パソコンの歴史1980年 | ||||
1980年 | 5月 |
(米)アップル appleV発売
コンパクト設計のappleUからは想像できないような大きな筐体でした。華々しくデビューしてオプションでハードディスクまで装備できるようにしたのですが、機能を欲張りすぎたのか不具合が発生しなかなか生産開始出来ず、失敗作の烙印を押されています。しかし希少価値があるのかマニアの間では今も結構いい値段で取引されています。私は実物を見たことがありません。 |
||
1980年 | 5月 | 沖電気 if800シリーズ発売 | ||
CPU | Z-80A | |||
RAM | 64KB? | |||
VRAM | - | |||
FDD | オプション,モデル20は5インチ2D*1 | |||
グラフィック | 640*200 | |||
サウンド | - | |||
備考 | ||||
ifの意味はインターフェイスとかインテリジェント・ファシリティだとかいわれています。恐ろしいことに本体にプリンタまで内蔵していました。当時としては超贅沢マシンでした。1980年当時の技術でよくここまで詰め込めたものです。 |
||||
1980年 | 10月 | エプソン ドットプリンター「MP-80」発売 | ||
海外では「MX-80」の型名で発売され、プリンターの「EPSON」ブランドを世界的に有名にした大ヒットモデルです。 発売当時の日本では競合商品がなく60%以上のシェアを誇っていました。1983年になってやっと買える価格の漢字プリンターが登場するまでプリンターと言えばMP-80でした。 漢字ROMを搭載していないため、独自では漢字を出力することは不可能でしたが、ワープロソフトなどを使用すると、パソコン側からイメージ出力することにより16×16ドット相当の漢字を印刷することが可能でした。 当時は今と違って両側に穴の開いた連続用紙を使用していたため、ほとんどの場合プログラムを印刷してミスがないかチェックするために使用していました。 |
||||
★この頃のセイコーグループは親会社の服部時計店の下に製造子会社の精工舎、第二精工舎、諏訪精工舎の3社がありました。 服部時計店(親会社でセイコーグループの販売部門、1983年服部セイコー⇒1997年セイコーに社名変更) ↓ 精工舎(クロック時計製造、1996年セイコークロックプレシジョンに社名変更) 第二精工舎(ウオッチ時計製造、1983年セイコー電子工業⇒1997年セイコーインスツルメンツ(SII)に社名変更) 諏訪精工舎(ウォッチ時計製造、1985年11月エプソンと合併してセイコーエプソンに社名変更) ↓ 信州精器(1961年パーツメーカーとして設立、1982年7月エプソンに社名変更⇒1985年11月諏訪精工舎と合併) 当時信州精器(エプソン)は親会社の服部時計店から見れば、諏訪精工舎⇒信州精器(エプソン)になり孫会社に当たります。1980年代になるとパソコン用プリンタで大成功をして、1985年11月には親会社の諏訪精工舎と合併し、1987年には「PC-9801」互換機でパソコンに本格的に進出するなど多角化して企業規模を拡大し、セイコーグループ色を徐々に薄めていきます。そして2003年6月には東証一部に二部を経由せず直接上場を果します。 ちなみにブランド名「EPSON」は1968年9月に発売して大ヒットしたプリンター「EP-101」のEP(エレクトリック・プリンター)と子供たち「SON」を合わせた合成語で、1975年6月より使用されています。 余談ですが、当時EPSONというタバコの銘柄があってよく間違われていました。 |
||||
1980年 | 12月 |
(米)アップル ナスダック市場に株式上場
1976年4月から約4年半で株式公開しました。創業者のステーブン・ジョブスとステーブン・ウォズニアクは莫大な創業者利益を手にしました。当時の市場シェアはアップルが1位で2位はコモドールでした。 |
||
12月 |
ソニー 3.5インチフロッピー規格発表 出荷されますが実際に採用したメーカーはありませんでした。翌年に規格発表された3インチフロッピーと規格争いを演じました。その後3インチ規格
を圧倒し、CDと並んでソニーが世界に普及させた規格です。現在でもフロッピーの標準規格として使われ続けています。 |
|||
パソコンの歴史1981年 |
||||
1981年 | 4月 | シャープMZ-80B発売 | ||
|
CPU | Z-80A/4MHz | ||
RAM | 64KB | |||
VRAM | オプション | |||
