りんくうタウン狂走曲
(弓月光のコミックエリート狂走曲から文字を拝借しました)


1990年末に発表された完成予想図です。バブル当時はこんな壮大な計画があったのです。
その後バブルが崩壊し、ほとんどの計画は中止されて 結局完成したのはゲートタワービル1棟のみでした。

りんくうタウンの歴史(1978年〜1992年)

1978年 - 空港対岸部の埋め立てについて検討開始
1984年 12月 計画素案を公表
1985年 6月

南大阪湾岸整備事業計画をとりまとめ決定

1986年 12月 土地利用計画委員会設置
1987年 1月

公有水面埋立法に基づき、埋立免許を取得

2月 1987年2月9日にNTT株が東証一部に上場されました。1株(額面5万円)基準価格120万円に人気が殺到し、買い気配のまま寄り付かず、ようやく10日の後場になって160万円で売買が やっと成立しました。3月4日には遂に300万円の大台に達しこの頃から株式および土地の急上昇が始まり日本全体はバブル経済に突入していきます。
3月 護岸工事に着手
6月 愛称をりんくうタウンに決定
12月 ロイヤルホテルが地上35階の高層ホテル計画を発表
地上35階建て、延べ床面積6万6千u、客室数8百室のホテルの建設計画を発表しました。

1988年 1月 埋立工事に着手
10月 住友グループがエクステージキャンパスネオオオサカ構想を発表
住友商事、住友生命、住友信託銀行、住友銀行の住友グループ4社の構想です。タワー1が地上60階以上高さ250m以上、タワー2が地上30階以上高さ150m以上の超高層ビルで、総工費2000億円以上をかけて1995年春までに完成予定と発表されました。

1988年 12月 土地分譲予備申し込み受付
12月 伊藤忠サントリーなど14社ゲートシティ構想を発表
伊藤忠商事、第一勧業銀行、JR西日本、サントリー、日本長期信用銀行など有力14社の構想です。65階建て、高さ260mの超高層ビルを中心に国際文化情報交流都市を建設、総事業費は2000億円の予定でした。

1988年 12月 日本生命グループがグローバルフェスタ構想を発表
日本生命を中心に三和銀行、西武セゾングループ、マリオットホテル、高島屋、南海電鉄、サントリーなど大手7社の構想です。直径210m高さ60mの世界初の透明ドーム「クリスタルドーム」を中心に56階建て、高さ210mのツインホテルと30階建てのツインオフィスビルを計画し、
総投資額は1200億円を予定していました。

1988年 12月 三菱・近鉄グループが「グローバル・コミニケーションプラザ」構想を発表
三菱・近鉄両グループ12社の構想です。50階建て、高さ210mの超高層ビルを中心にホテル、ショッピング施設、イベント空間を備えた施設を計画し、総工費は1000億円 を予定していました。

1988年 12月 三井不動産が「ワールド・インテリジェント・シティ」構想を発表
三井不動産、デザック、千代田生命、神戸製鋼、三井不動産販売の大手5社の構想です。50階建て、高さ240mの超高層ビルと40階建ての高層ホテル、5000人収容の国際会議場などを計画し、総工費は950億円を予定していました。

1988年 12月 朝日住建が地上50階建てビルやホテル建設構想を発表
朝日住建、三井信託銀行など8社の構想です。50階建て、高さ205mの超高層ビルと30階建てのビルを中心に4000人の会議施設を持つ都市型ホテルなどを計画し、総投資額は1500億円で完成は1993年(当時関空は1993年開港予定)を予定していました。

1988年 12月 芙蓉グループ松下電器産業 が「リブルシェール構想を発表
丸紅、富士銀行、松下電器産業、久保田鉄工など大手10社の構想です。ホテル、オフィスビル、研究開発、貿易などそれぞれの機能を持った4棟のビルを計画し、総工費は1000億円を予定していました。

12月 南海電鉄グループが地上30階建ての「南海りんくうタウンビル」構想を発表
大和銀行が地上40階建ての超高層ビルの建設構想を発表
新日本製鉄が「リブ・ポート」構想を発表
1989年

3月

都市計画の決定
3月 ゲートタワービル構想を発表
りんくうタウンのシンボルとしてJRと南海りんくうタウン駅の両側に計画されました。最初に発表された構想図 は現在とはずいぶん外観が違がっていて丸っぽいです。

1989年 9月 りんくうタウンまちづくり要綱を発表
10月 土地分譲登録申し込み受付
11月 そごうグループが構想を発表
12月 りんくうタウン進出希望殺到、競争率は6.6倍
12月 日経平均株価が12月末に38,915円と史上最高値をつけバブル経済の頂点をむかえます。
1990年 1月 年明けとともに、日経平均株価がじりじり下がり始めます。今思えばこれがバブル崩壊の始まりでした。しかし世の中はまだバブル経済に浮かれていました。株価下落も一時的だとの楽観論がほとんどでした。
1月 株式会社テレコムりんくう発足
3月 ゲートタワービルの概要が発表
住友グループ・日生両グループ1本化で合意
4月 りんくうタウン分譲要綱(商業業務ゾーン)を発表
商業業務ゾーン1平方メートルあたり最高153万円、最低113万円
5月 りんくうゲートタワービル株式会社発足
8月 8月2日、イラク軍がクウェート侵攻
11月 ゲートタワービル基本設計概要を発表
地上57階建て、高さ260mのツインビルで総工費は1600億円を予定していました。ビルとビルの間をピラミッド型の橋で結ぶ斬新なデザインでした。しかし着工時には地上56階建て高さ256mと1階分高さが低くなり、1棟のみの着工となりました。

