BORDA, Jean Chales de , ”Mémoire sur les élections au scrutin”, pp.657-664. in Histoire de l'Académie Royale des Sciences., Année M. DCCLXXXI., Avec les Mémoires de Mathématique & de Physique, pour la même Année, Tirés des registres de cette Académie., Paris, De L'Imprimerie Royale., 1784, 4to.

 ボルダ「選挙投票についての覚書」(『科学アカデミー論文集 1781年版』所収)1784年刊、初版。ちなみに刊行年は、標題紙によった(注1)。
 著者略歴:ジャン・シャルル・ド・ボルダBorda, Jean Chales de(1733-1799)。フランスの数学者、物理学者、海軍軍人。バスク地方の温泉町ダックスに生まれる。父ジャン=アントワーヌ、母マリー=テレーズの16子の6男。両親とも代々の軍人の家系。バスク人の血を引いているのかとも想像するが、今のところ調べる手立てがない。同名のバスク系ウルグアイ大統領がいたこと、及びバスク人は航海者を多く出したことが、か細い推察のよすがである。当代の指導的数学者とも交際のあった従弟のジャックから、数学及び科学の手ほどきを受ける。7歳にしてダックスのバルナバ・コレージュ( Collège des Barnabites )で古典語を学ぶ。11歳の時ジャックの勧めで、数学・科学を学ぶため、ラ・フレッシュのイエスズ会コレージュ(工兵・官吏の養成課程を持つ)に入学する。15歳(1748)の卒業時に、イエスズ会員になることを強く勧められたが、彼には宗教心は薄く、工兵隊に入隊し軍隊付きの数学者となる。後に軽騎兵隊に配属される。
 1756年「弾道についての覚書」をパリ科学アカデミーに提出し、アカデミー会員に選ばれる。57年「七年戦争」で、将軍副官の経験から海軍に興味を抱く。58年メジエール工兵学校( École du génie de Mézières )に入学、2年過程を1年で終了、以後海軍技師として経歴を重ねる。67年流体力学を応用して弾丸の形状や発射速度と空気抵抗の関係を明らかにした。65-75年に従軍中、航海の傍らアゾレス・カナリア諸島の海図を作成する。この間、71年フリゲート艦ラ・フロールに搭乗し、新型クロノメーターのテストと経度測定方式改良の研究に従事する。1775年に勃発したアメリカ独立戦争は、二大植民地帝国の利害から英仏の交戦を将来した。両国は大西洋の制海権を求めて海上でも戦う。ボルダも数艦の指揮官として何回か出撃することになった。82年ドミニカ沖の戦いで英軍の捕虜となる。後、解放され帰国するも、以後健康は衰える。
 彼は流体力学の応用研究の他、測量に関連して、三角法図表を整備したし、六分儀のような天測機器であるボルダの反射円儀( reflecting circle あるいは repeating circle とも )と云われるものを発明している。彼の仕事で我々に最も関係深いのはメートル法の制定であろう。フランス革命後の理性の時代に国際的度量衡の統一を目指したタレーランの提案を受けて、ボルダは「度量衡委員会」の委員長に就いた。コンドルセ、ラボアジェ、ラプラス等が、メンバーであった。国際的に支持された1秒を刻む振り子の長さを単位とする案を排し、委員会は子午線の4千万分の1を長さの単位として採用する(1791)。実際の子午線の長さ測定には彼の発明したrepeating circle (邦訳不明)が活躍したという。ちなみに、キログラムという重さの単位も、1立方デシメートル(10cm)の水の重さを単位とするメートル法の産物である。
 その他に、なお現在まで彼の名を残して実用に供されているのは、重力加速度を求める実験に使われる「ボルダの振り子」と本論文で提唱された選挙の「ボルダ方式」であろう。多能な才人であるとともに、官吏としても有能であった。1799年パリで死去。

 以下、「ボルダ方式」の説明は、コンドルセ『多数決論』の続編のつもりである。そこで述べたことは、重ねて説明せず、詳細を省いていることがある。適宜『多数決論』を参照して下さい。
 当論文の執筆経緯については、コンドルセ『多数決論』(『試論』)で書いたところをそのまま引き写す。

