SAVARY, JAQUES,
Le parfait negociant ou instruction generale pour ce qui regarde le commerce des marchandises de France, & des Pays Estrangers. Pour le Banque, le Change & Rechange. Pour les Societez ordinaires, en commandite, & anonymes. Pour les Faillites, Banqueroutes, Separations, Cessions & abandonemens de Biens. Pour la maniere de tenir les Livres Journaux d'achapes , de ventes , de caisse , & de raison. Avec des Formularies de Lettres & Billets de Change, d'Inventaire , & de toute sorte de Societez. Et l'Application des Ordonnances & Arrests rendus sur toutes les Questions les plus difficiles qui arrivent entre les Marchands , Negocians , & Banquires , sur toute sorte de matieres concernant le Commerce des Lettres , & Billets de Change., Seconde Edition., Paris, Chez Jean Guignard et al, 1679, pp.(60)+398 ; (1)+(6)+559+(1), 4to.

 サヴァリ『完全なる商人』1679年刊第二版(初版は1675年刊)。正式な書名は、『完全なる商人、すなわち、フランスおよび外国の商品取引に関する事項の全般的教示。銀行、為替と逆為替について。普通会社、合資会社と有限会社について。財産の破綻、倒産、分離、譲渡および委付について。購入、販売、出納の日記帳形式とその理由について。併せて、約束手形、為替手形、在庫目録、および全タイプの会社の書式。ならびに、商人や銀行との間で最も問題となる、約束手形、為替手形に関するあらゆる事項を、王令と停止法へ適用すること』。
 著者略歴:ジャック・サヴァリSavary,Jaques(1622-1690)。アンジュウ県 (Anjou)ドゥーエ(Doue)に生まれる。15世紀に商業を営むため、貴族の特権を放棄した家柄の出である。父の早逝のため、若くして商人修行の為にパリに出る。パリでは、叔父が商業を営み、役所勤めをする縁戚がいたので、商人や官辺との繋がりができた。当地で、弁護士や公証人の所で法律を学ぶ。この時の勉学が後の人生で大きく生きることになる。その後、小間物商や織物商同業組合で修業を積み、小間物商の卸売商となる。1658年までには産をなしたとされる。
 旧体制のブルジョアの常として、彼も買官により官職に就く。国税庁の役人の地位である。大蔵卿(Surintendant des finances 財務総監の前身)フーケ (Fouquet, N)の庇護を受けるも、1661年フーケがルイ14世の寵を失い逮捕されるや、サヴァリも失脚し、財産の過半を失った。その間1660年イタリアのマントヴァ公爵のフランス事業総代理人となり、終生その地位に留まった。
 1667年には、フーケを断罪した大法官ピエール・セギエ(Pierre Séguier)に仕え、商事紛争の裁定を行う。この活動がフーケの後、経済・行政を総覧した財務総監コルベールの注目を引き、彼に協力することになる。1670年外国貿易促進のための商道徳向上に関する財務総監の諮問に応えて、サヴァリは建白書を提出する。これによって、新設された商法改正委員会の委員となる。こうして作成された「1673年商事王令」は、大部分サヴァリの意見が採用されたため「サヴァリ法典」とも呼ばれる。
 商法や商慣習に詳しいサヴァリは、それらを体系化し本書『完全なる商人』(1675)を刊行した。また、彼は商業経営や商法の権威として裁判に当たって、紛争事項の鑑定や助言を行った。彼の鑑定は商法典と同様に扱われたそうである。それらをまとめたものが『鑑定集』(Parères ,1688)である。コルベールの後任財務総監ペルティエ(Pelletier, Claude Le)の下では、王料地の財政状態を調査した。

