SCHUMPETER, J. A.,
Business Cycles: A Theoretical, Historical, and Statiscal Analyses of the Capitalist Process, New York and London, McGraw-Hill Book Company, Inc., 1939, pp.xvi, 1-448;449-1095, 8vo.

 シュンペーター『景気循環論』1939年刊、2巻、初版。

(以下引用で頁数のみ表示しているのは本書の訳書からの引用である。この訳書はひらがなが多いので、特に断らず漢字に代えた所がある)

 この本は、シュンペーター著書の中では失敗作であるというのが大方の評価である。1、2巻併せて1,100ページにも及ぶこの大著は、発行年に9刷に達するほどの売れ行きにかかわらず、ほとんど読まれてはいない。ハーバート大学で、1939年に本書を議論するセミナーが開かれたときに、参加した学生は、ほとんどだれも本書を読んでいなかった。これを知った、シュンペーターは激怒した。さしも学生に温厚な彼が、それほど怒ったのを見たことはないと何人かの学生が証言している(マクロウ、2010p.316)。
 シュンペーターが7年の歳月(渡米目的には、米国では景気統計が整備され、利用できたこともある)を注力したこの本が成功しなかったのは、三つの理由があるとアンデルセン(2016、p.215)はいう。1.粗悪な編集、2.不運な時期、3.不適当な標題という難点である。第一の点について、その本は「首尾一貫した学問的研究論文というよりは、膨大な調査報告書のようにみえた」(同、p.214)。その分量そのものが人に読書を誘うようには思えないし、理論的な部分はまだしも系統的だが、歴史的部分は散漫で、「ほとんどの場合読み飛ばすことができる」(同、p.13)塩梅なのである。第二の点については、出版時の世の関心が、経済を第二次大戦の戦争目的に動員することに向かっていた時期であることの不運があげられている。もう少し早く大恐慌の初期、あるいはもう少し遅い大戦後の時期であれば、人々の関心は長期的な経済に向いており、受け入れられ方も異なったであろうとする。しかしながら、出版時期の不運で普通言われるのは、ケインズ『一般理論』(1936年)と時期が重なったことである。大方の経済学者は、シュンペーターの周辺も含め、ケインズ理論の導入と解釈に汲々として、他を顧みる余裕のなかった時なのである。第三の点について。著者は、狭義の景気循環というより資本主義発展の同義語である「革新」過程として景気循環を重要視していた。その点を標題は適切に表していない。「批判のほとんどすべてが「景気循環」という表題を真剣に受け止めすぎて、資本主義の条件下での経済発展にかんする説明の真価を認めていないというのが本当のところだろう」(同、p.220)。

 『経済発展の理論』初版(1912年)は、7章からなっていた。シュンペーターは「経済発展」の論旨を明確にするために、初版を切り詰めて第二版(1926年)に改訂し、初版最終章である「国民経済の全貌」(Gesamtbild der Volkswirtschaft)を削って全6章とした。このため、「景気循環」(注1)が最終章となったことは、あたかも、それが『発展』の結論のごとき配列となった。そして、初版にはない副題「企業者利益・資本・信用・利子および景気循環にかんする研究」(強調引用者)を付加した。
 シュンペーターは、『発展』の次には、自らの経済発展理論の証明であり展開である「景気循環」の書物を著したことは自然な流れである。『理論経済学の本質と主要内容』で、理論経済学は静態(均衡)経済学と動態(発展)経済学の二分野から構成されるべきである宣言し、動態経済学の内容の核心を『発展』で表明したのち、発展理論の応用として『循環論』を書いたのは必然的にも思える。シュンペーターの三部作としては、『発展』、『循環論』および『資本主義・社会主義・民主主義』があげられる(レンディング・フェルズ―『循環論』の縮約版の編者―が言い出したようである)。むしろ、『本質』、『発展』および『循環論』が三部作をなすとするのが妥当ではないかと私には思える。
 シュンペーターは、資本主義の循環的変動を、資本主義の本質そのものだと捉えている。本書巻頭にいう、「循環は、扁桃腺のように、それだけを取り扱える分離可能なものではなくて、心臓の鼓動に似て、循環を示す有機体の本質に属している」(序p.1:一部翻訳を訂正した)。そして、彼の長期的な資本主義経済の循環的発展ヴィジョンは、物価の下落と生産量の増加であったろう。「資本主義発展の二つの大きな結果的趨勢、すなわち価格の下降的趨勢と数量の上昇的趨勢」(p.752)である。景気循環の下降期には、物価水準は、その上昇期に上昇する以上に下落するので、資本主義の発展は長期的には、物価下落を生む。「この下降的な結果的趨勢は、[中略]資本主義的な『豊富への途』を特徴づけるものである」(p.693)。後の『資本主義』(シュムペーター、1962p.124)では、こういっている。「資本主義の業績は、典型的には女王たちのためにいっそう多くの絹靴下を用意することにあるのではなく、必要労働量をつねに減ずる代償として絹靴下を女工たちの手に届くところにもたらすことにあるのである」と。

 著者いわく、「本書を『景気循環論』と名付けたが、実際にはむしろ副題が私のやろうとすることを伝えている」(p.1)。 副題は、「資本主義過程の理論的・歴史的・統計的分析」(A Theoretical, Historical, and Statistical Analysis of the Capitalist Process)である。その目指すところは、理論と歴史、統計を有機的に結合して間然とすることのない分析を示すことにあったのだろう。『発展』では、 歴史的、統計的な立証がないままに、理論を論理的方法で展開した。シュンペーターは、理論を事実によって補強する必要を強く感じていた。いや、むしろ本書では、歴史的分析に重点が置かれた。渡米の一目的に、景気循環資料の収集があったことは、先に述べたとおり。
 「経済史に通暁することは、いくら強調しても強調し過ぎることはない。一般史(社会史、政治史、文化史)、経済史、さらに特に産業史が問題の理解に不可欠であるばかりでなく、また実際に、我々の問題を理解するのに最も重要な要因である。その他の素材と手法はすべて、統計的たると理論的たるとを問わず、理解にとって補助的なのものにすぎず、歴史を欠けば無益というより有害である」(p.17:一部訳文を変更した)。本書刊行直後の書簡でも「私は次の結論に達した。理論的な装備というのは、経済過程の歴史に徹底した根拠を置くことによって補完されていなければ、理論がまったくないよりもさらに悪い」(マクロウ、2010p.296)といっている。しかしながら、「近代の景気循環の研究のもっとも重大な欠点は、どのように産業と個々の企業が浮沈するのか、また、いかにそれらの浮沈が、全体や普通「一般的景気状況」と呼ばれているものに影響を与えるのかということを、誰も理解しようとしなかった」(シュンペーター、1991p.145)ことにある。
 理論・歴史・統計が、本書の中でどの位の紙幅を占めているか、章別に数えてみた。原書の序言、目次xiv頁を別として、全1095頁の中、序論29頁と付録・索引の45頁を除くと1021頁になる。その中、理論が第2章~4章の163頁、歴史が第6、7章および第14章、15章の588頁、統計が第5章および第8~13章の計270頁となる。歴史部分が本文の過半をしめている。統計の章の中では、歴史的事実の記述も多いから、実際はそれ以上を占めるといってよいだろうと思う。
 クズネッツは本書の書評で、「また彼の論著の中に統計的分析が極めて数少ないのは、採択された理論モデルのタイプからくる不可避的な結果である。また歴史的概説や、質的議論に彼が大いに頼ったのは、彼の理論モデルに照応するような統計手続きを工夫することが困難であったことからの帰結である」(クレメンス・ドーディ、1956p.148)といっているそうである。
 たまたま、邦訳書の揃いを手に入れたので、本書を読むことになったが、読後の率直な感想は、題名から予想していた景気循環に関する理論書というよりも、むしろ経済史の本であるというものである。シュンペーターの伝記作家で、経営史学者であるマクロウ(2010p.295)の次の言葉が、すっきりと胸に落ちる。「『景気循環論』は経済学書であるのと同じくらい歴史書であることが確認できる」。しかも、 シュンペーターは、「経済理論家であっただけでなく、並外れた性質の経済史家であった」(アンデルセン、2016p.113)のである。
 付け加えるならば、シュンペーターは本書執筆のために経済史を研究することによって、革新が大企業内部で恒常的に行われていることを確信し、新企業だけでなく大企業も革新の主体であるという(アンデルセンのいう)革新のマークⅡモデルを作り上げた。このことが『資本主義』(1942年)の著作へと繋がっていくのである。

