ROBINSON, JOAN, An Essay of Marxian Economics, London, Macmillan , 1942, pp.x+122, 8vo., Association copy of Daniel Bell.
ジョーン・ロビンソン『マルクス経済学』1942年刊、初版。ダニエル・ベル旧蔵書。
著者略歴:ジョーン・ヴァイオレット・ロビンソンJoan Violet Robinson、旧姓モーリス(1903-1983)。
20世紀というより全時代を通じての最大の女性経済学者。久しく邦語で読めるまとまった伝記類は都留のものだけだったが、最近シュルヴィア・ナサー『大いなる探求』が現れた。約2章分が彼女にあてられている。ゴシップ満載で、著者は同性であるロビンソンに対して、少し辛辣すぎるようにも思える。主としてこれら二著を元に書く。
軍人、大学教授を輩出した家系の出。祖父モーリス・ジョンは、ロンドン大学の神学教授の時に危険な教説のゆえに解職される。父フレデリックは陸軍参謀長の時、首相を批判して罷免される。自分には謀反の血が流れていると自ら称していた。
未だヴィクトリア朝文化の余薫の時代で、女性は夫の出世を支えるべく育てられた。ジョーンは自らを教育しなければならなかった。四人姉妹のうち、大学へ進学したのは彼女だけだった。それも奨学金を勝ち取ってである。1922年ケンブリッジで最初の女子カレッジであるガ―トン・カレッジに入学。講義に出席するのにも、男子学生のようにガウンではなく、ドレスと帽子を着用することが強制される時代である。歴史学の研究を志したが、自分は論理的能力に秀でていると自覚し、経済学に専攻を変更した。しかし、学生時代には、後の彼女を思わせる輝かしい才能の片鱗は見られなかった。トライポス(優等卒業試験)の結果は第二等であり、奨学金を得られる見込みはなかった。25年ロンドンのイースト・エンド(貧民窟)に下宿して、政府の住宅局に勤務する。雌伏の時代の始まりである。
翌26年ケンブリッジの経済学のフェローであるオースティン・ロビンソンと結婚する。彼は牧師の息子で資産背景はなく、実直で心優しい人柄である。イギリスには良い教職の口はなく、ジョーンの父親のつてでマハーラージャ(藩王)王子の家庭教師となる。新婚の夫妻はインドに向かう。宮殿に住まい、彼女専用の召使として十数人がいたという。3年の契約期間が終わり、多額の貯金を携えて帰国する。30年夫は正式にケンブリッジの大学講師の職を得る。
生活の安定を得て、彼女は自分の将来を考え始めた。そのころケンブリッジではイタリヤから来たピエロ・スラッファが、自由競争から独占段階に入ろうとしていた資本主義に適応した経済理論の構築を模索していた。そして、彼女は、大学で数学と物理学を学び経済学に転じたばかりのユダヤ人リチャード・カーンと知り合になり、愛人関係となる。カーンはケインズのお気に入りで、その乗数理論の形成に与った理論家である。夫の提案を受けて彼女は、カーンとともに、スラッファが嚆矢となった独占的競争の理論を研究する。一方、ジョーンはカーンの導きで、ケインズが『一般理論』形成のたたき台とした、「ケインズ・サーカス」にも加入する。サーカスのメンバーは両人の他、ミード、カルドア、ラーナー他で構成されていた。このころ、経済学助講師(Assistant
Lecturer)に就く。受講した学生の回顧では、彼女は「若く、精力的で、美しかった」。
カーン宛の31年の手紙では、これまでの研究をもとに「本を一冊書き上げようと思うの…この本を生み出すのは、私ではないわ。作者はあなた、A(オースティン)とわたしのシンジケートよ」(ナサー、2013、下p.169)と考えていた。しかし、まもなく単独著書とすると決心する。『不完全競争の理論』(1933)である。ナサーの本で読む限り、この本はジョーンとカーンの共著であるとの印象を受ける。本の序文には「すべての新しい観念について、わたくしは、「これはわたくし自身の発明である」とは断定できない。特にわたくしはカーン氏(R.F.カーン)の不断の助力をえた」とし、主要問題は、自分と同程度にカーンによって解決され、自分でできなかった数学的証明を彼によっていると、謝辞が書かれてはいる。少なくとも、カーンにはジョーンの単著とするのに不満はなかったのであろう。
スキャンダルを恐れるカーンは本の完成直前にアメリカへ行く。彼から米国でも、ハーバードのチェンバレン教授が同様の本(『独占的競争の理論』1933)を書いているとの情報を得る。同年に出版された両著を巡って経済学界は議論百出する。ともあれ、若くして(29歳)この分野における経済学の第一人者との名声を得た。スラッファやカーンが寡黙で遅筆だったのに対し、ジョーンは雄弁で文才があった。そして、私的にはこの本の上梓後、1年を経ずして娘を出産。また、『一般理論』刊行直後に、その入門書ともいうべき『雇用理論入門』(1937)を出版、ケインズ・サーカスでの研鑽結果を問うた。ケインズからもケンブリジの経済学者で上から6番以内に入ると認められている。
36年アルメニア系英国人、医者にして詩人のアルトゥニャン(妻子持ち)と知り合う。彼の詩集の出版に尽力し、妊娠中にもかかわらず彼を追って、オリエント急行に乗り込み、シリアのアレッポに向かう。帰国後、第二子を出産。夢から覚めて精神的に不安定となったのか、精神病院に入院する。以後は夫と別居生活をする。ロビンソンは、夫は駄馬であると公言していた。ちなみに、英語では、"Mrs.
