SWEEZY, M. PAUL,
The Theory of Capitalist Development, Principles of Marxian Political Economy, New York, Oxford University Press, 1942, pp.ix+398, 8vo.

 スウィージ『資本主義発展の理論』1942年刊、初版。
 著者略歴:ポール・スウィージー Paul M. Sweezy(1910-2004)。ファースト・ナショナル銀行の副頭取の息子としてニューヨークに生まれる。3人兄弟の末子。同じく経済学者となった次兄アランを追ってハーバート大学で経済学を学ぶ。学業を中断し(学部生としての履修は終了していた。正式には32年優等で卒業)、1932年渡英し1年間LSEで学ぶ。前年父親を亡くしたが、大恐慌によって痛手を受けたとはいえ、家産はなお安楽な生活を過ごすに充分であった。恐慌の深化とヒトラーの台頭という世界史的事件の時代であった。博士論文となる『イギリス石炭産業における独占と競争―1550~1850年』(出版は1938)を書き上げる。当初はハイエクの下で学ぶつもりだったが、ラスキやジョーン・ロビンソンに親しみ、次第にマルクシズムに引かれるようになった。
 1933年ハーバート大学に戻ると、シュンペーターの教授着任により、学問風土が劇的に変化していた。マルクスが議論の対象となっていたのである。シュンペーターは小人数のセミナールを持った。そこには、オスカー・ランゲやレオンチィエフ、サムエルソン(そして都留重人を加えるべきであろう)がいたのである。スウィージーは、シュンペーターの助手となった。大恐慌の現実を目にして、伝統的経済学に飽き足らない若い研究者はマルキストとなった。彼らは、「30年代のマルキスト」と呼ばれる。『一般理論』(1936)の出版により、ケインズ経済学が移入されると、彼らは熱狂的に転向していく。その中で、スウィージーはマルクシズムの孤塁を守った。
 1938年ハーバートの専任講師(instructor)となり、教員組合を組織すると共に、経済原理、企業論の他、社会主義経済学の講義を受け持った。本書『資本主義発展の理論:マルクス経済学の原理』(1942)は、この講義から生まれたものである。1939年ニュー・デールの機関である全国資源委員会の報告書の付録として「アメリカ経済における利益集団」(『歴史としての現代』1953に収録)を執筆。マルクス経済学の方法に則り、バーリ=ミーンズ主張する所有と経営の分離説を否定した。近代経済学の部門でも、寡占経済論の古典となる論文「寡占状態下の需要曲線」(1939)を発表している。屈折需要曲線を使って、限界原理により寡占企業の価格硬直性を説明したものである(注1)。
 第二次大戦中は、OSS(戦略諜報局、CIAの前身)に入り、枢軸国の政治情勢を分析するレポートの発行に携わる。雑誌発行の楽しみを知った。この功により銅星章を受勲、戦争に対する学術貢献に関する賞も受けた。
 復員後、シュンペーターの推挽にもかかわらず、ハーバートでの地位を回復することができなかった。マルキストには、テニュア付きの職を得ることは不可能であることを知らされた。幸い彼には、遺産があって暮らしには困らなかった。以後は、出仕することなく、『社会主義』(1949)と『歴史としての現代』(1953)に収められことになる諸論文を書く。転形問題に関する古典的論文集『論争・マルクス経済学』(1949)とシュンペーターの論文集『帝国主義と社会階級』(1951)も編んだ。封建制から資本主義への『移行論争』がドッブとの間で行われたのも、この頃である。
 友人からの資金援助の申し出を受けてヒューバーマンとともに、1949年『マンスリー・レビュー:独立社会主義者雑誌』(MR)を創刊する。独立とは、ソビエトのイデオロギーから自由であり、政党とは無関係の謂いである。創刊号にはアインシュタインの論文「なぜ社会主義か?」が掲載された。帝国主義と第三世界の革命が主たるテーマであるこの雑誌は、現在まで続刊されている長寿雑誌である。スウィージーは死ぬまで編集者の地位にあった。
 マッカーシズムの「赤狩り」旋風の吹き荒れたころ、1954年スウィージーは「破壊活動」の疑いで、ニューハンプシャー州(居住地)の司法長官から召喚された。大学での講演と進歩党、ウォーレス大統領候補(F・ルーズベルトの副大統領、ニュー・デール派)のキャンペーン活動によるものである。彼は証言を拒否し、法廷侮辱罪で収監される。後、高等裁判所および最高裁判所で勝訴する。米国での学問の自由に関する重要判決とされる。
 この時期、時代の風潮で出版できない書物を刊行するため「マンスリー・レビュー・プレス」を設立。同社から出版されたバラン『成長の経済学』(1957)は、「従属理論」を提起し、MRが第三世界革命の支援者たる性格を鮮明にするのを理論的に助けた。1959年のキューバ革命直後に同国を訪問、カストロとゲバラを知る。『キューバにおける社会主義』(1969)等を発表。
 バランとの共著『独占資本』(1966)を上梓。通俗的なスタイルで書かれ、ゲバラに捧げられている。スウィージー『発展の理論』とバラン『成長の経済学』の総合したものともいわれる。
