HARRIS, J.
, An Essay upon Money and Coins. Part I. The Theories of Commerce, Money, and Exchanges. , London, Printed:Sold by G. Howkins, 1757. BOUND With An Essay upon Money and Coins. Part II. Wherein is shewed, That the establlished Standard of Money should not be, violated, or altered, under any pretence whatsover., London, Printed:Sold by G. Howkins, 1758, ppviii+128; xiv+126, 8vo

 ハリス『貨幣・鋳貨論』第一部・第二部合本。1757-1758年刊、いずれも初版(重版なし)。
 著者略歴:1702(1704?)年ウェールズ・ブレゴン州タルガースに生まれる。父の鍛冶屋の仕事を継ぐも、二十歳の時ロンドンに出る。地元選出国会議員の紹介でエドモンド・ハレーを知り、この縁で数学機器製作の仕事を得る。この分野でたちまち頭角を現し、航海器具の試験のために南アフリカに渡ったり、天体観測機を製作したりした。その経験を「王立協会紀要」に発表している。1737年造幣局の試金官代理(Deputy Assay Master)に任命され、48年までには試金官となり終生その地位に留まった。弟で彼よりも有名なハウエル・ハリス(1714-73、カルヴァン主義メソジスト派の宗教者)を財政的に援助した。他の著書に『航海学』(1730) 、『地球儀の説明と使用、及び太陽系』(1731)、『光学』(1775)がある。1764年死亡、ロンドン塔(造幣局でもあった)に葬られる。「自然科学者ニュートンのマイナーな後輩にあたるわけだが、本書においてだけは、おなじ領域でのニュートンの仕事を、そのスケールと深さとの点で凌いでいるといえよう」(ハリス,1975,p.287:小林・解説--以下邦訳からの引用は頁数のみ表示)(注1)。