他に、『循環論』の大きな特徴で、それゆえに大勢の経済学者の注目を牽かなかった理由の一つでもあるのは、集計量にたいする懐疑的態度であろう。 国民所得、総産出量、雇用量、投資、貯蓄、消費などのような巨視量とそれらの間に成立する関係を論じることに、著者は否定的である。巨視量同士の関係を等号等で結びつけ均衡とみることは、巨視量内部の、産業、企業あるいは家庭の不均衡を見逃しがちである。巨視量のうちに隠された経済の撹乱過程を無視し、結果的、表面的な数字を機械的に関係づける。「また、全体としての経済体系の撹乱がこれら集計量だけから生れるかのように、この均衡について論じるのは誤りである。このような論法は景気循環の多くの間違った分析の根底にある。そのような論法は分析を事物の表面にとどめ、分析が真に重要である基底にある産業過程にまで入込むことを妨げる」(p.61)。「重要なのは、不調和な、あるいは一面的な増加であり、集計量の内部での移動である」(p.197:強調原文)。
 シュンペーターが書いた最初の経済学論文はいずれも統計に関するもので、人口統計、指数、国際物価をテーマとしたものであった。それらは、いずれも1905年にオ-ストリア統計局の月刊機関紙(Statistische Monatsschrift)に発表された。その中「指数の方法」('Die Methode der Index-Zahlen')において、集計量の問題点について注意喚起していた。シュンペーターは、集計量に対しては、一貫して懐疑論者であった。
 本書では、集計量批判の具体的事例として書かれているのは、マーシャルの部分均衡に関連して、「部分均衡を扱う者はたれでも、すぐにその『部分的な』用具の捉え得ない全体としての体系内に進行する過程を取扱うことを可能にするような用具の必要なことを発見する。そこで彼は、とりわけマーシャルの伝統のなかで訓練されたものなら、その用具を社会的集計量―たとえば総産出量、総所得、利潤の純総額のような―間の関係の体系でもって補完し、全体としての体系にとっていちじるしく重要な要素―たとえば、貨幣数量(それがなにを意味しようと)、利子率、価格水準―とあわせて、このような関係について、論じることになりがちである」(p.61)という所しか、私には見いだせなかった。しかし、本当の批判は、ハイエク同様、ケインズ流の所得分析あるいは有効需要理論に向けられているように思える。

シュンペーターは、『発展』において定式化した経済発展理論のさらなる展開・応用として『循環論』を執筆した。景気循環の本質は、革新(新結合)が優位を占める上昇期と、その後の再編が支配的となる下降期であると観じた。先述のごとく、歴史部分が分量としては多いが、「読み飛ばしてよい」とされる。取り上げる価値のあるのは理論部分であろう。理論的部分は、第2章~第4章の約160頁に収められている。第1章(序論)を含めて(邦訳の第一巻に該当)、理論部分をみてみよう。

 ((理論))
 まずは、以下しばらくは、『発展』の内容と重なる部分もある。著者は、本書第3章を中心として、革新の内容を再説、明確化しようとしているので、お付き合いを願う。景気循環論自体の内容を知るためには、この部分は読み過ごしてよい。
 そもそも、革新(Innovation、新機軸とも訳される)という言葉は、この『循環論』から使われたのである(初出は1927年論文)。『発展』では、新結合(neuer kombination)が用いられていた。「われわれは革新企業Enterprise)という用語を留保する。革新を遂行する個人をわれわれは企業者(原文では、Entrepreneurs:引用者)と呼ぶ」(p.149,強調原文)。本書では、企業者を表すのに、『発展』でのUnternehmerに代えて、カンティロンの使い始めたフランス語由来のアントレプレナーが使われている。
 「革新」の定義も、『発展』での「新結合」の定義より判り易いように私には思える。「まさに標準的事例として役立つかもしれない新商品の導入をも含める。すでに使われている商品の生産についての技術上の変化、新市場や新供給源泉の開拓、作業のテーラー組織化、材料処理の改良、百貨店のような新事業組織の設立―略言すれば、経済生活の領域での『違ったやり方でことを運ぶこと』―、すべてこれらのことはわれわれが革新という言葉で呼ぼうとするものの事例である」(p.121、強調引用者)。
 シュンペーターは、革新のはたらきを明確にするため、普通に観察される、次の三つの事実を仮定として採用する。
  1.革新は新工場の建設、あるいは旧工場の改築を伴う
  2.革新は、その目的のために設立された新企業に具現する
  3 革新はいつも新人(原文 New Men)の指導的地位への上昇と結びついている
 シュンペーターモデル(アンデルセンの所謂マークⅠモデル)では、すべての革新は新人の手により、新企業として立ち現れる。それによって明確に表現されるのは、企業者たらんとする者は直接旧企業の資源を利用できないことである。
革新の実行は、現存生産要素の増加を意味せず、現存要素の古い用途から新しい用途への移転を意味する。あたかも、要素の所有者へ、元の「命令」を取り消して、新しい「命令」を出すことに、比せられる。
 企業者は、生産の前に生産要素を入手せねばならない。その企業者にも、仮定が附け加えられている。「新企業を創設する新人という、われわれの概念と合致して[中略]企業者となろうとする人々が、その計画を遂行するために必要な一団の生産財の一部または全部を、あるいはまたその必要とするものと交換することのできるなんらかの資産をも、たまたま前もって所有することがないものと仮定する」(p.161)。そのことから、次の三命題に到達する。(1)企業者はその工場建設および運営のために、すなわちその固定資本と運転資本として必要な「資金」の全てを借り入れる。(2)それ以外には、誰も借り入れをしない。(3)このような「資金」は特にそのために創造された支払い手段からなる(p.161:強調原文)。こうしてはじめて、企業者に、銀行によって創造された資金が購買力として賦与される。
 経済的には、生産とは生産要素を結合することを意味するから、革新は要素を新しいやり方で結合することであり、生産関数が変化することである。新たな生産関数が、新規設立企業の活動により、経済活動に侵入する。既存企業は、しばらくは従前のやり方で生産を続ける。しかし、革新による費用曲線の下方移動の圧力の下で、新事態に適応的に反応することを余儀なくされる。この過程が資本主義発展の状況、とりわけ、資本主義の不均衡や変動の性質であり、企業や産業の不断の盛衰興亡の過程そのものである(p.137)。上記の既存企業の適応的反応とは、競争に敗れて産業から退出するか、従前の定型業務を変更して自らの生産関数を変化させることである(これをシュンペーターは、定義上、革新としない)。
 アンデルセン(2016、p.243)は、以上の過程を明確にすべく、次のように定式化した。

