GENOVESI, A.,
"Ragionamento sul commercio in universale", pp.I-CVIII. in Storia del commercio della Gran Brettagna, scritta da John Cary, Mercante di Bristol, tradotta in nostra volgar lingua da Pietro Genovesi, Giureconsulto Napoletano. Con un ragionamento sul Commercio in universale, e alcune annotazioni riguardanti l'economia del nostro Regno di Antonio Genovesi, R. Proffesore di Commercio e di Meccanica nella cattedra Interiana. Dedicata a S. E. Romulaldo Sterlich de' marchesi di Cermignano. , Napoli , 1757-58. per Benedetto Gessari, Con lincenza de' Superiori. E. privilegio. 3voll. , 8vo.

  ジェノヴェージ「商業汎論ー商業についての一般的な論考ー」、『グレート・ブリテン商業史』所収、初版。
 『大ブリテン商業誌』、正式名称『ブリストルの商人ジョン・ケアリー著、ナポリの弁護士ピエトロ・ジェノヴェージによってイタリア語訳されたグレート・ブリテンの商業の歴史。インティエーリ講座における商業と機械学の勅任教授アントニオ・ジェノヴェージによる、商業についての一般的な論考とわが王国の経済に関する若干の評注を付し、チェルミニャーノ候ロムアルド・ステルリッヒ閣下に献呈』は、3巻本として、1757-58年に上梓された。
 ここで、翻訳者としてあげられているピエトロ・ジェノヴェージは、アントニオの末弟、第一巻刊行後結核で亡くなり、第二巻以降の翻訳・編集はアントニオによってなされたとのことである。
標題に書かれているように『大ブリテン商業誌』には、翻訳文にアントニオ・ジェノヴェージによる多くの評注と論考が付加されている。その第一巻に献辞と総序に続いて置かれた「商業についての一般的な論考」(注1)が、「商業汎論」と称されている。後の『商業すなわち市民の経済の講義』(1765-1767)のプロトタイプあるいはエスキスとなるものである。奥田敬の訳文では、上記総序と「商業についての一般的な論考」を併せて「商業汎論」としている 
 奥田訳によって、その内容を摘記する。
 まず、『グレート・ブリテン商業史』全体の序にも当たる「上品にして寛大なる読者へ」という一文には、こう述べられている。過去2世紀の間にイングランド人は、商業を発展させ、富裕に達した。「他のあらゆる国民もまた、その住む地方や周辺地域との適切な釣り合いを保つなら、同じ経済[]を採用して、それ相応にイングランド人達と同様の偉大で豊かな商業を得られるのだということに気づくべきであって」(ジェノヴェージ、1992p.7:以下訳文からの引用はページのみを表示)、とりわけそのために『商業史』を翻訳し、いくつかの評注を追加した。さらには、「商業の科学ないしは経済の科学と呼ばれるこの科学の性格を明らかにし、その諸原理と目的を示す「論考」も追加した」(p.8)と。
 本文(論考)に入っても、経済の科学についての議論から始まる。社会経済の経験を充分に経ていないか、経験により自ら経済の技術・科学を創り出せなかった国民は、「より熟達した賢明な諸国民によって与えられた商業の諸体系を読むだけで充分と思われるかも知れない」(p.9)。だが要約された技術は無味乾燥で、それが生じた背景にある豊かな内容が抜け落ちている。「それゆえ、ある国民の間に商業の科学を植えつけ定着させようと欲するならば、この科学を大いに実践し展開させている諸国民の商業の歴史を示す以上に有益なことはない。[中略]私の判断によれば、前世紀の末に『イングランド商業史』を著したケアリー氏以上に商業の発達や衰退の諸原因に深く踏み入った人は他に誰もいない」(p.9)のである。本来は、このような翻訳は「トスカーナ人によってなされるのが望ましい」(p.9)(注2)のだが、ジェノヴェージは、力の限り取り組むとする。
 商人は、職人同様、無反省に旧来のやり方に泥んで、新しい知見を取り入れることがない。新しい技術を習得するには、見聞を広め、読書する必要がある。商業・経済の一般的な知識を習得することなしに、「私的な利害の諸原則を脱してそれを文明社会の全体に適用することができない」(p.10)。そして、これらの知識は、単に商人のみが知れば良いというものではない。まず家長が、次いで共同体の役人や君主の財政にかかわるものが、家、共同体、国民全体と君主の利益のために学ぶべきものである。「この科学がまさしく一つの科学であるということ、すなわち固有の確実な諸原理を有するものであり、[中略]これを軽視すれば大変な被害を被ることになるが、これを適用するならば必ずや多大の利益をもたらすものである」(p.12-13)ことを知らねばならない。そして、当時は「私の知る限り、他のいかなる科学も、我々の間でのこの科学の如きかくも多数の信奉者、知への熱意にかくも燃え立つ信奉者を、その始まりにあたって見出した試しはなかった」(p.12)状況であると、著者は考える。
 それでも、ジェノヴェージは、商業の科学といっても、商売の術を教えるものではなく、国民全体にかかわる商業の学あるいは経済科学であると強調せねばならなかった。それだけ当時は、目新しく馴染みのない学問であったのだろう。「商業の政治科学と商売の実践とは同じものでないという点を注意せねばならない」(強調原文:p.12)。
 
