SCHUMPETER, J. A.,
Capitalism, Socialism and Democracy, New york and London, Happer & Brothers , 1942, pp.x+381, 8vo.:association copy of W. Stolper

 シュムペーター『資本主義・社会主義・民主主義』1942年刊、初版。ヴォルフガング・ストルパー旧蔵。
 邦題は『資本主義・社会主義・民主主義』ときれいに「主義」が揃っているが、最後の「主義」の原語はもちろん、democracyで思想に関係がなく「民主制」というべきか。そういえば、資本主義のcapitalismもリューマチrheumatismと同じく思想と関係と関係がない(竹内啓『現代経済入門』による)そうであるから、資本制でよいのかもしれない。社会主義はべつだが、この本では主として思想より制度が扱われている。
 シュムペーター(本書の訳書の表記に従い、本稿ではシュンペーターではなくシュムペーターで統一する)がこの本を書いたのは、大著『景気循環論』を1938年に仕上げ、気晴らしのために通俗的読み物として手掛けたもので、数か月で完成つもりであった。周囲にはおカネ目当ての作品と公言し、自らは『経済発展の理論』と『経済分析の歴史』が後世に残る作品と考えていた(スミシーズ)。それでも、1941年の刊行後には、ベスト・セラーとなったし、大きな反響を引き起こした。本書によって、技術進歩の重要性、ならびに競争に対する常識を覆し大企業体制の利点を、広く一般人に知らしめた。その筆力で豊かな歴史知識と経済学を結びつけ、個性の際立った著作となっている。今では彼の主著の一つとされている。
 最初に便宜のために本書の内容を数行で、まとめれば次のようになるか。資本主義の解体と、社会主義の登場は不可避である。そして、資本主義の消滅はその失敗にもとづくのではなく、まさにその成功にもとづくものである。社会主義は十分に実現可能性がある。のみならず、効率的でもあり、社会主義は資本主義に対して優位にある。そして、社会主義は民主主義と両立しうる。

 この本は、第一部 マルクス学説、第二部 資本主義は生き延びうるか、第三部 社会主義は作用しうるか、第四部 社会主義と民主主義、第五部 社会主義政党の歴史的概観、の五部構成である。議論の中心は、第二部の資本主義論、第三部の社会主義論および第四部の社会主義体制での民主主義論である。第一部は前奏曲としてのマルクス思想を扱い、第五部はマルクス主義中心の社会主義運動史である。第五部は、独訳や仏訳では省略されている。以下では、まず中心部分の第二部~第四部をやや詳しく内容に沿ってまとめていく。第一部、第五部については、その後に、体系的とは行かないが、印象的な部分を摘記することになる。最後につまらない感想を附した。
 
 (第二部資本主義は生き延びうるか)
 この部の最初と最後に次のような注意を与えている。社会的予見は、究極的結果よりも、それにいたる事実と論証の方が大事なのである。分析が明らかにできるのは、一個の観察可能な類型による現存傾向の主張にすぎない。将来何が起こるかではなく、「ただそれが我々の観察期間と同じように作用し続け、しかも他の要因が撹乱しないとすれば、将来そこに何が起こりうるかを教えるものにすぎない」(シュムペーター、1962、p.113;強調原文:以下訳書からの引用はページのみ表示)。そして、「このようなことにおいては、一世紀といえども「短期」である[中略]それは奥深いところでゆっくりと作用している」(p.298)。
 「資本主義は生き延びうるか」に対する著者の答えは、否である。著者の主張しょうとするのは、資本主義体制の現実および将来の業績は、経済上の失敗による崩壊ではなく、その非常な成功である。しかし、その成功は、むしろそれゆえに、それを擁護する社会制度を掘り崩し、それが生存できない条件を「不可避的に」生み出し、後継者として社会主義を強力に指名するほどの成功である。
 資本主義が1928年以降の半世紀の間に、その過去の成果を繰り返すならば、50年後には現在水準での貧困は解消されるだろうという。ここで、シュンペーターが1928年を取りあげたのは大恐慌以前の経済トレンドによって推計し、かつ大恐慌は例外で除くという含みがあるのだと想像する(彼はどこかで「大恐慌」を「おしめり」だといっていた)。おおまかにいって、国民所得の階層別分配が、直近100年間実質的には、一定であったことは判明している。格差は拡大しなかったのだ。しかも、それは貨幣で計測したもので、実物的な価値で測った場合、相対的分配は実質的には、低所得層に有利であった。資本主義生産物の典型的な成果は、安価な衣料、人造繊維、量産自動車である。それらは概して、金持ちにとって重要な意味のある改良ではない。「エリザベス女王は絹靴下をもっていた。資本主義の業績は、典型的には女王のためにより多くの絹靴下を供給することにあるのではなく、必要労働を着実に減少させる見返りに、絹靴下を女工たちの手の届くところにもたらすことにある」(p.124)。
 古典派経済学の理論は、拘束なき企業と利潤追求動機が消費者の利益に一致するとする。そのヴィジョンにどれだけの真実が含まれていようと、それは「トランプで作った家」(a house of cards:p.139改訳した)のように見える。最近の主流派である、マーシャル・ヴィクセルを代表とする新古典派経済学も、古典派とまったく同様に、完全競争の原則上に自己の一般的結論を形成した。しかし、完全競争は農業部門を除いては、多くは存在しない。商工業の商品やサービスについては、あらゆる販売店や製造業者が、不安定であるが自分だけの小さな支配力を有するマーケットを持っている。それらの市場は、完全競争よりも独占様式に近いものである。それらを理論化したロビンソンの「不完全競争の理論」やチェンバレンの「独占的競争の理論」は、第一次大戦後の経済学への大きな貢献ではあった。
 独占的競争や寡占状態が支配的な経済では、マーシャル・ヴィクセル流経済学の多くの命題は、適用や証明が困難なものとなる。独占的競争では、均衡(完全競争のようには簡単ではない)は、たとえ到達できたとしても、完全雇用も生産量の極大を保証しない。それは、私企業の利潤のための生産は、消費者のための生産とは異なるという素人の抱く見解を裏付けるものではなかろうか。
 完全競争は、これまでのいかなる時代においても現実的でなかったことははっきりしている。一方で、大衆の生活水準は大企業の時代(企業に対する拘束は少なかった)にとりわけ上昇したのも明らかである。しかるに、経済学者も著名な著作家も、たまたま自分の見た経済の現実の一片から早合点した。断片的分析からは、資本主義の現実に対して正しい結論を導けない。独占的競争は、非効率的であり、生産極大をもたらさないと考えたのである。
 本質的に把握すべきは、資本主義を取り扱うことは、発展的な過程を取り扱ことだということである。著者にとって、発展とは、静態的状態ないし漸進的・均斉的成長とは反対の概念である。はるか昔にカール・マルクスによって強調されていた事実、すなわち「およそ資本主義は、本来、経済変動の様式ないし方法であって、けっして静態的ではないのみならず、また静態的たりえないものである」(p.150)。資本主義のエンジンを起動し維持する基本的推進力は、資本主義企業が創造する新消費財、新生産方法や新輸送法、新市場、新産業組織形態からもたらされる。「この「創造的破壊」(Creative Destruction)の過程こそ資本主義についての本質的事実である」(p.150)。ちなみに創造的破壊は、ここが初出である。『発展』では「新結合」、『景気循環論』では「革新」が使われた。
 一時点を観察し、寡占産業に高価格と生産量制限の企業行動のみを見る経済学者は、時間の様相の中での企業行動を考えず、特定時点の与件下での利潤最大化行動を説明して終われりとしている。経済学者は、ようやく価格競争だけの研究段階から脱出しつつある。資本主義の現実の競争は、新商品、新技術、新供給源泉、新組織型による競争である。小売業でいえば、同タイプの小売店が増える競争ではなく、商店街にスーパーが進出するような競争である。ついで、著者は当時非常に注目を集めた寡占産業の価格硬直性についてふれるが、議論の本筋と思えぬので省略する(ついでながら余談、門下生のマルクス経済学者スウィージーが、近代経済学的手法でこれを理論的に説明したのは1839年である)。
 結局シュンペーターの積極的な主張は次のとおり。現代産業体制では、完全競争は不可能だから、大企業、大規模組織は、経済進歩と不可分な必要悪として認めるだけでは充分ではない。それらは経済進歩、特に総生産の長期的拡大のもっとも強力なエンジンとなってきたことを認めなければならないことである。これまで、大企業資本主義構造において生産量増大という成果を実現できたのは、偶然に資本主義に有利な諸事情が存在したからではない、今後も過去同様の成果を示すと考える。大きな技術進歩は既に成し遂げられ、投資機会の枯渇した現在には、もうそれほどの技術進歩余地は残されていないとの見解も否定する。
 
