温井景隆(ぬくい かげたか) ????〜1582
○兵庫助 備中守
◇父:温井続宗? 弟:三宅備後守長盛 子:温井備中守景際
 能登・畠山氏臣。1555年当主
義綱温井総貞が暗殺されると出奔。しかし、義綱追放後復帰し、当主義慶の下年寄衆となる。1577年越後・上杉氏に内応。後に侵攻して来た織田信長の軍に逐われて、越後に退去した。信長死後、石動山に侵攻して、元信長臣前田利家と対峙するが、利家の要請を受けた佐久間盛政軍に討たれた。
温井総貞(ぬくい ふささだ) ????〜1555 
○兵庫助 紹春 備中守
◇父:温井備中守孝宗 弟:温井山城守景貞 子:温井続宗?
 室町創期の功臣桃井直常の子義綱が祖。温井氏の“温”の字は桃井氏の“桃”からきているという。能登・畠山氏重臣。1547年畠山氏内紛で、
義続を護る。1553年対立する重臣遊佐氏との勢力争いに勝って、家中を牛耳った。しかし、1555年当主の権力回復を図る義綱に殺害された(弘治の内乱)。
沼田祐光(ぬまた すけみつ) ????〜???? 
○上野之助 面松斎
 上野・沼田の出身か。元は将軍家臣細川藤孝に仕えていたが、やがて全国各地を流浪して廻ったという。やがて陸奥・津軽為信の軍師となって、その才を発揮し、為信の勢力拡大に大いに貢献した。
メイン