 古代より、海賊と海上貿易は相携えて発達した。順調な時は交易となるが、揉めだすと略奪に走る「倭寇」の類であろう。ゲーテはメフィストフェレスに「舟軍(ふないくさ)と貿易と海賊の為事(しごと)とは、分けることの出来ない三一同体だ」(『フアウスト』第二部第五幕、鴎外訳)といわせている。中世に入って、回教徒の沿岸への侵入により地中海貿易が衰退し、欧州全般の商業も凋落した。中世初期の商業は、陸上では、陸の船隊ともいうべき仲間「カンパニ」と隊商を組んで市場や消費地に商品を持ち廻るものであった。商業は、なお、冒険的、略奪的、暴利的であった。
 そうした中で、ルネサンスのお膝下イタリアでは、商業の部門でも近世への道が開かれた(ピレンヌの「商業ルネサンス」)。あるいは、商業の繁栄の上にルネサンスが花開いたというべきか。回教徒侵入による地中海貿易の断絶の中で、ひとりヴェニスは、ビザンチンの制海権の下で、それとの交易を継続し、9世紀にはすでに繁栄を謳歌していた。「確実に断言できることは、職業としての商業は、それが西ヨーロッパにひろまっていくという見通しなど全くない時期から、早くもヴェネーツイアには出現することだけである」(ピレンヌ、1970、p.94)。ヴェニスの繁栄は、11世紀にロンバルディアやトスカーナのイタリア諸都市の商業発展を刺激した。こうして、ヴェニス、ジェノバ、フィレンッエ等の都市には、先進的で高度な商業が営まれ、銀行業や為替業者が生まれる。簿記、通信、手形等の最新経営技術を持ったイタリア商業は、未だ農村的段階に留まるヨーロッパの他地域のそれを寄せ付けず、利益、資本蓄積でも他地域に抜きん出た。
 ヨーロッパの北には、もう一つの先進商業地域として、北海・バルト海交易圏を背景とするフランドルがあった。これらヨーロッパ南北の商業地域と中間にあるフランス(シャンパニューの大市があった)を中心とする農業地帯を結んで、全欧州にまたがる商業ネットワークが形成される。イタリア商人が、早くも1074年パリに滞在した記録が残っている。彼らは、12世紀後半以降、本格的に北西ヨーロッパに進出する。イタリアの商人が、中・西欧までに進出する契機となったのは、それら地域から遠征した十字軍の諸侯・騎士に軍資金を用立てたことにある。現金の取り立ては困難で、商人は債権を商品に変えて回収したらしい。
 やがて、商品を持ち廻る「遍歴商人」の時代は去り、13世紀後半には「定住商人」の時代が到来した。イタリア商人も、本店を中心として支店や代理店との広範な支店網を築いて、大規模な商業活動を行った。当時のこととて、文章による指示・命令が神経細胞の役割を果たすことになる。例えば、フィレンッエに本拠を置く豪商ダティーニ家の文書庫には今に、12.5万通の商業書簡が残されている。1384年~1411年の間に、ブリュージュ支店から毎月平均7通の長文の書簡が本店に来信したという。本店の社員(出資者)は、中央に集められた現地情報を利用できた(以上、ピレンヌ、1970および清水、1993を参照)。

 以上の歴史的背景の下に、「商売の手引き」と呼ばれる、書籍のジャンルが13世紀イタリアで生まれた。商業取引に欠かせぬ実務的知識を体系的に編集した商業の百科事典である。自らの実務経験および膨大な本支店間の商業文書、さらには先行する「手引き」類を参照して(注1)、新たなより大部な「手引き」が作成され、14,15世紀には確固たるジャンルを形成する。コットルッリの著した『商業ならびに完全なる商人について』(Cotrugi, B.,Della mercatura et del mercante perfetto,1573)は、その頂点をなした。16世紀にはイタリアを超えて全欧州でも作成されるようになる。よく知られたところでは、フランスの本書・サヴァリ『完全な商人』(1675)であり、英国のダニエル・デフォー『イギリス商人大鑑』(The Complete English Merchant, 1726-27)であろう。
 本書の源流となった「商売の手引き」本が生まれた理由をもう少し具体的に、大黒俊二(1983)に従って、書いてみる。第一は、マニュアルとしての必要性である。14.15世紀には商業取引が高度化・複雑化し、個人の記憶や経験則では間に合わぬ状況となった。まして、取引相手は異邦人である。言語や商慣習はもちろん、度量衡や使用貨幣も違った。その上、商業技術も簿記・手形等の使用が不可避となって来た。現場で参照する「手引き」が必要となる。
 第二に、教則本としての必要である。もはや、旧来のギルド的な奉公による徒弟教育制度では、新状況に対応できない。体系的に整備された教本が求められた。実用というより教育用の教材としての側面である。
 第三としてあげられているのは、リテラシーに対する中世イタリア商人の独自のメンタリティである。これは、「手引き」が生まれた必要性というより前提をなしたものである。商人には、読み書き能力の習熟を尊び、憧れる心性が背景にあった。ピレンヌ(1970、p.198)のいうように「市民は、貴族にとっては知的贅沢にすぎなかったものが市民にとっては日常欠くことができないものであったが故に、貴族より先に読み書きの知識を身につけた」、10世紀には既に「ヨーロッパの他の地方ではどこでも教育が聖職者の完全な独占物である時期に、ヴェネーツィアでは文字を書くことが広く普及」(同、p.94)していたのである。


