HOOKE, A.,
An Essay on National Debt, and National Capital: or, The Account truly stated, Debtor and Creditor. Wherein is shewn, That the Former is but a diminitive Part of the Latter; and a practicable Scheme exhibited, whereby the whole may, with great Facility, be paid off, at once, exclusive of the Aid of the Sinking Fund, and without any Diminution of the present Revenues of the Crown, or Annual Expense of the people., London, Printed for W. Owen, and sold by B. Hickey and Palme , 1750, ppvi+59, 8vo

 フック『国債論』、1750年刊、初版。
 当時の書物に通有の長いフルタイトルは簡潔に内容を示すことが多いので、書いておく「国債と資本についての一論: すなわち、勘定は借方と貸方を正しく示す。そこでは、前者は後者の僅かの部分にすぎない。;そのことにより、減債基金の助けを借りることなく、政府収入の減少も、人民の毎年の出費もなしで、直ちに全額が支払われることを実際的な計画が明らかにしている。」である。
著者の経歴不詳。

 イギリスは17世紀末葉からの100年間に、主にフランスやその同盟国との間に「第二次百年戦争」といわれる戦争を戦った。九年戦争(1689-97)、スペイン継承戦争(1702-13)、オーストリア継承戦争(1739-48)、七年戦争(1756-63)およびアメリカ独立戦争(1775-84)である。それにつれて、「ごく簡単に要約すれば、1680年から1780年までの100年間で、ブリテンの陸海軍は3倍の規模になったといえよう」(ブリュア、p.38)。
 特にイギリスは海軍の建設に重点的に資源をつぎ込んだ。17世紀末、最新鋭製鉄所の設備投資額が12,000ポンドであったのに対し、一級戦艦一隻の建造に35,000ポンドを要したという。また、18世紀中頃の艦隊勤務の海軍兵員数は40,000人で、ロンドンを除いてイギリスのどの都市人口より多かった。もって、兵站の大変さを知るべし。軍事部門は国内経済で最大のセクターで、最大の雇用主であった。そして、最大の資金需要者でもあった。それを、ブリュア「財政=軍事国家」と名付けている。してみれば、(英国)資本主義は最初の段階から産軍複合体であったわけだ。
 話を元にもどす。それまで、16〜17世紀には、イギリスの国家債務が通常の年間収入を上回ったことは、ほとんどなかった。しかし、こうして軍事費が膨張してくると国家破産を回避するためには、資金調達を講じなければない。けれども、その方法は限られていた。英国では、売官、王領地売却、鋳貨改鋳は、政治的・経済的理由で不可能であった。残るは、増税と借入金しかなかった。膨大な戦費調達のために、結局は、長期国債を増やし、その利子支払いのための増税をするという形になった。すなわち、短期債務を長期国債に転換して、支払いを繰り延べる。利払いの為の増税は主に消費税の新設・増額によった。九年戦争終結時(1689年)に1,670万ポンドであった国家債務は、この本の公刊直前の1748年(オーストリア継承戦争終結時)には、7,600万ポンドと増大した。
 1749年に首相ペラムは、当時の金利低下を背景として、オーストリア継承戦争を賄うために発行した大量の4%国債を低利国債に借り換え、国債費(利払)を削減しようとした。当時は、国債発行に際しては利払いの担保として消費税(ワイン税等)が新増設されるのが普通であった。借換等により利払経費が減少した場合、余剰の税金を国債の償還に充てるため「減債資金」が積み立てられた――後には、減債の為だけではなく、この基金から新発債の利払まで行われるようになるのだが、ともかく本書副題にある「減債資金」はこのことである。ペラムは、これら消費税ひも付きの既発債数種を一つの国債に統合して、減債基金から利払いをすることにしたのである。18世紀中葉最大の財政改革といわれるペラムの試みは生前には完了しなかったが、本書はこのペラムに捧げられているのである。
 