 自由競争経済を前提としたマルクスの「利潤率逓減の法則」は、競争が制限された独占経済の下で「剰余増加の法則」に取って代わられる。独占企業は、利潤確保のために、需要を制限して価格を高く維持する。設備は慢性的に余剰となる。投資への誘因は弱まり、消費の成長は制限される。剰余は増大するが、その吸収は困難となる。独占資本の下では、生産性の向上で剰余は増えても、シュンペーター流の画期的革新は稀にしか起こらないから、それを充分吸収できない。資本はより大きな剰余を求めて国外の第三世界に投資される。こうして、経済停滞への強力な傾向が生じる。
 にもかかわらず、「黄金時代」とよばれる戦後の繁栄の時代を経験し、停滞が常態ではなかったのはなぜか。浪費の三形態―販売努力、軍事支出、財政部門の拡大という反対に作用する諸力があったからである。しかし、これらの経済的刺激をもってしても、なお失業や生産能力の過剰を生む余剰吸収力不足は厳存している。
 独占資本主義体制は絶望的に非合理である。しかし、それを打破する主体は、国内の労働者階級に期待できず、人種主義反対運動と第三世界の社会主義革命とに期待をかけた。
 戦争批判の論文集『ベトナム―終わりなき戦い』(1970:ヒューバーマンとの共著)を出版する。70年代には、若いラディカル派経済学者のリーダーにして伝説的人物となり、オーソドックスな経済学者からも一目置かれた。
 ヒューバーマンの死後、マグドフがMRの共同編集者(1969)となった。政府調査職員やウォールストリートのフィナンシャル・アナリストだったマグドフは、政府統計に造詣が深かった。彼はラディカルな雑誌の通弊を補い、スウィージーの理論分析に具体性を加えることになった。二人の共著『アメリカ資本主義の動態』(1972)、『アメリカ資本主義の危機』(1982)がある。
 また、1967年マンスリー・レビュー・プレスの経営陣にブレヴァマンが加わった。彼は経営を安定させ、多くの重要な著作を世に送り出した。中でも、よく売れたのはブレヴァマン自身の著作である『労働と独占資本』(1974)である。彼は、肉体労働と事務労働の長い経験があり、労働運動家でもあった。スウィージーは、同書の序文でも繰り返しているように、自身の『独占資本』はマクロ経済レベルの議論に終始し、「マルクスの資本主義研究の中心的な位置を占めている問題、すなわち労働過程のほとんど全面的な無視」をしていた。ブレヴァマンは、豊富な実務経験を背景に、20世紀に入って労働状態が着実に改善し、不熟練労働者の割合が大幅に低下したという神話を粉砕して見せたのである。スウィージーは反省を迫られ労働問題に関心を向けるようになった。
 先進資本主義国労働者は、革命的ではなく改良的になった。しかし、ひとり先進国の産業プロレタリアートのみが革命の担い手ではない。20世紀においては多数の人口を抱えた第三世界の人民が、先進国資本家による搾取の焦点となっている。資本主義への反乱と社会主義の建設は、資本主義世界の周辺で見られる。スウィージーは、資本主義システムの中心での搾取される有色人種と第三世界の革命勢力の連帯に期待する。帝国主義と人種差別が資本主義の弱い輪をなし、革命によってのみ超克できると考えた。
 1970年代スウージーは、周辺国革命の主張を続けながら、ブレヴァマンの影響でますます先進資本主義国の階級闘争に関心を移していく。1980年代末から1990年代初めには、MRは、グロバリゼーションと第三世界の連帯に関心を持つラディカル労働運動を支援する。
 ソ連式のいわゆる社会主義体制を革命後社会と呼び、その政治的経済的矛盾にも多年の分析を重ねた。ベトレヘムとの共著『社会主義への移行』(1971)によって、東欧に広まった市場メカニズムを利用する市場社会主義は、資本主義の復活に他ならない。ソビエト経済の弱点は、中央計画経済というよりもスターリン的官僚制政治体制にあるとした。官僚統制経済に代えて、統制を緩め労働者に自主性と責任を与える道を求めた。進んで『革命後の社会』(1980)では、十月革命のソ連社会主義は、スターリン時代に元来の性格を変化させ、資本主義でも社会主義でもない、新たな搾取体制を出現させた。ソビエト体制は先進資本主義国とは別の停滞時代に入ったとする。スウィージーにとってソビエトの崩壊は、社会主義の失敗によるのではなく、搾取体制の強化の故であった。
 環境問題や経済のグロバーリゼ-ションに対してのみならず、社会学や哲学にも深い関心を寄せた。そして、MRを通して、社会主義に対する教育者の役割も果たし続けた。
 「神々のなす術は不公平である。ポール・スウージーは、すばらしい知力、美貌そして機知の三つに恵まれていた。[中略]美貌も、このスウージーにとっては、天賦のたまものの一つにすぎなかった。もし、その討論会の晩に、スウィージーが落雷のために生命を落とすようなことがあったならば、人々は、それは、きっと神々の妬みに違いないと噂をしたであろう」とサムエルソン(1979、p.362-363)はいう。その美貌については、著書に附された写真でうかがえる。美貌の故か、結婚は3回している。ここには書かれていないが、お情けでサマースクールの講師に呼ばれる他は、その信条ゆえにアカデミズムからは排除されていた彼が、雑誌の主催だけで生活できたのは、親から受け継いだ財産にも恵まれていたからだろう。
 2004年NY州のリゾート地ラーチモントで死亡。長寿にも恵まれた(93歳)。