 サヴァリ『完全なる商人』については、参考文献が少ない。引続き大黒俊二(1983)論文に拠りながら、イタリアの「手引き」類について書かれたもので、その内容についての予備知識をもう少し仕入れてみる。
 「手引き」を「手引き」たらしめている中核部分は、商業都市ごとに情報をまとめた部分である。第一に商業都市自体に関する商業に関する情報が書かれている。次いで、当該都市と他の都市との関係の数値を表にしたものが示される。貨幣・度量衡などの換算表である。例えば、フレンツエ等の重量単位(100リブラ)が他都市の重量単位(ピサの105リブラ、ローマ96リブラ)のどれぐらいに該当するかが表示にされる。数字のみが列挙される形式を大黒は「時刻表形式」と表現する。貨幣単位の換算表や都市間の手形の決裁期限の一覧もある。索引代わりに詳細な目次が附載されているそうだ。
 商品については、各都市でどのような単位で、いくらで売られているかの「時刻表形式」の表示やカタログ形式の取扱商品リストの他、商品そのものを解説した「商品学」的記載もある。その他に関税や運送費の記述がある。国土が領邦国家(都市国家)に分割されている状態では、商品の搬出入の度に通過税がかかり、税金は時に商品価格の半ばを占めた。運送費もまた、次第に運送業が発達してきたとはいえ、大きかったであろう。これらは、商人の最も知りたい事項と思われる。
 以上の「手引き」部分は、資料が列挙されたもので、いわば広義の「時刻表形式」の範疇に属するものである。その他に、「手引き」の部分には、商業算術や簿記等商業技術の手ほどきや旅行のガイドブック的な記載もある。しかし、もう一つ性質の異なった大きな範疇として、商人としてあるべき姿を述べる精神的、道徳的な教訓部分がある。
 それは、商人として商品・貨幣相場の動向に絶えず注視し、それに対応した行動を取ることを述べるにとどまらない。商人の基礎的素養としての、読み書きのすすめがある。商業算術や商業簿記の手ほどきもこれに含めてよいのかもしれない。ちなみに、コトルッリの『商業ならびに完全なる商人について』は、複式簿記を体系的に論じた最初の書物として知られている。さらには、これら実務的な教訓から一歩進んで、「完全なる商人」になるための、日常的生活態度に関する精神的訓示がある。
 コトルッリの書物は「完全なる商人」を標榜した最初の本であり、15世紀以降顕著となった道徳的部分の拡大の一典型となるものである。そこには「時刻表形式」の表が欠落している。すでに、商人の実務的便覧から、教育読本色の強いものになっている。さらには一般読み物として、知識人に向けた著作物への移行期にあるものともいえるのだろう。以後の書物には、異国の旅行記や、商人の自伝的記述部分が増えていくのである。

