CHILD, JOSIAH
, A New Discourse of Trade, Wherein is Recomended several weighty points relating to Companies of Merchants. The Act of Navigation. Naturalization of Strangers. And our Woollen Manufactures. The Ballance of Trade. And the Nature of Plantations, and their Consequences in Relation to the Kingdom, are seriously Discussed. And some Proposals for erecting a Court of Merchants for determining Controversies, relating to Maritime Affairs, and for a Law of Transferrance of Bills of Debts, are humbly Offered , London, Printed and Sold by John Everingham, 1693,: [54], 37, [1], 208, 205-234, [2]p.:, 8vo. 154x92mm

 チャイルド『新交易論』初版。
 著者(1630-1699)はロンドンで生まれ、軍港ポーツマスで商人としての徒弟修業を積んだ。海軍に資材を供給して富を築き、ポーツマスの市長となる。その後も海軍との取引を拡大し、下院議員を経て、東インド会社の理事・総裁まで登り詰める。イギリス一の大金持ち「無冠の帝王」とまでいわれたが、利益の源泉は東インド会社の株価操作によるもののようだ。不利な噂を流し底値で株を買い占め、高値で売る。情報を握っているため、操作は簡単だったろう。ナポレオン戦争の時のロスチャイルドを思い出させる(そういえばどちらもチャイルドである)。政商というべきか。

 幸い邦訳があり、頁数も少ないので、解説書に頼らず内容を摘記してみる。まず、本書の章建てをみるに、「序言」と「第一章」の間に置かれた「最初に 交易等にかんする一論」はもともとパンフレット「交易および金利小孝」であり、「第一章『利子誤論』と題する論文への簡単な回答」および最後(第十章の後)に付せられた「反高利小論」と併せて、直接的に反高利について書かれた章である。しかし、その他の諸章にもすべて通底音として流れており、たえず言及されているのは、反高利についてのことである。それは、本文のサブタイトル?「交易および貨幣の利子を考察する」が「第一章」の前に掲げられていることからも見て取れる。
 ちなみに、第二章から第十章の題名を列挙すると、貧民の救済および雇用、商人会社、海運法、債務の譲渡、商人裁判所、帰化、羊毛および羊毛製品、貿易差額、植民地となっている。だいたい論じられている内容が判っていただけると思う。
 著者いわく、「富と力の双方または一方に到達する唯一の方法は交易を改善し増加することである。」(p.38)しかし、イングランドにとっては、可能な改善の五分の一にも達していない。当時の敵国オランダとの競争に勝つために、なによりも法律によって利子をオランダ並の四パーセントに引き下げることを主張する。貨幣の利子をきわめて低率にすることによってオランダが受けとった利潤は、オランダ国民の富の他のすべての原因のなかでも真の原因であるとする。「ある国が富裕であるか貧困であるか、あるいはどの程度にそうかをしるには、つぎの設問、すなわちかれらがどれほどの利子を貨幣にたいして支払っているかという問以外には回答を要する問がないほどにもそうなのである。」(邦訳p.51、下線部分は邦訳では傍点。以下同じ。)
 著者が高利の弊害として挙げているのは、第一に商人を商業から手を引かさせ高利貸しにすること(「われわれは一般にすべての商人がなにほどかのおおきな富を手にいれれば、徴利 usuryの利益がきわめて容易、確実、かつ大であるために、交易をすてて徴利をはじめるのをしっている。」(同p.263))。第二に将来性のある事業の採算を悪化させ、今でいうベンチャー企業の実現を阻むこと、第三に高利は土地を低価格にし、その改良努力を低下させることである。
 その他重要な章は、「第九章 貿易の差額について」であると思う。「わたしが例証しなければならない‥ことは、この準則が、特定的・個別的交易について(だけ考察するとき)は、あざむきやすく、まちがっているということである。」(同p.203)として、東インド会社が輸出よりもはるかに多くの商品を輸入し、年々多量の金銀を流失することについて、多少とも交易を理解している者なら、イングランドがその交易によって損失しているとは主張しないであろうとする。取引差額主義を排し、貿易差額主義を主張しているのである。
 ただし、貿易差額は重要な研究課題ではあるけれども、当時の統計技術では限界があり、差額数字自体の把握方法を研究するより、差額を増やす方法を研究するのが生産的であるとしている。