 本書は、「正当な新古典学派の経済学者となるべく訓練され、しかも1930年代の資本主義世界を襲った大不況とファシズムの台頭の結果として、やっとだんだんとにマルクス主義に到達した一人の人物によって」「大部分の人々がまだほとんどマルクス主義文献になじんでいないと思われるアメリカやイギリスの読者のために書かれたもの」(本書「日本版への序」)である。社会主義論の講義ノートを基に執筆された。
 第二次世界大戦中に書かれた古い本でありながら、未だにマルクス経済学への最良の入門書としてあげられている。我が国では、高須賀義博(1985、p.169)が、「この本は今でもマルクス経済学の全内容を把握するには最もよい本の一つである」として、ハワードとシャーマン『革新の経済学』と共に入門書として推薦している。英米でも、ハワードとキング(1998、p.167)は、「1942年に出版されたこの本は、今日なおマルクス自身の経済思想への最良の入門書の一つ」としている。
 サムエルソン『経済学』(初版、1948)のごとく、教科書として時代とともに版を改めて、内容を更新することも可能であったろうが、需要がそれほどなかったか、著者にその気がなかったのか、それはなされていない。従って、その後のマルクス経済学の発展がカバーされていない所に不満が残る。「戦後のマルクス経済学の発展を取り入れていない。とくに、数理面で、線形代数を用いた多部門モデルがないこと、貨幣・金融理論が独自に取り扱われていないことが目に付く」(八木、p.103)との批判がある。とはいえ、前者については、この本自身がその発展の契機となっているし(後述)、後者については著者自身その欠落が意識されていたものである(「日本語版新版への序文」)。
 この本の最大の魅力は非教条主義的あるいは非権威主義的な叙述にある。マルクス経済学の入門書といえば、『資本論』をなぞって、たいてい例のリンネルと洋服を使った「簡単な価値形態」、「全体的な価値形態」、「一般的な価値形態」ではじまるものだった。このところで、これが経済学かと匙を投げてしまう者が多かったのではないか。少なくとも記者はそうであった。本書においては、マルクス自身の理論とそれまでの研究成果を総括的にテーマごとに再構成して論じている。のみならず、ファシズムの分析や大戦後の世界経済の展望も与えている。学生用の講義がもとになっているだけに、論理は明快で持って回ったような曖昧な説明はない。日本独特とも思われる「マルクスからの「引用をもって論証にかえる」という研究スタイル」(高須賀、p.77)とも無縁である。学生時代にこの本を読んでいたらと悔やまれる。

  本論は、第1編 価値と剰余法則、第2編 蓄積過程、第3編 恐慌と不況、第4編 帝国主義、の四編から構成され、都留重人とヒルファーディングの二論文からなる補論が付加されている。
 以下各章ごとに内容を摘記する。

 ((第1編 価値と剰余価値))
 (第1章 マルクスの方法)
 ルカーチの『歴史と階級意識』を援用して、マルクスの方法は本質的に歴史的であることを強調。
 交換価値は、商品間の量的関係である。しかしその背後には、生産者間に歴史的に規定された特定の関係が存在する。ペトリ―に従がって、前者の分析を価値の量的側面の問題、後者を価値の質的側面の問題とする。
 (第2章 価値の質的側面)
 我々が交換価値と呼ぶ商品と商品との間の関係は、事実上商品所有者間の社会的関係の外面の形態に過ぎないとマルクスは明らかにした。交換される商品とは、分業を基礎とした私的な独立した労働者の人間労働の生産物である。
 (第3章 価値の量的側面)
 しばしば、マルクス価値論の全体が『資本論』第一章にあると誤って考えられている。「商品」と題されたこの章は、圧倒的に価値の質的側面の説明に割かれているのである。量的説明は、第一歩を踏み入れたに過ぎず、商品はそれらに含まれる社会的必要労働に比例して相互交換されるという第一次接近的命題が述べられてのみである。
 マルクスが、同時代人の限界主義理論創始者のように消費者選択の理論を展開しなかった理由は、次のとおり。市場の需要は、所得の分配に支配されている。価値理論は、さらに遡及して、分配を規制する生産関係を通じて考察すべきである。消費者の主観的評価よるべきではない。加えて、欲望は社会の技術的制度的な発展を反映した受動的な要素である。「近代社会の経済的運動法則を」希求するマルクスにとって、外部変化に適応するものは副次的なものでしかない。
 (第4章 剰余と資本主義)
 単純商品生産段階では、生産者は自己の欲望充足のために他人の商品を入手せねばならない。そのため、自己の生産した商品を販売して貨幣に替え、その貨幣で求める商品を購入する。マルクスの表示では、C―M―Cである(注2)。この取引が有意なのは、最初のCと最後のCが質的に違うからである。
 資本主義社会では、資本家は貨幣で商品(労働力と生産手段)を購入し、生産を行って完成した商品を販売し、貨幣に替える。M-C-Mである。Mは同質のものであるから、この過程が有意であるには、最後のMが最初のMより量的に大であることである。すなわち、M-C-M’。貨幣の増加分M’とMの差を剰余価値と呼ぶ。
 非資本主義社会(奴隷制社会や封建社会)でも、生産手段の支配者階級によって剰余労働の生産物は占有される。資本制生産の下では、必要労働の生産物は、賃金として労働者に帰属し、剰余労働の生産物は剰余価値として資本家に帰属する。資本主義の特性は、搾取の事実ではなく、搾取の形態―剰余価値の生産―にある。
