HALES, JOHN or SMITH, SIR THOMAS. STAFFORD WILLIAM ed. A Compendious or Briefe Examination of Certayne Ordinary Complaints, of Diuers of Our Country Men in These Our Dayes: Which Although They are in Some Part Vniust & Friuolous, Yet are They All by Way of Dialogues thoroughly Debated and Discussed. By W. S. Gentleman, London, In Fleetstreate, Neere Vnto Saincte Dunstones Church by Thomas Marshe, 1581, 55leaves, 8vo.
 著者不詳『種々なる人々の有する目下の不平の簡単なる検討』、初版。
 本書は、八折版55葉よりなり、黒体活字を使用したエリザベス一世時代の版本の好典型とされる。四種の異版(Variant) (注1)がある。なお、刊本以前の写本が3冊伝わっている(高橋,1994による)。
 郷紳W.S.著(By W. S. Gentleman)と書かれていることから、著者はウィリアム・シェークスピアに擬せられたこともある。異版に氏名が印刷されているものがあるところから、この略称はウィリアム・スタフォード(William Stafford)のこととされている。但し、スタフォードは、編者にすぎず、真の著者はジョーン・ヘイルズ(John Hales)あるいは、サー・トマス・スミス(Sir Thomas Smithe)とする説が有力である。

 英国経済学の濫觴とも称すべき著作。古い本であるため、理解を助けるため、時代背景を書いておく。この本が著されたのは、ポトシ鉱山をはじめとする南米の大量の銀がヨーロッパに流入した価格革命の時代であった。スペイン、フランダースを経て英国に流れ込んだ銀が、物価を押し上げたのである。のみならず、テューダー朝の英国では、さらに物価高を増進させる特殊事情があった。ヘンリ八世は、大陸の国際紛争に積極的に介入したことにより、財政危機招いた。これを逃れるため、1540年代に「大悪鋳」と称されるほどの通貨の改鋳を行って、貨幣の品位を下げたのである。こうしたポンド価値下落にも助けられて、英国の毛織物輸出は増加し、国内では牧羊地拡大ための「囲い込み」(エンクロジャー)が盛んになった。

 本書体裁は、エリザベス女王宛の献本書簡、目次を兼ねた内容の概要、序文及び対話三編より構成されている。対話者はナイト(郷紳層、エンクロジャーの主体)、農民(借地人の利益代表)、帽子製造業者(手工業者代表)、商人(呉服商)及び博士(神学)である。博士が対話の中心となり、問題の解明とその解決策を提示する。
 以下、各編とも内容的に重複する部分があるので、主要論点を摘記する。
 食料品をはじめとして商品が過多とも思われるにもかかわらず、物価が高騰し、登場人物が代表する各階層とも、利益が圧迫されていることについては、全員一致で同意する。しかし、その原因については、合意できなかった。
 博士はその原因を鋳貨の改悪にあるとする。ただし、君主は歳入不足を補う為、通貨の品位を落とす改鋳に手を染めたのであるが、人民が租税を悪貨で支払うので、却って不利な結果を招いたとする(グレシャムの法則のグレシャムは同時代人である)。
 インフレが各階級に及ぼす影響についても分析している。
 第三編で、博士は、①一般的・普遍的な高価のみならず、他の万人の訴える厄災である②国内の金銀の枯渇、③エンクロジャーによる耕作地の牧場への転換、④都市・村落の衰退、⑤宗教上の分離・対立についても、その主要原因を貨幣の悪鋳に求める。
  また、人民の困窮は国王の貧困であり、人民を富強にすることが国王(国家)を富強にするという考えを述べている。国民経済の見地に立つ初期文献との評価がある。
 そして、土地の地代が二十年以前の水準に下落しても、借地農が購入する他の物品の価格が下落しない限り、彼らは以前の価格で産物を売ることは出来ない。しかし、多くの物品は外国からの購入しているため、それは不可能である。
 物品の生産は、全世界の共同市場に向けたものであり、価格の設定も世界市場の価格に従わなければならぬとしている。諸外国との経済相互依存関係をよく認識している。のみならず、重金政策ブリオニズムの時代にあって、当然貴金属の国内流入を考えるのであるが、貿易差額主義論の見地より論じているのは、時代に一世紀ほど先んじていた。
 著者はまた自由主義的政策思想家で、反ギルド・反独占の考えを持っていた。法律的な統制を好まず、利己心に訴えることが重要であるとし、エンクロジャーを抑えるにも穀物価格を上げ、農業を牧羊業より利益あるものにすべきだとした。
 本書を通じ主として物価高に起因する「不平」が述べられているわけだが、全体として当時が、父祖のどの時代よりも英国に財宝が潤沢に存在し、また庶民の生活においても贅沢品が増えていることも認めている。
 なお、写本(1565年手写の記載あるものあり)では、悪鋳のみを物価騰貴の原因としており、この刊本では南米からの金銀供給をも原因として記載されている。この加筆は編者W.S.のものと考えられる。この記載の背景には1562年のエリザベスの貨幣(品位向上)改鋳後も、物価の上昇が止まらなかったことからの認識もあるのであろう。シュムペーターは、これら両本の相違を重要とし、加筆者は「この種の「発見」が当然受けるべき栄誉に参加する資格」(シュムペーター,1980,p.346)があるとしている。もっとも、ジャン・ボーダンのこの発見に対する優先権は認めている。
 