 重商主義たる用語は、重商主義政策あるいは経済的実態という経済史的なものと、それによって生み出された重商主義的経済思想との重層的な概念として使用されている。その範囲については、諸家に議論があるが、一応15世紀後半から18世紀中葉の約300年間として、その発展段階を区分する試みは内外の学者により種々試みられている。ここでは、(私にとって分かり易い)白杉(堀江英一説もほぼ同様)の3段階説によることとする。(1)重金政策ブリオニズム(取引差額主義に等しいか)(2)貿易差額主義(3)産業保護政策の段階である。
 この区分によれば、本書は(2)から(3)の段階であろうか。上記のごとく、東インド会社を例にあげて、貿易差額主義を主張しているし、「われわれの対外交易によって国民的利潤においてわれわれの隣国人に均衡し、あるいはかれらを超過するほどにイングランドの交易を増大するためには、なにがイングランドでなされなくてはならないか。…それを解決するには国事と交易上のことがらとの双方についての最大の技能と経験とを必要とする。そこでわたしはそのためのささやかなこころみをしたのであり、前出の論考全体がそれである。」(p.213)とあるように、各章に記された論策は貿易差額を増大のためのものだからだ。

 この本の書誌学的な事項については、邦訳の杉山忠平の解説(注)詳しいので、主にそれに従って書いてみる。チャイルドにより最初に『交易および金利小考』Brief Observations concerning Trade, and Interest of Money, 1668が出版された。このBrief Observationsを「最初に 交易等にかんする一論」として、これに序言を付け、後ろに全10章と(おそらく)「反高利小論」をつけ加えて、『交易論』A Discourse of Trade,1690として公刊した。その3年後『交易論』とまったく同内容で改題出版したのが本書『新交易論』A New discourse of Trade, 1693である。ページ割までが同じで、違うのはそれまでの著者匿名がチャイルド著となっていることと、標題紙前(と思われる)の出版社から読者へと書かれたページがなくなっていることだけである。
 経済学史の年表には、重商主義の代表的著作として、1693年発行の本書が記載されていることが多いが、上記本書の成立から見れば、『交易論』の再版というべきか。根井雅弘編『経済学88物語』の年表では、代わりに『交易および金利小考』を挙げている。一つの見識か。

 米国の書店から購入。発行年の割には保存状態はよい。本文最後の約10ページに虫食いの跡があるが、丁寧に補修されている。
 
(注)杉山は従前の経済学史の著書は、これら諸書の関係を誤解していたとして、その関係を明らかにしている。しかし、杉山の解説も記述が錯綜していて、もうひとつ明確でない。また、『公益および金利小考』から『交易論』の増訂に関して、「反高利小論」の扱いについても触れられていない。少し古いが、チャイルドについて書かれた数少ない邦語文献である白杉の著書は、諸書の関係の記述が明解であるが、『交易および金利小考』と『交易論』の間に『交易および金利考』Trade and Interest of Money considered, etc.があったとしている。しかし、この本のみ刊行年の記述が抜けている。
 なお、『公益および金利小考』については、ネットで原文が見られたが、『交易論』の原文は確認しないまま本文を書いた。
 また、書物の邦題は、参考書によって異なっているので統一した。そのため、参照文の原文表記ままではない。

 (参考文献)
  1. 相見志郎 『イギリス重商主義経済理論序説』ミネルヴァ書房 1960
  2. 浅田實『東インド会社』講談社現代新書 1989年
  3. ジョサイア・チャイルド 杉山忠平訳『新交易論』東京大学出版会 1967年
  4. 白杉庄一郎『経済学史概説』ミネルヴァ書房1968年重版[白杉庄一郎「重商主義」(出口勇蔵編『三訂増補 経済学史』ミネルヴァ書房 1958年 所収)にほぼ同じ]





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(H20.12.6記)



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