 マルクスは『資本論』の第一巻、二巻を通じて資本の有機的構成は各産業で同一である仮定した。すなわち、リカードが指摘した難問の生じない、労働価値説の貫徹する世界を描いたのである。後に第三巻に至って初めて、この前提は変更される。この修正は、自分の解決しようとした問題にとって、相対的に重要でない性質のものであるとマルクスは考えた。

 ((第2編 蓄積過程))
 (第5章 蓄積と産業予備軍)
 理論上の理解のためには単純再生産が有用である。しかし、変化が存在しないとの仮定は、資本主義のもっとも本質的な要素を無視することになる。資本家のもっとも本質的なもの、彼らの関心は資本の拡大にある。資本蓄積は、資本主義発展の原動力なのである。といって、資本蓄積への衝動は、資本家の消費拡大への欲望を妨げない。資本家は蓄積も消費も欲求するのである。
 資本蓄積の過程では労働に対する需要が増大し賃金が上昇することが予想される。資本主義的生産にとって本質的な剰余価値と蓄積が持続するためには、賃金上昇が抑圧される必要がある。その解答をマルクスは、産業予備軍に求めた。予備軍は主として、機械の導入によって置き代えられた労働者によって供給される。
 ミルに代表される古典派は、やがて経済進歩は阻止され、停止状態に入ると考えた。人口法則と収穫逓減の法則という二つの不変の自然法則が不可避であるからである。マルクスは、資本主義過程は生産方法の変化を伴う不断の蓄積過程である見た。この点では、シュンペーター理論に類似している。そこには予備軍にあたるものは考えられていないが。
 (第6章 利潤率低下の傾向)
 利潤率は、剰余価値率と資本の有機的構成の函数である。スウィージーは、次のように表記す(マルクス自身は数式を用いていない。他の表示法もある)。
 p=s'(1―q)
 この式が意味するのは、マルクスが想定したように、剰余価値率が(s’)一定であるとき、資本の有機的構成(q)が高度化すると、利潤率(p)は低下することになる。「利潤率低下の法則」である。
 ところが、スウィージーは、資本の有機的構成の高度化→労働生産性の上昇→産業予備軍の創出→賃金低下→剰余価値率上昇、となるので、剰余価値率一定を仮定した該法則が成立するとは限らないとする。資本主義的生産過程は、同時に蓄積過程であり、不断に利潤率低下の傾向が働く。しかし、資本家は利潤率低下に指をくわえて見ているわけではない。機械導入やその他の労働節約の工夫により、利潤率を維持あるいは向上させようとする。その結果がどうなるかは、一般的なことは言えない。ただ、資本の有機的構成の高度化は、剰余価値率を増大させる傾向があるとはいえそうであると。以上スウィージーの説に対しては置塩信雄の批判があることだけを付け加えておく。
 (第7章 価値と価格への転形)
 この章の議論は、ボルトキィエヴィッチの1907年論文に基づく。
 マルクスは『資本論』第一・第二巻では、労働価値説の貫徹する世界を叙述した。第三巻(エンゲルス編集、第二巻も)では、一般利潤率の実現する現実の(競争的)経済において、産業各部門の有機的構成に相違がある場合、価値法則は成立しないことを認めていた。
 しかし、経済全体として総剰余価値は総利潤に等しく、かつ総価格は総価値に等しいとした(総計二命題)。そして、今や資本家は、可変資本の大きさに応じてではなく、総資本の大きさに応じて剰余価値のプールの中から、自分の分け前を受け取るとした。「生産価格」は、生産に支出された資本と、それに比例する利潤の和からなる。これが、マルクス自身による、価値から価格への転形方法である。
 マルクスの表式では、産出高は価格表示されているのに、生産に用いられた不変・可変資本は価値表現のままである。価値から価格への転形は中途半端で、矛盾がある。マルクス自身は問題のあることは承知しながら、重要ではないとしてそれ以上は究明しなかった。彼にとって、経済全体の所得や分配いわばマクロが問題であって、個別商品価格や個別資本家の利潤というミクロ問題は第二義的なものと見做した。
 マルクスの表式は、具体的には再生産の条件を満足させない。スウィージー・ボルトキィエヴィッチは、生産財、労働者消費材、資本家消費財(奢侈品)を生産する三部門からなる単純再生産表式を使ってそれを証明した。
 ボルトキィエヴィッチは、進んで連立方程式体系を解くことによって、価格計算体系を価値計算体系から導出する方法を示した。そこでは、再生産が継続可能であるが、一般的に総価値と総価格は一致しない。この体系では、第三部門(奢侈品生産)の資本の有機的構成は、一般利潤率には何等影響しないことを示せる。彼はこれをもって、利潤が労働生産物からの控除をなすマルクス搾取理論を決定的に支持するものと見做した。利潤の源泉を資本の生産力にありとするなら、特定の産業(の資本)が利潤の水準に関係しないことを説明できないからである。
 現実は価格計算の世界であり、近代経済学者は有用な価格理論を発展させてきた。価値計算など無しで済ませられると思われるかもしれない。しかし、スウィージーにとって、価値計算だけが、貨幣や諸商品の表面的現象下にある資本主義的生産の基礎的社会関係を明らかにできる。そうして、「ボルトキィエヴィッチだけは、価値法則の意義と用法を十分に把握していた。そのうえ更に[中略]マルクスの方法の正当性にかんし論理的に意義をはさむ余地のない証明の基礎を与えた」(p.87)と高く評価している。
