SCHUMPETER, J. A.
, HISTORY OF ECONOMIC ANALYSIS EDITED FROM MANUSCRIPT BY ELIZABETH BOODY SCHUMPETER, New York, Oxford University press, 1954, ppxxv+1,260, 8vo

 シュンペ−ター『経済分析の歴史』。初版。
 浩瀚な書物で「専門家以外の人にとってはかなり読みにくいと思われるし、ほとんどの経済学者が本書を読み通してはいないと思う。」(ハイルブローナー,2001,p.526)とされる。その上、希代の読書人谷沢永一をして「私はシュンペーターのことを書いた本をだいたい全部持っているのですが、一番の力作である『経済分析の歴史』に触れた研究は一冊もありません。」(谷沢・渡部,2006,p.212)と言わしめるほど参考文献が少ない。なるほど、日本のシュンペーターの研究書を10冊以上調べたが、本書について纏まった記述のあるのは塩野谷裕一のものと金指基の一文くらいしかなかった。本の内容からして、議論の対象となりにくいのは確かである。
 経済学者について何か知りたい時、この本を開いてみて出ていないことはほとんどない。その上、索引が整っているので調べやすい。私も座右においてこのサイトの一文を書く時も、まず第一番に当たってみる。「千ページ近くにも及び、ひけらかすところが全くなく、尋常ならざる博識を要して学問的な造詣も深く、もちろん自説を主張している同書は、他に並ぶものもない大著である。簡単には読み通せないが、書棚においておき、経済思想の流れをかえるあれこれについて、大物か小物に関係なく、その人物について中核となる考えがどう枝分かれしていったかということを知りたい時に取りだすのに好都合である。」(ハイルブローナー,2003,p.526)
 幸い、自分としては個人の手になる長編物が好きで、『近世日本国民史』100巻や児島襄の戦記物も通勤電車で読んだくちである。長い物は気にならないので、通読はしている。シュンペーターの主要著作はすべて読んだつもりだが、この本は、その中では一番読んで面白かったものでもある。そして、何よりも稀覯書でもない本書を、今回取り上げたのは、このサイトで取り上げる本の100冊目に当たるため、毎回参照・引用さしてもらっている本書への感謝のためである。参考できるものが少ないため、内容は感想文に留まるかも知れない。

 シュンペーターは最初は、1914年ドイツで刊行されたマックス・ウェーバーの編集になる『社会経済学大綱』所載の「学説ならびに方法の諸段階」(邦訳名「経済学史」)を英語に翻訳、改訂しょうと企てた。それが、数カ月からせいぜい1年の執筆期間を予定した300-400頁の小さな書物の計画となり、ついには1,200頁に及ぶこの大冊となった。著者は、当時ハーバート大学で「経済思想史」の講義を受け持っていたし、戦時中の鬱屈(彼は「敵国人」でもあった)もあり晩年の9年間をこの著作に打ち込んだ。1950年彼が脳溢血で急逝した時には、タイプ打ちのほぼ完成稿から殴り書き様の速記稿本に至る大量の原稿が残された。夫人のエリザベス・ブーディ−は、原稿を読み込み、決定稿を選択し、著述順序を決定し、見出しを補うなどした。ハーバラーやスウィージー、リチャード・グッドウィン等も編集に協力した。原稿は、分量的に9割方は完成していたもので、夫人によると「私の編集の仕事は、単にシュンペーターが実際に執筆したところをできうる限り完全かつ正確に提示せんとするものにすぎなく、彼が執筆しなかったところを完結せんとするものでないと考えた。」(邦訳,p.15)夫人はガンに犯されながら編集を続け、出版を見届けずして逝去している。
 原稿をつなぎあわせて一書としたのだから、統一が取れていないのはやむを得ない。第一編に「間奏曲」と凝った章見出しを付けたり、第二編第四章で「カンティヨン『商業一般の性質に関する試論』読書案内」のように「読書案内」欄を設けたりしているが、その後の編には絶えて、これらの見出しは出てこない(根井雅弘やブローグの本にこれらの「見出し」が使われているのはこの本の影響だろうか)。また、「前述」を参照するように記事に記載があっても、索引を見てもそれらしい箇所が見当たらない経験も何回かあった。それでも普通に読んでいて、つぎはぎしたという違和感はない。
 東畑氏のエッセイ等を見る限りでは、シュンペーター個人は蔵書家ではなかった印象である(そのドイツに残した蔵書も戦災で焼かれている)。執筆には、主として大学のクレス文庫等図書館を利用し、夫人の文庫も利用したようである。原稿の中には、1907年ロンドンの大英博物館図書室で書いたものも使われていたそうだから(東畑,1954,p.65)、この本は、執筆期間にかかわらず長年の読書の蓄積の成果でもある。