 コンドルセは、『試論』を1784年7月に科学アカデミーで読み上げている。その直後同月にボルダ(Borda:1733-1799)も、「選挙投票についての覚書」("Mémoire sur les élections au scrutiny")を発表する。パラドックスに言及した(注2)いわゆる「ボルダ方式」を提唱した論文である。この論文は、コンドルセの解説を付して1781年度版論文集(Histoire de l'Académie Royale des Sciences,1781 )に収録された。1781年度版とはいっても、出版は1785年である。発表論文が活字になるのは、通例3年を要するのが普通だったそうである。ボルダの論文は、緊急度が高いと判断されて、当該年度でない版に繰り上げて掲載されたのである。まことにややこしい。ボルダは該論文で、その主旨は既に同アカデミーにおいて1770年(15年前)に発表していると明記している(注3)。出版が急がれたのは、ボルダがプライオリティを主張したためというのが判り易い。
 
 選挙の「ボルダ方式」とは、何か。民意を正しく反映するために、ボルダの提案した選挙方式である。というのは、選挙方法としての多数決原理は、候補者が3人以上の場合十分機能しないように思えるからである。多数候補者の中から2人を選んで決選投票(ペア比較方式)をすると、この方法で最下位の者が多数決では首位に立つことがあるので不都合である。とはいえ、ペア比較方式も、実践上の困難を抱えており、望ましくない。
 各候補者の優劣を決定するために、単純な多数決方式は各投票者が、どの候補者が一番好ましいか、すなわち選好の第1順位に誰を置くか、のみが重要である。その候補者の名前のみを投票用紙に記入する。ボルダは、2順位以下の候補者の順位付けも重要だと考える。各投票者は、候補者を好ましい順に記入して投票することになる。次の例では、3候補者の順位を投票用紙に記入する。
 21人の投票者の投票結果である、A、B、C、3候補者に対する選好順位表を(表1)として、掲げる。ボルダ自身の作成した例を、まとめたものである。A > B > C ( A を B より選好し、B を C より選好する)と投票した者が1人いる等を表している。3候補者の場合、6通りの組合せが考えられるが、この例では、B > A > C および C > A > B に投票した者は、0人である。

 

1

7人

7人

6人

第1順位

A

A

B

C

第2順位

B

C

C

B

第3順位

C

B

A

A

    (表1)
 そこで、(表1)を、各候補者別に、各順位での得票数を表すように組み替える。(表2)である。A 候補者を、第1順位とする投票者は8人、第2順位とする投票者は0人、第3順位とする投票者は13人である等々である。