 この章で、長らく忘れられていたボルトキィエヴィッチの論文を発掘したことは、以下にみるように「転形問題」論争の出発点となった。その意味でも、本書の経済学史上の重要性が判る。
 ボルトキィエヴィッチは、彼の転形方法を解決するに当たり、連立方程式の式の不足を補うため、奢侈品の価格を1(ニュメレール)として未知数を一つ減らした。この結果はマルクスの総計二命題の否定となった。その後の1950年代の転形問題は、総計二命題を生かしながら、連立方程式の解を求めるには、どのような条件を選ぶかを巡って論争が行われた。そしてシートンの「転形問題」(1957)論文によって一応の解決が見られたとして、論争は一旦下火になる(第一期論争)。
 70年代になって転形問題は、マルクス生産価値論から、その基礎となる労働価値説の妥当性をも検討する、より広い文脈の中で再燃する。口火を切ったのは、巨匠サムエルソン「マルクスの価値から競争価格への転化」(1970)であり、森嶋通夫『マルクスの経済学』(1973)が続いた。彼らは、転形問題の研究から労働価値説の放棄を唱える。それに対し、スラッファ理論によるネオ・リカーディアンや欧米マルクス学派を巻き込んで論争が起こる(第二期論争)。
 その後の最近までの動向を知りたいと思うのだが、適当な文献を探せていない。『アナリティカル・マルキシズム』(高増明・松井暁編、p16:これとて1999年の本である)では、マルクス経済学が数理化されるなかで明らかになったこととして、「価格を説明したり、計算するために労働価値を使うことは、なんの意味もないばかりか、有害であることがはっきりした。従って、労働価値から生産価格を導き出す「転形問題」は無意味である」と明記されている。文面通り受け取っていいのかは、私には判らない。

 ((第3編 恐慌と不況))
 (第8章 資本主義的恐慌の性質)
 マルクスは恐慌に重大な関心を持っていたが、体系的な説明はない。資本主義的恐慌の形態とは、利潤率の通常水準以下の低下によって誘発される流通過程の中断である。そうであれば、「利潤率低下傾向の法則」と関連がある。この「法則」は、均衡価値で販売される前提であるが、資本家が商品を価値通り販売できぬ場合も利潤率が低下し、恐慌は激化する。これを価値の実現が困難であることから、「実現恐慌」という。
 (第9章 利潤率低下傾向と関連する恐慌)
 マルクスは、景気循環を資本主義的発展に固有の形態とみて、恐慌はその循環の一局面であると考えていた。資本蓄積の急激な発展は、予備軍を枯渇させ、賃金の騰貴と収益の減少を招く。利潤率の標準以下への低下は、蓄積を阻止し、恐慌を勃発させる。恐慌は不況に転化し、最後に不況は再び蓄積率加速化の条件を準備する。
 そして、資本の有機的構成の上昇により、利潤率は低下する傾向がある。しかし、資本主義が円滑に機能するためには、標準的な利潤率が必要である。利潤率の低下は、生産力の発展に敵対し、恐慌によって克服せねばならない。
 (第10章 実現恐慌)
 恐慌の原因を商品価値の実現されぬことに求める「実現恐慌」は、主として二つのタイプがある。一つは、生産部門間の「不比例」説であり、もう一つは大衆による「過少消費」説である。
 資本主義生産の無計画的、無政府的性格に起因する、生産諸部門間の相対的需要比率に比例しない生産は、過剰生産や過少生産となる。前者は価値以下の販売となり、後者は価値以上の販売となる。修正主義者・ツガン=バラノフスキーは、『資本論』第二巻でマルクスが使った再生産表式を、過少諸費説を排し不比例説を説明するのに採用した。正統派マルキスト・ヒルファーディングがこれを支持したことにより、お墨付きを得てマルキストの流行となった。
 ツガンは、3部門からなる再生産表式の数値例(スウィージーは簡便のため2部門からなる方程式体系で説明)を用いて、拡大再生産の条件を求める。この条件が満足されないなら、すなわち年々追加される剰余価値部分が、各部門に適当な比例割合で配分されないなら、恐慌は必ず発生する。逆に資本増分が適当な割合で配分されるなら、恐慌は発生する原因はない。再生産表式は、恐慌の原因が不比例にあり、同時に過少消費にはないことを示したと主張した。
 進んで、既存資本の部門間移動も認めるなら、消費財部門の生産水準が一定のまま、全体の資本蓄積率が増大するモデルも作れる。新たな不変資本を両部門で蓄積しながら、既存の消費財部門の一部可変資本(従って労働者も)を生産財部門に移動させる。消費財部門の生産を維持するためには、労働不足を不変資本を必要分増大させることで補う。生産財部門生産量は、より多くの労働と資本が使用されるので拡大する。こうして、経済全体の資本の有機的構成は高度化し、生産財は消費財に比して生産が増大する。部門間の生産の比例が適当であるので再生産は可能であり、需要不足はないことになる(部門間均衡はすなわち需要・供給の一致ともいえる)。
 同様に、生産財生産が増加し、消費財生産が絶対的に減少するモデルも可能である。そこでは、総生産額が着実に増大するが、雇用労働者は減少する。資本家消費を無視する二部門経済では、消費財生産(供給)は、可変資本すなわち賃金総額(需要)に他ならないからである。部門間比例が適当であれば、恐慌は起こらない。論理的なその進行の結末は、膨大な機械をただ一人の労働者運転することになる。労働者階級は消滅するが、資本の増殖過程には何の影響もない。これは、奇妙に見えようとも真理であるとした。