 一旦、純経済的考察から離れて、資本主義の上部構造である資本主義文明を考察する。人間の合理的態度は、経済的必要から生じた。日常の経済行為を通じて合理的な思考や行為の初歩的訓練を受ける。それは、経済活動の明確さと量的性格によるが、不断に繰り返される経済的欲望と充足の非情緒的単調さにもよる。資本主義は、次の二つの相関連する方法で合理性を発達させた。第一は、貨幣単位を合理的な費用―利潤計算の道具に転化すること。複式簿記はその顕著な達成である。第二は、近代科学の心的態度、人材、手段を生み出すこと。こうして、近代的工場やその生産物のみならず、近代技術や近代組織さらに近代文明の一切も直接的間接的に資本主義の産物である。資本主義文明は、合理的かつ反英雄的にして、平和主義的である。
 人間の経済的欲望がいつの日にか飽和・充足されて経済進歩が止まるとは思えない。そんな日には、企業者の仕事はなく、ブルジョアジーは消滅する。しかし、進歩そのものが機械化(mechanize)されることは起こるかもしれない。そうなれば、企業者精神や資本主義社会に、経済の静止状態と同様の影響を与えるだろう。そして、現在は、イノベーションそのものが、日常業務に成り下がっている。技術進歩は、要求されたものを予測しうる形で実現する、訓練された専門家チームの仕事になりつつある。初期冒険的商業家のロマンは、いまや急速に過ぎ去ろうとしている、というのは、昔は天才のひらめきのなかで思いつかれたものが、ますます多く厳密に計算できるようになったからである。
 資本主義企業は、自らの非常な業績のゆえに、進歩を自動化しがちであるから、自分自身を余計なものとする傾向がある。完全に官僚化した巨大な産業単位は中小規模企業を追い出し、その所有者を「収奪」するだけでなく、ついには企業者自体をも追い出し、階級としてのブルジョアジーをも収奪する。その過程で、ブルジョアジーは、所得も、機能も失う。
 資本主義過程は、ブルジョアジー自身の経済的・社会的地位を弱体化するだけでなく、さらに彼らを擁護していた制度的枠組み(framework)にも影響を及ぼす。かつての絶対主義君主体制は、封建階級とブルジョア階級によって構成されていた。それは二つの社会階級の積極的な共棲であった。その一方が、経済的に他方を支えた代わり、政治的には他方に支えられていた。産業家や商人も、企業者であるかぎりでは、当然指導者たりうる。しかし、経済的指導力は、中世貴族の軍事指導力のように、国民的指導力にまではおいそれとは発展しないものである。オランダやベルギーの商人の共和国は、国際政治の大きな争いではつねに失敗した。そして、緊急事態となる度に、封建的性格の戦争貴族に統治権を譲らねばならなかったことは、教訓的である。ブルジョアジーは、ある種非ブルジョア的集団による擁護がなければ、政治的に無力であり、その国民を指導できないだけでなく、自らの特殊階級利益を守ることもできない。いわば、ブルジョアジーは主人を必要とする。しかるに、資本主義過程は、守護者である主人を取り除くか、あるいはアメリカのように、主人やその代役を発展させなかった。こうして、資本主義は、前資本主義の枠組みを破壊する際に、自己の進歩を阻害する障害物を破壊したのみならず、自身が崩壊せぬように支えている飛び梁までも破壊してしまった。
 以上、資本主義過程は封建社会の制度的枠組み破壊したとのほぼ同じやり方で、それ自身の枠組みの土台を掘り崩したという議論である。本来の資本主義社会の制度的枠組の破壊の話に戻る。資本主義過程がブルジョアジーを追い出すに至ることは既述のとおり。同じ過程は、経済に集中をもたらす。巨大企業がいかにうまく管理されたとしても、経済集中によって、多数の中小企業主が排除されることは、深刻な政治的帰結を招来する。中小企業の所有者―管理者は、その扶養家族、子分、関係者と共に、投票で重きをなし、大企業管理には存在しない謂わば親方(foreman)階級を護持している。この、もっとも活発で、もっとも堅固で、もっとも有意義な類型が民衆の道徳的視野から消え去ってしまうような国においては、まさに私有財産や自由契約制度の基礎そのものが失われる。また、そこでは、大企業内部にサラリーマン重役、サラリーマン管理者、それに大小株主がおり、彼らは所有者利益には無関心で、私有財産制・自由契約制度は攻撃される。

 資本主義過程は、ブルジョアジーの職能を低下させるのみならず、その擁護階級を追放する。さらには、資本主義制度に批判的な気分をも生みだした。しかし、敵対的雰囲気が熟するためには、それを煽り、怒りを組織化し、培養し、声を上げ、指導することに興味を持つ集団の存在が必要となる。社会体制への敵対的情勢は、いずれにせよそれを食い物にしようとする集団を呼び寄せる傾向がある。特に、資本主義社会では、不可避的に、それ自身の力によって、社会の中に特定な利害関係者をつくり出し、教育し助成する。
 ここで、著者は批判的集団の代表ということであろう、知識人集団の「社会学」的考察へと移る。知識人と自由職業者とは、密接な関係があるが、同一概念ではない。知識人は、実際問題に責任をとらず、直接体験的知識を欠き、批判的態度を持する傍観者、アウトサイダーである。資本主義制度内部に生じた知識人跋扈の潮流を阻止するのは困難である。資本主義社会においては、知識人に対するいかなる攻撃も、かならずブルジョア事業の防塁に衝突せざるをえない。ブルジョア階級は、知識人を口では非難している場合でも、背後では応援する。なぜならば、自分の是認できない自由を粉砕することは、すなわち是認する自由をも粉砕することに他ならないからである。個人としてではなく、集団としての知識人を擁護することによって、ブルジョアジーは自分自身と自己の生活図式を守る。非ブルジョア的性格をもち、非ブルジョア的信条をもつ政府のみが知識人を制御するほど強力である。現代の状況においては社会主義政府ないしファシスト政府のみがそうである。
 知識人集団は、批判に生き、批判にあらゆる地位がかかっているので、本来、資本主義基盤を蚕食せざるをえない。なにものも神聖不可侵ではない状況においては、人物や時事の批判は、階級や制度の批判となるが宿命である。大衆の生活水準向上と余暇の増加は、知識人集団が乗ずべき集団的パトロンの構成を変化させている。高等教育の拡充も、ホワイトカラー供給を増大させ、知識人の失業や、不満足な雇用、失業可能性(技能に見合った職がない)の増大を生み出した。敵対する知識人集団の役割は、全般的な敵対感情を活発化し、言語に表現し、組織化することである。その先祖が、教会上長ために、次には諸侯や個々のパトロンのために、さらにブルジョア集団たる主人のために、仕えたのと同様に、知識人は大衆のために行動せねばならない。こうして知識人は、労働運動をつくり出したのではないが、彼らなしで行われた場合とは本質的に異なったものにした。