1990年 11月 商業業務ゾーン15区画の進出企業決定(1990年11月当時)
1988年秋に各社が構想を発表し、あまりの過熱する競争に、その後2年間各社は合従連衡を繰り返しました。1990年11月の正式決定時に地上100m以上の超高層ビル計画は最低でも11本ありました。それにゲートタワー2本を加えると13本になり梅田周辺を超える超高層ビル街が誕生する予定でした。


商業業務ゾーン街区地図

街区

代表企業名 企業数 面積
ha
棟数 階数 計画内容
@ 泉州銀行 14 1.2 1 35 金融ビジネスの拠点となる35階建て高さ155mの 超高層ビル
A 松下興産 6 0.9 2 22 国際ビジネスの受発信の核となる22階建て高さ92mセンタービル
B 阪神電気鉄道 7 0.9 1 25 情報や文化の国際的な活動拠点となる25階建て高さ136mの超高層ビル
C 竹中工務店 5 0.7 2 21 高度な医療施設を持つ21階建て高さ105mのライフセンター ビル
D 丸紅、三井不動産 39 3.4 4 最高41 地上41階て高さ156mのビルを中心にビジネス、商業、ホテルなどの複合施設
E 大和銀行 9 0.8 1 24 地上24階建て高さ137mのインテリジェントビル
F 関西国際空港ビルディング 1 1.0 2 21 空港機能を支援、補完する21階建て高さ99mのビル
G ロイヤルホテル 1 1.6 1 17 地上17階建て高さ71mの多機能高級シティーホテル
H 伊藤忠商事 9 1.2 1 45 地上45階建て高さ180mのビルを中心にした情報、文化、娯楽の複合施設
I 日本生命、住友生命 18 4.9 5 最高46 地上46階建て高さ200mの ビルを中心とした文化、商業複合施設
J 三菱商事・リバー産業 22 3.1 2 最高51 地上51階建て高さ195mのビルを中心にした文化、商業、娯楽の複合施設
K 第一生命 4 1.0 1 32 オフィス機能を持った32階建て高さ129mの国際高級シティーホテル
L マック住建 7 1.0 1 24 生活提案型企業を誘致する24階建て高さ107mのインテリジェントビル
M 大和団地、新日本製鉄、第一不動産 12 1.1 1 23 地上23階建て高さ94mのグローバルセンタービル
N 泉州開発企業体 61 1.0 1 30 地上30階建て高さ132mの複合機能ホテル
1990年 11月 最も広い区画の日本生命住友生命グループ18社が概要を発表
中央の一番高い2棟のビルはゲートタワービル (デザインが当初計画のままですが)でその手前にあるのが日本生命・住友生命連合の計画です。地上46階建て高さ200mの超高層 ビルを中心にホテル、百貨店、業務ビルなど5棟のビルを計画していました。

1991年 1月 日本時間1月17日午前8時半過ぎ多国籍軍がイラクの首都バグダッドを空爆開始、湾岸戦争が始まります。
3月 商業業務ゾーンのうちAl、A2ブロック分譲契約締結
財団法人大阪府りんくうセンター発足
月湾岸戦争終結、この頃からバブル崩壊とう言葉が盛んに使われ始め、世間一般にバブル崩壊を実感するようになります。その後日本経済は急速に冷え込んでいきます。
7月 りんくうタウン分譲要綱(流通・製造・加工ゾーン)を発表
11月 りんくうタウン分譲要綱(空港関連産業ゾーン)を発表
12月 大阪府が商業業務ゾーンの着工見直し先送りに応じると発表
ゲートタワービルをツインから1棟を先行建設すると発表
1992年 1月 流通・製造・加工ゾーン立地企業決定(20区画)
3月 商業業務ゾーン南地区8区画の進出予定企業が、バブル崩壊により進出意欲を失い分譲契約を保留
4月 空港関連産業ゾーン立地企業決定(19区画)
7月 商業業務ゾーンの整備のためのプロジェクトチーム設置
11月 りんくうタウン分譲要綱(住宅関連ゾーン)を発表
12月 商業業務ゾーン北地区の優先開発を発表
南地区商業業務ゾーンの整備方針(パシフィックシティ構想等)発表
実質南地区開発計画を当面棚上げ

 その後19949月関西国際空港開港、1996年10月りんくうゲートタワー完成などはありましたが、バブル崩壊の痛手は あまりにも大きく、りんくうタウン計画は実質破綻しています。バブル崩壊がもう数年遅れたら商業業務ゾーンは完成していたかもしれません。しかしその後にバブル崩壊していれば?と考えるとゾッとします。もしあの巨大都市が完成していたら・・・本当に恐ろしいゴーストタウンになっていたことでしょう。不良債権の山が築かれていて、関西経済は今よりも 不況が深刻化していたと思われます。なにせ1棟の ゲートタワービルもテナントが埋まっていない状態ですから・・・
 私は、超高層ビル大好きであったのでりんくうタウンの開発にはワクワク胸を躍らせていました。そして完成を疑いませんでした。これで首都圏に追いつくなんて 本気で思い込んでいました。今になって冷静に判断するとりんくうタウンにこのような 膨大なオフィスやホテル、流通需要があるわけもなく、日本中がバブルで冷静さを欠いていた本当にハチャメチャな時代でした。

 

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