 第一編「序論 範囲と方法」45頁(原書頁数、全体の3.7%)が「科学とイデオロギー」の関係を含む方法論に充てられているが、あとは挙げて具体的な歴史の記述である。多民族国家ハプスブルグ帝国で教育を受けたシュンペーターは、古典語、仏語、伊語、英語に堪能な他、他のヨロッパー言語もある程度読解できた。大陸文献に精通していたことが、英米の学者に対する彼の優位であった。しかし、逆に大陸の経済学(者)を評価したことは、反イギリス(反功利主義)的評価と受け取られ、書評等で本書に対する反発を招いた。英国経済学の伝統に対する低評価は、マンデヴィルやベンサムの無視にも窺われると云う(パールマン)。
 本書冒頭に宣言する如く、「経済分析の歴史とは、経済現象を理解するために人間が試みてきた知的努力の歴史を意味する。あるいは同じことに帰着するが、経済思想の分析的ないし科学的側面の歴史を意味する。」(邦訳,p.3)経済学の理念や経済思想の歴史ではなく、科学としての経済学の分析の歴史を扱う、旧来にない経済学史の視点である。学史が、重商主義や重農主義から始まるのではなく、(聖書の時代は扱われていないが)ギリシャ・ローマ時代から始まるのも新しかったのではないか。
 登場人物は1,200人余とのことである、引用書目(東畑訳に附されている)は2,000を越えるであろう。どちらも多すぎて数えるのを止めてしまった。本文で扱われた重要人物の評伝である「ミニアチュアの肖像画」に限っても塩野谷氏の計算によると約300人である
 シュンペーターは、分析機能力が高いだけでなく、複雑で整合的な体系を構築する学者を高く評価した。その上、まま云われるように議論のために極端な話を持ち出す彼の性格もあり、この本での経済学者に対する独特(偏頗とすべきか)の評価は、よく知られている。ワルラスに対する、法外なまでの高評価、対するにスミスの価値をそれほど認めなかった等々である。少し引いてみよう。「純粋理論に関する限りでは、ワルラスが私の意見ではあらゆる経済学者のなかでの最も偉大なものであろう。彼の経済均衡の体系は、現に見られるように、「革命的な」独創の性質と古典的な総合の性質を結びつけているものであって、経済学者による著作のなかでは、理論物理学の成果とよく比較されるのに堪える唯一のものである。これと比較すると、この期間のなかでの――およびこれを越えての――大多数の経済学的著述は、たとえそれ自体として価値多く又主観的には独創的なものであるとしても、外洋船の傍らにおけるボートに較べられ、ワルラスの真理の若干の特殊側面<のみ>を捕らえんとする不適切な試みに等しいものがある。」(邦訳,p.1740-1)と手放しのほめようである。それに対し、スミスには「彼が実際にその先駆者たちから、学びとったこと、もしくは学びとりえなかったことが何であるにもせよ、『国富論』が、1776年において完全に斬新であったような・ただ一個の分析的な観念、原理もしく方法をも含んでいないことは事実である。」(邦訳,p.381-2)「しかし、『国富論』が真に斬新な観念をもっていないとしても、また知性の業績としてはニュートンの『原理』やダーウィンの『起源』に対比しえないものとしても、それは、ともかく一つの緯業であり、充分にその成功に値したものであった。」(邦訳,p.385)と手厳しい。どちらにも物理学(書)の例えが出て来るのは、著者自身数学は得意でなかったらしいが、物理学への憧憬ゆえか。
 サムエルソンによると、ある講演で4大経済学者としてシュンペーターが挙げたのは、ケネー、クールノー、ワルラス、マーシャルという(サムエルソン,1979,「経済学者と思想の歴史」による)――ちなみに、サムエルソン自身の経済学者に対する評価はスミス、ワルラス、ケインズに+A,ヒューム、リカード、ミル、ジェヴォンズ、パレート、ヴィクセル、マーシャルにAの評価である(サムエルソン,1979,序文)。ケネー、ワルラスは一般均衡論を、クールノー、マーシャルは「科学的経済学」を評価したものであろうか。
 サムエルソンも使用し、『分析』発刊当時英・独・仏で教科書として広く使われたジード=リスト『経済学説史』は、元はフランスの本で仏経済学者にウェイトが懸けられているとされる。それでも、この『学説史』のワルラスの扱いは、「第五編 輓近の諸学説、第一章 快楽主義者」の「心理派」と「数理派」の節にあわせてせいぜい4頁程で、第二章の「土地国有を提唱せる諸体系」の節で書かれた分量より少ないくらいである。理論家より土地公有論者として重きを置かれている塩梅である。もって、シュンペーターのワルラスに対する思い入れが、当時の常識において破格のもであったか解るであろう。
 そこで、シュンペーターがどの経済学者に重きを置いたかの一つの指標として邦訳書の索引を元にして、学者ごとの記述量を数えてみた。詳細は(注)のとおりであるが、人物毎の索引の記載箇所数及び連続して3頁以上に亘る記述の合計頁数を数えて、結果を下表のようにまとめてみた。
 
