に生きて下さるのです。私たちのすべての苦しみや悲しみを背負って...。


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