 生産が消費の水準や趨勢とは関係なしに、無限に拡大可能としたツガンの理論はマルクス主義者の批判を浴びた。確かにマルクスは、資本主義的生産の目的は消費にあるのではなく、剰余価値にあるとしたが、それは資本主義の基本的矛盾をいった。あくまで、生産は、人間の消費のための財を生産する過程である。社会は人間の社会であり、機械の社会とはならないとの批判である。
 次に過少消費説である。生産に意義を与える唯一の目的では消費である。しかし資本主義は、消費を顧慮することなく生産を拡大する傾向を持つ。これは、マルクスがいう「資本主義の基本的矛盾」である。資本家は労働者を搾取しても、商品が価値どおり販売できなければ、剰余価値は実現しない。直接的搾取の条件と搾取実現の諸条件は異なるのである。生産力が発展すればこれら両条件の矛盾は増大する。労働者への低賃金支払い及び資本蓄積による資本家消費の制限に起因する消費需要の減退が困難を生む。マルクスには、以上のような断片的な記述はあるが、体系的な分析を加えてはいない。その後のマルキストによっても過少消費説には見るべき進歩がなかった。
 過少消費説は、消費財の生産能力が、その需要よりも急速に拡大する内在的傾向を持つことを示さなければならない。スウィージーの説明は以下のとおり。まず、消費の需要面を考える。資本家の得る剰余価値を4分類する。1.資本家消費の従来額、2.同増加額、3.追加労働者の雇用に充てる額(追加可変資本、マルクス用語では蓄積に含める)、4.不変資本として蓄積される額、である。資本主義の運動は、剰余価値の中に占める蓄積の比率を増大させ、蓄積の中に占める投資(4)の比率を増大する。そして、資本家は、剰余価値の中の一部を自己の消費を増大(2)に、他の一部を賃金(3)の増加に用いる。それは消費拡大とはなるが、資本家消費の増大は剰余価値総額に対して、賃金増加も蓄積総額に対していずれも逓減的割合で行われる。その結果、消費増加率は資本設備(注3)の増加率(投資/資本設備)に比べて低下する。
 一方、消費の供給面である。資本設備と消費財産出高には一定の比例関係があり、その増分である生産設備のストック変化(投資)と消費財の産出高の変化にも一定の比例関係があり、それは実証されているという。ここでいう産出高は、資本設備の完全利用を前提とするもので、生産能力といった方がよいかも知れない。こうして、消費財の産出高の増加率は、資本設備の増加率に比例することが技術的に要請される。
 以上から、資本主義の発展、資本蓄積の過程で、消費需要が消費財の産出高に遅れる傾向があることが判った。この傾向は恐慌か停滞となって現れる。
 (第11章 崩壊論争)
 恐慌は資本主義体制の崩壊をもたらすかを巡って、マルクス主義者によって1980年代以来行われた論争に関する章である。修正主義者ベルシュタインの崩壊否定から始り、正統派の反撃の内容が素描されている。ここでは、後の議論との関係で、ローザ・ルクセンブルグの所説だけを紹介しておく。彼女は、封鎖的資本主義体制では資本蓄積は不可能であると考えた。唯一の解決策は、労働者と資本家からなる国内封鎖体制を脱し、後進国消費者へ商品を販売することである。これによってのみ蓄積可能な剰余価値は実現される。この拡大過程そのものが、単純商品生産段階にある非資本主義国を資本主義体制に組み込む。すべての後進国が、資本主義に吸収される時、再び資本主義は封鎖され、体制はそれ自身の力で崩壊する。
 (第12章 慢性的不況?)
 資本主義的生産には、過少消費の傾向があることは、第10章で示された。恐慌は長期的にはますます激化し、不況は常態となるのか。ところが、資本主義は周期的な恐慌を繰り返しながら、驚異的な拡張を遂げてきた。過少消費(需要)に反対する諸力を考慮せねばならない。
 反作用する諸力として、1.新産業、2.錯誤投資3.人口増加、4.不生産的消費、5.国家支出、があげられている(後の『独占資本』でも著者は、同様な試みをしている:記者)。
 ここで、錯誤投資とは、資本家に損失をもたらすという意味で誤った投資。消費増加はないが、投資需要は生じる。不生産的消費は、古典派以来の概念であるが、セールスマン等の不生産的商業活動者の消費を含む。国家支出は、20世紀のその量的・種類的な激増を背景に、不生産的消費から分離して一項目となっている。

 ((第4編 帝国主義))
 (第13章 国家)
 経済学とは、歴史的に規定された条件の下での社会的生産関係の科学である。とすれば、国家を経済学の主題に含めねばならない。マルクス主義者は、国家をもって階級構造の安定性を強制、保証するための支配階級の道具と見做す。国家の階級支配理論である。国家は資本主義の枠内での経済的用具としても利用される。そして、資本主義社会が民主主義的であったとしても、国家の基本的機能を変更するものではない。
 (第14章 独占資本の発展)
 資本主義の発達によって、資本には集積(蓄積)の他に集中が起こる。資本主義の企業間競争は、価格競争である。販売競争に勝抜くには、商品は廉価でなければならない。廉価は労働生産性により決定し、生産性は生産規模により決定する。大規模生産の経済(利益)が働くからである。大資本は小資本を消滅させる。競争そのものが、企業集中の動因となる。