 15世紀末、コロンブスとバスコ・ダ・ガマによる東インド航路の発見を契機として、商業の覇権は、地中海交易に基づくイタリアから、大西洋岸諸国に移ってゆく。いわゆる「商業革命」である。フランスでも、工業生産の増大により大規模経営が発展し、植民地獲得とあいまって商業取引量が増大した。コルベルティスム(重商主義)が、これを支援した。取引量の増大だけでなく、取引品目も増え、流通手段も多様化し、価格形成は安定化・客観化した。商取引の方法も変化せざるを得ない。伝統的な小売・卸売り兼営業者からは、卸売りや海外貿易を専門とする業者が生まれてくる。以上がサヴァリの本がフランスで出版される背景である。

 本書は、1675年初版、1679年第二版(私蔵本)、以後1800年まで11版を重ねる。独、蘭、英、伊語に翻訳出版される。サヴァリは、上述したように、1660年から終生イタリアのマントヴァ公爵のフランス事業総代理人の地位に就いていた。イタリアとの結びつきである。彼の地の「手引き」類にも親しんだであろう。本書はイタリアで生育した「手引き」をフランスの土壌に移植したものである。特に30年にわたって刊行された、ペリ『商人』(Peri、G. D.,Il negotiante,1638-1666)の影響を強く受けたとされる。本書がフランスのみならず、国外にも大きな影響を与えたことは訳書に見る通り。また、子息二人の共著『一般商業辞典』(1723-1730)にも本書の内容が大幅に取り入れられている。18世紀商業学を遡れば、サヴァリに行き着く。イタリアで懐胎した商業学を集大成してドイツに伝え、それがドイツ経営学の基礎となった。サヴァリはフランスよりもドイツにおいて評価された。「古典時代」といわれる18世紀商業学を画した代表作であり、広範にして長期にわたる影響を与えた点では空前絶後の書である。
 商業学とは、山本(1976、p.128)によると、商業経営の主体論(商人学)、対象論・客体論(商品学)、行動論・計画論(商取引学)、および場としての市場構造論(市場学)とされている。平たくいえば、企業経営、商品、金融、外為、運送、保険、会計、等々商業に関係する多くの事項を包摂するものであろう。しかし、本書は、商業学とは一見縁の薄い商法との関係も深いのである。略伝でも触れたように、財務総監コルベールの下で、サヴァリは招かれて商法の編纂に携わった。発令された「1673年商事王令」(「商人の商業のための規則として役立つフランスおよびナヴァルの王ルイ14世の王令」)は、「サヴァリ法典」との別称を持つほど、サヴァリの影響が大きい。「商法の嚆矢」ともされるこの王令が、ナポレオン法典(の商法典)に引き継がれ、ドイツ商法を経由して1893年我が商法となるのである。サヴァリ法典は、商業帳簿、財産目録の作成を要求し、帳簿を作成しない場合は、破産宣告を受けるのみならず、詐欺破産者として死刑とされるほど厳しいものであった。本書は。「商事王令」の注釈書としての側面も持っているのである。
 王令によって商業を営むに必要な条件が整備されたとはいえ、商業発展のためには、商人に対する法的なものを含めた商業知識全般の普及が不可欠である。サヴァリは、商業教育の場がない時代に、商人の本書での自学自習を望んだのである。本の書かれた素材の一つは自己の経験である。例えば、特に、「この本で扱う多くのことを示すために、ここでの零細な小売商を私の経験から取ったものにすることが必要だと考えた」(preface、頁付けなし)と書かれているように、小売商を扱った部分では、主として自分が営んで最も通暁している繊維商を取り上げている。しかし、もちろんそれだけでなく、先行のイタリアの「手引き」同様、文献情報が取り込まれている。「フランスから搬送する商品やそれらに関係する商品について外国で行う商業、および成功するために守らねばならない準則に関して、私はこの著作で扱った。それは、長い間商売に携わった友人達から提供された記録にもとづいて書かれた。私はこれらの記録に満足するのではなく、本、送り状、会計記録、及び商売上彼らが作成したり、代理人が送って来た費用勘定を、自ら検した」(preface)。本書も、「手引き」本と同様に、「実務経験とリヴレスクな情報の混在という二面性」(大黒、1986、p.343)を持っている。