 最近二、三世紀の経済史におけるブルジョア的原動力の果たした役割に鑑みれば、社会の敵対的な反発を受けて、それを抑制したり、行使せずに弱体化したことは、資本主義過程の突然の崩壊を説明する一要因たるに相応しいことは確かである。「投資機会消滅の理論」(記者:長期停滞論のことであろう)によって示されたどれよりもはるかに重要な要因である。注目すべきは、この原動力が単にブルジョア精神に対する外部勢力によって脅かされるだけではなく、内的原因によってもまた死滅する傾向をもつことである。
 内的原因の一つは既述の「財産実態の消失」である。現代の企業者・管理者が、地位の論理によって、官僚機構で働く俸給生活者のごとき心理を持つことである。さらに重要な他の内的原因がある。ブルジョア家庭の崩壊である。子どもを全くもたないか、一人しか持たない夫婦の増大は、その兆候である。資本主義発展による合理化が私生活の領域にまで拡大した一結果である。家族や一家は、典型的ブルジョアの利潤動機の主動力であるのが常であった。ブルジョアジーは投資を第一番として働いた。短期的視野の政府に対し闘争し防御しようとしたのは、消費水準ではなく蓄積水準であった。家族動機のもたらす推進力の衰退とともに、事業家の時間的視野は、自分の人生で期待できる範囲程度に縮小する。そうして今や、稼ぎ、貯蓄し、投資する役割を果たすことにそれほど熱心でなくなる。
 反貯蓄だけでなく、ともすれば資本主義秩序の価値や基準についても、異なった見方を取るようになる。最も顕著な様相は、ブルジョアジーが自己の敵を教育するのみならず、逆に敵によって教育されることを許容することにある。ブルジョアジーは、攻撃を受けると、どんな妥協の機会も逃さない。彼らはつねに屈服する用意がある。彼らは決して自分自身の理想と利益の旗の下に戦うことはない。このように、企業者や資本家の役目の重要性を減ずること、擁護階層や擁護制度を破壊すること、そして敵対の雰囲気をつくり出すことによって、ブルジョアジーの地位を掘り崩すのと同じ経済過程が、またその内部から資本主義の原動力を分解させる。
 第二部の最後に、著者は結論らしいことを書いている。「結局のところ、資本主義の衰退はその成功にもとづくということと、その失敗にもとづくということには、人が考えるほどの相違はない」(p.926)と。塩野谷(1995、p.298)もいっているが、
 資本主義の成功→資本主義制度に不利な要因形成→資本主義の失敗→資本主義の崩壊
 、と過程を捉えた時、最初と最後を見たときは、逆説的となるが、最後の二過程をみれば、常識的である。
 そうして、いまの所、以上の資本主義衰退の「底流」は、どこにでも見られるものの、未だ抗しがたいほど非常に強力とはいえず、どこにも充分には発現していない。産業の集中もそれほどでなく、競争はいまだあらゆる産業で活発である。企業は活動的で、ブルジョアジーは経済を指導している。中産階級もなお政治力をもち、ブルジョア的原動力は弱まりこそすれまだ生きている。

 (第三部 社会主義は作用しうるか)
 シュンペーターの定義では、「社会主義社会とは、生産手段に対する支配、または生産自体に対する支配が中央当局ゆだねられている[中略]ような制度的類型」(p.302)である。しかし、そこには、ギルド社会主義やサンジカリズム型の社会主義は含まれていない。以下、「中央集権的社会主義」(セントラリスト・ソーシャリズム)という言葉で呼ばれるべきもののみが考察の対象とされる。そもそも、この社会主義は運用(work)できるかの問いに対して、可能と答える。ただし、経済がそれに必要な発展段階に達していることと、社会主義への過渡期が上手く乗り切れるとの条件を附してである。そして、この社会主義が民主主義的であるか否かの問題(第四部で検討される)は別としてである。
 社会主義の与件と合理的行為の準則から、何をどのように生産できるかを経済理論として樹立したのはエンリコ・バローネ「集産主義国家における生産省」(1908)であった。ワルラス流の一般均衡論から、中央当局(生産省)の解決すべき未知数に対して、必要な方程式を提示することによって、社会主義でも、首尾一貫矛盾なく生産活動が実行できることを明らかた。シュムペーターは、「彼の解決の仕方は、彫琢と第二義的な点の解明を除いては、ほとんど完全に近いものであった」(p.314)と過褒とも思える評価をしている。
 経済学的には、生産とは一定の技術的条件下で生産要素を合理的に結合することである。資本主義社会においては、生産要素の結合作業には、それらを購入あるいは賃借することによる。その過程で、個人には所得が発生する。それゆえ、生産と分配は同じ過程の二つの側面である。しかし、社会主義経済では、この生産と分配の結びつきがない。生産財が社会化され、生産財市場がないのでその価格はない。あったとしても、生産財価格は分配基準たりえない。社会主義の原理は、生産財所有者に資本主義社会のような「利益」の分配を認めないからである。自動分配作業の欠落は、共同体規約のごとき政治的活動によって埋められる。そこには、何かの準則が必要である。
 すでに生産されたものの分配は、消費者の選択の自由を認めても、消費財に対する請求証券を(社会主義的平等主義に則り)配布することによって可能である。生産物に暫定「価格」を付与し、各生産物の生産量と価格を乗じたものの総計が、発行請求証券総額と(消費期間で)一致すればよい。
 問題は、一定の資源、技術的条件の下で、消費者満足の極大をもたらすように、どのように合理的に生産するかということである。競争的資本主義生産と同様に、社会主義の産業管理者も、技術的条件と消費者の反応と生産手段の(中央当局に示された)価格とを与えられれば、何をどのように生産するか、及び生産要素をどれだけ中央当局から購入すべきかは知ることができる。必要なのは、中央当局よる生産財市場の需給を一致させる生産財価格の設定である。
 社会主義経済を静態的経済だけでなく、進歩する経済に拡大しても大きな困難はない。社会の全資源が一定の消費水準を生産するために用いられている時に、追加的な投資をするためには、時間外労働や消費量の削減が必要となる。そのために、(所得の絶対平等の原則に反する)時間外労働や貯蓄に対する割増を付与する権限を中央当局が持つ必要がある。それ以上の投資が必要とされる場合は、「利潤」(資源配分機能のために生ずる)からの蓄積や「信用創造」が実施されることになる。それは軍事予算と同様に、議決されるものとなろう。
 社会主義の青写真は、大企業体制の資本主義よりもはるかに完全競争から離れている。市場ほど民主主義的な制度はなく、極大の満足を実現するものであることは確かであるにしても、それはあくまで短期的なものであり、実際の願望に対しては相対的な満足である。それで満足するのは「ビフテキ社会主義」あり、真の社会主義の約束は人間のための新たな文化様式を、さらには新しい人間を創造することにある。それを目指す社会主義者は、消費者の自由選択をある程度制限するであろう。消費者の大豆と小豆を選択は許しても、ミルクとウィスキーの選択は制限する等。
 市場を放棄するなら、当局はすべての消費財に対する重要度、すなわち価値判断を下さねばならない。価値体系が与えられれば、計画化経済は進行する。これは、反社会主義者が、社会主義が実現不可能と主張する際の根拠である。現実には複雑すぎて処理できないと考える。著者は、理論的にも具体的な措置も可能だとしている。社会主義経済は巨大な官僚組織を必要とするが、その形成や機能には好適である。官僚組織が仕事の重圧で崩壊するとは考えられない。社会主義は発足にさいして、正しい生産量に近い情報を入手できる。先行の経験、特に大企業体制のそれから出発すれば事態は簡単となる。その後は「試行錯誤」により調整される。のみならず、社会主義における管理者は、資本主義におけるよりも経営が容易である。現実的・潜在的競争者の競争的反応や一般経済情勢(好不況)についての不確実性が存しないからである。
 社会主義の優越性を論じるには、大企業的(独占的)資本主義との比較で十分である。大企業的資本主義は、それ以前の中小規模企業時代よりもはるかに経済能率が優れていたからである。経済能率を生産能率によって代表させる。同一時点での両体制の人口の質・量、嗜好、年齢構成が同一であると仮定して、一定単位時間当たりに、より多くの消費財を生産すると期待される体制を、能率的な体制とする。
 社会主義が優越する具体例として、不況や新技術導入による失業の発生が防止できること。技術革新が法令によって普及されるので、低能率の生産方法が直ちに排除できること。そして、国民の最上の頭脳を弁護士仕事に割いていたのを転用できることがある。なぜなら、弁護士の仕事の大部分は事業と国家またはその機関との争いという非生産的な仕事に向けられており、社会主義では公共的領域部分と私的領域部分の抗争はなくなるからである。
 