A

B

C

第1順位

8

7

6

第2順位

0

7

14

第3順位

13

7

1

   (表2)
 ボルダの方式は、投票結果を評価するために、次のように点数を算出する。各候補者の第1順位での得票数(V1)には、1票につき3ポイント与える。第2順位での得票数(V2)には、1票につき2ポイントを与える。そして、第3順位での得票数(V3)には、1票につき1ポイントを与える。そして、各候補者毎にそのポイントの合計(P)を求める。すなわち、
  P = 3×V1 + 2×V2 + V3  である。
 添字で候補者を区別すると、上例では、PA = 37、 PB = 42、 PC = 47 となる。C > B>Aであり、最大得点を得たC が当選者となる。
 ボルダ方式には、第1順位に2ポイント、第2順位に1ポイント、第3順位を0ポイントとするものもある。
  P' = 2×V1 + V2  である。
 P で計算しても、P' で計算しても、候補者の点数順位は変わらない。事実この P' の計算式でボルダ得点を求めている本もある。両者の順位が一致することの証明は、下記「ボルダ覚書の内容」に示してある。
  一般に n 人の候補者がいる場合、第1順位得票数の乗数に n 、第2順位の得票数の乗数に n-1 、…最下位での得票数の乗数に1を用いて、それらの積を求め、積の合計がボルダ得点となる(P計算方式)。
 ボルダ方式は、投票者の投票順序に異なる評価を与え、その評価を定差とした得点方法の形式をとる。しかし、その基本的思想は、特定の選択肢(候補者)が他の選択肢に対して選好される順序対の数を数え上げるという考え方にあるようである(下記(ボルダの覚書の内容)の「第二の選挙方式」のところを参照ください)。ボルダ方式に対するコンドルセの批判は、1.選択肢集合の変化から独立でないこと、2.無関係対象の変化から独立でないこと、および、3.戦略的操作の可能性をもつことであった。
 ざっと説明すると、1.は、選択肢の数に増減があると、順位が変わることである。例えば、第1位の候補者が辞退した場合、選好順位をそのままに第1順位者を除いて、再選挙を行うと第2順位者が当選しないこと等である。2.は、A と B との2候補者に関して、A 、B 間の各投票者の選好順位を不変として、その他の候補者の順位を変える。例えば、甲投票者の選考順序A > x > y > B が、A > y > x > Bに変わり、乙投票者の選考順序も、A > B > y > x が、A > B > x > y に変わる…等のとき、A、B の順位も変わる場合があることである。最後に 3.は、A > B > x > y の選好を持つ投票者が、現状のままでは、支持するA ではなく、B の当選が見込まれるとき、自己の選好を偽って、A > x > y > B と投票することで、全体の投票結果に影響を与えることである。しかし、これらボルタ方式に対する批判は、コンドルセの方に無理があるというのが大かたの見方である。

 さて、投票者(民意と読み替えてよい)の総意を集約する方法としては、ここに取り上げたボルダ方式、単純な多数決、ペア比較方式の他にも、様々な方法が考えられている。本来は、各方式の概要をあげ、それらの特長・優劣にふれるべきかもしれない。しかし、調べは行き届いていないし、書き出すと長くなるので、省略させていただく。にもかかわらず、それらの諸方法の中でも、ボルダ方式は、総合的に判断して民意を反映するに、最も性能のよい方式であることは、確かなようである(坂井、2013と2015、及び佐伯1980による)。はなはだ、中途半端のようであるが、この結論部分を借用して本項を終わらせていただく。

 次に、ボルダ「選挙投票についての覚書」そのものについて、その内容をほぼ原文に忠実に、原文をなぞって紹介する。紹介といいながら、自分が知りたいがためにまとめただけである。私は、フランス語は解らないので、グーグルの翻訳サイトで英訳しながら、論理の筋を追って、理解した。大胆といえば大胆で、多々、誤解はあろう。原文は、ウェブ上でも見られるが、なぜか私蔵本とページ割りが一致しない。ページ表示は、私蔵本による。

 (ボルダの覚書の内容)
 「広く知られてはいるが、議論されたとは仄聞しない世論がある、それは、投票において多数決は常に投票者の意志を示すというものである。すなわち、投票者は、必ず多数を得た候補者を対立候補より好んでいるとするものである。しかしながら、この世論は、2候補者の場合は正しいが、他のすべての事例では誤謬に導くことがあるのを明らかにしたい」(『パリ科学アカデミー論文集 1781』、p.657:以下同論文集からの引用は、頁のみ表示)との文からこの論文は始まる。
 そして、A、B、C、という3候補者の選挙の場合、単純な多数決では、ペア比較では最低順位の者が当選することがあることを示す。「それは、互いに競い合い消耗した二選手が、彼らより劣った第三の選手に打ち負かされるのに、比べられるかもしれない」(p.658)。[ このケースの具体例が上げられているが、実質的には下記に出でてくる例と同じなので、詳細はここでは省略する ] 伝統的な選挙方式は、全然不完全なものである。それは、3人以上の候補者がいる場合、各投票者が第1位とする候補者を選抜するだけで、その他の候補者の順位付けに関しては、なんの情報もない。これは、決して瑣末な事ではない。「もし正当化できる選挙方法があるとすれば、投票者が、各候補者の真価を相互に比較して、順番に順位づけできるものでなければならない」(p.658-659)。
 それが出来る二つの選挙方法がある。第一が、各投票者が候補者を真価に従って順位づけするものである。ボルダ自身は、これを「真価順序による選挙」( élection par ordre de mérite )と呼ぶ。いわゆる「ボルダ方式」である。第二がペア比較選挙、候補者から二者を取り出し、互いに組合せた二者のどちらかに投票し、比較する方式である。第二方式は、第一方式から容易に導出できる。
 まず、第一の方法を取り上げる。3候補者に対する、投票者甲・乙・丙・丁…各人の順序付けが下記のとおりとする。