 目次(以下、初版本による)に従って、本書の内容を概観する。お断りしておくが、記者はフランス語を解しないため、翻訳ソフトの力を借りて、英語に変換して理解したものである。古い時代の商業制度に関するものだけに、よく理解できぬ箇所もある。手形、為替では山本(1971)、商品については風巻(1976)の著作が参考になった。特に、山本は第二版の目次を訳しているので利用したが、よく納得できない所もあり、従わない所も多い。

 第1編は、商人の道徳的規範を述べたもので始まる。「第1章 商業の必要性と有益性について」ではじまり、「著者の意図と本書の配列」(第2章)に触れたのち、「商人の無知と軽率と功名心は、通常、倒産をもたらす」(第3章)、「子供に職業を強いてはならない。商業に適した心体の性質」(第4章)、「子供に、してみたい商いを選択させよ。そのために必要な知識を持つ必要がある」(第5章)、(第二版では以下、第2編)「徒弟は年季奉公を終えねばならぬが、親方の子供は生まれにより免除されている。にもかかわらず、子供は親を継ぐまでに商いを知らねばならい」(第6章)、「小売商の徒弟が親方の家での振舞い方と年季奉公で学ぶもの」(第7章)と続く。
 「時刻表形式」部分の導入として、「商売の度量衡」(第8章)が置かれた後、「外国の度量衡をフランスのものに換算する規則」(第9章)、「重量、尺度および通俗的にcrochetや pezonと称されるローマ式のもの」(第10章)、「フランス及び諸外国の全都市の重量と、パリとの差異、並びに、それらの換算規則」(第11章)、「リオンの重量と、王国及び諸外国の諸都市との差異、並びにそれらの換算規則」(第12章)、「ルアン(Roüen)の重量と、フランス及び諸外国の諸都市との差異、並びにそれらの換算規則」(第13章)となる。
 そして、「金糸、銀糸、および、絹と羊毛や綿紡糸の混織物等、全種類の商品の幅と長さ」(第14章)、「ラシャ(draperies),ラクダ(camelotteries)およびバラカン(barracans)等フランスと外国の毛織物の商品、製造品の全種類の長さと幅」(第15章)、「全種類の商品の単色ならびに深紅の染料」(第16章)が続く。これらの諸章は、商品学にあたるものであろう。 
 以下再び商人の道徳的規範論に戻る(第二版ではここから、第3編)。「徒弟が年季奉公を終えた後は、同年数だけ商人に仕えて(お例奉公)、年季奉公を完了せねばならない」(第17章)、「問屋に奉仕する代理人や仲買人が身を処する仕方、及び卸売商業を可能にするため知らねばならぬこと」(第18章)である。
 手形に関する章が次に続く。「為替手形の起源とその商業に対する効用」(第19章)、「為替手形の種類、振出せる総額およびその不便」(第20章)、「為替手形の振出人が支払いを許容する期限;裏面に書かれた命令(裏書)及び引受」(第21章)、「為替手形が引受と支払いの無い場合の抗議と手続き。および、振出人と支払委託人にすべき通告」(第22章)、「為替手形、指図人および所持人払手形、並びに一般に商業で使用される手形」(第23章)、「為替手形、その他指図人あるいは所持人払手形について支払注意義務」(第24章)、「為替手形、約束手形、その他指図人あるいは所持人払手形、ならびに商品売買のための手形についての同業組合(corps)による制約」(第25章)、「あらゆる種類の、為替手形、その他指図人あるいは所持人払手形、ならびに商品売買のための手形の裏書形式」(第26章)、「為替と逆為替、為替と利子との違い」(第27章)、「フランスの都市のほとんどは、外国にコルレス先を持たないこと、および為替の規則」(第28章)、「割引とその規則、および割引と為替の差異」(第29章)である。
 その次に、またもや商人(主として小売商)の道徳的規範に戻る(以下第二版では第4編)。「徒弟が親方として受容されること」(第30章)、「商売を始めた瞬間から、商品の取引に関しては、(年齢によらず)商人は成人として尊敬される」(第31章)、「小売商になりたい人が守らなければならないこと」(第32章)。
 そして、道徳的規範を扱いながらも、商業帳簿に内容の重点が移行する。「業務遂行に相当な取引を行う小売商が遵守すべき規則、および記帳の仕方」(第33章)、「購入、販売、出納の日記帳形式と並みの商人にとってのその理由」(第34章)、「小売商が商品購入時に従うべき仕方、および払うべき注意事項」(第35章)、「小売商が商品販売時に従うべき仕方、および掛け売りの際に考慮すべきこと」(第36章)、「借金の申し入れに際し取るべき態度、および借金を謝絶されぬためにすべきこと」(第37章)、「最近の王令に従って在庫目録を作成するために、商人が遵守すべき規則」(第38章)、「金糸、銀糸、絹、ラシャその他オーヌ(aune長さの単位:記者)尺で販売する布地商が王令に従って2年ごとに作成せねばならない在庫目録の役立つモデル書式」(第39章)。
 続いて、(以下第二版では、第2部(SECONDE PARTIE)となる)「数人の合名会社(societez sous les noms collectifs)、合資会社(societez en commandite,)、有限会社(societez anonimes)、および会社が優良・有効であるために遵守せねばならない形式」(第40章)、「卸売りであれ小売りであれ、普通会社であれ有限会社であれ、商人(Marchands & Negocians)の間で作られるあらゆる種類の会社の雛型、ならびにそれに従って登記を要する王令条文の抜粋」(第41章)となる。第38章~第41章は、「1673年商事王令」の解説部分と目されるところであろう。