 高橋の二つの著書(1947,1994)の巻頭にあげられ、この書を求めてから入手するまでに27年の時間を要したと書いている。著作集「解題」の解題でも執筆者飯田裕康は、本書についての高橋の執着ぶりを書かれている。
 また、この初版本は高橋の当時、米国に1冊存ずるのみと書かれているが、現在日本においても、私の知るかぎり慶応大学(高橋の旧蔵本と思われる)の他、高千穂大学の図書館にも蔵されている。

 私蔵本(英国の書店より購入)は標題紙の下半分が失われ、かなり以前に修復がなされている。また、第36葉がなく、専門家の手によりコピーで代替補修されている。装丁は、カーフ装の美本である。
 この時代のものに収集範囲を拡げてから1年くらいであり、知識もない。ただ、高橋が30年近くも探してやっと手に入れた本と知って、肝心の標題紙の欠陥(本屋から写真をメールしてもらって事前に承知)があるにもかかわらず、買ってしまった。こんな不備でもなければ高くて、私ごとき者にはとても手に入らぬ本だろう。

(注1) 異版とは、それらの間の時間的順序、あるいは正確な関係について何の規範も構築できないもの、書誌学的に本質的に順序が決定できないものとある(カーター,1994)。
 異版4種うち3種がシェークスピア・フォルージャー図書館にある。違いは、標題紙の著者のところが、が”W. S. Gentleman”でなくて、” William Stafford, gentleman”となっていたり、最初のページの欄外標題のスペル例えば、”England”と”Englande” ものがある等わずかなもののようである。
 (参考文献)
  1. 青木道彦 『エリザベスⅠ世 大英帝国の幕開け』 講談社 2000年
  2. ジョン・カーター 横山千晶訳 『西洋書誌入門』 図書出版社 1994年 
  3. シュムペーター 『経済分析の歴史1』 岩波書店 1980年
  4. 高橋誠一郎 『西洋経済古書漫筆』好学社 1947年
  5. 高橋誠一郎 『重商主義経済学説研究』(高橋誠一郎経済学史著作集 第二巻) 創文社 1993年
  6. 高橋誠一郎 『古版西洋経済書解題』(高橋誠一郎経済学史著作集 第四巻) 創文社 1994年
  7. Mattew, D. F., ‘Introduction’ in Stafford, W. “Cpmpendious or brief Examination of certayne ordinary Complaints” The new Shakespere Society, London, 1876
 
 
 
 標題紙(拡大可能)
 
 
(2009/6/5記)
(2016/7/21著者をHale & Smithとし、図書館名の誤記を訂正しました。2017/5/19 「郷紳W.S.著」にW. S. Gentlemanを追記。2022/5/10書名の誤記部分を訂正)


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