第1順位

A

A

B

C

第2順位

B

C

A

B

第3順位

C

B

C

A

  (表3)
 甲の例でいえば、A > B ( A を B より選好する)の度合いは、B > C の度合いに等しいとみなす。乙についても、同じく、A > C の度合いは、 C > B の度合いに等しいとする。第1順位を第2順位より選好する度合いが、第2順位を第3順位より選好する度合いより重視する理由はない。そして、すべての投票者は平等とされるので、各投票者の順位評価は等しいとする。そうすると、各投票者の最低順位(この場合第3順位)の真価をa とし、順位間の真価の差をb とするなら、各投票者の第2順位の真価をa +b ,第1順位のそれはa +2b で表せる。
 4候補者の場合は、同じように、投票者の与える真価は、第4順位から第1順位まで、順に a a +ba + 2ba + 3b となる。5候補者以上の場合も、同様に真価を求められる。ということは、どのような投票でも、異なった候補者に投じられた価値比較をするのは簡単であるということである。各候補者の最下位順位での得票数に a を乗じ、下から2番目順位の得票数に a +b を乗じ…等々の積を求め、これらの積の合計が投票の総価値を示す。
 ここで、ボルダは、ab は、任意の数を選んでよいから、a = 1、b = 1 として、最下位順位の得票数に対する乗数を1、下から2番目順位の得票数に対する乗数を2、下から3番目順位の得票数に対する乗数を3…とする。
 ここで、各候補者の総価値を求めるため、3候補者の具体例をボルダは上げている。それは上掲(表3)を拡大したものである。ここでは解りやすいように、投票された組合せ毎の人数を(表1:前出)の形式でまとめてみた。上記(表2)を参照すると、さらに判り易いであろう。

1

7人

7人

6人

第1順位

A

A

B

C

第2順位

B

C

C

B

第3順位

C

B

A

A

  (表1)
 全投票者は、21人である。各候補者について、第1順位投票者数を3倍し、第2順位投票者数を2倍し、第3順位投票者数を1倍し、その総計を求めると、
   A への投票・・・8(第1順位)×3 +  0(第2順位)×2 + 13(第3順位)×1= 37
   B への投票・・・7(第1順位)×3 +  7(第2順位)×2 +  7(第3順位)×1=42
   C への投票・・・6(第1順位)×3 + 14(第2順位)×2 +  1(第3順位)×1=47
 この方式によれば、投票による順位は、得点順に、第1順位 C、第2順位 B、第3順位 A となる。
 ちなみに、単純な多数決で集計すると、第1順位投票のみが有効であるから、A(8票)> B (7票) > C (6票) で、A が当選となる。この例でも、「ボルダ方式」最下位の A が単純な多数決では首位となり、「ボルダ方式」首位の C が単純な多数決では最下位となったわけである。

 次に、第二の選挙方式に入る。ここでも、A 、B、 C、の3人の候補者がいるとして、二人対決の組合せは3とおりである。投票結果は下のようであったとする。

  1回目選挙、 A 対 B ・・・ A に対して a 票 : B に対して b
  2回目選挙、 A 対 C ・・・ A に対して a’ 票 : C に対して
  3回目選挙、 B 対 C ・・・ B に対して b’ 票 : C に対して c'