 発展の総体=参入効果+選択効果+企業内変化の効果+退出効果

 ここで、「選択効果」とは、企業間の競争において、参入した新規企業集団の規模が増大し、既存企業集団の規模が減少することである。「企業内変化の効果」とは、新たな生産方式を取り入れた既存企業内部での新部門の規模が増大することである。輸送業における鉄道による革新の例でいえば、前者は鉄道会社集団のウェイトが高まり、馬車会社集団の占率が減少することである。後者は、馬車会社が鉄道部門を併設する、あるいは鉄道会社に転換することである。いわでものことながら、参入は新会社の設立であり、退出は既存企業が競争に敗れ廃業、倒産することである。
 さて、革新の主体は企業者である。企業者は、経験済事例と未経験事例との選択をしたり、未経験の可能性に賭けて決断をするなど特殊な才能を持つ必要がある。企業者と定型業務を運営する管理者とは違う。しかし、両者の機能は往々にして同一人に帰している場合が多いから、(アメリカでは農業労働者と地主を共に 農業者(farmer)と呼ぶように)とかく混同されがちである。企業者の才能は、特殊なものとはいえ、少数の例外的なものではなく正規分布(シュンペーターは「ガウスの法則」という)に従がって、一定程度は存在するものである。 「資本主義の制度的類型には、人々をして先立って必要な手段を手に入れることなしに企業者として機能することを可能にする、資本主義の本質的特徴を形づくる存在としての機構がある。重要なのは所有することよりもむしろ統率することである」(p.151)。
 企業者を支えるのが、事業資金を供給する銀行家である。シュンペーターにとって、銀行家とは資本家のことである。「 危険負担は企業者機能の一部ではない。危険を負担するのは資本家である」(p.151)ということになる。創造された支払手段である「『銀行による信用創造』と呼ばれるものと革新との論理的関係は、もはや失われることはないだろう。資本主義理解のために根本的なものであるこの関係は、少なくとも、たんに財政の問題ではない限りでの貨幣・信用のすべての問題の基礎に横たわっている」(p.161-162)。革新に融資するためには、銀行家が企業者と同じく、現状の下で利潤見込について、判断を一致させる必要がある。銀行家機能は本質的に批判的、抑制的、警告的なもので、この点では経済学者と同じように、政府、政治家や一般大衆にまるで人気がない場合にだけ一人前なのである(p.172)。
 企業家―銀行家のラインを通じて、利子は、革新とつながった貨幣的現象となる。利子は、利潤と結びつく。「革新の衝撃によって惹起される不均衡の中で生まれる企業者利潤やこれに関連する利得は、事業過程そのものに関するかぎり、また消費者借入れを除けば、利子支払いの唯一の源泉であり、正の利子率が資本主義社会の市場で支配するという事実の唯一の『原因』である、という命題がこれである。[中略]あるいは、純粋の利子は体系が完全均衡に近づくにつれて消滅する傾向をもつということを意味している」(p.182:強調原文)。利潤は本質的に一時的現象であり、永久的に持続するものではない。しかし、資金の貸手は貨幣を、機会が起こるにつれて移動させることにより永久的所得を確保する可能性をもつ(p.184)。自然利子率と貨幣利子率と関係は、多くの点で、利潤と利子との間の関係に置き代えられるだろうとする(p.187)。発表当時から論争を呼んだ、いわゆる動態利潤(利子説)である。

 革新のおさらいを終えて、以下循環を論じる。「著者が強調したい陳腐さは、[中略]『経済変動は外的要因と成長と革新によるものである』という形で述べられるなら、とりわけ明らかになる」(p.125、強調原文)。外的要因の最適例として東京(関東とすべきか)大震災をシュンペーターはあげている。景気は「自律変動」する、外的要因がなんら存在しない場合にも、景気循環は見られる。変動の内的要因としては、嗜好の変化、生産要素の量(または質)の変化、商品供給方法の変化の三つをあげる(p.104)。別の場所(p.123)では、それらを、嗜好の変化と成長と革新とも呼んでいる。
 これらの要因は相互に影響し合うが、その内、嗜好の変化については、広告等により消費者に押し付けられる「生産者の行動に付随するものであり」(消費者主権の否定!)、「問題とするに足るほど重要ではないし、無視したところでわれわれの描写を著しく損なうものではないと考えられる」(p.104-105)。成長とは、人口の変化と、貨幣購買力変化で修正した貯蓄と蓄積の総計の変化のことであるとする(p.120)。すなわち、労働と資本あるいは生産要素の変化とみて、大きな誤りはないと思う。そして、「成長の効果は、[中略]独力ではわれわれの観察する好況と不況の交換をつくりだすことができない、ということである」 (p.120:強調原文)から、「革新は変動の特別な内的要因であることが容易に知られる」(p.123:強調引用者)。「革新は資本主義社会の経済史の、また該歴史中の純粋に経済的であるものの中の顕著な事実であり、また一見他の要因に帰せられるものの大部分はほとんどそれによって説明されるということが、直ちにわかる」(p.124)。
  資本主義社会の制度の下では、常に革新の可能性があり、いつでも革新行動が可能な、あるいは試みる人々が存在する。その反面、革新行動の発生あるいは群生は、新人によるものであり、「同時的に、また当然のこととして、実行されない」(p.141)。それは、ある種の規則性をもって反復する特徴をもつが、円滑・継続的なものではなく、個別的には苦痛に満ちた過程を経て適応される。 シュンペーターモデルでは、新企業のみが革新を実施し、生産費用の低減に対応できなかった既存企業は、倒産するか廃業する。革新企業の行動動機は、見込まれる利潤である。 資金面での大きな仮定は、革新の資金調達は貯蓄によるものではないこと、および信用創造は革新的投資向けに限定されているということであった。

