GENOVESI, A.,
Delle lezioni di commercio o sia d'economia civile da leggersi nella cattedra interiana di Napoli  dell' abate Genovesi regio Cattedratico. In questa edizione accresciuta di varie aggiunte dell' autore medesimo.,Milano, per Federico Agnelli, 1768, 2vols.,pp.(6)+311:236, 4to.

 ジェノヴェージ『商業すなわち市民の経済の講義』1768年刊ミラノ版(初版は、1765-1767年刊)。
 著者略歴:ジェノヴェージ、アントニオ Genovesi, Antonio (1713-1769)。ナポリ王国サレルノ(現イタリア・カンパニア州)近郊のカスティヨーネに靴職人の子として生まれる。サレルノで、牧師になるため教育を受け、1736年聖職に叙階された。同地の神学校で修辞法の教授となる。哲学の研究を始め、聖職生活に飽き足らず、職を辞す。ローマで弁護士の資格を得る。しかし、この仕事にも満足できず、哲学研究に専念すべく、ガリアーニの叔父で大司教のチェレスチーノ・ガリアーニの助力を得てナポリ大学に、「倫理学または道徳哲学」の教職を得た。
 処女作『形而上学原論』(Elementa metaphysiqucae,1743-52)と『論理学』(logica.1745)を出版する。前者は保守的学派の反発と宗教当局の忌避を招き、無神論者・理神論者の疑いをかけられた。おりしも、空席の同大学神学教授のポストに応募したが、このために実現しなかった。のちに経済学の教授に転じた経緯は下に記す。
 重商主義的政策を支持したが、重金主義者ではなかったし、穀物取引の自由を主張した。労働を富の源泉とし、人間の欲求に基づいた勤労による経済社会の発展を論じた。

 参考文献を探したが邦語文献ほとんどない。見出せた数少ない文献は、主として奥田敬氏のものである。以下は、それらにもたれ掛かって書いている。

 1754年ナポリ大学においてジェノヴェージの手によって、世界で最初とも、スウェーデンのウプサラ大学(アンデシュ・ベルショによる、1741年)に続いて2番目ともいわれる経済学講座が開講された。ちなみに、英国で最初の経済学講義は、よく知られているように東インド・カレッジのマルサス(1805年)のものである。フランスでは、エコール・ノルマルのヴァンデルモンド(1795年)の講義が最初だそうだ。このナポリ大学講義の内容を出版したものが本書なのである。
 ジェノヴェージが、ナポリ大学で倫理学を講じていたころ、トスカーナ出身の実業家(科学者でもあった)バルトロメオ・インティエーリは、ナポリ近郊の山荘に引退生活を送っていた。彼はガリアーニのパトロンでもあり、周辺には知的サークルが形成されていた。インティエーリは、ヨーロッパの全アカデミーに、経済(商業)の教授を配置すべきとの信念の下に、ナポリ大学にもその講座の開設を請願した。講座新設は、ジェノヴェージを教授としてイタリア語(当時多くはラテン語)で講義することで勅許された。インティエーリは、口座開設のための基金を寄贈している(奥田、1992および2012を参照)。
 ジェノヴェージの講座の名称は「商業と機械学commercio e meccanica」である。私が、「機械学」で思いつくのは、アリストテレスやガリレオの著作である。ここでの「「機械学meccanica」とは、古典古代以来の伝統においては、「自由学芸liberal arts」の対極に位置する<肉体労働的な技芸>の別称」(奥田、2011、p.352)を意味するらしい(注1)。
 さて、経済発展の遅れたイタリア、とりわけ未開発の地域であるナポリ王国で、何故世界でも最初に、経済学講座が設立されたか。後進地域であるからこそ、発展のためには先進国の成果を体系的に取り込む研究が要請されたのかもしれない。大学の工学部が世界で初めて設立されたのは、欧米ではなく、明治の日本(工部大学校)だったことが思い合わされる。
 ジェノヴェージはいう、「こうした(商業や経済の:引用者)経験を充分に持たないか、または、こうした経験から経済の学を作り出すことが出来なかった国民がこの学を身につけるには、より実践的で熟達した国民が我々に示している商業の諸学説を読むだけで全く十分なように思われるかもしれない」(奥田、1986、p.65)――もっとも、この後に経済史研究の重要性を強調している。
 もう一つ考えねばならないのは、経済の後進性にもかかわらず、イタリア経済学は必ずしも遅れていなかった、いな先進的すら思われることである。編奇な評価でしばしば人を驚かすところのあるシュンペーターであるから、割引して聞く必要があろうが、彼はこういう。「われわれは、十八世紀の最後の四半世紀に至るまでは、経済学はイタリア人の科学であったといいうるだろう。スペイン、フランスおよびイギリスは、それぞれ異なる時代にはなはだ異なる割合においてではあるが、第二級の名誉を分けあうといえよう」(シュムペーター、1955、p.335)。あるいは、「スミス以前における体系の創出という分野での名誉は、十八世紀のイタリア人に帰すべきものである。」(同、p.368)。シュンペーターのいうのは、ジェノヴェージの他、パルミエリ、ガリアーニ、ヴェリ、ベッカリア等の面々である。