 以下第2編(LIVRE SECOND)である。章番号は継続するが、ページ付けは改まって1から始まる。内容的には小売商に代わり、卸売商と貿易商人が扱われている。
 まず、卸売商とそれに関連する製造業者について述べる。「卸売商業とその優越性」(第42章)、「社員の生活の仕方、ならびに仕事において守るべき秩序」(第43章)、「卸売商が製造業者から商品を購入する際、いかなる態度で行動すべきか」(第44章)、「製造業者:既設のものであれ、創設あるいは模倣したいものであれ、成功のためには、企てる前に遵守すべきこと」(第45章)、「製造業者が守るべき秩序、および、なされるべきこと」(第46章)、「居住地であれ、地方や定期市であれ、卸売商が商品の販売において行うべき仕方」(第47章)。
 次いで貿易商について(以下第二版では、第2部第2編に該当)。「オランダ、フランドル、イングランドおよびイタリアの商業:フランスがこれら各地から仕入れた、あるいは、フランスからそこに輸送した商品:および、商品の購入、販売において良き成功の為に商人が遵守すべきこと」(第48章)、「スペイン、西インド諸島、ポルトガルの貿易:および、フランスから搬送される販売商品であれ、フランスがそれらの地から仕入れる購入商品であれ、成功の為に遵守すべきこと」(第49章)、「バルト海沿岸、およびそこから荷揚に行く河川に沿って位置する諸都市における北欧貿易:それらの地へフランスから搬送される販売商品とフランスがそれらの地から仕入れる商品:および商品の購入、販売に成功するために遵守すべきこと」 (第50章)、「アルカンジェル(原文Archangel、アルハンゲリスク、ロシアの港湾都市;記者)と全モスクワにおいて行われる貿易:それらの地へフランスから搬送される商品、およびそれに関連する商品:談合の仕方、および成功するためになすべきこと」(第51章)、「フランス人は、オランダ人と同等あるいはそれ以上有利に、バルト海沿岸およびモスクワと貿易可能なこと」(第52章)、「今日、アメリカにおいて、スペイン人、ポルトガル人、イギリス人とオランダ人が所有するすべての国をフランスが最初に発見したこと:そしてなぜそれらが維持できなかったかの理由」(第53章)、「アメリカ、カナダ、ヴェルド岬(原文Cap-Verd、セネガルの岬か?:記者)から喜望峰までのセネガル、ギニア海岸のフランス諸島との貿易」(第54章)。