経済学者名 索引箇所 3頁以上 経済学者名 索引箇所 3頁以上
マルクス 236 90 ボェーム=バウェルク 109 19
ワルラス 159 64 ヴィクセル 94 10
マーシャル 272 56 フィッシャー 76 10
リカード 324 54 カンティヨン 60 10
J・S・ミル 256 45 ジェヴォンズ 108 9
ケネー 70 42 ペティ 52 9
スミス 267 40 エッジワース 72 3
シーニア 78 39 メンガー 78 0
ケインズ 149 33 ヒューム 62 0
クルーノー 42 33 ピグー 58 0
マルサス 109 29 ジェームス・ミル 56 0
セー 88 23 ロック 51 0
チュルゴー 56 22 ヴィザー 40 0

 合計頁数の順にソートしてあるが、「4大経済学者」が「優遇」されているように思うがいかがだろうか。あれこれ言っても、マルクスが一番なのはシュンペーターらしい気がする。愛憎共に深し、というところか。ただし、シーニアが上位に食い込んでいるのは意外であった。
 この本の私にとってのもう一つの魅力は、シュンペーターの心情が垣間見える記述が散見されることである。例えばアダム・スミスを論じて「もちろん彼の純粋経済学に関するものではないが、然し彼の人間性を理解する上からは重要な意味をもつと考えざるをえない一つの事実であるが――母親を除いて、いかなる夫人も嘗て彼の存在にはなんの役割を演じなかった」(邦訳、p.378)とする箇所である。シュンペーターその人の心中を独白しているように思われる(もちろん、彼の場合、ドイツ人の第二の妻を除いてと、急いで付け加えなければならないが)。
 1980年代初頭の文に「今日では、『経済分析の歴史』からの引用がひとつのスタンダードにすらなっている」(金指,1996,p.229:参考文献欄参照)と書かれているが、この状況は今も変わっていないと思う。

