CONDILLAC, E. B. de,
Le Commerce et le Gouvernement, considérés relativement l'un à l'autre. Ouvrage élémentaire, Amsterdam et Paris, Chez Jombert & Cellot, libraires , 1776, pp.ix+587, 12mo.

 コンディヤック『相互関係において考察された商業と政治』(『通商と政府』等とも)1776年刊、初版。
 著者略歴:Condellac, Etienne Bonnot de (1714-80)。仏南東部、アルプス山麓都市グルノーブル(1968年冬季オリンピック開催地)生まれ。哲学者・経済学者である。代々の裕福な「法服貴族」の家系で、子供七人の三男・末子にあたる。「コンディヤック」は父が1720年に購入した領地の地名に由来する。――次兄に高名な政治思想家ガブリエル・ボノ・ド・マブリ(1709-85)がいるが、この「マブリ」も同様に領地の名である。病弱で視力も弱かったため、初等教育をほとんど受けず、12の歳まで文盲であった。1727年父の没後、リオン在住の長兄ジャン・ボノ・ド・マブリ家に身を寄せ、イエスズ会のコレージュで教育を受ける。後に(1940)、このマブリ家の家庭教師(注1)となったルソーと知己となり、終生の交わりを結ぶ。ルソーは「後世がこの人にその時代の最も優れた理論家、最も深遠な形而上学者の一人として名誉ある高い地位を与えるであろう」と『エミール』で予言している。
 1733年次兄の導きでパリに出、サン・シュルピス神学校・ソルボンヌ大学で神学を修める。1740年聖職位を授けられ、終生カトリックに帰依し、法衣を纏い、僧侶に留まった。少なくとも形の上では。以後もパリに留まり、デカルト、スピノザ、ライプニッツ等を研究するが、彼らの「形而上学的体系」には批判的で(『体系論』(1749))、ベーコン、ロック、バークリー、ニュートン等英国哲学を好んだ。サロンに出入りして知識人と交流し、ダランベールやビュッフォン等の知遇を得た。経済学上は、レスピナス嬢のサロンでチュルゴーと知り合い、これも終生の友人となったことが大きい。この時期『人間認識起源論』(1746)、『感覚論』(1754)、『動物論』(1755)等を著し、哲学者としての名声を確立した。
 1758年ルイ十五世の孫であるパルマ公国フェルナンド王子の家庭教師に招かれる。その教育結果は後に『教程-パルマ公王子教育のための』(1775)全16巻として公刊される。北イタリアにあるこの公国でその経済政策に興味を持ったし、イタリアの経済学者ベッカリーア等とも接触があったようである。
 1767年職を辞し、パリに帰る。名声はいよいよ高まり、アカデミー・フランセーズ会員に選出される。晩年はオルレアン近傍のド・フリュー城に住み、終生の地とする。
 近年フーコーやデリタに取りあげられ、その哲学・科学論は「コンディヤック・ルネサンス」の感があるという。