 著者及び本書は、スミスの先行者として(注2)名は度々あげられるものの、本国でも詳しい研究文献はないようである。これも小林昇によるのだが、ハリス研究に関しての独立論文は「例外的に」我国のみでしか発表されていない(注3)。パルグレーブの経済事典(1998年版)にもハリスの名では、項目が立てられていない。
 「道を開いて事物をその最も重要で真実な原理の上にいっそうしっかり据えるためには、富と商業とについての一般的考察を行うことが必要だと思われたので、それを第一章の主題にした。」(p.5)と序で述べるように、貨幣理論・貨幣制度論のための準備作業として、「第一章 富と商業との性質と起源とについて」のいわば原論部分が書かれている。
 先ず富については「土地と労働とは相ともにあらゆる富の源であって、…ないし豊富は、土地の所有か、あるいは土地と労働との生産物かの、いずれかに存する。」(p.14)とする。このうち、労働の貢献が大きいとし、土地の価値と労働の価値をレントと生産物の価値から推計を試みるのだが、このあたりは分明ではない。
 そして、物の価値はどのように測定されるかを問い、「真の効用」(real use)と「内在的価値」(intrinsic value)を区別している。ここで、スミスと同じように水とダイヤモンドが例示される(但し、この使用例についてはジョン・ローが先行)。この内在的価値が測定される尺度は「土地と労働と熟練」である。しかし、少し後の箇所では、「たいていの生産物の場合には労働は最大の貢献を果たすのであるから、労働の価値はあらゆる商品の価値を規制する主要な標準だとみなすべきであり、しかも土地の価値は労働自体の価値のなかにすでに算入されているともいえるのだから、なおさらそうなのである。」(p.21)とする。土地の価値云々の最後の部分は、賃金には「労働者の消費する食料と衣料」を通じて土地の価値が反映されていることを意味しているようである。こうして、「人々のさまざまな必要や嗜好は、彼らが自分の持つ商品を、それと交換して得ようと欲する物に充用されている労働と技術とに見合う比率で、手放すことを余儀なくさせる。」(p.21)とする所は、労働価値説を思わせる。一方、労働の生産物の価値は、労働の価値(価格とも)より成り(精確には比例しというべきか)、それは労働者の生活費に等しいとされている。子供の養育を考慮すれば、「労働の価格は、一人の労働者が自分自身を養える分のほぼ二倍かそれよりもいくらか多くを嫁得するというところにきまっている」(p.24)という記述からも窺える。
 以上の「内在的価値」は、生産費によって決まる古典派の自然価格に相当する。現実には、「特定の商品に対する需要の強弱は、その内在的価値すなわち原価(prime cost)になんの変化がおこらなくても、しばしばその価値を上下させるであろう。」(p.18)いわゆる市場価格は変動するが、その中心には費用(労働+技術+危険)+正常利益からなる正常価格があるという価格競争機構の認識がハリスにはあった。ただし、ハリスのあげる穀物価格例において、需給による価格決定論は、供給の多少によって価格決定メカニズムは異なる。市場価格(この言葉すらハリスにはない)論は十分議論されていないのである。
 労働の価値に関して、専門職人が普通の労働者より嫁得が多いことを記す。続いて、人間には種々の職業に向かわせてそれに適応させるような、さまざまな才能や性向が与えられており、求める必要品を容易かつ平穏に獲得するためには、特定の技術や職業に従事する他ないとする。この必要から分業が発生し、社会を結合させる。
 デフォー『イギリス経済の構造』を参照しながら、社会的分業(ハリスは技術的分労は説いていない)の記述は、農村経済から世界経済にまで拡がる。分業の「節用(エコノミイ)によって、各個の特定の職業はいっそうよく会得され、いっそうよく究められ、いっそう容易にまた安い費用で運営され、それによって全社会は結び合わされていわば一個の総体的商業(ジェネラル・コマース)をつくり出し、日々の交通と通信とによって大きい国も実際は一個の大都市のようになり・・・さらにはまた、さまざまな国の生産物を探し求めては頒布する冒険商人の精励によって、あらゆる国民は互いに結合されて商人の社会(commercial interest)ともいうべきものとなり、さまざまな風土に産するいろいろな物の恩恵をすべての成員が享けるのである。」(p.34)
 諸国民を結合させる貿易に就いては、興味のある記述があるので、これも摘記する。「約言すれば、最良の貿易とは、最多数の人手に仕事を与えることによって国内の勤労を促進するのに最も役立ち、また国防といっそう快適な生活とにとって有用でも必要でもあるような外国商品を国民に供給する貿易である。そうして最悪の貿易とは、労働の生産物を最もわずかしか輸出せず、自国の製造業のいくつかをやがては妨害するおそれのあるような他国の製造業に原料を供給し、自国にはすぐに費消されてしまったり値打ちが不確かであったりするような不必要な商品を持ち込む貿易である」(p.36)。第二章(16貿易差額とは何か)において、ハリスは貿易収支の黒字によって獲得した貴金属を、国内に留め退蔵することを勧奨して、重金主義者の様相を示しているのだが、ここでは国内雇用増加の観点から貿易を見ているのである。そして英国の現状については、租税負担が大きいににもかかわらず、大量の物品が輸出されていることから考えると、労働の生産性を勘案した英国の実質的な賃金は外国に比べて安いとの認識を示している(p.30注)。表面上の賃金率だけではなく労働の熟練度を考慮すべしとしているのである。
 以上の第一章の記述については、つとにジェヴォンズにより、「不幸にこの章[第一章:記者]は、ほとんどカンティロンの文句の選集にすぎないのである。」(ジェヴォンズ,1943,p.302)との指摘があり、カンティロンからの「略奪」とされてきた(現在はポッスルウェイトの本を経由してのものだとされている)ことを付記しておく。
 第二章「貨幣および鋳貨について」で本題に入る。物々交換から始まるお決まりの貨幣発生史記述の後、貨幣の本質の定義が行われる。貨幣とはあらゆる物の価値が規制・確定される標準尺度であると同時に、それ自体で諸商品が交換され、契約の支払いがなされる価値ないし等価物(equivalent)である。貨幣は価値尺度であるとともに自身内在価値を有する物であるとされる(p.48)。価値の尺度たる点では、「それ自身の価値は不変だと見なされなくてはならない。そうしてあらゆる契約とか約束とかは、まえもって同意された特定の量ないし額の貨幣の支払いによって完全に履行され果たされるとみなされるべきで」(p.51-2)あり、債務の契約と履行の時点の相違による、他の物に対する貨幣の価値の変化は問題にされないことを強調している。この最後の引用部分は、後の第二部の貨幣の貶質の議論に関連するのであろう。