 経済の目的とするところは、第一に人口であり、第二に便宜・富裕・勢力であるから、斯学の課題も「国家が最大可能な数の市民を有すること」と「その市民達が可能な限り安楽に暮らせ、最大可能な裕福と勢力を得るようにさせること」(p.13)にあるとする。そして、この二つの課題は、相互に分かち難く結びついている。
 経済の第一目的は人口の増加である。しかしながら、人口は多ければ良いというものではなく、いわば最適人口論の立場を取る。人口を、自然的あるいは社会的に規定するものとして、Ⅰ.肥沃な土地、Ⅱ.気候風土、Ⅲ.農業、Ⅳ.製造業、Ⅴ.商業、Ⅵ.漁業と海運、Ⅶ.報奨金・特権付与・表彰等々による婚姻の奨励、Ⅷ.法の厳格な順守、Ⅸ.国政の賢明と温和、Ⅹ.善き教育、の10の要因があげられている。自然的条件が劣悪な国々では、社会的な力や国民の勤労によって一時的には人口が増加することはあっても、結局持続的な自然的要因を克服することはできない。反対に、自然環境に恵まれた国は、社会的要因によって人口が減少することがあったとしても、いずれ人口は回復される。「社会的諸要因は自然的諸要因に対抗して永久に持ち堪えることはできないのだが、自然的諸要因は永続するからである」(p.17)。ブスケー(1976、p.86)は、これを評して、「ジェノヴェージには興味深い1概念が見られる。これは現代用語でいえば、最適人口(「ラ・ジュスタ・ポポラチオーネ」)という用語で呼びうるであろう」とする。
 経済の第二目的である、国民の便宜・富裕・勢力を実現する源泉として、次の4つをあげる。上記第一目的の分類、Ⅲ.~Ⅵ.が、改めて4分類されている。1.農業、2.製造業、3.漁業、4.海運である(p.18)。ここでは、何故か肝心な商業が抜けている(注2)。そして、3.と4.の漁業、海運業は以下の記述では、見出しが付いた項目として建てられず、「イングランド人達が商業を樹立、維持する原則」のなかで、簡単に触れられているだけである。ともかくもジェノヴェージの見出し付項目に従って、順に見ていく(ちなみに、既述の部分も、見出し付項目に区分されていたが、短い内容なので、区分せずに示した)。