 今一つの集中の原因は信用制度である。マルクスはいう、もし蓄積によって少数の個別資本が鉄道を敷設できるまで大きくなるのを待たねばならなかったとしたら、未だ鉄道は存在しなかった。株式会社の設立という信用制度でそれを瞬く間に成し遂げた。
 マルクスは、株式会社を集中の主要な手段と見做し、これによって個人資本では不可能な規模の拡大が可能となり、個人企業に対立する社会企業が立ち現れてくる。現実に機能する資本家は他人資本の支配人・管理人となり、資本所有者は貨幣資本家に転化すると見た。この見方はヒルファーディング『金融資本論』によって一層の発展を遂げる。株式会社制度による、資本所有と生産執行の分離、産業企業家機能からの産業資本家の解放である。
 ヒルファーディングは明確にしなかったが、生産管理から逃れた大資本家は自己の所有する資本の何倍もの資本、従って生産を支配下に置くことができる。大多数の所有者は支配権を奪われ、少数の巨大財産所有者に支配権が集中する。ヒルファーディングはまた、銀行の産業資本家の支配、「金融資本」を強調した。しかし、スウィージーは、独占的大企業は内部資金を蓄積するようになり、銀行や株式市場から独立するようになると見る。「独占資本」の概念である。
 (第15章 独占と資本主義の法則)
 封鎖経済体系下での、競争的資本主義から独占資本主義への移行に伴う経済法則変化を検討する。1.独占(企業)は価格支配力をもつから、商品価格は引き上げられ、企業の利潤は増大する。2.資本の自由な移動が可能な競争的資本主義では利潤率は平均化する傾向をもつ。独占資本主義では、最大の完全独占の産業から、最小の完全競争的な産業に至る利潤率の階層が見られる。3.資本集中は、大資本を増やし小資本を減少させる。大資本は、資本蓄積率が大きいから、全体の蓄積率を増大させる。有機的構成は高度化され、それは平均利潤率の低下と過少消費傾向の増大を意味する。4.独占化産業はそれ自身の利潤率は高いが、独占を維持するために自己の産業に投資はできない(産出増→利潤低下)。低利潤であっても外部に投資機会を求める。投資に関する(限界)利潤は低下し、不況の一因となる。5.独占者は、大規模な資本設備の陳腐化による減価を恐れる。新機軸は既存設備の価値毀損を最小にすべく、労働節約的投資に偏重する。新規投資は抑制される。6.独占企業は、価格競争なしに超過利潤を増大させる努力する。広告・宣伝をはじめ流通制度は社会的な必要以上に拡大され、販売経費は増大する。
 6.は、ある程度3.~5.とは反対に消費増大傾向を生むが、それは、社会的には浪費なのである。それはまた、資本家階級を社会的・政治的支持する新中間階級を拡大させる。
 (第16章 世界経済)
 現実の世界は、多数の国家が存在し、相互に関係する世界である。資本の国際移動を認めるなら、資本輸出は、蓄積過程における矛盾の発現を、資本輸出国では遅らせ資本輸入国では早める。資本主義国間の発達段階が平準化される。しかしそれは、各国が取る経済政策によって制限されて来た。
 競争的資本主義の時代(19世紀の最初の70年)は、イギリス産業の圧倒的な世界的優位の時代である。イギリスにおいては自由貿易政策が、後進国においては部分的保護政策がとられた。1970年以降は、米・独という新興資本主義国の台頭、独占資本主義の発現、先進資本主義国の蓄積過程の諸矛盾の深化、という諸変化が現れた。 
 米独の台頭は、国際競争を激化し、英国に大英帝国の紐帯を強化させ、攻撃的な植民政策が復活させることになった。植民政策は、独占資本主義の発展からも強い刺激を受けた。独占者は、関税によって国内市場での超過利潤を確保しながら、供給制限による生産規模の不足を補うため、輸出による販路拡大を求める。そのため、外国では競争相手より安く販売しようとする。いわゆるダンピングである。ある産業で、独占体が数か国に存在する場合、国内では独占の形成によって消えた死活的価格競争が国際規模では復活する。独占は、また資本の直接投資によって外国で生産、販売を行おうとする。いずれにせよ、独占者は保護された市場拡大を要求し、それは領土拡張を求める植民地政策や領土政策となる。これら植民政策は、レーニンによって「帝国主義」と称された。この経済政策の転換によっても、資本主義の諸矛盾は深化するだけで、利潤率の低下と過少消費の傾向は阻止することはできなかった。
 (第17章 帝国主義)
 ナショナリズムと軍国主義の結合は、資本主義の形成に大いに貢献した。帝国主義の時代になってもその結合はそのままに、先進国ではその性格を変化させた。国内統一や自由の実現手段から、資本家の世界的抗争の武器となる。ナショナリズムは国民を鼓吹し、軍国主義は独占的軍需産業を発展させ、不足がちな消費を生み出す。それとともに、帝国主義的拡張政策のための新しいエセ科学的解釈が現れる。人種優越理論である。
 帝国主義時代は、有産者相互の利害統一と並んで労働者間の利害統一が進む。資本家と労働者の間に、官僚や企業の中間管理層等からなる「新中間層」の比重が増える。この階層は、ナショナリズムや人種差別論に影響され易く、とかく対外拡張論に同調する。独占資本はこのことを十分承知している。また、帝国主義は国家権力とその経済機能を拡大させ、議会主義を凋落させる。行政権の立法権対する拡大である。
 帝国主義理論よって20世紀の国際紛争を展望したのち、現在の戦争(第二次大戦)は、三つの戦争であると著者はいう。第一は独・伊・日による世界分割戦争、第二は独・ソ間の資本主義対社会主義の戦争、第三は中国による日本に対する独立のための反帝国主義戦争である。それまでの帝国主義相互間の戦争から、反帝国主義的闘争が重要な構成要素となった戦争である。