 貨幣が尊重されて社会の評価を維持するためには、素材として金銀が最適である。この中、価値が高すぎず、より安定していることから銀が標準として選ばれた。「われわれは貨幣で計算はするけれども、労働および熟練こそ、それによってすべての、ないしはほとんどの物の価値が究極的に決定されるところの主要な標準である。」(p.53)とする第一章の立場よりすれば、銀貨は標準としては不変としても、素材の銀鉱山から生産される原費による変動はあるであろう。しかし、銀は鋳貨や板金としてすでに全ヨーロッパに大量に分布しているので、全流通量に対する新投入量の比率は低く、年々の鉱山生産による原費の影響は少ない。
 そこから進んで、他の商品とは異なり「貨幣はひろくあらゆる商品と交換される物であるから、それに対する需要にはなんの限界もない。それはどこででも渇望されるし、すたれて求められなくなるということもけっしてない。そうしてこのゆえに、一面では貨幣の総量は総需要を越えることがありえず、他面ではこの総需要はこの総量を越えることが許されない… このゆえに、貨幣が或る社会の隅々までにちゃんと行きわたるようになるやいなや、流通しているその総量の価値は、その国で取引されている商品の総量の価値と等しくなるであろう。」(p.81)と流通外のものを除くと、貨幣総量の価値と商品総量の価値は等しいとの認識がある。ここからロックの影響を受け「貨幣は流通しているその総量に応じてみずからの価値を定める」とする「誤謬を伴う理論的飛躍」(小林昇)によりハリスの貨幣数量説が出て来る。
 「或る所与の量の貨幣の価値は、つねに、流通しているその総額ないしは総量とかなり正確に反比例するであろう。…すなわち、もしも或る国で、流通している貨幣の総量が増加するとか減少するとかしたならば、これに応じてその或る所与の量の価値は減少するかあるいは増加するであろう」(原文はイタリック)とし、「右の命題は貨幣の性質にかんするきわめて基本的な命題であって、それのふくむ学理は、事物の本性の許すかぎり、ひろく経験によって疑いの余地もなく証明されている。」(p.82)とする。
 「他の諸物に対するその価値は・・・市場での貨幣の総量に対する諸物の総量に比例する、つまり流通している貨幣の総量に逆比例するであろう。」(p.89)この命題に従って、あらゆる商品価値の一様かつ全般的変化は、「事物の普通の成り行き」によって、目立はしないが、徐々に間断なく行われているのである。
 外国貿易を持たない封鎖的な国家にあっては、どんな量の貨幣でも目的を果たせるし、貨幣量の変動が急激であるときは一般に有害であるが、「貨幣量のどんな増減も、それが徐々であり緩慢でありさえすれば、重大な結果を伴うことはほとんどないであろう。」(p.93)として、長期的には貨幣は中立的であるとの捉え方である。ただし、貨幣増加の影響があまねく行きわたる間には、「いくつかの部門の商工業は活気を与えられるであろう。」(p.96)とハイエクのいう「連続的影響説」のような記載があるし、そして第二部(p.193-5)では、ケインズが『貨幣改革論』でインフレの三階級に与える影響を考えたような、地主や労働者に対するインフレ(貨幣の貶質)の影響の分析もある。
 さらにハリスには外国貿易がある国での、金(ハリスの場合は銀)本位制下の国際収支自己調整機構の記述がある。ヴァンダーリント『貨幣万能』(1734)中に分散して書かれ、ヒューム『政治論集』(1752)が優れた形にまとめたものである。ハリスが後者を見たかどうかは不明だが、「ハリスの提示した自己調整メカニズムの記述は特に優れている」(ヴァイナー,2010,p.87)とされる。輸出超過即ち貿易差額の黒字は、金属貨幣の流入となり、貨幣数量説により国内物価水準が上昇する。これが、輸出価格の騰貴及び輸入価格の下落を通じて、輸出を減少させ輸入を増加させる。輸入超過から出発する場合は逆の動きとなる。これら国際収支を均衡させるメカニズムが、明確に述べられている。「貿易を行う国民はみな、長いあいだ貨幣に不足するということがなく、逆に、流通する正金をその取引に比例した或る一定の量以上には保持できないということも、わかってくるであろう…わが国の取引量に対する国内での地金の量の比率が他の諸国におけると同様の大きさに達するまで、わが国に流入することをやめないであろう。」(p.102-3)
 こうして、貨幣量が各国の富と取引に比例して配分されてしまうならば、長期(貨幣数量説の効果が現れるのが長期とすれば超長期というべきか)的には、国を富ませるのは人々の勤労であり、価値は再び技術や労働によって決められることになる。ハリスが「諸商品の価格が貨幣の増加に比例して騰貴しなかったのはなぜか」(p.92)の小見出しを付けて過去200年の地金の増加に比例して物価の騰貴しなかった理由の一半を技術と商品の増加に求めている。このようにして「貨幣数量説の論理がやがて薄明に中に消えてしまった」(堀家,1988,p.77)ことを堀家文吉郎は「数量説の埋没」と称する。
 「第三章 為替について」は、為替の実務的な解説であり、興味を引いた二点だけ引用をしておこう。第一には「或る特定の時の為替の高さはそのときどきの国の貿易差額が逆調になっているかをきめるには一般的にいって不十分であるとはいえ、為替の変動はやはり貿易差額の変化を示しはするのである。」(p.129)為替相場はやはり国際収支によって決定されるとの見方である。第二には、「為替が平価から或る一定の開きを持つまでは、地金はけっして一つの場所から他の場所に輸送されることがない。そうしてこの開きはまた、積荷料のほかに手数料と保険料をふくむ、地金の輸送費に制約される。」(p.137)と記すように、為替率は「金現送点」の間で変動するということを、すでにハリスは明確に述べていることである。
 第二部は 第一部と同じくらいの分量を持つ。イギリス貨幣制度史論の重要文献であり、ステュアート『経済原理』理解に欠かせないとも小林は書いている(p.289-90;解説)。時代の主要な貨幣問題は、流通貨幣の削り取りや混ぜものにどう対応するかと、外国と異なる金銀の比価をどうするかであった。前者については、ニュートンの改鋳により新貨は流通分の品質に合わせられた。ハリスは主に後者の問題について論じており、銀本位制を主張し金の公定価格引き下げを主張した。
 私が第二部を読んだ限りでは、(銀)貨幣の貶質(adulteration)に反対する見地から、歴史的・制度的記述を繰返しており重要な内容はないように思える。「この第二部の企図するところはきわめて骨が折れてしかも重要なものである。…すなわち、久しく確立されていた財産の標準の貶質によってこれらすべてのものが人知れず加害されるのを、防衛するということである。」(p.144)とするハリスは、これまで鋳貨に加えられてきた変改のいっさいの結果が立証するのは、「貨幣の標準にはどんな変改をも加えることができず、それはこれを行う人々をさまざまに傷つけるだけだということであり…こういう乱暴な措置を支持するために持ち出される議論は、ここに示されたものであれ別の場所で示されたものであれ、問題については反対の結論をつよく示すものでしかありえないだろう」(p.224)と主張する。ここに著者の云わんとすることの大方が現れていると思われる。