 ((農業、便宜と富裕の第一源泉))
 農業は、食料と製造業の原料を供給する第一の源泉である。国民の富裕と勢力は、労働の総量及び国土の面積・肥沃度により決定される。現在の領土を拡大することなく、国民を富裕にするには、干潟や低湿地の干拓と原野の開墾が要請される。肥料によって耕地を肥沃化することや、害虫を駆除することも農業を富強にする。反対に、農業への悪影響を与えるものとして、耕地の過度な不均等所有、地租負担の不平等、および過度の奢侈支出を指摘している。
 この農業を扱った箇所で、貨幣・利子についても短く論じている。貨幣については、「淵に淀んだ水ではなく、大地に遍く行き渉る水こそが土地を潤ませ肥沃にする。そのように、未鋳造の金銀や埋もれて遊んでいる貨幣ではなく、循環している貨幣が勤労に活力と刺激を与えるのである」(p.21)と単純なブリオニズム(重金主義)を批判するような表現が見られる。もっとも、この一節だけでは、短くて私にはよく判らない。『講義』の翻訳を期待したい。また、貨幣流通を活発にするには、紙幣だけでなく信用流通の増大が必要なことを述べている。「多くの国民は、単に貨幣を象徴する紙券だけでなく、同時にまた貨幣の替わりに各自の信用[債権]を表象する紙券や、それに加えて取引可能なあらゆる事物の価値を表象する紙券を流通させ、そのようにして貨幣と一緒になって大量の労働や富を運ぶ記号の量と速度を増加することを考えたのである」(p.21)。
 利子については、高利が産業を停滞させ、国富衰退の原因となること、および、英(蘭)の金利が低廉であることを書いているが、これは当時の経済書に共通した認識である。

 ((製造業、富裕・勢力の第二源泉))
 著者は、製造業を「それらなしではやっていけないようなあらゆる技芸の労働」(p.22)と定義している。それは、純然たる必需品に限定して、かつ洗練された国では過少評価だろうと断りながら、総支出の 1/6 を占めると推定する。工業製品を国産化し余剰は輸出する、輸入は自国に求められない原材料に限定するのが望ましい。重商主義の立場である。後記「イングランド人達が商業を樹立、維持する原則」の処で、もう少し詳しく説いている。
 貿易収支が赤字なら貴金属が流出する。「ここで明記すべきは、かかる不均衡が直ちに補填されなければ、その国民の衰退は年毎に加速し、これを復興するには数世紀を費やしても足らぬほどになる、ということである。[中略]我々がこうした衰退をさらに詳細に分析するならば、おそらくは[落下]物体の加速度運動とさほど異ならぬ法則[ragione]を発見できるであろう」(p.23)という。
 なお、ここで著者は貿易赤字 → 国家衰退という単純な図式を自然科学の法則のごとく断言している。しかしながら、金本位制の下での、物価水準を介した国際収支の均衡回復メカニズムのことは、考慮の外にあるようであり、触れられていない。これを論じた1752年出版のヒューム『政治論集』は、本書でも注記されて(p.22)おり、著者は読んでいるはずである。私には不可解である。ジェノヴェージは、次のごとく貨幣数量説を取っているから、なおさらである。「すなわち、貨幣の量が増大すると貨幣の価値[pregio]は減少し諸商品の価値は増大する。逆に、貨幣の量が減少すると貨幣は貴重になり、それが表象する財物の価値は減少する」(p.31)と。
 もう一つ余分な注釈を加えると、ここにいう「加速度運動の法則」は、万有引力の法則ではなくて、加速度一定の法則を指しているように私には思える。ニュートンの『プリンシピア』(1687)ではなく、ガリレオの『天文対話』(1632)の世界のごとくである。
 製造業の発達は、直接製造業雇用者を増大するだけでなく、新雇用者による、あるいは既雇用者の所得増大による、農業物需要増大を通じ農業人口をも増大させる。後の箇所でも述べている、「就業したこの人々は、自国の生産物の消費を拡大し、そのことを通じて、農業や他の第一に必要な諸職業に対して新たな刺激と活力を与えるであろう」(p.35)。人口と労働力、すなわち国力を増大させるために、「諸技芸を改善し増進する」ことが肝要であり、それは「国民の精神と知識に懸かっている」(p.24)。そこで、教育が重要なのである。ここは製造業を論じている箇所ではあるが、特に農業機械学(農学あるいは農業工学くらいの意味)(注3)の学校が推奨されている。不生産階級を増大させぬようにも注意している。