 これらから、各候補者に対する投票の相対的な価値が見つけられる。これら選挙結果は、「ボルダ方式」の帰結であると推定される。各投票者が候補者の順位付けが判っていることが、特定の二者に対する投票数を決めることを可能とするからである。
 いま、y を A 候補者の「ボルダ方式」の第1位投票者数とし、x を第2順位の投票者数とし、z を第3順位の投票者数とする [ x y z の順となっていないが、原文とおり ] 。その場合、「ボルダ方式」での A 候補者に対する投票価値は、3y + 2x +z で表される。投票者総数 E は、y + x + z に等しい [ 全員は、A を1位か、2位か、3位のいずれかで評価する ] から、投票価値は 2y + x + E とも書ける。あるいは、E は各候補者に共通しているから、投票価値を比較する場合は、単純に 2y + x としてよい。
 
  [ 以下の説明はボルダ論文では、簡略に過ぎてよく理解できないので、自分流に改めた ]
 さて、この第二方式、すなわちペア比較法は、各投票者の二候補者間に対する選好(優劣)を集計したものである。
 上記第1回目選挙でAに投票した a 人は、A > B とする人の合計である。その内訳は、A を第1順位とする、① A > B > C と ② A > C > B、および A を第2順位とする③ C > A > B とするグループの人たちである。
 そして、第2回目選挙でAに投票した a’ 人は、A > C とする人の合計である。その内訳は、A を第1順位とする、④ A > C > B と ⑤ A > B > C、および A を第2順位とする⑥ B > A > C とするグループの人たちである。
 そうすると、マル数字を、上記区分の人数を表すものとすれば、
   a +a' = ① + ② + ③ + ④ + ⑤ + ⑥ となるが、
 ここで、① + ② = ④ + ⑤ = y および、③ + ⑥ = x  から、
   a + a' = 2y + x となる。
 ペア比較選挙方式の得票合計が、「ボルダ方式」の得点(価値)と結びつくのである。これが、先にボルダが「第二方式は、第一方式から容易に導出できる」としたところであろう。以上のことは、候補者数が4以上の場合も応用できる。

 実例で見てみる。(表2)にもとづいて、 aa' bb'cc' の値をあてると、
   a = 8、b = 13、c = 13 ; a' = 8、b' = 8 [ 原文13は誤りと思うので、訂正。以下同様 ] 、c' = 13
 そうすると、
  A に対する投票は、a + a'  = 16
  B に対する投票は、b + b ' = 21 [原文12]
  C に対する投票は、c + c ' = 26
 となる。A、B、C に対する得票差は、第一方式、「ボルダ方式」得点差と同一である [ 各候補者5の差 ] 。
 しかし、ボルダいわく、「こうして、選挙の第二方式は、候補者の数が多い時には、実施には厄介であることを知った、なぜなら、その時には、選挙の数が非常に膨大になるだろうからである。これによれば、ずっと能率的な真価順選挙方式 [ ボルダ方式: 記者 ] を選ぶべきである」と(p.663)。
 最後に、多数決の問題点を検討する。多数決が、民意を必ずしも反映しないことが明らかになったが、依然それが使用されているのである。単純多数決で、m [ 原文M ] を候補者の数、E を投票者の数、A を多数を得た候補者、B を次点の候補者とし、y を A の得票、 z を B の得票とする。
 この場合、すべての候補者に対する「ボルダ方式」選挙を実施したと仮定する。A を第1順位とする投票者数が y 、B を第1順位とする投票者数は z であることは、明らかである。いま、A について最も不利な状況を考える、それは A を第1順位としなかった投票者はすべて A を最下位とし、B を第1順位としなかった投票者は B をすべて第2順位とすることである。そうすれば、第1順位の価値は m 、第2順位は m - 1、 … 最下位は1であるから、A の得点(総価値)は、my + E - y であり、B の得点は、mz + (m - 1)(E - z )である。選挙結果が A の勝利となるためには、
   my + E - y > mz + (m - 1)( E - z )  [ 原文 my + E –y > (mz - 1)( E - z ) ]
 すなわち、
   y > [ z + (m - 2 ) E ] / ( m - 1)     (式1)  
 が必要である。
 ここで、m = 2 とすると、(式1)は、y > z となる。すなわち、候補者が2名の場合、そしてこの場合に限り、単純多数決の勝者は、そのまま「ボルダ方式」の勝者となるのである。
 次に、m 人の候補者がありながら、候補者 B が、候補者 A 以外のすべての票を集めたと仮定する [ 記者いう、A にとって最も不利の状態という意味であろう ] 。その時は、z = E - y である。(式1)は、
   y > E (m - 1) / m   (式2)
 となる。
 この場合で、m = 3 であると、(式2)は、さらに、y > (2/3) E となる。すなわち、候補者が3人で、ある候補者が「ボルダ勝者」となるためには、全体の 2/3 以上の票を取る必要がある。
 そして、同様に4候補者の場合は、y が 3/4 以上である必要がある等々。
 最後に、候補者数が投票者数と同数か、それ以上の場合、(式1) [ 正確には、原文は不等号が等号になっている:記者 ] は、y > E - 1 となり、「すなわち、そうすれば選挙 [ ボルダ方式:記者 ] は、全員一致によってのみ厳正に決定される。かなり奇妙な結果であるが、それは北国の王選定の制度を正当化するものである」(p.665)。
[ 記者注:ここの箇所は、私には、もう一つ理解しにくいが、(式1)の変形である(式2)において、m = E とすれば、y > E – 1 は、求められる。坂井、2013年、p.12にも、他の証明あり。なお、ここで「北国」はポーランドのことらしい]
   (以上)