 帝国主義は、二つの反対勢力を生じ、自らの限界を定める。第一の限界は、帝国主義諸国での階級闘争の激化である。労働者の反資本主義闘争は、反帝国主義闘争でもある。ロシア革命で起こったことが、より大きい規模で、終戦以前に起こるだろうと「予言してまちがいない」(訳書、p.398)と書かれている。第二の限界は、植民地における民族的独立闘争である。先進国商品の流入による、現地生産者の壊滅、経済停滞、貧困層の増大が原因となる。二つの動きは、一つの運動に融合し、帝国主義の没落、社会主義の拡大を保証すると。
 (第18章 ファシズム)
 帝国主義的再分割戦争によって、国家が経済・社会構造に破滅的な被害を受けたが、社会主義革命を実現できない状況が、ファシズムの温床となる。中間階級がその基盤である。ファシズムは、強力国家を樹立し、新たな再分割戦争を準備する。
 ファシズムが権力を奪取すると、資本主義の矛盾の表象である失業を絶滅し、生産を最大限まで拡大する能力を示した。しかし、資本主義の矛盾の二者択一的な表現形態は、一つは停滞と失業、今一つは軍国主義と戦争であることを鑑みよ。ファシズムの成果は、帝国主義的再分割戦争及びその準備によるものである。ファシズム国家が、植民地と領土を拡大し戦争に勝利した時、それ以上の発展は可能であろうか。資本主義の諸矛盾から脱却するとは思えない。
 (第19章 将来への展望)
 著者は戦後の世界を予想して見せる。ファシズム陣営は軍事的に敗北する。ヨーロッパ大陸では、大体において(仏・伊・スペインを含む)資本家的支配の崩壊と社会主義の勝利が出現する。イギリスは資本主義にとどまるとしても、国際的地位を下げる。アメリカは、「大いに縮小された帝国主義体制の中心となるだろう」。インド・中国・日本は、国内抗争を経て社会主義の方向へ進むであろう。
 ヨーロッパとロシアを基盤とする世界社会主義体制と北米を基盤とする世界帝国主義体制の両体制は、制覇戦に入るかと自問する。しばらくは、経済再建に時間を取られるにしても、二つの体制は無限に併存することは出来ない。基底をなす経済体制が異なるため、社会主義体制は急速に安定しより高度な生活水準をめざして発展する、一方、帝国主義体制は資本主義の諸困難を解決できない。より強固でより安定した社会主義体制が、帝国主義の侵略能力を麻痺させ、資本主義の構造を分解する可能性が高い。社会主義の平和的移行が始めて可能になる。
 最後にいう、「読者の大多数は、きっとわれわれの分析は、控えめに表現しても、無理な議論で非現実的とみるにちがいない。[中略]われわれは、その決着をよろこんで将来に委ねよう」(訳書、p.443)と。その後、ほぼ80年近くの時間が経過した。現時点では、世界の歩みはスウィージーの予想とは反対の方向へ進んだようである。それとも、シュンペーターの資本主義崩壊論でいう「一世紀といえども短期」という時間域での結果に過ぎないのだろうか。

 米国の古書店より購入。ダスト・ラッパー付き。このくらいの発行後年度になると、私蔵本でも、さすがにd/w付の本が多くなる。

(注1)このあたり、マルクス経済学者高須賀義博が、非マルクス的手法を使って、「生産性格差インフレーション」の理論によって、主流派経済学手法でも一流の腕前を持っていることを示したことを想起させて面白い。
(注2)マルクス自身の表示は,W-G-W。WはWare、GはGeldの頭文字。スウィージーは、英語のCommodity, Moneyの頭文字を用いている。剰余価値もマルクスのMに対して、スウィージーは、Sである。以下同様。
(注3) スウィージーは、生産手段という言葉を使っているが、意味をはっきりさせるため、資本設備と変えた。

(参考文献)

  1. 伊藤誠・桜井毅・山口重克編訳 『論争・転形問題 ―価値と生産価格』 東京大学出版会、1978年
  2. サムエルソン 堀出一郎訳「思い出を語る」 (篠原三代平、佐藤隆三編 『サムエルソン経済学体系9 リカード、マルクス、ケインズ』 勁草書房、1979年所収)
  3. スウィージー 都留重人訳 『資本主義発展の理論』 評論社1967年
  4. スウィージー/バラン 小原敬士訳 『独占資本』 岩波書店1967年
  5. 高須賀義博 『マルクス経済学の解体と再生』 お茶の水書房、1985年
  6. 高増明・松井暁編 『アナリティカル・マルキシズム』 ナカニシヤ出版、1999年
  7. M.C.ハワード/J.E.キング 振津純雄訳 『マルクス経済学の歴史 下』 ナカニシヤ出版、1998年
  8. 八木紀一郎 「資本主義発展の理論 P・M・スウィージー」(根井雅弘編『経済学88物語』新書館 1997年所収)
  9. Foster, John Bellamy 'Memorial Service Paul Marlor Sweezy(1910-2004)' Monthly Review Feb 27, 2004





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(2019/5/4 記)



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