 英国の古書店より購入。第一部と第二部が合冊された半革装の美本。標題紙には、旧所有者と思われる二人の署名がある。目録によると、第二部93-96頁の欠落をファクシミリで補充してある。古い用紙(わざと古色を付けたものか)を使用して複写しているので、元の頁部分と見分けがつかない。どうも泰西の製本技術は相当発達しているようである。

(注1)補足しておくと、ニュートン(1643-1727)は、1696年に造幣局監事に就き、99年・長官に昇任、終生この地位にいた。ニュートン生前に一番知られた著書は『光学』(1704)であるが、ハリスにも同名(精確にいうとOpticsとTreatise on opticsの相違あり)の著書がある。著作目録を見るに、ニュートンには貨幣関係の著作は「英国硬貨の改善に関して」等の覚書類だけで、公刊されたものはないようである。「ニュートンが貨幣供給の管理を強調したのは時代に先んじていたと言えるが、この文書[造幣局関係文書:記者]やその他の文書のゆえに彼を重要な経済思想家のひとりにまで引き上げることはすべきではない。」(ウェストフォール,1993,Up.174)とするのが一般的評価であろう。
 なお、『貨幣・鋳貨論』には一か所だけニュートンの名が出て来る(p.28)。
(注2)例えば、『国富論』キャナン版はその脚注で10回本書を引用・参照している(堀家による)
(注3)小林自身のもの、久保田明光及び堀家文吉郎論文である(邦訳解説)。ただし、小林記載時以降、私が知りえたものでは、森茂也の論文がある。
 これらの論文は『国富論』の先駆者としてその経済思想(富及び価値論、分業論)を扱ったものか、その貨幣理論(貨幣価値論、貨幣数量説)を扱ったものに大別できるだろう。前者が久保田、森論文、後者が小林、堀家論文である。いずれも、本書第一部の内容に関するもので、第二部はその内容も知られず、「研究は等閑に付されている」とのことである。

 (参考文献)
  1. ジェコブ・ヴァイナー著 中澤進一訳『国際貿易の理論』勁草書房、2010
  2. リチャード・ウェストフォール著 田中一郎・大谷隆昶訳 『アイザック・ニュートン U』 平凡社、1993年
  3. 小林昇 「ジョウゼフ・ハリスの経済学説」(『小林昇経済学史著作集V イギリス重商主義研究(1)』 未来社、1976年 所収)
  4. 久保田明光 『近世経済学の生成過程』 理想社、1942年
  5. スタンリ・ジェヴォンズ 「リシャール・カンティヨンと経済学の国籍」(カンティヨン 戸田正雄訳 『商業論』 日本評論社、1943年 所収)
  6. ハリス著  小林昇訳 『貨幣・鋳貨論』(初期イギリス経済学古典選集13) 東京大学出版会、1975年
  7. 堀家文吉郎 『貨幣数量説の研究』 東洋経済新報社、1988年
  8. 森茂也 『イギリス価格論史 古典派需給論の形成と展開』 同文館出版、1982年、
  9. Powys Local History Encyclopedia (http://powysene.weebly.com/)




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(H22.11.21記)



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