 シュンペーターの景気変動(経済発展)の理論的フレームワークは、静態的な「循環的流れ」(ここでの循環はケネーが描いたような経済体系内の循環の意)の均衡経済体系、革新の理論、均衡から乖離する混乱した経済、および新均衡を模索する適応過程からなる。
 シュンペーターは、経済学を静態経済学と動態経済学に区分し、前者のワルラスの理論を高く評価したことは周知のところである。しかし、ワルラスやその他新古典派の均衡理論では、経済変動や経済危機といった重大な経済現象を説明できるものではないこと充分に認識していた。ワルラスのモデルから外生的な発展の可能性を除いて、定型業務を遂行する経営者からなる静態的な経済体系(「循環的な流れ」)として再解釈し、景気循環の出発点として位置付けた(帰着点でもある)。静態といえばJ・S・ミルの長期的な経済発展の結末のゼロ成長社会を想起するが、シュンペーターにあっては、むしろ資本主義発展の出発点となる「原始的な国々」 (p.119:蓄積に関して言及している)のイメージに近いかと思われる。  景気循環一サイクルを区分するのには、山から山あるいは谷から谷と区分することも出来よう。シュンペーターの理論に従えば、景気循環サイクルは、均衡からはじまり均衡に終わるものと解釈すべきである。
 しかし、均衡といいながら、実際の体系は理論上の均衡に「決して近づくものではないから、均衡点を考察する代わりに、均衡区域を」考察する。「作業形式であるこのような区域を均衡の近傍(原文neighborhoods of equilibrium:引用者)と名付ける」(p.102:強調原文)。「均衡の近傍」とすることで現実的な取り扱いが可能になったが、概念が幾分あいまいにもなった。クレメンス・ドーディ(1956p.39)がいうように、「だが今や、それぞれの繁栄はすべて、均衡近傍から出発するものでではあるけれども、不完全に展開された諸革新、以前の諸循環の未消化の要素、失錯の結果である欠陥の多い調整等を含有している、不完全な慣行(ルーティン)がかもしだす雰囲気の中で発生していることが認められる」。

 (第一次接近)
 著者の景気循環に関する、「第一次接近」は二段階循環モデルである。資本主義の駆動部は、ジーゼル・エンジンの如くツーサイクル・エンジンとして描かれる。それは、「好況」(prosperity)と「後退」(recession)の二局面からなる。訳語は本によって区々であるが、ここでは本書訳本の訳語を採る。「好況」は、 企業者活動による体系の均衡からの離脱の段階であり、「後退」は別の均衡位置に接近する段階である。「後退は、さきだつ革新の結果を収穫する時期であるとともに、またその間接の成果(誘発された発明や既存企業の合理化:引用者)を収穫する時期でもあるということを再び注意していてもよいだろう」(p.210)。資本主義のダイナミックな過程は、「革新」と「革新の吸収」として要約して捉えられ、景気循環の本質を端的に表している。「 この所見は『経済発展の理論』の景気循環の章と『景気循環論』の全議論を見事に要約している」(アンデルセン、2016p.252)。「第一次接近」は、「純粋モデル」ともいわれる。
 循環過程を経た、新均衡(近傍)状態は、以前のそれに比べて、総産出量は増大し、産業構造は変化している。貨幣所得総額は同額だが、価格水準は低下しており、価格体系も変化している 。従って、消費者の実質所得は増大している(p.201)。
 アンデルセン(2016p.263)の描いた模式図がわかり易いので下に掲げる


 (第二次接近)
 景気循環の第一次接近は、好況→後退の二段階であったが、今や、好況→後退→不況→回復、の四段階で描かれる。これが、第二次接近である。資本主義エンジンのモデルは、2ストロークから4ストロークとなったのである。循環体系をより現実に近づけるために、第一次接近に誤った投資を含む「第二次波動」を付加えた。こうして、好況と後退の再解釈および不況と回復の段階が加えられた。小標題は「C 第二次波動―第二次の接近」となっている。
 第二次波動とは何か。革新は、新工場や新設備に具体化されるから、追加的な生産者支出だけでなく、追加的な消費者支出も迅速に生じる。後者の例は、新工場による当該地域の食料品の小売、卸売り、製造業への需要増である。このような場合、既存企業は生産増で対応するであろうし、さらに多くの者が 現在の増産率が継続すると想定した場合にのみ利益が見込めるような「思惑をやる」であろう。価格上昇を前提とする取引が行われて、均衡条件下では不可能であったような利潤の確信、強気が拡がる。これら、元となる革新から派生した直接的反応および誘発された投機的活動が生み出すのが第二次波動である。シュンペーターは、新企業は生産要素を他の既存企業から奪ってくるとして、要素の生産増はないと仮定していたから、(シュンペーターは、はっきりとは書いていないが)今や生産増を認めたということではないか思う。そして、第二次的波動は、数量的には、これの源である一次的波動よりも大きくなる傾きがある。「この第二次波動の現象は、数量的には第一次波動の現象よりももっと重要であるかも知れないし、一般にそうである」(p.214)。
 もっとも、第二次接近は第一次接近に第二次波動を加えただけではない。著者は、「第二次波動の現象とともに、われわれの第二次接近を仕上げるために、二、三(原文a few:引用者)の他の事実を導入しよう」(p.232)と、5つの事実を付け加えている。1.循環の継起的変動、2.成長、3.信用創造の拡張、4.非革新産業の誘発的投資、5.競争の不完全性、である。あまり重要ではないと思われるので、詳細は省略する。
 第二次的波動は、それ自身の推進力をほとんど有していない。第一次波動の変調は、第二次的波動の繁栄の中断を誘発する。しかし、第二次波動を含む第二次接近モデルでは、後退が新しい均衡に落ち着いて終わるのではない。経済体系は、均衡近傍を通過して一段と低い水準へ向かう。不況(depression)の過程である。「異常整理」の段階とも称している。累積的収縮への条件が存在し、景気局面の再調整で終わらず、多くの企業の淘汰が行われる。「疑いもなく、ひとたび体系が累積的な下降過程に入ると、景気状況の急速な悪化がいつもみられる。しかし、この悪化は単に螺旋がそれ自体を餌として大きくなるという事実よるものだけではなくて、主として、外部から、すなわち、それとは独立におこる崩壊や収縮から育てられるという他の事実によるものである」(p.225:一部訳を変更した)。
 しかしながら、不況という現象は、循環過程に必須な段階ではないという観点からは、病理的現象である。景気循環理論は、不況を含まずとも論理的に完結できる。不況の発生とその程度は論理的には決定できないとみる。 循環過程というものは、そのすべての本質的な様相にわたって、不況がなくとも論理的には完全なものであるだろう。不況が起こるか起こらないかは事実問題であり[中略]そのうえ、不況の発生やその激しさについては、なんの理論的な予想もたてられえない」(p.221:強調原文)。不況の発生は、財界や公衆の気分、射利的精神の蔓延、好況時の信用にたいする態度、事業計画についての判断能力等々に依存しているというのである。
 次に回復の過程である。不況が行き着くところまで行けば、経済体系は新しい均衡近傍へ戻り始める。二段階モデルでは、後退期の過程は、その作用が出尽くした時に消滅するから回復の問題はない。四段階モデルでは、景気局面が消極的段階に入った時に、経済体系が自動的に反転するか否かの、「回復点」の問題が発生する。不況過程が止むなら、企業が獲得可能な利益を放棄したり、回避可能な損失を許容することはないから、回復や最終的に均衡近傍に接近する行動をとることは容易に示せる。問題は不況が自動的に止むことを理論的に示せるかということである。 「しかしながら、この問題には一般的な回答というものがない。螺旋からの圧力がそれを止めようとする体系内の反作用を生み出す、ことは実際に証明されうる。一方では、効果の拡散とか希薄化とか呼んでもよいものがあるだろう」(p.225)と理論的には、はなはだすっきりしない書き方である。回復に関しては「常識や歴史的事実」によって明らかであると考えているようである。
 ここでも、四段階モデルのアンデルセンによる図解をあげておく。