 本書は、著者唯一の経済書である。スミスの『国富論』と同年の出版。当時財務総監の地位にあった友人チュルゴーは1774年、重農主義者として自由主義の原則に則り、穀物の自由貿易(廃止されていた条例の復活)と価格統制撤廃を実施する。しかし、不作と重なったためパンの値段が高騰し、各地で暴動が発生した。本書執筆の動機はチュルゴーの経済政策の擁護にあるとされる(チュルゴーは1776年に総監を辞任)。さらに穿った見方では、前年出版した『教程』出版時のチュルゴーの援助に対する返礼であるとするものもある。
 著者の意図は別として、本書の価値は効用価値学説の文献としての(あるいは過大なまでの)評価にあろう。コンディヤックの主観(効用)価値論の淵源を彼の哲学上の著作『感覚論』に結び付ける有力な説がある。一切の人間活動の原因としての感覚の重視、そして感覚の一部としての欲望を経済活動の原因とすることから、『感覚論』と本書を直結する見方である。これに対し山川は、スミスの『道徳感情論』と『国富論』を直結できないように、哲学的真理分析から直ちに価値論は導出されない。当時のフランスにおいて価値理論がかなりの成熟を見せていた背景を考慮しなければならないとする。コンディヤックに至るまでには、ガリアニ→グラスラン→チュルゴーの主観価値論の系譜が存在するのである(注2)。
 本書は、「第一章 諸物の価値の基礎」から始まる。複雑な経済科学は基礎的諸概念に還元される時、単純化され発展するとするのが著者の考えである。価値概念は本書全体の基礎として役立つとの認識の下に、意識的に取りあげられている。
 著者にとって、財の価値を規定するのは有用性(utilité)、すなわちその財がもたらす欲求充足度である。「この有用性によって。それをより大きく評価し、あるいはより小さく評価する。…ある物に価値があるということは、それを何らかの用途に適していると評価することである。」(本書、p.11-12)価値は財の内在的・実質的性質ではなく、人間の主観的評価に関わるものである。そして、もう一つ価値を規定するものが、希少性である。人間の欲求とそれを満足させる財との関係は、欲求(消費)に必要な財の分量において考えねばならない。欲求の必要量と所有量との関係は、両者の比較により不足、豊富(必要=所有)、過剰の三つのケースに別れる。不足の場合は欲望が大きく、不足を感じる財に大きな価値を与える。豊富の場合は、あまり欲望を感じないから、対象となる財により小さな価値しか与えない。財の価値は希少で増加し、豊富で減少する。過剰な場合は無価値になることもある。ただし、ここでの希少性は、人間はその程度を正確に把握することができないので、有用性の有無と同様、あくまで人間の判断した主観的な物である。
 さらにコンディヤックはいう。「人が想像するように、物は費用がかかるから価値を持つのではなく、価値を持つから費用がかけられるのである。」(本書, p.15)。費用は価値の原因ではなく結果であるとする。価値の費用説の否定である。
 こうしてコンディヤックは価値を有用性と希少性とで規定したのだが、希少性は財の数量と結びついているから、明示的ではないにせよ、その取扱は具体的効用の逓減の事実を含んでいる。しかしながら、「ここから一歩にして限界効用概念が出てくるのだが、その一歩は容易なことではなかった」(山川, 1968, p.272)。あるいは、コンディヤックは、「その心理的説明に於いて、ガリアニ、グラスラン及びチュルゴオ等に比して更に徹底せるものではあったが、而も限界的分析に到達する迄には未だ可成りの距離を残して居た」(高橋, 1943, p.376)ともされている。
 「第二章 諸物の価格の基礎」は効用理論の適用である。二者二財交換のケースを書いている。葡萄酒と小麦を持つ当事者は、共に余剰分を持ち、互いに相手の余剰分を必要としている。余剰分は所有者本人にとっては無価値であるが、交換対象財として見た場合、交換相手が評価するだけの価値を持つ。交換が成立するには交換対象財に対する相手の評価を知る必要がある。しかし直ちに相手の評価を知ることはできない。当然各人は、自己の最少の分量を渡して相手の最大の分量を得ようとする。何回かの相互的値付けを経て、売買契約は成立する。相手方の評価を正確に知ることができるのは、交換が成立することによってである。すべての者が大体において一定量の小麦と一定量の葡萄酒を交換することに同意する時には、葡萄酒に比較しての小麦、そして小麦に比較しての葡萄酒の、一般に承認された価値を持つに至る。この大体においてすべての者に承認された相対的価値が諸物の価格の基礎となる。
 コンディヤックには以上の二者交換という孤立交換のみでそれ以上の詳しい説明はない。チュルゴーにもあった孤立交換から多数者交換に至る価格形成の部分が脱落しているのである。価格形成理論は充分に論じられていない。「あるいはむしろ彼(コンディヤック:引用者)の場合には孤立交換における価格は不定のゆえに、価格の問題は市場価格の問題としてとり上げなければならない」(山川, 1968, p.280)といえようか。そして、なるほど「第四章 市場すなわち交換を必要とする人が行く場所」なる章はあるが、その内容は孤立交換の焼き直しにすぎないようである。
 第二章の最後の所では、価値と価格という言葉は同一ではないと記す。交換以前に、人間がある物に対し欲望を持つ時、それは価値を持つ。これに反し、ある物が価格を持つのは、ただ交換においてであると。