 社会主義者は社会主義の実現を、自らが権力を掌握する事と同一視している。現存の管理者層の追放はその一部である。しかし、社会主義の運営統制の成功には、ブルジョア人種に適する仕事の遂行は、彼らに任すことが肝要である。管理者の選任は、あくまでその適不適によるべきである。出自がブルジョアジーであるかを問うべきでない。現代社会の状況では、社会主義組織形態も巨大で包括的な官僚組織たらざるを得ない。社会主義者でさえも、その「妖怪」を恐れて、官僚制度を否定する態度をとるが、それは経済発展の妨害物ではなく不可避の補足物である。否、社会主義共同体には今まで以上に必要な物である。しかしながら、官僚機構は個人の創意を抑圧しがちである。意欲喪失や努力無用の気分を醸成し、他人の努力を冷笑する態度に陥りやすい。個々の官僚は自分の仕事に精通するとはいえ、それらを避けることは困難である。
 ブルジョアジーが追放されると、彼らの果たしていた役割はどうなるか。貯蓄と規律が論議される。前者については、社会主義当局は、投資のための国家資源を直接分配することができる。それは、資本主義経済で私的貯蓄をつうじて実施されるよりずっと効率的であることがロシアの経験から示されている。後者については、ブルジョアが持っていた雇用者を支配する権威が経済の円滑な運用に関係があることは明白である。この社会的利益は、社会主義的環境でも存続しうるし、社会主義経済は必要な権威とそれによる規律を提供できる。社会主義体制では、自己規律と集団規律からなる規律は一段と厳しいものになる。社会主義は体制に対する労働者の道義的忠誠心を高めることができる。また、資本主義では利潤追求のために隠蔽されていた経済現象があらわになることによって、労働者は反社会的な行動を取らなくなる。社会主義では自己・集団規律はより厳しいので、権威による規律は少なくて済む。のみならず、権威による規律の強制ははるかに容易に行われうる。それは、社会主義管理者が持つ解雇権はすべての雇用機会を奪うものであり、彼に掣肘を加える政府や世論がなく、管理者自身の権威は生産当局によって支援されているからである。労働組合も政府の支配下にある。

 シュンペーターは「マルクスのいう革命は[中略]本質的に満期(the fullness of time)による革命である」(p.108)といっているから、ここでは、社会主義への移行を,充分に発達した資本主義段階からの移行についてのみ関説する。資本主義は、農業部門を除き少数の官庁化した会社組織によって運営されるようになる。経済進歩は緩慢となり、自動機械化され、計画化が進展する。利子率はゼロに近づく。そういう「拘束された資本主義」の成熟段階からの移行である。そのよう場合でも、資本主義秩序は自からは、社会主義秩序に転化しないだろう。たとえば、憲法改正のように社会主義を公式に採用する人為的な契機が必要である。もちろん革命があるかもしれない。その場合でも、革命への抵抗は少なく、公平で訓練された事務職員の集団が規律を維持するであろう。
 かような移行は、小農や小規模手工業者を温存し、株式や債券の保有者に化した資本家の利益を補償する(代わりに有期年金与える。経済的負担は少ない)ことで可能となる。大企業の管理者は普通そのまま地位を保持する。文化的・経済的損失を最小限に抑えて、安全確実に遂行される。中央当局は急激な変動を避け徐々に支配権を確立し、やがて産業の立地を合理化し、商品を規格化するまでに至る。

 (第四部 社会主義と民主主義)
 ロシア革命以前には、社会主義と民主主義との関係に疑問を持つ人は、ほとんどいなかった。社会主義者の方でも、自分たちこそ真の民主主義者で、ブルジョアの偽物と混同されることを嫌った。しかし、社会主義者は、社会主義社会を実現する方法については、必ずしも手段を択ばなかった。現代社会主義者の多くは、理想の楽園の扉を押し開けるために、暴力やテロを行使するのに躊躇しなくなった。マルクスにとっては革命とは、人民の支配に対する、旧体制の温存を願う集団の妨害を排除することであった。もしも、マルクスが選択の必要に迫られたなら、民主主義的方法の遵奉よりもむしろ社会主義のほうを重視するであろう。真の民主主義を蘇生させるために、現在の資本主義を窒息させている毒気を除去することは、民主主義にもとるものではないという考えである。
 過渡期の間だけ一時的に民主主義を棚上げにする議論は、やがて民主主義に対するすべての責任を回避する議論に陥りやすい。シュンペーターは、社会主義が政治的、社会的、宗教的、精神的に多様性を持ちうるとして、これを「社会主義の文化的不確定性」と呼んだ(p.309)。そうであれば、当然、社会主義制度に非民主的な形態はありうる。論理的にも、社会主義の想定のなかに政治的規定が欠けていることがある。となれば、問題は、社会主義はそもそも民主主義でありうるか、そして如何なる意味で民主主義たりうるかにに尽きる。社会主義政党は、他の政党と同様に機会主義者であった。民主主義についても、自分たちの理想や利益に役だつ場合においてのみ民主主義と提携し、役立たぬ場合にはそうしなかった。
 さてここで、著者は一つの思考実験を提出する。キリスト教徒の迫害や魔女の火刑やユダヤ人の殺戮が行われる国の一国民だとする。そして、これらが、民主主義的な手続きで決定されたとする。としても、これらのことを認めるわけにはいかないであろう。そうすると問題は、これらの問題を回避できる非民主主義組織を選ぶか、これらの結果を招来する民主主義組織を選ぶかになる。前者を選択するなら、資本主義は魔女火刑よりも一層悪いものであるから、それを除くために非民主主義的方法を採る熱烈な社会主義者と同断だということになる。そこでは、もっとも強烈な民主主義者支持者といえども、民主主義より高く評価する理想や利益が存在することになる。そうなる訳は、民主主義が一つの政治的方法であることから出てくる。民主主義は政治的(立法的・行政的でもある)決定に到達するための制度的装置である。一定の歴史的条件の下で、どのような決定に到達するかを離れては、それ自体では目的とならないからである。
 民主主義が政治的決定に到達するための方法であることを出発点として、その定義を探求する。「決定する」を「支配する」と考えるなら、民主主義を「人民による支配」と規定できるであろう(記者いう、もともとデモクラーはデモス・クラティア=民衆支配が語源である)。それでも、定義が明確でないのは、「人民」と「支配する」の意味が多義的であるからである。「人民」という概念は、時代によって変遷する。民主主義社会は、選挙権のごとき公共的事項において差別しないと考えられる。しかし、差別をしながら民主主義とされる国があるし、全然差別をなくすことはできない。一定年齢以下の人に選挙権が与えられないとすれば、同一ないし類似の理由をもって、その他の部類の人に選挙権を認めない国を、一概に非民主主義的いうわけにはいかなくなる。「支配」についても問題がある。それは、少規模で原始的な社会の他は不可能であろう。そこで、人民の支配する政府を捨てて、代わりに人民によって承認された政府という定義を採用すれば、この問題は比較的容易に解決できるようにも思える。しかし、人民の全階層の圧倒的な(時に熱狂的な)支持を得、民主主義的方法を十分保証しながら、神政的や専制的あるいは君主制、貴族の寡頭制政治が存在する事実が多数みられることから、この定義も上手くいかない。
 民主主義の条件が確保され十分に機能したとしても、その決定が人民の意思を真に代表していると言えない場合もある。それは、国民の意見に大きな分裂のある場合に往々に起こりうる。失業救済拠出のごとき量的決定には公正な妥協が成立しやすいが、開戦決定や異教徒迫害のごとき質的決定は、人民のすべてに同じように気まずい思いさせがちである。このような場合には、非民主主義的主体によって一方的に強制された決定のほうが受容されやすいかもしれない。例えば、ナポレオンの第一執政時代の政治は、自発的には自分の立場を屈服させることのない集団も、上からの押し付けには、むしろ喜んで承認した事例である。
 また選挙民の意志の明確性と自律性についても、疑問となる実態がある。個人の意思ということで、消費選択における消費者意志の依存性をあげる。シュンペーターはガルブレイスの「依存効果」を先取りするように、「消費者は往々にして、生産者が消費者に導かれるというよりもむしろ生産者が消費者に指令するというほうが当たっているほど、広告その他の勧誘方法にひっかかりやすいものである。成功的な広告の技術はことに教訓的である」(p.480)とのべている。
 古典的民主主義学説(人民による支配)が想定するように、時間さえ与えられれば集団的真理が顕現してくるということに誤りはないであろう。「しかしながら歴史を構成しているものは、その一点において永久に歴史の進路をかえてしまうかもしれないような短期的情勢の連続にほかならない」(p.494)。それでも、古典的学説が生き残ったのは、宗教的な信条と結びつくことによって、支えられていたからである。功利主義者は、自らを反宗教的と考え、非宗教的な態度をとった。しかし、彼らの社会過程を見る目は、本質的にプロテスタント信条の特徴を備えている。神が万物を定義し是認することから、「人民の声はすなわち神の声」とされること。キリストに由来する強力な平等主義思想は、すべての人を一人として計算し、何人も一人以上には計算しない民主主義思想を是認したこと。これに対する異議は、単に誤謬とみなされるだけでは済まず、むしろ罪悪とみなされる信仰者的態度等々。