記憶装置 | カセットデータレコーダ内臓 | |||
グラフィック | オプションで320*200ドット(グリーン) | |||
サウンド | 内臓 | |||
備考 |
本体 278,000円
|
|||
実質MZシリーズを市場に認知させたマシンです。市場の人気をNECのPC-8001と2分しました。シャープのコンピュータはクリーン思想だったので、電源を入れるだけでは作動しませんでした。作業前に
BASICのカセットテープをロードする必要がありました。これがかなり時間がかかって、今から考えるとのんびりした時代でした。 |
||||
1981年 | 4月 | 日立 ベーシックマスターレベル3発売 | ||
CPU | 6809 | |||
RAM | 32KB | |||
VRAM | メインメモリ兼用 | |||
FDD | オプション | |||
グラフィック | 最大640*200ドット*8色(8ドット単位) | |||
サウンド | - | |||
本体 298,000円 | ||||
この機種はたくさんのグラフィック解像度をもっていました。最大で640×200ドット、最低で80×100ドット(必要あるのかな)おまけに8色表示!しかし8ドット単位でしか色指定が出来ませんでした。当時まだメモリーも非常に高価だったため専用のVRAMはなくメインメモリとの兼用でした。 |
||||
1981年 | 5月 | 富士通 FM-8を発表 | ||
CPU | メイン68A09 サブ6809 | |||
RAM | 64KB | |||
VRAM | - | |||
FDD | オプション | |||
グラフィック | 640*200ドット*8色 | |||
サウンド | - | |||
備考 | 本体 218,000円 | |||
この性能でこの価格は驚きでした。おまけに漢字ROMをオプションで用意しており12行表示で日本語も表示出来ました。搭載されていたF-BASICもかなり強力でした。オプションでバブルメモリという記憶装置もありました。書き換え可能で保存に電気も必要のない記憶装置でしたが、普及はしませんでした。泡
と消えそうな名称がいけなかったのでしょうか? |
||||
1981年 | 7月 | NEC 16ビット機N5200/05を発表 | ||
|
NECはPC-9801シリーズ以外にも16ビットマシンを発売していました。会社などではおもにこちらの方が使われていましたが、その後PC−9801が猛烈に売れるようになるとN5200の存在価値はなくなり徐々に消えていきました。 CPUは8086を採用し、OSは独自のPTOSを採用していました。PTOS上で作動するLANカルク、LANプランなどのソフトがありました。8インチフロッピーとやたら多いファンクションキーが印象に残っています。 一番最初のモデルはグリーンモニター内臓タイプでした。 |
|||
1981年 | 8月 | (米)IBM IBM PC発売 | ||
|
CPU | 8088/4.77MHz | ||
RAM | 16KB/64KB | |||
VRAM | - | |||
FDD | 5インチ1D*1ドライブ/2ドライブ | |||
グラフィック | 640*200*モノクロ/320*200*4色 | |||
サウンド | - | |||
備考 | ||||
開発期間を短縮するために自前主義を捨てCPUはインテル製、OSはマイクロソフト製を採用しました。性能的にはCPUに8088を採用し特に優れている訳ではありませんでした。IBMが発売したのがミソだったんです。当時のIBMはビッグブルーと呼ばれ汎用コンピュータの分野で他社を圧倒していました。市場の6割から7割を独占する物凄い会社だったのです。業界のことを「白雪姫と7人の小人たち」に例えていました。白雪姫はもちろんIBM、7人の小人とはハネウェル、ユニバック、バローズなど7社です。IBM=スタンダード(業界標準)でした。 凄まじいばかりの宣伝力、販売力で発売と同時に市場を圧倒し、すぐにアップルからシェア1位の地位を奪いました。パソコンの命であるCPUとOSを外部から調達したことにより、その後コンパックなどの互換機メーカーを生むことになります。インテルの CPUとマイクロソフトのMS-DOSはIBM以外でも調達出来るのですから・・・IBMがこの2社を製品を採用したことにより、その後2社は猛烈に成長し、本家のIBMを窮地に追い込むことになるとはIBMもこの時点では想像すらしていなかったでしょう。 ビデオ規格はCGA(カラー・グラフィックス・アレイまたはアダプター)で日本のパソコンと比べると解像度は高くなかったです。英語だけ表示すればいいアメリカと漢字も表示しないといけない日本の違いだと思います。のちにEGA⇒VGA⇒XGAへと発展していきます。 |