 「第三章 諸価格の変動」は価格変化の原因を扱う。原因の第一は欲求の大小であり、第二は需要との関係における供給量の変動である。価格は市場によって変化し、競争で決定される。絶対価格のごときものは存在しない。
 「第六章 いかに商業は富の量を増やすか」に入る。コンディヤックは効用理論により「富は価値を持つ諸物の豊富に、すなわち有用な諸物の豊富にある。なぜなら、我々がそれを必要とするからである。あるいは、結局同様に、我々の衣食住、便宜、快適さ、享楽に、要するに、我々の用途に役立つ諸物の豊富にある」(本書、p.52-53)とする。
 さきの第二章でみた孤立交換は一見等価交換のごとく思える。しかし、この等価性とは互いに、交換相手から受取る財の主観的評価が一致したことにすぎない。各人においては、自分が提供する財と相手方から受取る財を等価と評価したということではない。無用な余剰の財を提供して必要な財を入手するのだから、主観的評価では少ない価値を与えて大きな価値を得ている。コンディヤックによれば、交換は常に不等価交換である。等価交換なら価値=富の量は一定であるが、不等価交換により個人的・社会的に価値=富は増加する。また不等価交換こそが、交換と余剰生産の動機となりうる。こうして、交換を仲介する商業は価値を生みだす機能を持つ生産的な産業なのである。
 著者にあっては、農業のみが生産的であり、商業と工業は不毛のものであるとの重商主義的見解を脱しているのである。のみならず、富の蓄積の面では農業に対する工業の優位を説いている。農業によって生産される土地生産物は生産(再生産)分だけ消費つくされ、土地の富は一定である。これに対し、土地生産物を加工する工業労働は価値を創造するだけでなく、生産物(動産)のうち耐久財は消尽されずに蓄積される。富は増大するのである。
 さらにその後の章では、労働は効用(価値)形成に貢献し、富の原因であると述べている。土地があらゆる富の唯一の源泉であるとしながらも、その土地が生み出す生産物に有用性を与え、価値を生む労働も、富の源泉と認めている。「実に、もし一方では土地が生産物したがって富の源泉であることを知るなら、他方では勤勉(industrie)は生産物の量に価値を加え、それなしにはこれは価値を持たないことが解る。究極において、勤勉もまた富の源泉であることが明らかである」(本書, p.67)。増加した価値は生みだした労働の価値であり、労働の価値は労働者に支払われる賃金(les salaries)すなわち生産期間に労働者が消費する土地生産物の価値に等しいとする。そこで、より多くの労働が投下された加工品ほど、より大きな価値を持つ。ここにコンディヤックの生産費用学説あるいは労働価値説的な面を見ることも可能だが、先に示したように価値の内在性を否定し、費用が価値を決定するのではなく、価値が費用を決定すると考えるのが彼の立場であったことを想起しなければならない。
 交換とは不等価な価値のやり取りであるが、これを等価のものごとく見せているのは、価値の共通尺度としての貨幣の使用である。貨幣表示量が同一であれば人は等価を交換していると考える。「第十六章 貨幣の流通」では、カンティロンを援用しながら(本書、p.145注)、商業の背後にある貨幣流通を論じ、一国の貨幣数量の価値見積もりを行う。商業によって要求される貨幣は産物の過半を消費する都市の消費量に依存するとする。著者はまた、信用と貨幣の流通速度についても言及している。
 都市・農村間の取引、相互依存の経済過程が機能するためには貨幣が自由に流通することが重要であるが、さらにコンディヤックは労働の自由を強調した。政府は特定の産業を優遇せず、個人の職業選択の自由に任せるべきである。必要なだけの労働者がその職業に就き、自己にふさわしい職業に就いた労働者は、より大きな富をもたらす。
 内にあっては貨幣流通の自由、労働の自由、さらに進んで独占や規制を排した商業の自由、外にあっては自由貿易こそが、経済の循環を保証し、豊かな社会を招来するのである。
 この商業の自由の下で成立する価格が彼の云う「真実価格(le vrai prix)」である。売手はまた買手でもあるのだから、独占的価格は取引を阻害する。売買の競争が自由に実施される時に、社会の成員は利害の一致を見る。とりわけ穀物の場合、取引規制は収穫変動による価格の騰落を激化し農業生産を破壊する。取引自由化による安定的恒久的な真実価格の成立は、生産そして労働を安定化する。
 コンディヤックは人の自然的要求を満たす物を一次的必要品(自然の富)、人為的要求を満たす財を二次的財(動産の富)と呼んでいる(第九章)。人類は一次的必要品に限られた「粗野な生活」から二次的必要品の生産により「質朴な生活」に移行したが、今や過度の生産により「軟弱な生活」に堕落した。虚栄心の生む奢侈財の消費と少数者によるその占有。これもまた、富の不平等な配分によるものである。自由競争の導入によって、富の平等化は実現可能と見ていた。奢侈を排し、富と徳の一致する「質朴な生活」への回帰を希求。自由経済体制と中庸な欲求の結合こそ、経済発展に最善であると考えたようである。
 本書第二部は商業の自由の主張の下に、商業への障害となるものとその有害な結果を順次検討している。全部ではないが、標題のみをあげる。「第四章 商業に対する攻撃―戦役」、「第五章 同(以下略)―税関、通行税」、「第六章 ―業務に関する課税」、「第七章 ―特権的排他的会社」、「第八章 ―消費税」、「第九章 ―貨幣の改変」、「第十二章 ―穀物貿易に対する取締」、「第十三章 ―穀物国内流通に対する取締」、「第十四章 ―独占業者の操作」、「第十五章 ―政府が商業の自由を奪った時の穀物流通に対する障害」等々。