Robinson"に若い男を誘惑する年上の女性の意味があるが、これは映画『卒業』が語源である。
ジョーンは、第二次大戦中、労働党の委員会に参加して政治活動を行っていた。戦後ソビエトの東欧侵攻・支配によって労働党主流派のソ連離れが決定的になったにもかかわらず、親ソ派の左派小数グループ(十数名)に属した。36年頃に思想的な転向、急進化(スターリン崇拝)があったとされる。1940-50年代を通じて無条件にスターリンを支持し、政治的忠誠と愛国心の葛藤から精神的に不安定となった。不倫のトラブルとあいまって、不眠症となり幻覚をみるようになる。カーン、夫、アルトゥニャンという「三人の伴侶」が相談して彼女を再び精神病院に入院(52年)させたとは、ナサーの語るところである。
53年病状は回復、モスクワを再訪(前年の同所開催「国際経済会議」にも参加)。モスクワを起点に、中国、ビルマ、タイ、ベトナム、エジプト等ソ連の援助国を巡礼する。低開発国の現状を実際に目の当たりにして、経済発展、資本蓄積への途を考察することも迫られたであろう。56年代表作ともされる『資本蓄積論』を出版。彼女の『不完全競争の経済学』は短期均衡の利潤決定理論であり、ケインズの『一般理論』は短期均衡の雇用決定理論である。これは、長期の、いいかえれば動態的な雇用、蓄積、所得分配の理論を探求しようとした本である。それに成功したかはともかく、極めて難解な本として知られている。
資本蓄積を考える中から、ロビンソンは資本量の計測が利潤率に依存することに気づく。一方利潤率の計算には資本量が決定されていなければならない。このディレンマを抱えた新古典派の資本理論を批判することになる。ここから、50~60年代にかけて「ケンブリッジ対ケンブリジの(資本)論争」が勃発する。本家英国ケンブリッジ大学とボストン近郊のケンブリッジにあるMITやハーバート大学の学者の争いのいいである。前者には彼女の他、カルドア、パシネッティ等が加わり、後者の代表はサムエルソン、ソローとモジリアーニである。61年には自身が初訪米(ソビエト訪問よりも遅いし、回収も少ない)し、直接論争の場を持った。論点は、リ・スイッチング論争等にも広がった。全体の論争の結果は、サムエルソンが誤りを認め、英国側が「勝利した」と理解されている。
65年夫の後を襲って経済学教授に就任する。師(?)ケインズと異なり彼女は、弟子の忠誠を要求した。ピグーは「カササギのようにおしゃべりで、しかも無数のオウムを産み落としている」と評している。
72年全米経済学会会長ガルブレイスの招聘で二度目の訪米。この時の講演が「経済学第二の危機」である。経済学の基礎から再検討し体系的な啓蒙書として、J・イートウェルの助力を得て、『現代経済学』1973年を執筆する。一般的には、「入門書としては失敗作だと考えられている」(ブローグ『ケインズ以後の100大経済学者』)。
森嶋は美しいと評したが、肖像写真はいずれも、白髪を後ろにひっ詰めて化粧気の無い、いかにも反俗の雰囲気を漂わせている。1983年79歳でケンブリッジにて死去。
本書は、マルクスを余り知らない(イギリスの)経済学徒にマルクスの経済理論を通常の経済用語を用いて解説したものとされる(訳者序)。しかし、他方では、マルクスの学徒に、「ケインズの経済学」と「不完全競争」の経済学の概要を教えるものとしても読むことができる。前者についてはケインズ・サーカスの一員として、後者については自らの手で、その成立にかかわったものである。イギリスにマルクス学徒などほとんどいないというなら、正統派経済学徒に、といいかえてもよい。ブローグ(『経済理論の歴史』のマルクスの章、文献案内)は、スウィージーの本とともに、現代でも通用するマルクス経済学案内書の二大文献の一にあげている。
本書の内容を、経済学派、価値論、利潤率低下傾向の法則および雇用理論他に別けて記載する。利潤率低下法則の項が長くなったのは、『資本論』第三巻の読解の準備作業を兼ねるつもりだからである。