 四段階モデルは、二段階モデルとは異なった結果をもたらす。不況期は、それがなければ、存続し得た企業を淘汰する。不況は、健全であっても、充分な金融支持をもたない企業を整理・淘汰し、負債無しでは全然継続できない事業でも充分な金融支持の得られる事業を温存する(p.219-220)。新均衡近傍は、「先の好況や不況の消化されない要素や、まだ完全には出し尽くされていない革新や、まちがった、またはその他の点で不完全な適応の結果」(p.232)という不均衡が含まれたものになるのである。

(第三次接近)
 第三次接近は、資本主義の変動プロセスを同時発生的な複数の波動の結果と捉える。そう考えるのは、理論的および経験的な理由からである。「理論的図式には、[中略]なぜに循環的発展過程が丁度ひとつだけの波状運動を惹起するかという理由はなにもない。反対に、循環的発展過程は、同時的に進行し、その過程でお互いに衝突しあう無数の波動状態をひきおこすものと期待すべき多くの理由がある。また、われわれが経済変的時系列のどのグラフから与えられる印象も単一循環の過程を支持するものではない」(p.238)。
 循環的変動の根本的原因は革新であるとする著者の観点からも、波動は単一であるとはできない。革新の懐妊期間およびその経済体系による効果の吸収期間は一般的に長短様々であるからである。理論的には波動は無数あり、循環期間は多様である。波動が無数あるとすれば、そのパターンを絞るのは、統計的・歴史的検証によらねばならない。信頼できる統計も 150年間(シュンペーターの当時)しかないので、長期の周期があっても、認識できるものは限られる。いずれにしても、検証の便宜的な側面は逃れがたい。
 「われわれは一つの決定をしようとする。多くの他の目的にとってと同じように、われわれの目的にとっても、問題を以上の結果のままにしておき、無数の循環や循環種類をもって仕事しようと試みることは、きわめて不便であろう。[中略]したがって、いまは、本書の大ざっぱな目的のために三種の循環で満足することにきめる。それを単純に コンドラティエフ循環ジュグラー循環キッチン循環とよぶだろう」(p.250:強調原文)。そして、きわめて少数の例外を除き、歴史的・統計的に、1コンドラティエフ循環に6ジュグラー循環、1ジュグラー循環に3キッチン循環が含まれるとする。「平均としてではなくて、すべて個別の場合に」(p.258:強調引用者)。
 このようにして、シュンペーターは『循環論』といえば必ずといっていいほど取り上げられる有名な景気循環の図を掲げる(p.317)。コンドラティエフ(振幅幅18単位)、ジュグラー(同3単位)、キッチン(同1単位)の各循環をサインカーブで表し、それを総合したものである。ここではエクセルを使って再現した図を掲げる。


 各循環の周期については、本文では直接明示されていないが、「付録」のサインカーブを定義したところに書かれている。各684ケ月、114ケ月、38ケ月(57年、9年半、32ケ月)である。
 どの循環波動の動きも次低次の循環にとっては趨勢であると表現できる。各サイクルの景気段階が一致するなら、特に好況及び不況の段階が一致するなら、景気の山や谷は異常な烈しさを生み出すだろう。シュンペーターによると、1825-1830年、1873-1878年および1929-1934年不況がその例である。
 三循環図表は多くの問題点があろう。上記に引用した、小循環が上位の循環に整数回含まれるとの記述は特に便宜的で、眉唾物に思われる。アンデルセン(2016p.310-311)は、次のようにいう。研究者はこの三循環の図の部分をそれが正当化される以上に強調し過ぎる傾向があるため、この図は全く非現実的な仮定に基づいていることを繰り返し注意することが重要である。シュンペーターの三循環の相互作用図解は経済史の事実であるというより、彼が「調和的な分析の神秘に魅せられた」ことによって「結果を逆に統計的、歴史的分析の指針として利用したことは明らかだ」と。サムエルソンが「ピタゴラスのたわごとの臭い(数秘術の意か:引用者)がし始めた」(同、p.312)といったのも同様の趣旨であろう。
 ちなみに、現在ではキッチン循環は在庫投資の波動と考えられており、通常は革新と関連づけられていないことを付け加えよう。