 シュンペーターは、民主主義の定義を(自由)投票を獲得するための自由競争であると限定する。その理由は、民主主義が競争的闘争の遂行を認めた制度であること、そしてあらゆる規模の社会で実際に利用できる闘争方法は選挙以外にないからである。この民主主義の本質的部分は、主動力が代議士(地方のそれを含む)の候補者の側に存する。「投票者のなしうることはただ、他のものに先だってこの言い値を受けとるか、あるいはそれを拒否するかのいずれかにすぎない」(p.530)。
 こうして、シュンペーターの定義する「社会主義」と「民主主義」との間にはなんら必然的な関係がない。両者は他方の存在なしに存在しうるし、両者が併存することもできる。適当な環境では、社会主義体制は民主主義原理に則って運営可能である。著者によれば、民主主義とは、人民が彼らの支配者になろうとする人を承認するか拒否するかの機会を与えられているということにすぎなかった。明確に民主主義的方法であるかを識別するため、さらに基準を付加する。指導者たらんとする人々が選挙民の投票を集めるために自由な競争をなしうるかという基準である。その意味するところは次のとおり。民主主義学説の信奉者は政治家の職業化を嫌う。しかし、政治的成功には職業的ともいえる集中を必要とする。それは、政治家が独自の職業的利害を持ち、独自の利害集団を形成することを意味する。実業家が金銭をかき集めるように、政治家は票をかき集める。それは、社会主義組織になっても不変である。第二に、政治的指導者は議会内外の闘争に精力を消費するため、民主義政府の能率が低いことである。第三に、善き選挙候補者を形成する資質である知性や性格は、必ずしも善き行政官の資質ではない。投票の結果選出された者が、事務処理の指揮官として優れているわけでもない。逆に、術策に長けた政治家ならば、行政的失敗しても、うまく地位を保持する老練さを持っているかもしれない。
 このような民主主義的方法が成功するためには、いくつかの条件が必要である。ここでは、著者のあげた5条件の内、最後の二つの条件のみ書いておこう。まず、民主主義的自制。投票者は政治家との分業を尊重すべきということである。選挙民は選挙と選挙の間に余りに無造作に信任を撤回すべきでないし、一旦選任した以上、政治活動は彼らの仕事であり、自分たちものでないことを理解しなければならない。次に、主導力獲得のための有効な競争行われるには、自分と異なる意見にもきわめて広い寛容を要するであることである。ということは、人々の妥協しがたい利害や理想に関し、国論が二分するような問題の場合には、民主主義は停止する。
 歴史的には、民主主義とその実践は、資本主義とともに出現してきた。古典的社会主義思想は、ブルジョア・イデオロギーの所産である。前者は後者に含まれる多くの概念と理想を継承した。競争的主導力学説からみた民主主義の運命如何。「ここでもまた真の問題は、社会主義はそうしようと試みた場合に、はたしてそれは民主主義的方法を機能せしめるという仕事に対して十分な資格をもつかということになる」(p.561)と、第四部(邦訳で135ページ分)の大詰めに近づいても、依然前説と問題提起に留まっている。肝心の社会主義と民主主義に関する具体的な議論は最後の7ページほどに書かれているのみである。以下、その概要。
 社会主義化による公共管理の範囲拡大は、それに対応した政治的管理範囲を拡大することを意味しない。公共管理が国家の全経済領域を吸収するまで拡大されたとしても、政治領域は民主主義的方法を保持する制約により一定の限られた範囲に留まることも考えられる。経済運営を担う中央当局や産業・企業管理機関に優秀な組織と人員を配置することによって、日常業務が政治家や市民委員会、労働者からの干渉を避けることができよう。とはいえ、民主主義手続きの形態や機関は社会主義体制では消滅するとは限らない。総選挙、政党、議会、内閣、首相等は、社会主義でも未解決な政治的問題を決定するのにも、便利な手段であることが明らかになるだろう。しかし、このような社会主義的民主主義が機能する見込みがあるのは、先にあげた条件(5条件、ただし一部記述省略)を満たす「成熟した」社会に限られる。
 シュンペーターが強調するのは、民主主義が満足に機能するには、全階級の人民の圧倒的多数が民主主義的なルールを遵守する決意をもっていること、逆にいえば、彼らがその制度的構造の原理について十分に同意していることが必要ということである。しかるに、現在においては、後者の条件は満たされていない。きわめて多くの人々が資本主義社会の基礎に対する忠誠を拒否しているからである。今後も、ますますそうなるであろう。けれども、社会が充分成熟した段階の社会主義は、この分裂を除去しうるかもしれない。それは社会組織の構成原理に関する同意を再確立しうる可能性がある。その場合は、残存する敵対的問題は民主主義的方法で処理可能かもしれない。農業対工業、小規模産業対大規模産業、保護貿易主義者対輸出産業等の敵対関係は政治問題たることをやめて、専門家が感情ぬきで明確な回答を与えうる技術問題となっている。残された問題は、その数ばかりかその重要性を減少しているだろう。
 以上のように社会主義の優越性をのべながら、最後のところでは悲観的な色調が現れてくる。「結局のところ社会主義経済の有効な管理の意味するところは、工場におけるプロレタリアートによる(of)独裁ではなく、工場におけるプロレタリアートに対する(over)独裁である」(p.567)。そして、「社会主義的民主主義は、かつての資本主義的民主主義よりもはるかに見掛け倒しのものに終わるかも知れない。/いずれの場合にも、その民主主義は個人的自由の増大を意味するものではけっしてないであろう。そして、くりかえしいうが、それは古典的学説において神のごとく祭り上げられた理想へのなんらの接近をも意味しないであろう」(p.568)と。