 個人生活において、勘定の一方のみを調べることによって、真実の問題状況を知ることができないと同様、同時に全資本の価値を知ることのない、国債についての知識は、国家の真実の状態の開示には役立たない」(本書、p.4)とするフックにとって、国債の残高そのものより、それの国民資本(国富)National Stockとの対比が重要であるのであるから、国民資本の推計が必要となる。
 フックはこのため、国民資本を構成する次の3項目を求めねばならないとする。第一に鋳貨の数量。第二にその他の動産(すなわち精巧な食器、地金、宝石、指輪、家具、被服、船舶、営業資本、消費資本、家畜等)の総計。第三に王国のすべての土地の価値 である。
 第一の鋳貨については、ダヴナントの推計も参照して、当時の国家の流通現金を3000万ポンド以下と見積もっている。第二の動産については、ペティやダヴナントと同様に、動産総計と鋳貨量の比率から推計する方法によって、しかし比率そのものは両者とは異なる数字を用いている。「すべての等級の人民の全範囲で、手許現金の有高は、彼らの全資産即ち王国全資産の二十分の一と思われる。」(本書、p.12)との、ある著書を引用して、動産総計額/鋳貨量=20とする。かくして、鋳貨量3000万に20を乗じて、動産合計額を6億ポンド以下には見積もれないとしている。第三に、土地資本である。土地税(Land Tax 地租とも)は、1ポンドにつき4シリング(=1/5、地代相当額に対して)課税されており、王国全体では年に200万ポンドが国庫に入る。土地税は実際の半分にしか評価されておらず、また全額地代(Rack Rent)の1/20(1/10の誤りだろうか?)であることから、王国地代総額は土地税の10倍の2000万ポンドである。そして、土地は18.5年の地代で購入できるので、地代総額2000万に18.5を乗じた3億7000万ポンドが、不動産総額であると推定する(本書p.12-13)。
 こうして、国民資本は、3000万+6億+3億7000万=10億 ポンドとなる。しかし、これは当時(1749年)の数字である。著者は、さらにすすんで、当時の鋳貨、動産、不動産の金額比、3000万:6億:3億7000万=1:20:121? が、過去の時期、少なくも重要な通商国家なって以降、にも適用できると考える。そして、先に1600年,1660年(王政復古),1688年(名誉革命)の鋳貨量をそれぞれ、650万、1400万、1850万ポンドと見積もった(本書p.5-9)のを使って、各時期の国民資本額を計算する。
 このような手順で、英国は当時、1600年に比して7億8300万、王政復古時に比して5億3300万、名誉革命時に比して3億8300万ポンドの富を増加したとする(本書、p.30)。そして、国民資本が10億、その年間増加額が1150万であり、国民所得1億ポンド(本書、p.27)であるのに対して、国債は8000万ポンドである。国債は国民資本の1/12であり、国債利子支払いは国民所得の1/30に過ぎないと見積る。国民資本の増加額をもって、国債を償還するなら7年間で可能である。
 「自分の目で見ると決めた人には、世にいわれるところから、国債を完済することは、想像されているほど社会にとって重大なことではない、とはっきりわかるだろう。…間違と悪意により文句をいわれてきたけれども、額が2倍に増えてさえも、なんら国家破産の危険もなく;議会が、かつてのように、国債の返済を始めるのが有益だと真剣に考える時はいつでも、後記の「計画」が、これらの原則や他の明らかな原則に則って、800万の大部分を簡単にかつ短期間に完済する実際的方法を明らかにするだろう。;国民資本や公収入を減らすことなく、国税を1シリングも増やすこともなく」(本書、p.44-45)。当時の国債残高は、残高の資本との対比から見ても、利払額の国民所得比から見ても、問題にならないというわけである。どこかの国で聞いたような議論ではある。
 以上を見ると、フックのこの本は、実務家の手になる政治算術の本であるとされていることが、理解できるであろう。本人も意識的にその方法論を書いている ―― もっとも、「政治算術」だけではなく、「政治化学」(political Chemistry、本書p.44)と書いている所もある ―― 長くなるが、この個所も訳してみる。「このようにして、率直な読者よ、政治算術的(politico-arithmetical)主題に応用可能なものとして、新哲学の見本を示した。:それは、いつの日にか、より有能な人によって整然と体系化されるだろう。…我々の探求の動機は、正直に言うなら、個人的な観点や党派的な予断から離れて、真実と国家への愛情にある。;そしてその主題は、結果的にそれが要求する重要性から、重大にそして、平明、自由、明解に取り扱われた。詭弁やごまかし、そして真実を混乱させ偽るあらゆる現代の技法は細心に避けられてきた。正しく推論するが実は誤った原理に立つデカルト派哲学者のように、我々は仮説的な基礎の上に空中楼閣を築くことはない。:否!我々の計画は完全にニュートン主義である。:我々の第一原理はよく確立された事実である。そしてそこから得られた結論は明白、自然、そして望むべくは正しいものである。;そしてこの強固な基礎の上に、手前味噌ながら、堅固な上部構造を建てた。これは、党派的怒りや人々の憤怒の悪天候に堪えるだけでなく、現代の最も有能な政治的技術者の整然かつ巧緻な攻撃にも耐えうるものである。」(本書、p.45)と。

 献本の辞6頁、本文59頁の薄い本。高橋誠一郎の所蔵本と同じく、前付(と思われる)の紙背に、「注意。この論文は国会の条例に従い登録されている。著作権を侵害するものは、告発される。公衆の無知に付け込むことを防ぐため、著者の自署が附されている。これがないものは、真正本であることを保証しない。」と印刷され、著者のサインが書かれている。

 英国の専門書店より購入。新しい紙表紙で装丁し直されている。

(参考文献)
  1. 高橋誠一郎 『古版西洋経済書解題』(高橋誠一郎経済学史著作集 第四巻) 創文社 1994年
  2. 富田俊基 『国債の歴史』 東洋経済新報社、2006年
  3. 藤田 哲雄 「重商主義期の戦争とイギリスの財政統計--近代イギリスにおける租税・財政政策と「政治算術」」  広島修大論集-人文編- 第48巻 第1号(2007.9発行)
  4. ジョン・ブリュア 大久保桂子訳 『財政=軍事国家の衝撃 戦争・カネ・イギリス国家1688-1783』 名古屋大学出版会、2003年




標題紙(拡大可能)


注意書きと著者の署名

(H22.5.15記)



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