 フランス、リオンの古書店からの購入。先月、コンドルセ『多数決論』のページを書いているときに、以前から気になっていたボルダの「覚書」はないかと、ウェブ上を探してみた。たまたま、掲載されているはずの『フランス科学アカデミー論文集 1781年版』を見付けたので、掲載ページを示して、ボルダ「覚書」が掲載されているかを、問い合わせた。返事はすぐ来たが、答えはノーである。しかしながら、再度調べてみたが、この版に載っているに相違ないと思われた。恐れながら、再確認をして下さいとメールしたら、自分の間違いで、確かに掲載されているとの返事である。
 目的のボルダ「覚書」は、7頁分、コンドルセの注釈が4頁分で、併せても、わずかに11頁分である。しかし、値段もそれほど高いものでもないし、書肆の手を煩わしたこともあって、購入することにした。購入本の目次をみると、主としてラボアジェの「覚書」部分に鉛筆でマークがされ、旧蔵者はボルダには、関心を持っていなかったようだ。
 
(注1) コンドルセ『多数決論』では、本論文の刊行年を1785年と書いた。隠岐さや香 『科学アカデミーと「有用な科学」』の記述に従ったためである、そこでは、1781年版『論文集』は、「1785年1月出版」(p.287)とされている。私にはよくわからない。従って、出版経緯に関する記述で、『多数決論』を写した所は、そのままにしておいた。
(注2) いわゆる、勝者決定に「循環」を生じる「コンドルセのパラドックス」については、本「覚書」では、直接触れられてはいない。多数決での勝者と、ペア比較法の勝者が異なるという意味での「パラドックス」(?)は書かれている。
(注3) 「この論文のアイデアは、14年前、1770年6月にアカデミーにおいて提示された。同1781年」と最初のページの脚注にかかれていることが、確認できた。


(参考文献)
  1. 隠岐さや香 『科学アカデミーと「有用な科学」』 名古屋大学出版会、2011年
  2. 佐伯胖 『「きめ方」の論理』 東京大学出版会、1980年
  3. 坂井豊貴 『社会的選択理論への招待』 日本評論社、2013年
  4. 坂井豊貴 『多数決を疑う』 岩波書店、2015年
  5. O'Connor, J. J. & Robertson, E. F., “Jean Chales de Borda" in Mactutor History of Mathematics Archive (http://www-groups.dcs.st-and.ac.uk/~history/)




『科学アカデミー論文集』標題紙


「覚書」最初の頁


(2016/7/7記)



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