 (革新の群起)  
 著者は、波動運動をもたらすためにはその原因が断続的あるいは波動的に作用する必要はないといっている(p.266-267)。一回の衝撃でも波動は生じるのである。それでも認識されるほどの波動の発生には、ある程度の原因=革新の群起が必要であろう。すでに『経済発展の理論』執筆時において、シュンペーターは(1977、下、p.188)、レーベやレーデラーから、企業家が周期的に、群生的に出現する理由を適切に説明していないという批判を受けていた。そして、「私が企業者の「群生的」出現[中略]を適切に説明していないという主張は成立するかもしれない。しかし、私がそれを説明することを[中略]まったく試みなかったという主張は成立しないと思われる」(同、p.188-189)と答えている。
 本書においても、著者自身の革新群起の説明は十分にはなされていない。むしろ、書評者や解説者が詳しく述べている。説明は以下のとおり。革新の群起が企業者能力の出現が不連続であるためとは考えにくいから、革新が発生する均衡(近傍)においては、 循環の他のどの局面よりも、革新の導入にとって好適な環境が存在すると考えられる。革新の困難と危険を衡量にかければ、均衡近傍では、失敗の危険度は最小であり、革新への圧力は最大である。そこでは利潤と利子はゼロであり、市況の安定性が存在する。収益の不確実性は最小で、銀行家の信用供与が得やすい。ブーム時はむしろ革新の機会には不利で、意外の収益を考えると既に立証されたた諸活動、ルーティン・ワークを拡大するのが有利であるということらしい(注2)。
 その上、革新の衝撃は景気循環の局面によって異なるという。均衡時であれば、第一波動と第二次波動全部を起こす一定の革新が、第二次波動の断絶直前に実施されるならば、整理状況に吸収されてしまい、重大な投資機会が開かれないという。「資本主義社会で成功するには、抽象的に正しいだけでは十分でない。一定の時期に正しくなければならない」(p.617:強調原文)のである。これらの説明に比べれば、簡単なものではあるが、一旦、革新行動が起これば、「経験を蓄積し、障害をなくすることによって後続者たちのために次第に平坦化された革新の道」(p.192)が開けるという説明はわかり易い。
 革新の体系への導入は、均衡近傍の時に、「一団となってなされる」であろうとの群起の問題は、「シュンペーター教授の理論の中で全く満足がいくように説明されている」(クレメンス・ド-ディ、1956p.120)との評価もあるが、依然レーベ等による批判が有効なのではないかと、私には思われる。それでも、「<シュンペーター体系>のある部分は量的に確証し得ないものであるというのと、それらの部分は経験主義的に確証し得ないものであるというのとは、同じではない」(同、p.203)と受け取っておくのが良いかもしれない

 ((統計))
 「統計」についての部分はごく簡単に触れる。まず、「第5章 時系列とその正常値」では、趨勢や循環について論じ、上記三循環合成の理論的図式で終わっている。次に景気循環を計測する シュンペーターは、「第1章 序論」では、1.利潤と予想利潤からはじまって、4.商品価格、7.雇用、15.生産を含み、41.礼拝式への参列で終わる計41の集計時系列データを、景気状況を明らかにするために利用するとしている(p.20-23)。しかし、さすがに実際には「礼拝式の参列」統計までは利用されていない。景気循環の研究計画を述べた論文「経済変動の分析」(1935)では、体系的系列として、「総合的」な価格水準と生産量、「自然的」な利子率、手形交換額、失業、銑鉄生産、預金総額の例をあげている(シュンペーター、1991p.64)。ここらあたりを主要時系列と考えていたのであろう。
 邦訳第Ⅲ巻において、主要統計指標の性質と意義を論じている。詳しく述べる必要はないと思われるし、その理解には制度的知識が必要であり、小生には理解できぬ箇所も多々あった。 章題をあげて示しておくので、内容を推察されたい。章題からは解りにくい場合は、適宜、節(?)の題で補うなど訂正している。第8章 物価水準、第9章 産出量と雇用、第10章 個別商品(サービスを含む)の価格と生産量、第11章 支出・賃金・預金と貸付残高、第12章 利子率、第13章 中央銀行(原題はthe central market)と株式取引所、である。
 著者は、経済体系のリズムを観察するために、これらの諸時系列を組み合わせて利用している(注3)。景気状況を明らかにするといっても、もっぱら、その利用目的は、経験的に景気循環の周期と各周期中の景気段階の日付を決定することにあった。それも、コンドラティエフおよびジュグラー循環という二種類の循環の説明に集中した。

 ((歴史部分))
 歴史部分は、4つの章に分かれて記載されている。1.歴史的概観(その一)[1787-1842年](第6章)、2.歴史的概観(その二)[1843-1913](第7章)、3.1919-1929年(第14章)、4.世界恐慌とその後(第15章)、である。これは、コンドラティエフ循環および、第一次大戦と大恐慌を考慮して区分されたものである。シュンペーターは、第一コンドラティエフ循環を1787-1842年(産業革命)、第二循環を1843-1897年(蒸気と鉄鋼の時代)、第三循環を1898以降(電気、化学および自動車の時代)とする。「歴史的概観(その一)[1787-1842](第6章)」は、コンドラティエフ第一循環そのものである(注4)。「2.歴史的概観(その二)[1843-1913](第7章)」は、第二循環および第三循環の最初の16年間(1898-1913年)を含む(注5)。1914-1918年の間は、第一次世界大戦の期間でどこにも記述はない。戦争による異常事態であるので省かれたのである。「1919-1929年(第14章)」は、大戦後の経済再建期間である。そして、「世界恐慌とその後(第15章)」は、1929-1938年で、世界恐慌とその後の時代が描かれている。第1415章は第三コンドラティエフの時代に属する、著作時にはまだその波動半ばで完結していなかったが。
 シュンペーターが歴史叙述の対象とする国は、イギリス、アメリカ、ドイツの3ケ国に限定されている。そこには統計資料の整備状況の他、著者にとっての資料・統計等の入手の問題があったのであろうと思う。ジュグラーの祖国であるフランスは対象外である。そして、あげられた統計として特徴的なのは、あわせて60図が掲載されているが、すべてグラフ(折れ線グラフ)であることである――その作成の苦労や思うべし。それも、しばしば縦軸の単位が示されていない。私の見逃しがないとして、生のデータ表が掲げられているのは、本文以外の注で1ケ所あるだけであった(p.1516)。
 シュンペーターの波動を取り出す手つきを見てもらうため、一つの例を写してみる。1830-1915年の期間の英・米・独の利子率およびイギリスの失業率のグラフ(第20図)について書かれたものである。「ジュグラー律動内でのわれわれの系列の激しい動きは期待通りのものである。けだし革新の群生あるいは『発展の段階』は、銑鉄系列の動きに照らして立証されるだろうように、ジュグラー循環を通じてもっとも明らかに現れ出るからである」(p.768)という具合である。
 各循環期間の日付が決定されれば、各循環の具体的な内容は技術革新の歴史である。資本主義発展の経済史の主要叙述対象となったのは、各コンドラティエフ循環の波動の代名詞というべき5産業である。 綿糸(第一次)、鉄道および鉄鋼(第二次)、自動車および電力(第三次)の五業種である。それら産業を工場、会社、近代的な金融システムという三つの重要な制度的革新を中心に描いている。
  「鉄道コンドラティフの波動」に関する研究がシュンペーターの循環的経済発展論の形成に大きく関与していると思われるし、事実、鉄道産業の叙述分析が『循環論』の白眉である。著者は、鉄道に次いでは、自動車産業を好んで取り上げた。私的には産業史としての叙述では、特に「近代産業の中で、自動車工業はまた、その初期には、金融方法の点で、単独でほとんど一つの類となった」(p.620)とされる自動車産業の銀行に頼らぬ自己金融の箇所、および化学繊維部門の革新の箇所(p.648-650)が秀逸であると思った。
 以下各章(第7章はさらに二つに区分した)ごとに、その概要をみる。