 以下、仲介商業論ないし補助商業が扱われる(第二版では、第2部第3編となる)。「仲買人(Commissionaries、業者に代わって歩合契約によって活動する:記者)、商売取扱に対する有用性、および種類」(第55章)、「商人の計算で商品の購入をする仲買人、および彼らが持つべき準則(maximes)(第56章)、「商人や製造業者の計算で商品を販売する仲買人」(第57章)、「為替手形の振り出しや割引について銀行家や商人の仲買人、すなわちコルレス先」(第58章)、「商品を他所へ送付するために、一箇所で受け取る倉庫業の仲買人、および彼らが遵守すべきこと」(第59章)、「陸上輸送の仲買人、彼らが遵守すべき準則」(第60章)、「手形と銀行の代理人と商品の仲介人(Courtiers):彼らの商業での有用性:および、成功するために保持すべき準則」(第61章)。
 続いて、破産関連の事項がある(第二版では、第2部第4編となる)。「商人が債権者に抗して得られる猶予状(Des Lettres de répit)と一般的抗弁、およびそれらを得る前後に為すべきこと」(第62章)、「商人と妻の財産の分離、およびそれらを良好かつ価値あらしめるために遵守すべき様式」(第63章)、「純粋な不運によって商人を見舞う破産:商人が、為すべきことと守るべきこと:債権者や債権者の受託人、取締人が行動すべき仕方、および詐欺的破産と破産者はいかに罰せられるべきか」(第64章)、「財産の譲渡と委付、その自発的および法律的なもの、それらの相違、ならびに法律的に作成された場合と、商人が譲渡により利益を享受せぬ場合に遵守すべき様式」(第65章)、「猶予状や一般抗弁の停止を受けた商人の破産宣告取消状の形式:および、破産者と債権者に財産譲渡した者に対するもの」(第66章)となり、最後に「この著作の結論」で終わる。
 第二版には、第5編としてレヴァント地域に関する貿易についての記事が追加されている。第2編(第二版では、第2部第2編)の外国貿易論で、貿易相手国(地域)別にその詳細が記載されていたが、そこにはレヴァント地域が欠落しているのを、初版序文において自ら認めていた。それを誠実に補ったのである。この部分の、目次詳細は省略する。巻末(第二版では、目次の後)には、詳しい索引(Table des matieres)が付されていて、利用の便が図られている。

 本書は、商人の自然的な成長形態にあわせるごとく、徒弟から(親方)小売商人へ、そして卸売商人へ、さらには貿易商人へと、筆を進めている。「第2章 著者の意図と本書の配列」の冒頭で次のように述べる。「商売仕事を学び、取り組もうとする若人の心情と記憶に、より納得できより読みやすく、楽しく自然な著作方法を探し求めた。この目的の為に、子供を父親から連れ出し、徒弟修業を教えはじめ、小売商、卸売商、為替業、製造業、定期市へと進める。長い旅によって、すべての諸外国や最も遠隔の地までも案内する。そして、彼が遵守すべき準則と避けるべきことをすべて解らせる。そして、この非常に有用で名誉ある職業で幸福となるために、直接的であれ間接的であれ、王令、特に1673年3月の王令の適用に関連するすべてを、詳細にわたるまで、可能な限り知らしめる」(Savary、Livre premier、1685、p.2-3)。似た内容の仕事について単純に反復記述するのではなく、簡単なことから次第に高度な内容へと展開する。ズンドホフという学者はこれを「同心円的記述方法」といい山本は「発展する螺旋的記述」といっている。
 サヴァリは「第42章 卸売商業とその優越性」にていう、「卸売商業が小売商業より高貴で大規模なことは万人が認める」、「卸売商業は、多くの王国や連合国において、一般人と同様、貴族によっても為されるとこれまで言われてきた。小売商業はそうではない。何故ならそこには奴隷的なものがあり、卸売商業は名誉と高貴のみがあるからである」。小売商業は大小を問わず、あらゆる種類の人々に従属し、仕事に励む都市は城壁に囲繞されている。卸売商業は、製造業者と小売商の為にのみ活動し、商品の購入と販売のために居住する都市だけでなく、どれほど遠くても、王国のすべての地方や諸外国にも展開する(以上、Savary、1685、Livre second,p.1-2)。
 ペリは『商人』(1638-1666)で既に、小売商業は「商人」の名に値せず、「国際貿易、大資本、金融業、この三つの条件をそなえてはじめて「真の商人」たりうる」(大黒、1987、p.62)とした。旧体制下のフランスでは、貴族は商業に従事すると、身分は剥奪されないまでも、その特権を失った。17世紀に至って王令により、まずは海上貿易がついで卸売商がそれから除外された。上記の引用から見ても、サヴァリも卸売商業(貿易商業を含む)を優位に置いたことは明らかである。サヴァリは、小売商をmarchandと呼び、卸売商や貿易商人を negociantと呼び分けているようである。「完全なる商人」は、”parfait negociant" であっても、"parfait marchand"ではあり得ないのである。そして、彼の「完全なる商人」は、コトルッリが目指した才徳兼備あるいは文人的な商人というよりも、実務の上での完璧なことを、より多く意味するようである。