 ((商業、富裕と勢力の第三源泉))
 「商業とは、余剰なものを必要なものと交換することである、と定義される」(強調原文:p.26)と書かれている。これはムロン『商業についての政治的試論』によると訳注に記されている。しかし、その直後に記されたジェノーヴェジェの財の3区分、必需品、便益品、奢侈品も、ムロンの絶対的必要品、二次的必要品、奢侈品の3区分から取られているのではないかと思う(『試論』冒頭の三島モデルに見られる)。ともあれ、家族であれ、国家であれ、この三種の財を必要な数量すべて保有する者はいないから、交換によって、「恒久的な利益の相互的な紐帯」(p.27)が結ばれる。

 ((国内商業に関する諸準則))
 国内商業が外国貿易の基礎である。国内産業の繁栄なしには、輸出はできない。それには、商品や貨幣が、自然的・社会的な拘束から解放されて、最大限迅速に流通せねばならない。そのために、取引の確実性が必要であり、治安の維持が求められる。また、取引の容易なことが必要である。社会的には商業の自由が、自然的(物理的というべきか)には道路、河川、運河の通行を容易にし、輸送手段を改良することが求められる。
 次に、ここでも貨幣についての議論がなされている。まず、「貨幣が有用であるためには、その量は一国の人口や諸必要より少なすぎても多すぎてもいけない」(p.30)と「最適貨幣量説」のごとくであるが、詳細は『商業原論』(講義録手稿)に述べたとして、これ以上のことは書かれていない。
 また、「貨幣が最も活発に流通を促進し加速するのは、それが国民の間に可能な限り均等に行き渡っているときであると、結論される」(p.30)として、貨幣が平等に保有されているときに、最も流通するように書かれている。しかし、その理由としてあげられているのは、貨幣が少数者の手中にあるときは、人手に渡るのを見たくないので使用を差し控え、多数者の手中にあるときは、諸財と交換する気にさせるというのだから、私にはよく理解できない。
 この後に、先に引いた貨幣数量説の記述もある。

 ((イングランド人達が商業を樹立、維持する原則))
 重商主義政策の詳説である。九つの一般的原理が記されている。第一の一般的原理とされるのは、貿易差額が国家を富強にすることである。第二の原理はこの系として、製造業は原料を未加工のまま輸出してはならないことである。原料を可能な限り加工し、加工品を輸出することである。国内加工が、さもなくば外国に漏出した需要を転じて、国内雇用を生む。
 第三の原理は、国内の消費を上回る余剰生産物の増大は直ちに国家収入の増大となることである。但し、このためには余剰生産物が総て需要されねばならない。後世の言葉でいえば、有効需要となることが必要である。そこで、「あらゆる種類の財や実技や職業が、単なる使用の観点からではなく、商業の観点から捉えなければならず、純然たる国内需要だけでなく商業に一切が関連せしめられねばならない」(p.33)。各人は交換するための余剰生産に努めねばならない。そのためには、「欲するときに欲するだけの量を輸出できることが確実でなければならない」(p.34)。具体的には次の2点を挙げている。1.輸出の時期、その量に関して干渉されないこと。2.他国の製品と競合して、不利にならない関税が課されることである。ここでは、貿易の自由と関税政策が述べられているだけで、外国製品と差別化するための製品品質や関税を除くコストには触れられていない。最後の第九原理において、品質のことがわずかに述べられている。
 以下の2原理は、第一原理の系で、もっと先にあげられるべきものであろう。第四原理は、国内で原料不足のために、その製品の製造業がない場合は、製品を輸入するのではなく、原料を輸入して国内生産を行うべきというものである。第五原理は、国内生産物の消費を減少させ、それらの技芸の進歩を阻害する製品の輸入は国家の衰亡をもたらすことである。
 第六原理。不要な貪欲を満たす純然たる奢侈品輸入は国家にとって常に真の損失である。奢侈品でも国内で生産するものであれば、国内雇用をもたらし国家にとって有益である。マンデヴィル流の奢侈が有効需要を生むとの考え方である。第七原理は、再輸出のための輸入、仲介貿易は国家にとって所得をもたらすことである。第八原理は、他国のために船舶や船員を提供することは国家に所得をもたらすことである。
 最後の第九原理は選好について述べたものである。選好が商業の真髄であって、選考を高めることは商業を隆盛にする。ここで、「諸商品の競争における選好とは、多数の者が同じ場所に同じ財を持ってきて売ろうとする場合に、ある者が他の者達よりも販売において好まれるということである。こうした選考は、財の良質さから生じたり、価格の低廉さから生じたり、あるいはこの2つが一緒になるところから生じる」(p.34)。ここで価格についてはは、主として関税と輸送費が関説されている。

