サイバー老人ホーム

11.伊良湖岬・お伊勢参りの旅

 ここ二年ほど西国周りをしていたので、今年は久しぶりに東国に回る事にした。と云っても、実は私のとっておきのコースで、内心ではいつかは実現しようとひそかに思っていたコースである。

 以前、私はなぜか半島と云うのが好きだというようなことを書いた記憶があるが、その中でいつか行ってみたいと憧れていたのがこのコースで、それは遠州渥美半島先端の伊良子岬である。

 何時頃から憧れであったかと云うと、この岬の先端に恋路ガ浜と云うロマンチックな砂浜がある。ここには明治の文豪島崎藤村が作詞した「椰子の実」の碑文があると聞いていたからである。

「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
 故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月」

 いかにも郷愁を誘う詩であり、わが故郷信州小諸の「千曲川旅情の詩」とともに、否応なしに覚えさせられた。

 この詩は、はるばる流れ着いた椰子の実を見つけた柳田国男が、この話を島崎藤村に話したところ、藤村が想像を加えて作詞したのがものというのこの詩である。

 そして、今年になってこの憧れの地伊良子岬へ旅立つことにした。ただ、これだけではもったいないので、いっそのこと、フェリーで対岸の紀伊半島に渡り、何年振りかの伊勢神宮を参拝することにした。その途中には三島由紀夫の「潮騒」の舞台となった神島を見ながらと云う何ともロマンチックな旅で胸躍る思いである。

 そこで、いつもの老人たちに呼びかけたところ、なんと、最終的に15人も集まったのである。ただ、これが残念かどうかわからないが、我が国の人口バランスが示すように、参加者の内訳は、ともに「老」の付く男5人、女10人と云う結果となり、何とも男冥利に尽きる旅となった。

 例によって、出発時間は我が生瀬駅を日曜朝八時六分と云う年寄り時間で、生瀬駅出発の10分前には全員集合し、元気いっぱいの旅立ちとなる。

 尼崎駅で、8時52分の新快速に乗ると、米原まで乗り換えなしの一直線。驚いたことには、各駅停車でありながら途中で5分前に出発した快速を追い抜くという優れものである。

 ただ、米原では6番線に到着するが、次の豊橋行きには5分の待ち合わせで、隣の8番線出発であり、老人にとってはかなりきつい乗換である。生瀬駅で確認した前から5両目に乗ると、降りたところにエレベータがあると指示に従う。途中大垣までは、一部立ちっぱなしと云う人もあったが、ほぼ全員、豊橋までは座席を確保した。

 目的地に至る中継地の豊橋では、1時間に一本と云う「豊橋鉄道バス」の都合で、近くの食堂街で、めいめい好みの昼食をとり、13時49分発の伊良子岬行に乗る。乗る前に、翌日の鳥羽行きのフェリーの乗船券を通しで買うと大幅に安くなり、その辺は抜け目ない。

 それにしても、この渥美半島って、地図で見ると隣の知多半島と向き合わせて蟹の爪?のように太平洋に突き出しているが、思いのほか広大である。そして、伊良子岬休暇村には15時24分と云う手ごろな時間で本日の宿「休暇村伊良湖岬」に到着する。到着する少し前より、強い南風に吹かれて翌日の天気が心配になったが、後で土地の人に聞いたところ、これが常日頃の気象状況だという事であった。

 宿は、寂寞とした平原にひっそりと建っているようで、ここを寂寞と云うか、茫漠というか、はたまた荒涼と云うか誠に微妙なところではあるが、往古からの自然の営みによって形成された土地で、それなりに風情はある。

 チェックインして、早速に大浴場に飛び込んだが、物は試しと露天風呂にも入ったが、一瞬たりと外気に体を当てると、その寒い事、寒い事・・・・。その夜、カラオケ好きのメンバーが8人もそろったので、時ならぬ大音楽会となったが、これが音楽であったかどうかは定かではない。

 総じて、述べるべく不満もないが、夕食は、例によって「プレミアムバイキング」であったが、このプレミアムとは「桜鯛刺身盛り合わせ」であり、これにはそれ相応の価値もあったが、その他はいたって質素であった。