1787-1842の第一長期波動)
 この波動は、最初の波動ではないが、明瞭な統計的記述が可能な最初の長期波動である。「通常は産業革命とよばれ、われわれがあのコンドラティエフの循環と同一視するあの過程」(p.376)であり、「イギリスの産業史は、当面の時期には、たった一つの工業[中略]すなわち綿織物業の歴史にほとんど解消する」(p.403)。外的要因としては、ナポレオン戦争の影響が大であった。
 その波動の4段階は、アンデルセン(2016p.317:以下同様)の助けを借りて表示すれば1.好況1787-1800年、2.後退1801-1813年、3.不況1814-1827年、4.回復1828-1842年である。下位次元波動であるジュグラー循環は、(1) 1787-1795年、(2) 1796-1804年、(3) 1805-1814年半ば(4) 1814-1823年末、(5)1823-1833年半ば、(6) 1833-1842年である(p.442-447)。 

 (1843-1897年の第二長期波動)
 産業革命に匹敵するものであり、世界の鉄道化に結び付けられる。国別では、特にアメリカの鉄道化、次いでドイツでの影響が大かった。イギリスではむしろ、外国鉄道建設ための金融機能の役割が大きかった印象を受けた。「しかし、第二コンドラティエフはブルジョアという形容詞を特別に要求している」(p.455:強調原文)。この言葉が意味するのは、工業・商業階級の関心や態度が政策や文化にたいする表現を規制するのに、他のどのような時期にも見られないやり方で行っていることである。
 鉄道は別として、産業の叙述は「石炭、製鉄、製鋼、機械、および繊維」(p.554)に限定されている。外的要因のとして大きいのは、アメリカ南北戦争である。
 4段階は1.好況1843-1857年、2.後退1858-1869年、3.不況1870-1884/85年、4.回復1886-1897年である。ジュグラー循環は、(1) 1843-1851年、(2) 1852-1860年、(3) 1861-1869(4) 1870-1879年半ば、(5)1879半ば-1888年、(6) 1889-1897年である(p.592-593)。

 (1898-1939年の第三長期波動の最初の16年、すなわち1898-1913年)
 第一次世界大戦前の16年間を、適当な名称がないので、「新重商主義コンドラティエフ」と呼ぶとする。その理由は、第一に、保護主義の再開と軍備支出の増加であり、第二に、財政・社会立法上の新精神および、急進主義と社会主義思潮の高揚、そして労働組合主義の発展がみられるからであると。この長期波動の点火器は、電気工業である。それに加えて、自動車および化学工業が続いた。「これらの工業は―ゴムの発展、タービン、内燃機関などのような他の革新と一緒になって―第三コンドラティエフを『担う』ことになった」(p.538)。鉄道、金融、産業の「合併ブーム」の時代であり、合併も一つの革新である。
 4段階は1.好況1898-1911年、2.後退1912- である。ジュグラー循環は、(1) 1898-1906年、(2) 1909年?-である(p.652)。 

 (1919-1929年 戦後復興期)
 上述のように1914年から1918年までの期間、ドイツについては更に1918年から1923年までの期間は除外されている。それは第一次世界大戦によって、「この期間が、その数字をわれわれの目的にとって無価値なものにするほどにまで『外的要因』に支配されていた」(p.1024)ためである。
 この章の目的は、世界大戦以前の130年間について析出した循環的過程が戦後期にも継続したことを確認し、より豊富となった資料によりその機構を研究することである。まずは、ここで世界恐慌に先行する期間を論じ、世界恐慌は次の章で扱っている。著者は、「可能と思われた場合にはいつも、つとめて紙幅を節約し」(p.1023)と書いているが、それでもこの11年に邦訳で1巻を要している。『循環論』が冗長とされる所以であろう。
 戦後期も戦争の影響が「異常に重要な役割」を及ぼした。戦争による物的破壊は、放置された設備の更新や新投資の累増を呼んだ。参戦国の英・米・独に加えるに、非交戦国の復興需要もまた盛んとなった。復興特需は、ほぼ1920年代の中頃までの好況や回復を強めたし、平和経済への移行は、1918年の短い『動揺』をほぼ全面的に、そして1921年の恐慌を部分的に説明する。この11年間に拡大した産業は、建築、電力および自動車(航空機もまた)である。特に、自動車産業の影響は、「この期間の過程や集計量の動きのどれだけ多くが自動車の発展だけでもって説明できるか」(p.1153)といわれるほど大きかった。
 しかし、戦争の影響は大きいとはいえ、「世界大戦は戦後世界の基本的な社会的特徴のどれをも『創造』しなかった」(p.1035)と結論する。この期間で印象的であった記述は、貨幣賃金率の軽度上昇と、実質賃金率の著しい上昇である。労働は以前よりも相対的に高価な生産要素となった。消費財価格に比しての労働価格上昇は、アメリカ型の家庭生活に影響した。二十年代の非常に重要な特徴の一つである耐久消費財需要は、比較的に高価となった種類の労働、手仕事を省略するための手段であった。
 循環過程は依然存在するが、以前ほど明確ではない。シュンペーターモデルによれば、この時期は、第三コンドラティエフの後退および不況の段階であり、不完全なものであるが(もし変動が戦前から継続していたとするなら)第三番目と第四番目のジュグラー循環に該当する。

 1929-1938年 世界恐慌とその後)
 世界恐慌もまた、三循環図式で解明できる。「それを使用するなら、事実、1929年の視点からして三循環全部の不況段階の一致という定式の中に含蓄された、深刻な不況の『予測』がえられたのである」(p.1356:強調原文)。世界恐慌は、長期・中期・短期の波動がすべて、不況局面にシンクロした状態なのだ。「そうして、この状況が世界恐慌についての根本的な事実なのであって、それに比較すれば、すべての他の要因はどれほど重要なものであるにせよ、結局、[中略]付帯物にすぎない」(p.1357)。英・米・独の3か国の「事実はわれわれの模型の期待に一致している」ので「われわれの観点から追加的な説明を必要とするものはなにもない」(p.1384)。
 もちろん、特に後退から不況の局面に突入にするについては、「加速度原理」やフィッシャーの「債務デフレーション」理論の表現する現象で説明可能だが、革新理論による説明とこれら理論による説明は「議論の同じ平面に立っていないのであって、お互いに闘わされることはできない」(p.1385)。説明の次元が違うということであろう。
 資本主義とその文明は崩壊しつつあり、非業の最後を迎えつつあるのか。シュンペーターは然りという。しかしそれは、世界恐慌とはなんの関係もなく、別の意味においてである。「世界恐慌は体系の弱化ないし失敗の徴候ではなかった。どちらかといえば、それは資本主義発展の活力の証左であり、資本主義発展にたいする ―事実上― 一時的な反作用であった」(p.1358)。
 さらには、不況対策として政府によって様々な経済政策がとられことについて。「好況は国家の指導したものにすぎず、国家が創造したものではなかった」(p.1465)。英国において、新政策は、「われわれの図式から期待される通りの循環的輪郭を消し去らなかった」(p.1448)ことを時系列統計が示している。アメリカのニュー・デール政策が資本主義の性格を変えたとの議論に関しても否定する。16世紀以来1932年末まで継続進行したと厳密に証明される過程が、「193334日(ルーズベルト大統領就任:引用者)になって突然停止したということは、もちろん論理的にはなんら不可能なことではないが、一切の経験と常識に違背するだろうからである」(p.1477)という。「総括してつぎのように言おう」と述べて、政府による所得発生の効果の兆候は列挙できるとしても、「示される統計上の像は、この要素がなければ当然みられると期待されるものと根本的には異ならない。[中略]このような像は、公共支出があってもなくても、正常な回復過程の単独の効果の下に現れただろうから、この結論は、この支出が[中略]なんの影響も及ぼさなかったことを示唆するように思われる」(p.1516)。事実において、「われわれは、世界恐慌までの戦後期のあらゆる本質的な特徴ばかりではなく、世界恐慌そのもののあらゆる本質的特徴もまた、われわれの模型からの、すなわち過去の経験からの期待に完璧に答える、ということを知っている」(p.1475)と判断する。 