 この稿を書くのには、もっぱら東畑精一訳の旧訳本を使用した。巻末の索引、引用書目は手を掛けた丁寧な仕事ぶりである。原書にはないが重要本の標題紙写真が載っているのも好ましい。とはいうものの、福岡正夫の新訳本を買う出費を惜しんでいるせいもある。なにせ、3巻本で値が張る。谷沢によると東畑は、私立大学に天下りをせず、晩年は『経済分析の歴史』全巻の個人単独訳に打ち込んだと書いてある。実際はアジア経済研究所所長をはじめ多くの役職を兼ねていた様子であるが、自分を「愛した」シュンペーターのために、この本の翻訳を自ら志し、精力を傾けたのは力の入れ具合から推察される。確かこの翻訳に対し、日経の経済図書文化賞を贈られているはずだ。

 日本の古書店より購入。同じ年に英国のルートリッジからも本書が出版されている。このような場合、どちらが正式な初版とされるのかはよく知らない。
(注)「索引箇所」は、巻末の人名索引記載の表示ページの個数を単純にカウント。誤植と思われる所が何箇所かあったがそのままカウントした。
 「3頁以上」とは、人名索引で、複数ページにわたる表示がなされている箇所を当たって実際記載頁数を個々に把握し、その内3頁以上連続の記載があるものだけの頁数を数えて、その頁数を合計したもの。その際。1.文と注釈を区別しない(注釈の活字はポイントが小さい)2.段落の余白、写真スペース部分は考慮せず行数を数える(写真は原書にはない)。とした。
 索引の単独頁のみの記載箇所は例えば、「ワルラスを思わせるような方法で」,「ワルラス流の」、「ジェヴォンズ=メンガー=ワルラスの分析」の如く例示として出されたものが多く、ほとんどが内容はないものだった。複数ページにわたる記載でも、複数の著者を同時に論じていることも多く精確なカウントは困難なので、あくまで目安として考えて下さい。2頁以上でカウントしなかったのは、単により適当と考えたに過ぎない。
 なお、パールマンは、「シュンペーターは彼の同僚であるハバラーについて熱心に論じているが、同年輩のメイナード・ケインズについてはそれほどではない。」(パールマン,2004,p.117)としているが、ハーバラーの「索引箇所」14、「3頁以上」3で、ケインズに及ぶべくもない。

(参考文献)
  1. 金指基 『シュンペーター再考』 現代書館、1996年(本書巻末「付録シュンペーター主要著書解説」は、別冊経済セミナー『シュンペーター再発見』1983年の無署名資料とほぼ同じ内容のため、上記では初出の日付を取った)
  2. サムエルソン 篠原三与平・佐藤隆三編集 『サムエルソン経済学体系9 リカード、マルクス、ケインズ…』 勁草書房、1979年
  3. ジード=リスト 宮川貞一郎訳 『経済学説史上・下』 東京堂、1936-8年
  4. 塩野谷祐一 『シュンペーター的思考 総合的社会科学の構想』 東洋経済新報社、1995年
  5. シュムペーター 東畑精一訳 『経済分析の歴史1〜7』 岩波書店、1955-1962年 (引用に際しては邦訳と略記)
  6. 谷沢永一・渡部昇一 『人生後半に読むべき本』 PHP研究所、2006年
  7. 東畑精一 『書物と人物』 新評論社、1954年
  8. マーク・パールマン 塩野谷祐一訳 『シュンペーターの『経済分析の歴史』』(『思想』2004 年8月号、岩波書店、p.107-134)
  9. R・L・ハイルブローナー 八木甫・松原隆一郎他訳 『入門経済思想史 世俗の思想家たち』 筑摩書房、2001年
  10. R・L・ハイルブローナー 中村達也・阿部司訳 『私は、経済学をどう読んで来たか』 筑摩書房、2003年




標題紙(拡大可能)

(H22.10.9記.H24.10.9 英語綴り訂正)




稀書自慢 西洋経済古書収集 copyright ©bookman