 第二版は、形式が部(Partie)、編(Livre)、章(Chapitre)と整然とした形態を取り、内容的にもレヴァント貿易に関して9章分追加している。山本は、「サヴァリー研究は、内容的には第2版を中心とすべきである」(1970Ⅰ、p.11)としている。

 ベリーズ(Belize)という、中米のタックス・ヘブンの国の書店からの購入。実際はイタリア・フレィンツエの書店である。このことは、かつてブログ「経済古書収集余録」に書いた。「完全なる商人」は、国内の大学図書館にも所蔵は少ない。CiNiiによると、初版はなく、第二版は九州大学に所蔵されるのみである。但し、慶応大学には初版があるはずである。

 
(注1)先行する「手引き」類の内容を無批判に引き継いで、一昔前の情報が掲載されている例が多くみられる。現実の利用には役立たぬ情報も教育的目的のためにはそれなりの意義が認められるという(大黒1983)。


(参考文献)
  1. 大黒俊二 「『商売の手引』、あるいは中世イタリア商人の「実務百科」」(中村賢二郎編 『都市の社会史』 ミネルヴァ書房、1983年 所収)
  2. 大黒俊二 「『完全なる商人』、あるいはルネサンス商人の「百科全書」」(中村賢二郎編 『歴史のなかの都市 ―続 都市の社会史―』 ミネルヴァ書房、1986年 所収)
  3. 大黒俊二 「コトルッリ・ペリ・サヴァリ ―「完全なる商人」理念の系譜―」、イタリア学会誌 (37), 57-75, 1987-10-30
  4. 大黒俊二 「商人と文化 ―「ことば」をめぐって―」 (朝治敬三他編 『西欧文化史(下) ―危機と再編』ミネルヴァ書房、)1995年所収)
  5. 風巻義孝 『商品学の誕生 ディマシュキーからベックマンまで』 1976年、東洋経済新報社
  6. 田杉競、鈴木英壽、山本安二郎、大島國雄 共著 『比較経営学 経営学全集7』 丸善、1976年(特に、第三編 フランス経営学)
  7. 清水廣一郎 『中世イタリア商人の世界 ルネサンス前夜の年代記』 平凡社(平凡社ライブラリー7)、1993年
  8. 友岡賛 「ジャック・サヴァリ 『完全な商人』(1675年)」Medianet(慶應義塾大学メディアセンター本部)、No.16,p.86~87、2009-09
  9. 原輝史編 『フランス経営史』 有斐閣 1980年
  10. アンリ・ピレンヌ 佐々木克己訳 『中世都市』 創文社、1970年
  11. 森鴎外 『鴎外全集 第十二巻』 岩波書店、1971年
  12. 山本安次郎 「サヴァーリの商業経済学(Ⅰ)、(Ⅱ)―経営学起源の学史的考察―」、『オイコノミカ』(名古屋市立大学)、第6巻(1970年)、第3・4号、p.1-12:同第7巻(1971年)、第3・4号、p.1-18
  13. Savary, J.、Le Parfait Negociant 、Paris、1675(初版)




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 標題紙前に置かれた銅版画

(2017/2/16記)



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