最後に、本書の巻末には、ケインズが『一般理論』最終章「一般理論の誘う社会哲学―結論的覚書」でしたように、「資本主義過程の停滞」として結論的覚書の如きものが散りばめられている。多少の注釈(*を付けた)を加えて、アフォリズムのように摘記してみる。

 ・「すなわち、資本主義は本質的に(内生的な)経済変動の過程である」。「この意味で、安定した資本主義というのは形容矛盾である」 (p.1549)。

・「『進歩』の機械化(第三章)は、技術進歩の停止がもたらすだろうと同じ効果を、企業者、資本家、資本家の報酬にたいしてもたらすだろう」(p.1551)。
 *ここで「進歩」は「革新」の意味であろう。「機械化(第三章)」には具体的なページの指定がない。私は、巨大企業内で革新が制度的に行われることを指しているのだと解した。「このような巨大企業は往々、その中で絶えず入れ替わる人が革新から革新へと移る外殻にすぎない」p.139)。「われわれは競争的資本主義と区別して、トラスト化資本主義の概念を導入する。もしこのような組織形態が経済機構を通じて支配するなら、経済的発展はまたは『進歩』は、われわれが描こうとしている像とは著しくちがったものとなるだろう」(p.140)との記述がある。アンデルセンのいう革新マークⅡモデルである。*

・「すなわち、『必要』は、それがどのようなものであっても、制約的要因以上のものでは決してなく、多くの場合、企業者活動のたんなる産物にすぎないものである」(p.1552)。
 *消費者主権の否定。ガルブレイスの「依存効果」の嚆矢か。*

・投資機会の減少は「これらの『趨勢』およびそれがはたらく仕方についてどう考えられようとも、そのどれ一つとして、アメリカでは、このことを証明するほどにまで進捗していない」(p.1554)。
・「ほかならぬジョン・スチューアート・ミルほどの権威が資本家的企業の可能性は実質上消滅したと1870年に主張することによって名誉を傷つけかねないこととなった」(p.1555)。
・「資本主義過程はその論理に固有の内的原因から沈滞しつつあるという、また、政府による所得発生は凋落しつつある組織体の自己防衛にほかならないという理論は、従って全くあてはまらない―せいぜい、世界不況の若干の余波の誤った解釈」(p.1555:強調引用者)である。
 *シュンペーターは革新の継続的発生が資本主義の本質と捉えている。革新従って利潤は常に発生する。利潤が生じない体制は資本主義ではない。マルクスの「利潤率の傾向的低下の法則」やケインズの「資本の限界効率の逓減の法則」(これは短期の前提ではあるが)は信じていない。
 ただし、資本主義もその機能と生存のために報酬の現実の引き渡しに依存している。これが結局、投資機会の強調が帰着するところであるから。この言葉を少し拡張し修正することによって、その意味では、「現代の資本主義について問題なのは投資機会の消滅であるということに同意してもよい」(p.1556:強調原文)とはいっている。*

 ・「すなわち資本主義はその単なる働きからして、それに敵対的な雰囲気―読者が好むなら、道徳的慣例―を生み出すのであり、この雰囲気が今度は、資本主義が機能することを許さない諸政策を生み出している」(p.1556)。
 *『資本主義、社会主義、民主主義』でのテーマにつながる言葉である。*


 日本の洋古書店よりの購入。常に市場に出回っており、稀覯本には当たらない。それでも最近は、初版本の書価が上昇している。

(注1)邦訳では「景気の回転」と訳されている。
(注2)この箇所の記述は、クレメンス・ドーディ(p.118-119)およびアンデルセン(p.269)によった。シュンペーター自身は、革新が均衡近傍で起こる理由を明示していないようである。「革新過程はこのような近傍だけから出発するというわれわれの先の命題」(p.256)という記述があるが、先の命題の箇所を探し出すことができなかった。せいぜい、企業者が革新を行うことについて、「彼がそれ以前になぜそうしなかったという理由は、われわれの出発点としての均衡に先行するものと仮定されている撹乱による」(p.192)と書かれているくらいか。
(注3)例えば、「下降期プラス回復期は、生産量増加という形で革新の果実を収穫する時機であるという命題」(p.753)があるので、生産量だけでは、景気段階を判断できない。
(注4)第6章には、C(節?)として、「景気循環分析のために通常研究される時期にさきだつ300年間の状態と過程」として、15,16世紀からの経済状態が描写されている。
(注5)第7章の下位区分、は次のとおり。
A.『長期的循環』の一単位と考えられる1843-1897年の時期(第二コンドラティエフ)
B.当期の農業状況(と農業不況)
C.鉄道化
D.ドイツ、イギリス、アメリカにおける製造工業の若干の特徴
E.第三コンドラティエフの最初の16年間(1898-1913
B-Dは、基本的に第二コンドラティエフ期間の記述である。

(参考文献)
  1. アンデルセン、エスベン・スロス 小谷野俊夫訳 『シュンペーター 社会および経済の発展理論』 一灯舎、2016年
  2. クレメンス、リチャード・V およびドーディ・F・S 伊達邦春監訳 『シュムペーター経済学入門』 ダイヤモンド社、1956年
  3. シュムペーター 『景気循環論Ⅰ~Ⅴ巻』 有斐閣、19581964
  4. シュムペーター 塩野谷祐一他訳 『経済発展の理論 上・下』 1977
  5. シュンペーター 中山伊知郎・東畑精一訳 『資本主義・社会主義・民主主義 上巻』 東洋経済新報社、1962年 
  6. シュンペーター 金指基訳 『景気循環の歴史的接近』 八朔社、1911年
  7. マクロウ、K・トーマス 『シュンペーター伝 革新による経済発展の預言者の生涯』 一灯舎、2010年




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(2018/6/7記)



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