 その内容を目次から窺うことにする。例によって、イタリア語をグーグルの翻訳で英訳したものに拠ったので、多々誤りがあろう。大体の内容を把握するためである。
 初版(これもグーグル・ブックスによる)の目次に拠った、私蔵本(後述)との相違がある所は注記した。なぜか、第一巻の目次は巻頭に、第二巻の目次は巻末に置かれている。

 (第一巻)
 第1章 政治体について、第2章 個人と政治体の主要動因。技芸と科学の第一源泉、第3章 市民団を構成する異なる階級と家族、第4章 上記人民諸階級はどのようにして、技芸と国家を富裕に、およびそれにより実現される公共の福祉に寄与するか、第5章 人口について、第6章 教育について、第7章 勤労一般について(私蔵本では、「生計について」:記者)、第8章 5つの基礎技芸の経済、第9章 改良的技芸の経済、第10章 奢侈的技芸について、第11章 機械的技芸に就業せぬ人の階級、第12章 実際にどうすれば、不生産階級を可能な限り最小にできるか、第13章 貧民と浮浪者の雇用について、第14章 技芸を改良し、労働と国民所得の量を増大するための第一にして最大の手段としての習慣、第15章 勤勉を補強、奨励するより詳細な手段について、第16章 商業、第一にその性質と必要性、第17章 商業の精神と自由、第18章 商業自由の主要な基礎としての自由穀物政策(Annona )(注2)についての余論/穀物政策問題の暴露/飢饉/資料/古代の規制/倉庫の組織/問題解決/例示、第19章 商業の主要効果について、第20章 外国貿易の一般原則、第21章 財政について、第22章 ナポリ王国の技芸と商業に関する現状と自然的勢力
 (第二巻)
 第1章 すべての物と労働との価値と価格についての第一の起源および物理的原因、第2章 貨幣の起源について、第3章 貨幣の性質と真の力について、第4章 名目的価値の増大について、第5章 紙幣について、第6章 公信用について、第7章 直前2章の国内公信用についてのヒューム氏の見解、第8章 貨幣製造の政治的技術、第9章 貨幣力の新発展。流通について、第10章 公的信義について、第11章 為替と打歩、およびその法則について/経済的および政治的信頼を保持するための機械的手段(注3)、第12章 貿易収支についての補論、第13章 徴利(Usure)について/主要二点について/第3節 市民の監視によって借入金利を固定した場合/最終論点 何が貨幣金利の高低の表象か
 (以下付論――章の区分がなく、該当頁のみが記されている:記者)
 人間幸福の配慮のために巨大な富を使用することについての考察/三の富の使用/富の力は人にとって一様ではない/人間の性質とそれに作用する力の予備的考察/巨大な富が、各自の気質に応じて個人に与える力の相違/家族のための富の力/市民国家のための富の力/余剰貨幣は、主として現在ヨーロッパの財政制度に負債を負わせ、不労所得生活者と国債所有者を生んで、商業と技芸を損なう/余剰貨幣そのもの/前述理論の実践/これら要論の結論

 以上から見ると、第1巻は、冒頭に4章を費やして、政治体(corpi polittici:国家の意味)と市民団(Corpi Civili:社会、こちらは大文字ではじまる)が論じられている。国家の基底には社会があるということだろうか。第5章~第15章は、人口に象徴される社会経済の発展論である。第16章~19章で商業(この部分は草稿とされる『商業原論』では冒頭に置かれている)を、次いで貿易、財政、技芸を論じて、ナポリ王国の現状で終わる。第2巻は、価値。貨幣、信用を扱う。
 ブスケー(1976、P.80-89)による『講義』の評価を見る。本書で論じている事項には次の3種があるという。1.大量の具体的事実、2.規範的体系、これは重商主義的政策を実現するためのもの、3.理論的見解、である。
 3.の部分に独創性がないため、「われわれは特にイタリアの著者たちを理論的見地から研究したいと考えるが、しかしこの点からいくと、本書にみるべきものが非常に少ない」(ブスケー、1976、P.83)という評価が出てくるのであろう。理論的なものとしてブスケーが取り上げているのは、最適人口論くらいのものである。価値論は取るに足らないし、分配理論はない。貨幣・利子論はガリアーニに帰せられるべきものである。
 しかし、「大量の、いやいささか過剰すぎるほどの事実を提供した、[中略]ジェノヴェージの書物は生命があふれている。[中略]この教授が自分たちの受講生たちにたいして成功を収めたであろうことがわれわれにはわかる」(ブスケー、1976、P.85)と考える。シュンペーター(1955、p.369)も「彼は終始偉大な教師であって、この資格における彼の並外れた成功は、彼の悪口をいう人でもこれを否定しえないところであった」とする。「結論としては、『市民経済学講義』は経済学上の注目すべき1作品ではあるが、しかしその傑出せる作品だとはいえない」(ブスケー、1976、P.89)あたりが妥当なところか。