 (第一部 マルクス学説)
 この資本主義と社会主義を議論する著作は、マルクス論から始まる。それを冒頭に置いたのは、「そのメッセージのユニークな重要性」(p.40)のゆえだとする。これらを論ずるにはマルクスを避けては通れないということだろう。シュンペーターは、マルクスに対抗意識を持っていた。あるいは、自らをマルクスになぞらえていたのかも知れない。予言者、社会学者、経済学者そして教師としてのマルクス(各章の表題)が論じられている。シュンペーターも、ある伝記(Marz著)の副題に「学者、教師そして政治家」とあるから、似たもの同志ではある。
 マルクスを予言者というのは、マルクス主義は宗教であるからである。信者にとって、それは、人生の重要事であり、行動を判断する絶対的規準の体系である。原罪からの人類救済の指針を与え、天国を約束するものでもある。そして、それに反対する者は、誤っているだけでなく、罪をも犯している。
 社会学者としてのマルクスを見る。彼はヘーゲリアンであることを公言していたが、形而上学のために実証科学としての社会科学を、歪めたことはない。むしろ、体系化を好む哲学志向の注釈家や批評家が、マルクスの社会科学的経験的事実の叙述からも、哲学を引きだし議論をあらぬ方向へ導いた。
 マルクスの社会学上の大きな達成は、まず歴史の経済的解釈(唯物史観)である。それは、(1)生産形態は、それ自身の内的論理をもっている。その内的必然性によって、変化する自己活動そのものが、後続形態を形成する。(2)生産形態ないし生産条件が、社会構造を基本的に決定する。この社会構造はまた人間の心情や行動を、ひいては文明をも、はぐくむものである――との二命題にまとめられる。マルクスは、芸術、宗教、形而上学等の上部構造が、経済的動因に還元できると主張したのではない。それらを形成し、それらの消長を説明する経済的条件を明らかにせんとしたにすぎない。しかし、唯物史観が多くの問題を抱えるもかかわらず、その根源的真理としての魅力は、生産と社会の厳格で簡明な一方な的関係にもとづいている。
 唯物史観の「不具の妹(crippled sister)たるマルクスの社会階級論」(p.22)も重要な貢献である。おおまかにいえば、社会階級なる概念はマルクスの『共産党宣言』にはじまる。資本主義を生産手段の私有体制と定義することにより、マルクスは生産手段の所有者と非所有者という独自の二階級区別を手にした。この階級理論により資本主義社会の状況が説明されるとともに、資本主義と階級現象の運命は結合された。本来、社会主義社会は社会階級概念とは無関係のものである。社会主義を(原始共産制社会を除く)唯一の階級なき社会と定義することにより、マルクスの階級理論は戦略的分析用具となった。また、この資本主義社会の状態を説明するための階級理論が、それに先立つ封建社会にまで遡及して使われた。マルクスの特殊な社会階級論は、歴史の経済的解釈を利潤経済の概念と結び付けることによって、すべての社会的事実を整理し、すべての現象を共通の焦点に集める分析用具である。
 経済学者としてのマルクスについて、シュンペーターには、「リカードの教義は、実に、つり針から糸、錘にいたるまですべてが、丸呑みにされている」(p.67)という有名な評価がある(たしか、小泉信三が下品な表現だとしていたと思う)。それは、時に価値論について当てはまるのではないか。リカードもマルクスも商品の価値は、(完全競争の下では)その商品に含まれる投下労働力に比例するという労働価値説をとる。もっとも、リカードの価値は単なる相対価格にすぎなかったが、マルクスはそれを超えた実態的なものを考えていたのであるが。
 マルクスは価値論を経済理論の礎石とした。経済学が実証科学であるなら、労働価値説は分析用具として、経済の諸過程を説明できなければならない。しかし、それは極めて拙劣にしか働かない。まず、第一に完全競争の場合以外は適用できない。第二に、完全競争であっても、労働が単一の種類でないときや労働が唯一の生産要素でないときは、うまく説明できない。後者については、地代論で自然力の影響を排除したものの、資本の生産力を無視できなかった。もっとも、資本の影響については、リカ-ドに比べて各段に考察を深めた。
 労働価値説は、たとえ他のすべての商品に適用できるとしても、労働という商品には、あてはまらない。労働者は機械ではないのだから、合理的に計算によって労働時間に比例して生産されることはない。その価値は投下労働量に比例するとは思えない。また、前提である完全競争は存在しない。利潤がゼロとなるような完全競争的均衡は、マルクスの考えた資本主義の状態ではない。マルクスの考える資本主義は、経済構造の不断の変化の過程であって、決して静止的均衡状態にとどまり得ないのである。資本主義社会の経済進歩は混迷(turmoil)である。この混迷の状況下では、競争が完全に行われたとしても、静態的過程での仕方と全く異なる作用をする。新生産物や新方法が、旧生産物や旧方法と競争する。それは、対等の条件ではなく、古いものに死をもたらすような決定的な状況で行われる。
 マルクスの他の経済議論については、窮乏化理論と景気循環論がある。前者はどうしようもないものであるが、後者にはヴィジョンと分析において優れている。ただし、景気循環についての純粋な理論はなかった。繁栄と不況の循環運動を起こす内在的要因の説明はない。むしろマルクスの機械的蓄積過程は定率で成長するとの想定であるから、定率拡大経済を記述しているともいえる。しかし、経済に循環運動が存在する事を認識したことだけでも、大きな業績である。当時の経済学者は、「恐慌」現象に注目して、それを一過程とする景気循環の観点からの把握はなかった。ちなみに記者いう、ジュグラー『仏、英、米における商業恐慌とその周期的発生』は1862年の刊行である。もっとも後には、革命の契機ともなる恐慌については、産業の資本集中によって資本主義が再度安定を得るとするヒルファーディングの考え方もある。
 ともあれ、マルクスの理論は歴史的時間の中で経済過程それ自体の内部的な論理によって、自らの後継体制に変革していくものであった(革新による『経済発展の理論』の著者としては、当然高評価の対象となる)。その方法論では経済史的事実は、単なる例証や検証の対象に止まらない。結論を導く議論のなかに経済史的な事実を導入した。理論と経済史は機械的な混合ではなく「化学的結合」なのである。経済理論は歴史的分析に転化し、歴史的物語が理論的歴史に転化される。
 最後に教師としてのマルクス。マルクスの弟子たちの対立点となった問題、革命か進化(evolution;経済発展主義といってよいか:記者)についてのシュンペーターの考えは次のとおり。マルクスにとっては、「進化こそが社会主義の生みの親であった。彼は、[中略]作用において、革命が進化に何らか置換わるとは信じなかった。それにもかかわらず、革命はやってくる。[中略]それゆえ、マルクスの革命は、その本質と機能において、ブルジョア急進主義者や社会主義陰謀家の革命とはまったく異なるものである。それは本質的に時満ちての(in the fullness of time)革命である」(p.108)。ただし、社会主義は資本主義のように自生的な制度ではないから、資本本主義が十分に成熟して移行する場合でも、たとえば憲法改正手続きを必要とする。