(経済学派)
この本でロビンソンは、経済学派を3分類している。マルクス学派、ケインズ学派、正統派経済学である。最後の学派は、アカデミック経済学とも呼んでいる。主としてマーシャルの経済学が念頭に置かれている。
正統派経済学者は、科学的に中立不偏の立場にあると自ら信じていた。しかし、この学派の先入主は「外見的な政治的教義にではなく、むしろかれらが研究対象として選んだ問題やかれらがとった仮定にあらわれている」(p.2:以下本書の訳書からの引用はページ数のみを記載)。彼らは、小規模で平等な財産所有者社会における経済学を、発展した資本主義経済の分析に投影しようとしていた。そこでは、方法論的個人主義に立ち、「代替の原理が重要なというよりむしろ誇張された役を演じている。そして、これこそマルクス以後の世代によって導入された、主要な分析技術における成果であった」。一方、マルクスはこれを完全に無視し、「あたえられた技術的知識では、各産業における労働と資本は唯一の可能な組合せしかありえないと仮定する、このため、消費者による代替については全然注意を払わなかった」(p.75:一部改訳)のだ。
また正統派は、資本が生産的だとした。たとえそうだとしても、資本を所有することは決して生産的な活動ではない。しかし、正統派経済学者は資本が生産的だと教えることによって、資本家たちは社会から感謝されるべきであり、彼らが資本から所得を得るのは正当であると暗黙の裡に認めていた。さらに、正統派経済学者は(パレート最適のことだろう)「現在が望みうる最善のものの中でも最も良い世の中であるといった、これ以上希望のもてない教義を説いているだけである」(p.1:強調原文)。これに対し、マルクスの経済学というパンドラの箱からは、恐怖だけでなく、希望も飛び出るので、正統派よりも我々を勇気づけるという。
以上本書における学派に関する記載に加えて、著者の経済学及び経済(体制)の見方を姉妹編ともいうべき『マルクス主義経済学の検討』(1956:以下『検討』と略称)によって付け加える。『検討』は、マルクス経済学に関する論文や講演を日本で編んだもので、原著に該当するものはない。
ある理論的分析について、その理論家の政治的態度に同意できないとの理由で、分析そのものを拒否するなら馬鹿げている。ところが、経済学では不幸なことに、このような態度がしばしばみられる。政治的立場を異にする学者からの学習を拒むという点において、マルクス経済学者は正統派経済学者と同断である。科学的理論をイデオロギーから分離する最善の策は、イデオロギーを逆にした上で、その理論どうなるかを検討することである。マルクスが、片や不可侵の権威として、また片やつまらぬ風刺の対象として扱われるのではなく、経済学者としての真剣に取り扱われていたなら、経済学は余分な努力を省けたと思える。経済理論は、それが事実によって検証されるまでは、正しいとして採用できない。偉大な経済学者の弟子の仕事は、教祖の教義を弘めるのではなく、彼の仮説を検証するということにある。そして、最後に度々引用されるフレーズが出てくる。「経済学を学ぶ目的は、経済問題について一連のでき合いの答えを得るためではなく、いかに経済学者にだまされないようにするかを習得するためである」(『検討』p.38)。
資本主義国で実質的賃金が上昇してきたという歴史的事実は、労働者の絶対的窮乏による革命というマルクス理論の中心命題に修正を余儀なくした。資本家は純生産物のうち、資本家取り分を減らして、労働者に配分することによって、労働者を「いわば買収することに成功したのである[中略]現在マルキシズムが一ばん栄えているのは資本主義がもっとも進んでいない国においてであるということは、特に注意されてよい」(『検討』p.32)。ロビンソンのいう「資本主義がもっとも進んでいない国」とは、旧ソビエトや中国のことを指しているのだろうか。ともあれ、絶対的窮乏が進行していないことは、マルクスも気付いており、「マルクスの仕事がおくれたのは、かれが自分の仮説と周辺の現実とのあいだの矛盾を解決しえなかったためである、ということはしばしば指摘されてきたことだ」(『検討』p.33)。