 最後に書誌学的な記述を少々加える。
 ナポリでの講義の手稿(後に『商業原論』のタイトルで出版される)に基づく異なる版がいくつか出版されている。初版は1757-1758年ナポリで出版。初版の再刷というべきものが、ミラノで1768年(私蔵本)、バッサーノ(ベニス)で1769年に出版。これらは、初版に少し手が加えられている。ジェノヴェーゼ自身がナポリで第二版として、1768年(第1巻)と1770年(第2巻)に出版。第二版は、初版ともミラノ、バッサーノ版とも異なっている。このあたりの関係は、私にはもう一つよく解らない。私蔵のミラノ版が海賊版ではないと思われるのは、標題紙に書かれた次の文言よる。「著者自身によるいくつかの追加をした増訂版(In questa edizione accresciuta di varie aggiunte dell'Autore medesimo.)」と。しかし奥田(2011、p.350)によると、ミラノ版は、弟子のトロイアーノ・オダーチによるもので、著者自身による改訂は怪しいと記されている。CiNiiによると、初版の第二巻、ミラノ版、および第二版が一橋大学、バッサーノ版が6大学で所蔵されている。

 イタリアの古書店より購入。粗末な紙装である。イアタリアで買う本は、紙装のままのものが多い。フランスのように立派な装丁はしないで所蔵するのだろうか。
(注1)ラテン語のmeccanica(英mechanics)は、現在では、力学のことである。例えば、量子力学Quantum mechanicsのごとし。これは、ニュートン以降の「運動論」の意味あいが主流となったもので、本来はアリストテレスに遡る「機械論」の意味であった。16世紀イタリアの機械学は1.自然に逆らって実用的な何かをする術、2.梃子、滑車のごとき単純機械や斜面などの静力学、を意味したという。(参照:有賀暢迪「力学史を問い直す:「機械学」と「運動論」の関係をめぐって」 http://www.ariga-kagakushi.info/strage/s-t2009_resume-mechanica_and_de_motu.pdf
(注2)Annonaの本来の意味はバンレイシ(シュガーアップル)のことのようである。イタリアのWikipedeaでは、英語にすると” The Annona is the policy of a country for their stocks of cereals and other foodstuffs.”となっている。奥田の訳(「穀物供給の自由」)を参照して、こう訳した。
(注3)この「経済的および政治的信頼を保持するための機械的手段」の文言は私蔵本では、第10章に置かれている。初版本でもページ表示からみて、第10章におかれるべきものと思われる。


(参考文献)
  1. 奥田敬 「18世紀ナポリ王国における「政治経済学」の形成(上) ―アントニオ・ジェノヴェージ「商業汎論」とその周辺―」、慶応義塾大学、三田学雑誌、Vol.79,No.5(1986.12),p.508(58)-522(72)
  2. 奥田敬 「18世紀ナポリ王国における「政治経済学」の形成(下) ―アントニオ・ジェノヴェージ「商業汎論」とその周辺―」、慶応義塾大学、三田学雑誌、Vol.79,No.6(1987.2),p.633(89)-646(102)
  3. 奥田敬 「啓蒙の南限 ジェノヴェージ<市民の経済>の生成」(佐々木武・田中秀夫編著 『啓蒙と社会 -文明の変容』 京都大学出版会、2011年 第13章)
  4. 奥田敬 「啓蒙の世紀」(北村暁夫・伊藤武編著 『近代イタリアの歴史 -16世紀から現代まで―』ミネルヴァ書房、2012年 第2章)
  5. ジェノヴァージ 奥田敬訳 「商業汎論:商業についての一般的な論考」、一橋大学社会科学古典資料センター Study Series,27:1-46,1992.03.31
  6. シュムペーター 『経済分析の歴史 1』 岩波書店、1955
  7. G.-H.ブスケー 橋本比登志訳 『イタリア経済学抄史 発端よりフランチェスコ・フェッラーラまで』 嵯峨野書房、1976年
  8. Dell lezioni di commercio o sia di economia civile, Napoli, stamp. Simoniana, 1665-67, 2vol.




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(2017/4/13記)



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