 (第5部 社会主義政党の歴史的概観)
 数世紀にわたる社会主義思潮の幼年期に終止符を打ったのはマルクスである。『共産党宣言』の出版(1848年)ないし第一インターナショナルの創立(1864年)がそのエポックである。このとき、学説上と政治的な規範が本当に一致したのである。それは実践的には唯一可能なものかも知れないが、論理的にはそうでなかった。それは特殊なやり方での定式化であった。社会主義移行への内在的法則学説と顕在的・潜在的社会的勢力との永続的な結びつきが確立されたのである。ちなみに、労働運動は社会主義と同盟してきたこともあるが、それとは別個のものとして存在してきた。労働運動が本質的に社会主義的であるとはかぎらないのは、ちょうど、社会主義がつねに必ずしも労働主義的ないしはプロレタリア的であるとはかぎらないのと同様である。
 マルクスがブルジョア出身の亡命者であったことは、マルクスの思想と政策・戦術の多くを説明してくれる。この根なし草の知識人は、当然に心情的国際主義者である。人は、無数の絆で祖国に縛り付けられている。マルクスにはこれらの絆をもたず、自分と同じように、プロレタリアートはだれも祖国を持たないと簡単に決め込んでしまった。また、マルクスおよびエンゲルスにとって、彼らの性格やおかれた状況からして、プロレタリアートやその特定グループを直接オルグすることなどは考えられなかった。彼らができることは、プロレタリアートの指導者や労働組合の役員に関係することだけであった。マルクス、エンゲルスは、労働組合を嫌悪し不信感を抱いた。労働組合の方でも、彼らを嫌悪し信頼を寄せなかった。大抵は問題にしなかったというところであろう。
 次に、第一次大戦までの各国社会主義政党の情勢をみる。ロシアにとって、マルクスの経済理論と哲学と歴史の合成物は、その趣向に完全に一致した。その理論がロシアに全く適用できないものであり、なんの将来を約束しないことはどうでもよかった。信者は常に自己の聞きたいことのみを聞き、予言者が実際に語ったことには関心がないからである。レーニンが必要としたのは彼の云うことのみに従い、あらゆるダブーから自由で、ヒューマニズムや理性の声に不感症である、革命主義者親衛隊のよく訓練されたボディガードだけであった。当時の事情では、その能力は知識人階層のみに求めえた。古来、異端者は、自分らは現行の福音を破壊しているのではなく、原始の純粋性を回復しようとしていると主張する。レーニンもまた、昔ながらのやり方で、忠誠を放棄し、代えるにマルクスを持ち上げ、マルクス以外のマルクスを作り上げた。
 合衆国は社会主義運動の成長には適していない。合衆国では、ロシアと異なり、19世紀末葉に至るまで失職したり、成功しそこなった知識人階級はいなかった。フランスは、典型的な農民と職人と勤め人と小金持ちの国であった。そこでは、純粋社会主義よりもサンジカリズムが魅力的であった。フランスの革命的伝統の「第一嫡子」はサンジカリズムであった。それは議会等での政治活動を軽べつする点では非政治的・反政治的であった。また、理論をもつ綱領や知識人の指導を軽べつする点で、反知識人的である。労働者の本能に訴えて、暴力で工場を乗っ取り、ゼネストを行う。ドイツでは、社会主義者はマルクス主義的信条を固持した。その理由は、彼らが自己の信条を主張するほどには強力ではあるが、政治的に責任ある立場に立てずまたその見込みもない政党だったからである。批判的で自己の立場を鮮明にすることによって、マルクス主義信仰の純粋性を保持する他はなかった。
 次に第一世界大戦から第二次大戦に至る社会主義の歴史について。各国の社会主義政党は、自分たちが創設した国際組織の構成員として、当然にできるかぎりの戦争防止努力を傾けた。けれども、一旦戦争が勃発すると驚くべき敏捷さで祖国のために奮闘した。それについては、ドイツのマルクス主義者は、イギリスの労働主義者よりもはるかに躊躇がなかった。ドイツ社会主義者は当時一般に期待された以上に祖国に忠誠であった。プロレタリアートは祖国を持たず、唯一の関心ある戦いは階級闘争であるとする主張は大衆の支持を失うと考えたからである。「国家の非常時が彼らに頭で立つべきでなくて足で立つべきことを教えた」(p.670)。
 共産主義的政党は急速に発展した。最も資本主義の発達が遅れた国で革命的勢力が政権を奪取したのは僥倖にすぎなかった。レーニンは、最後の勝利はもっと発展した諸国における革命によってのみ獲得されること、そしてこのことこそ真に重要であると繰り返し主張した。レーニンは共産主義者に指令し、共産主義インターナショナルの厳格な中央集権的組織を強調した。インターナショナルの本部はモスコーにあり、実際はロシア人によって指導されていた。しかし、政策はロシア国益に特に関することもなく、すべての国の共産主義者が一致できるような原則に則ってまったく国際的な精神で形成されたとする。
 マルクスが考えていた資本主義の崩壊は、当然に内的原因によるそのエンジンの崩壊でなければならなかった。ブルジョア世界の政治的崩壊は、単にこれに付随する現象であった。ところが現状では、いずこでも経済過程がまだ成熟過程に至らないのに、政治的崩壊が起こって、政治的チャンスが巡ってきたのである。「「上部構造」が、推進力たるメカニズムよりも急速に動いたのである。これはまさにもっとも非マルクス的な情勢であった」(p.690)。

 第二次大戦は、イギリス・アメリカ・ソビエト連合軍の完全な勝利、すなわちすべての名誉が米英に帰すると予想した。そして、世界秩序は、軍事力によってのみ確立されるだろうし、またいつでも行使できる軍事力を準備することによってのみ維持できる。このことは、「軍国主義的社会主義」とでもいうべき社会組織を、英米にもたらすであろう。「現在の大乱が―不可避的に、どこにおいても、そして戦争の結果いかんいかかわりなく―社会主義秩序への新しい大きな一歩を意味することにはなんらの疑いもありえない」(p.700)とする。現下の第二次世界大戦中の企業や事業者階級に対する戦時増税が、第一大戦終戦後のときのように、戦後に減税される国はないであろう。このことだけでも、資本主義のエンジンを永久に麻痺させ、政府管理の議論を提供するものであろう。アメリアではすでに平和経済の移行への政府管理を期待する世論があり、戦時統制に代わるブルジョア的政策は問題外と考えられている。政府も、資本市場や投資決定過程に対して一旦手にした支配力を少しでも手放すと思えない。これらは社会主義そのものではないが、このような状況下では、窮状打開の実行可能な代替策として社会主義が登場するかも知れない。「以上のように予言しうるのが、ただ本書で規定された意味での社会主義についてにすぎないということである。それ以外のなにものでもない。とくに社会主義が正当派社会主義者たちの夢みている文明の出現を意味すると信ずべき理由はほとんどない」(p.712)と。