 著者は、先に述べたように価値論において先行フランス経済学者から影響を受けた。他にも、多くのヒントをカンティロンから得ているとされる。なにより本書には、カンティロンの『商業試論』とは章別の構成に相通じるものがある(山田, 1968, p.286)。それでも、『信用の理論』1889の著者マクロードはその著書(Macleod, 1872, sectionⅢ)で、コンデヤックを第三学派(主観価値論学派)の創設者として、第一学派(重農学派)の創設者ケネー及び第二学派(古典派)創設者スミスと同列に置いた。そして、別の本(The History of Economics 1896)では、本書を「顕著な著作にかかわらず全く無視された…しかし科学精神においてスミスに無限に優越する」と評価したと書かれている。しかし、これは、偏頗なアマチア経済学者による過褒というものであろう。手元の本邦経済事典類には、著者は名前もあげられていない。

 フランスの古書店より購入。出版年は同じであるが、私蔵本の標題紙は、高橋の本に掲載された標題紙写真と比べると、カットの図柄が異なる。著者の『人間認識起源論』でも複数の「初版本」標題紙があるとその岩波文庫「解説」に書かれているから、本書も同様の例であろうか。保存状態はよいが、表紙がはずれている。目次部分に乱丁あり。

(注1)このマブリ家を次兄のガブリエル・マブリ家とし、ルソーはこの思想家の家で家庭教師をしたと書いたものもあるが、長兄と次兄を混同した誤りであろう。長兄は、ジャン・ボノ・ド・マブリ(1686-1761)で、当時リオン憲兵隊管区長官であった。(ルソー「ご子息の教育に関するド・マブリ氏への覚書」:白水社『ルソー全集 第七巻』1982を参照)
(注2)ガリアニはイタリア人であるが、ナポリ大使館書記としてパリに駐在しており、知識人との交流があった。チュルゴーを通してのガリアニの間接的影響もある(ただし、山川はコンディヤックに対するチュルゴーの影響を否定する)。


(参考文献)
  1. 古茂田宏 「解説」(コンディヤック 『人間認識起源論(下)』 岩波文庫、1994年 所収)
  2. 高橋誠一郎 『古版西洋経済書解題』 慶応出版社、1943年
  3. 山川義雄 『近世フランス経済学の形成』 世界書院、1968年
  4. 山口裕之 『コンディヤックの思想』 勁草書房、2002年
  5. 米田昇平 「コンディヤック『商業と統治』(1776年)について」(柏崎利之輔先生退職記念論文集編集委員会編 『経済学の諸相』 学文社、1998年 所収)
  6. 米田昇平 『欲求と秩序』 昭和堂、2005年
  7. Groenewegen, P. “Condillac, Etienne Bonnot de, I’Abbé de Mureau (17214-1780) in The New Palgrave Dictionary of Economics, Macmillan, 1998
  8. Macleod, H. D. The principles of economic philosophy vol.1, longmans, green, reader & dyer, 1872

 
 
 
 (標題紙)


(H23.4.9記.)


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