 最後に、ヨーロッパ各国で出版されている経済の著作が諸国民に有益であること、ならびに世界商業は少数の帝国に支配されているにもかかわらず、平凡な国でも賢明で熱心に努力するなら他国に優位に立てることを確信していることを述べる。

 訳の「凡例」他によると、本書初版本は、「A刷」と「B刷」の2種類があるとのことである(異版というべきか)。私蔵本はその「A刷」に該当するようである。日本の書肆で、1764年版の本書が20数万の価格で売りに出ているのを見たことがある。私蔵本はイタリアの古書店からの購入、紙装できれいな製本はしていない。そのせいか、値段はごく安かった。多くのページはアンカットのままである。

    
(注1)標題に記された「商業についての一般的な論考」が、この「論考」のみを指すのか、他の論考を含んだ全論考を意味するのか、私にはよく判らない。
(注2)トスカーナ人は文章技術に優れていることが理由として挙げられている。フレンツエ等が商業の先進地域であったことも理由の一つであったろうと思う。
(注3)念のために、原文にもあたったが、訳文の通りである。
(注4)本サイト「ジェノーヴェジェ『商業すなわち市民の経済の講義』」参照


(参考文献)
  1. 奥田敬 「18世紀ナポリ王国における「政治経済学」の形成(上) ―アントニオ・ジェノヴェージ「商業汎論」とその周辺―」、慶応義塾大学、三田学雑誌、Vol.79,No.5(1986.12),p.508(58)-522(72)
  2. 奥田敬 「18世紀ナポリ王国における「政治経済学」の形成(下) ―アントニオ・ジェノヴェージ「商業汎論」とその周辺―」、慶応義塾大学、三田学雑誌、Vol.79,No.6(1987.2),p.633(89)-646(102)
  3. 奥田敬 「啓蒙の南限 ジェノヴェージ<市民の経済>の生成」(佐々木武・田中秀夫編著 『啓蒙と社会 -文明の変容』 京都大学出版会、2011年 第13章
  4. 奥田敬 「啓蒙の世紀」(北村暁夫・伊藤武編著 『近代イタリアの歴史 -16世紀から現代まで―』ミネルヴァ書房、2012年 第2章)
  5. ジェノヴァージ 奥田敬訳 「商業汎論:商業についての一般的な論考」、一橋大学社会科学古典資料センター Study Series,27:1-46,1992.03.31
  6. G.-H.ブスケー 橋本比登志訳 『イタリア経済学抄史 発端よりフランチェスコ・フェッラーラまで』 嵯峨野書房、1976年




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(2017/4/15記)



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