 最後は、読後の感想である。
1. 資本主義の成功。
 著者は主にアメリカ経済を取りあげて、資本主義経済の成長は継続すると予想する。ケインズあるいはハンセンの資本主義長期停滞論は採らない。それは、イノベーションの力を信じるからである。実際の米国の成長は彼が予想したもの以上であった。それはそれとして、読んでいて思い浮かべたのは、日本経済の現状である。過剰貯蓄、投資不足、低利子率、低成長と長期停滞論は日本資本主義の失われた20年の姿ではなかったかと。1980年代において、「われわれは今日、停滞論を耳にすることはほとんどない。「停滞」スタグナーションという言葉は、現代の教科書にさえ見当たらない」(スミシーズ:ヒアチェ、1983、p.226)といわれていたのである。
2.社会主義の必然性
 本書が書かれた当時(1940年代初頭)社会主義国はソ連(及びモンゴル人民共和国)だけであった。第二次世界大戦後、ソ連に隣接する東欧に8か国の社会主義国が生れた。それらの国では自生的というより、ソ連の軍事力によって成立したものといってよいだろう。東アジアでは、中国、北朝鮮とベトナムが戦後の混乱の中で社会主義政府が樹立された。これらの国では、比較的民族勢力の力による所が大きかったであろう。その後も、南アジアやキューバなどで社会主義国が生れたが、成熟した資本主義国の段階での移行には程遠く、低開発国の開発独裁の色彩が濃い。数え方によるが20を超える国が社会主義国となった。それらの国の多くは、後ろ盾のソ連の崩壊によって消滅し、現在、自称社会主義国は、中国、北朝鮮、ベトナム、ラオス、キューバの5ケ国である。
 シュンペーターのいう社会主義とは、生産手段または生産自体に対する支配が中央当局ゆだねられているような制度とされる。なかでも、「中央集権的社会主義」と呼ばれるものみが対象とされる。この定義に、現実に現れた社会主義諸国が該当するかどうか判断できるほど個々の諸国の経済事情に詳しくない。しかし、現実に社会主義といわれた諸国の多くが崩壊した。のみならず、それ以前から、革命が起こるべき先進諸国においても社会主義勢力は衰退して行った。それは、現実の社会主義国、特にソ連の経験によるものであろう。社会主義の定義はどうあっても、社会主義の目的は人間の解放と社会的平等の実現である。実態はそれに程遠いにもかかわらず、社会主義国と自称し、社会主義のモデルと主張された。そのことは、少なくとも、先進資本主義の人民に未来の展望を与えることに成功しなかった。下記3.にあげる効率性の問題を別にしてでもある。
 シュンペーターは、邦訳付録の論文「社会主義への前進」(1949)において、自己の社会主義化の議論に対して、「以上に列記したような事柄のすべて、あるいはその大部分に対して否認を表明した経済学者の会議が、たしかスイスのどこかの山で行われたことがあったと思う。しかしこれらの呪詛は、これに対する攻撃さえも引き起こさなかった」(p.795)とのべている。これはモンペルラン・ソサイエティ(1947年創立)のこと、および当時のその影響力のなさを述べているのだと思われる。しかしながら、今や会の創設者ミーゼス、ハイエクらが唱えた新自由主義は、資本主義国を席巻したのみならず、旧社会主義国まで浸透した。
 著者の想定した社会主義の移行は、「資本主義そのものがすでに若気の放蕩をしつくし、自己の仕事をなしおえて定常的状態に近づいたあとであることも必要とする」(p.324)状況下のことであった。いわゆる「満期の資本主義」からの移行であった。それから考えると、シュムペーターのいう社会主義への移行はまだこれからかもしれない。なにしろ「一世紀といえども「短期」」(p.298)とするタイム・スパンでの現象なのである。本書刊行後、まだ80年しか経過していない。資本主義は100年以上継続と予想されていているのだから、あるいは、その間に社会主義化の傾向に対して、「他の要因の撹乱」が起こるのかもしれない。
3.社会主義の効率性
 シュムペーターは、資本主義に対する社会主義の優越性を信じていた。ハイルブロナーは、それは「テーラーとランゲの研究の、当時の異常なまでの影響を反映しているのだろう」として、もし彼が生きながらえて社会主義経済の中央計画の困窮ぶりを目撃したなら、その優越性に同意したかどうか疑わしいとした(ヒアチェ、1983、p.178)。すでに1981年刊のヒアチェ編の同論文集の中で(p.152)、ハーバラーは、西独と東独、オーストリアとチェコスロバキア、ギリシャとユーゴスラビア、タイとビルマ、そして中国と台湾と対となる二つの国を比較して、生活水準で見た経済成果の顕著な差から、市場経済制度の優位は明らかだとしていた。
 まだしも、ソ連の1950~60年代の経済成長は目覚ましかった、CIAの推計でも年5%程度である。科学技術の面でも人工衛星(1957)の打ち上げは「スプートニク・ショック」を引き起こしたほど、目覚ましかった。米国では、それに負けじとPSSCの物理教育に力がそそがれたのは記憶に残っている。
 成長の時代にあっても、社会主義経済の弱点は農業であった。ソ連では、研究開発、建設と併せて三大弱点といわれた。1960~70年代には、農業政策の失敗から大量の穀物輸入を繰り返した。農業危機につけ込んでか、ヤロビ農法という擬似科学が跳梁した。余談:小生の中学時代の理科の先生は本気で信じていて、実験のお手伝いをさせられたことがある。中国でも、毛沢東の大躍進政策(1958-62)で、人民公社制の下、4,000万人の飢餓者が出たとされている(それが、いまでは世界の農業輸出国ランキング1位が中国、5位がロシアである)。
 その後1980年代に入ってソ連では低成長に突入して、1991年の社会主義体制の崩壊に至る。資本主義先進国が情報化技術を梃子として、耐久消費財を高性能化・多様化したのに比して旧態依然の消費財しか提供できなかったのである。ソ連は情報化の波に乗り遅れたのである。ソ連の失速の原因は、資源や人口のボトルネックもあげられているが、小生のような単純な頭には、「社会主義は最初から、特定の階級、つまり工業労働階級の教義であった(マルクス主義的表現においてはそれが顕著である)」(ボットモア:ヒアチェ、p.78)という説明が解りやすい。社会主義国における第一次産業の状況は上述のとおりだし、社会主義では第三次産業である商業は軽視ないし蔑視されているようにも思える。マルクスによれば、商業は剰余価値を生まないものである。社会主義中央計画当局の目指すのは、産出物に対する費用対効果の解を見出すことであって、人民の需要に対する費用対便益は考慮されない。人民は労働者であるが消費者でもある。商業のみならず、その先にある消費者も軽視されているように思える。
 ましてや、情報化社会である。梅棹忠夫は「商品」観念は工業生産の結果で、情報産業の生み出すものは「擬似商品」だといっている。消費者は内容を理解せずに(理解出来たら買う必要はない)ある価格で「擬似商品」を購入するし、価格の原価計算にもなじまない。どうも、剰余価値論はもとより経済学で把握しにくいもののようである。しかし、それらが生産の大きな部分を占めるようになったのである。社会主義は、理論的にも実際的にも情報化社会に対応できずにいるのではないか。将来、人間と生産力の解放を実現する経済学は建設されるのであろうか。壮大な体系は期待できないかもしれないが、公平と効率の実現する社会に異存は少なかろう。

 米国の古書店からの購入。シュムペーターの愛弟子だったヴォルフガング・ストルパーの蔵書が処分されたものを購入したもののうちの一冊である。この本に、本HPの「書簡」にあげたシュンペーター自筆の書簡とメモが挿入されていた。ストルパーのサインの他、遊び紙や本文中に彼の書き込みがある。他に、英国初版本(George Allen & Unwin,1943)も私蔵している。それには、”book production war economy standard”と書かれていて、発刊当時の時代を思わせる。ただし、製本、印刷は決して粗末ではない。

   (参考文献)
  1. 伊藤誠 『現代の社会主義』 講談社学術文庫、1992年
  2. 梅棹忠夫 『情報の文明学』 中公文庫、1999年 
  3. 塩野谷祐一 『シュンペーター的思考 総合的社会科学の構想』 東洋経済新報社、1995年
  4. シュムペーター 中山伊知郎・東畑精一訳 『資本主義・社会主義・民主主義』 [上・中・下巻] 東洋経済新報社、1962年
  5. ヒアチェ、アーノルド 西部邁・西原隆一郎・八木甫訳 『シュムペーターのヴィジョン 『資本主義・社会主義・民主主義』の現代的評価』 ホルト・サンダース、1983年

 
 
 
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(2022/6/30記)


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