||||
1981年 | 8月 |
(米)マイクロソフト MS-DOS Ver1.0納品 IBM PC用に開発されたOSです
。IBMではPC-DOSと呼ばれていました。ライバルのデジタルリサーチCP/M-86があったのですが対応のまずさによりIBMはMS-DOSを採用しました。ビル・ゲイツはプログラマーとしての才能も去ることながら経営者として卓越した才能を持っていました。その後バージョンアップを重ね
た後、Windowsへと発展していきます。 |
||
9月 |
孫正義氏が日本ソフトバンクを設立(9月3日)
パソコンソフトの製作会社は小さく数が多かったので、販売店側は仕入れに大変苦労していました。そこに注目してパソコンソフト会社と販売店の間に立ってソフトの流通に革命を起こしたのが日本ソフトバンクです。 |
|||
1981年 | 9月 | NEC PC-8801発表 | ||
CPU | Z-80A/4MHz(同等品) | |||
RAM | 64KB | |||
VRAM | 48KB | |||
FDD | オプション | |||
グラフィック | 640*400*1色/640*200*8色 | |||
サウンド | BEEP音 | |||
備考 |
本体 228,000円 |
|||
1980年代前半の人気を独占したPC-8801シリーズの初代マシンです。640×400ドット表示で漢字ROMを装備すると25行表示出来ました。640×200ドットもでもテキストとグラフィックを重ねる事も出来ました。基本的にPC-8801mkUもフロッピーは内蔵しましたが性能は変えていなかったため約3年半大幅な変更はしませんでした。 同クラスの機種が他のメーカーに無かったので一概に言えませんが、性能はそんなに高いとは思えませんでした。特にグラフィックスの遅さは耐え難いものがありました。画面を塗るPAINT命令や消すCLS命令などを行うとフリーズしているのでは?と思うほど遅かったです。あと沈み込むようなキータッチはなんとかならなかったのでしょうか? 大ヒットしたのはNECのブランド力に負うところも大きかったのではないでしょうか? |
||||
1981年 | 9月 | NEC PC-6001発表 | ||
CPU | Z-80A/4MHz(同等品) | |||
RAM | 16KB(最大32KB) | |||
VRAM | - | |||
記憶装置 | - | |||
グラフィック | 256*182ドット*2色/128*192ドット4色 | |||
サウンド | 8オクターブ3重和音 | |||
備考 | 本体 89,800円 | |||
このマシンでパソコンの世界に入った方は多いと思います。かくゆう私もそうで、学生だったため一括払いも出来ず、ローンで買いました。基本的にテレビに接続するように考えられていました。ただキーボードが小さく大変キーが押しにくかった事を思い出します。愛称をパピコンと呼ばれていました。 |
||||
1981年 | 10月 |
上新電機 大阪日本橋に「J&P日本橋店」オープン(その後テクノランド店に変更)
関西に住んでいた私はパソコンの新製品が発売されるとJ&Pに見に行きました。その後メディアランドや京都、東京など日本全国に出店し90年代初めまでパソコンと言えば上新電機でした。全国から見学が絶えなくて、パソコンショップの人間にとってもJ&Pテクノランドは目標の店でした。 |
||
10月 |
富士通 FACOM-9450を発表 ほとんど記憶にありません。ビジネス用だったので店頭にはおいていませんでした。製造はパナファコムという
松下電器と富士通の合弁会社でした。パナソニック(松下電器産業)+FACOM(富士通オートマチックコンピュータ)の略です。 |
|||
1981年 | 12月 | 三菱電機 MULTI16発売 | ||
|
5モデルが発売されました。CPUは8088でグラフィックは最大で640×400ドット×8色が表示出来て、VRAMは128KB〜256KBまでありました。フロッピーは5インチモデルから8インチ搭載モデルまでありました。 価格が一番下位モデルでも50万円を超えていて、最上位モデルは当時カローラやファミリアが買えるくらいしました。OSはCP/M-86を採用していました。 |