 最初、見積もりに「旬菜バイキング」とあったのに、「桜鯛」を追加したからよいようなもので、始めの見積もり通りだったら、お猪口の様な器に盛られた料理という事になれば、さしもの、粗食にして、小食に耐えたお年寄りたちも唯ではすまなかったのではなかろうかと思っている。

 翌朝、宿側の都合で、出発時間が10分繰り上がって、8時40分となるが、これにも不満を述べるわけでもなく、云われた通り老人らしく従順にしたがった。ただ、参加者の中から二組の御夫婦が、健康上の都合で洋室を希望され、その通りに手配したが、二つの部屋のグレードが全く違うと出発間際に聞かされた。

 この二組には、その他のメンバーより宿泊料に同様の差をつけていたので、フロントに意気込んで抗議したところ、洋室の一つは、一般の人より低額であり、同額であったのは、宿泊者二名の和室という事で、出がけにとんだ赤恥をかいたものである。

 伊良子岬港を9時30分出港、港に入る手前で、左手に小さな集落が見え、運転手に「あれが恋路ガ浜か」と尋ねると、そうだと云う返事が返ってきた。

 出港して間もなく左手に三島由紀夫の「潮騒」の舞台となった神島が見えてくる。かつて、青春の真っただ中だった頃、夢にまで見た吉永小百合さんが活躍した場面を心に描こうとするが、残念ながら、本も映画も見ていない。ところが、旅から帰って丁度一週間目の4月14日にNHKbsで放映されたのである。吉永小百合さんの清純で可憐な姿と、映画が造られた昭和39年と言う時代に思いを馳せ、今の時代とどの様に変わったであろうか。万葉から採ったと言われる「潮騒」と言う言葉と共にしっかりと目に焼き付いた。

 鳥羽には、11時30分頃到着し、鳥羽駅までは徒歩で15分という事で、次の目的地下宮のある伊勢市への電車11時2分発であり、およそ30分の乗り換え時間があるので、悠々間に合うと考えていた。ところが、これはあくまで健脚の場合であって、私などには全く合わず、発車間際に息をゼイゼイ切らしようやくたどり着いた。

 これに懲りた訳ではないが、伊勢市では2時間余の時間を取って、伊勢神宮下宮を参拝す。と云っても、これは私を除いての話であり、私は二の鳥居までであえなく引き返してきた。されど、往古のお伊勢参りの雰囲気は十分に堪能した。

 例によって、めいめい好みの昼食をとり、13時21分発の「快速みえ14号」で名古屋に向かう。ここで、今迄の各駅停車と少し趣を変えて、全席座席指定である。出発に先立ち、生瀬駅で聞いたら、「観光シーズンだから、座席指定の方がよいのではないか」とのご託宣で、全員座席指定にしたのである。その必要性は有ったか、無かったか・・・・、ただ、左右4ボックスを確保したのでそれなりに楽しい旅となった。

 もう一つ、この電車、途中津から河原田まで第三セクター伊勢鉄道であり、この間の乗車賃は別途支払いとなる。

 ここでハタと気が付いたのは、3年前、紀伊半島一周にトライした際、亀山で関西本線に乗り換えるために、多岐で1時間以上の時間調整をしたことがあったが、今回同様「伊勢鉄道」を使っていれば、もう少しスムースに帰れたのかもしれない。

 ただ、我が街生瀬に帰り着くのに、木津経由で東西線一直線と云うのも、それはそれで意義があったのだろう。

 名古屋では、15時15分発の大垣行きに乗って、ここから、大垣、米原で乗り換え、一路帰路に立つ。米原では全員余裕をもって座席を確保するが、かなり離れ離れになったが、ここまで来ると、一同可なり旅慣れてそれぞれに、食べたり、しゃべったり、居眠むったりで、それぞれに楽しみながら尼崎に向かう。

 尼崎には計画通り、16時30分に到着、終着駅生瀬駅にも、計画通り、18時57分に到着、皆かなり疲れたのではないかと案じたが、翌日お会いしたところ、「ぜ〜ん、ぜ〜ん!すごっく楽しかった」だってさ。恐るべし、女じから、いや婆さんじから、である。