事実社会主義革命は先進資本主義国では起こらなかった。社会主義への革命的転換は、先進資本主義国ではなく最も資本主義の遅れた国で起こることが明白となった。当時の世界情勢の動向が教えるのは、社会主義は資本主義の次の段階ではない。それは、資本主義、産業革命に乗り遅れた国が、資本主義の技術的達成を導入する手段、すなわち急速な資本蓄積を達成するための資本主義とは異なる体制であるということができる。社会主義(共産主義)は、工業発展から見ての低開発国を発展させるのに、好都合なのだ。だからこそ、革命は資本主義の発達が低いか国か、ほとんど発達していない国で起こったのだ。
経済建設のためには、国民の生活水準を抑圧して、剰余をできるだけ投資に回さねばならない。生産財生産が消費財生産に優先されなければならない。国民に犠牲を要求するのには、民主的な資本主義政権よりも革命政権がふさわしい。意識的計画的に工業国を建設するという目標は、私企業の自由な活動にもとづく民主的政治機構よりも、革命政権のほうが、はるかに容易に達成可能である。革命政権は強力で、あらゆる抗議を強制手段を用いて抑圧することが可能である。また脅されても代償が少なければ、国民は積極的に労働しようとしないこともあるだろう。そこでも、革命政権の有利なところは、国民を納得させるような明確な目標と理想とを掲げてプロパガンダを実施できることである。
革命の真の意義が、資本主義発展からとり残された低開発国と呼ばれている国々の発展を容易にすることにあるのであれば、先進工業国にとって革命の意義はどこにあるのか。マルクス主義の再検討が必要とされる。資本主義諸国と共産主義諸国の平和的共存は経済的基礎を持っている。そして、「一方の経済、古い資本主義的な経済は自己の必要に適した道を追求してゆき、新しい国々、未開発な国は自己の必要に適した道を追求してゆく。そしてかれらが相並んで別々のコースをたどってはならないという理由は少しもないのである」(『検討』p.73)。
この項の最後に、著者の中国に対する見方を、他の著書も参照して、付け加えておく。略伝の項に加えるのが適当なのだが、彼女の社会主義観を知った方が、理解しやすいと思いここに置いた。
[ ロビンソンの中国観 ]
ブローグは『ケインズ以後の100大経済学者』の彼女の項をこう結んだ。「彼女が毛沢東の中国と金日成の北朝鮮を称賛したことは、彼女の友人にもまたそうでない人にも、気まずい思いをさせ続けている」と。彼女の著書『未完の文化大革命』(邦訳1970)は読んでいないし、北朝鮮(1964年訪問)について書いたものも見付けられなかった。手持ちの本で、彼女の中国観を抜き出してみる。インドについては知りすぎるほど知っていたと思うが、中国については幻想を抱いていたとしか思えない。後知恵といわれればそれまでであるが。1970年代だったか『東洋経済』でロビンソンが来日したとき(訪中と同時?)、若手の経済学者との鼎談が掲載されていた。そこでは、中国に関しての発言で馬鹿にされていたような、呆れられていたような記憶がある。
ロビンソンは、東欧の社会主義国については冷徹な観察を貫いている。東欧がソビエトの支配下に置かれたときに、「合わせて圧政と不法も導入された」(ロビンソン、1972、p.118)と断言している。旧ユーゴスラヴィアの労働者自主管理制度が不平等の拡大で危機に瀕したことも、企業に自主性を与えるといった諸改革が、ポーランドでは弱まりチェコ=スロバキアでは弾圧されたことも書いている(ロビンソン、1976、第Ⅲ部)。既にナサーのいうスターリン崇拝から脱却した時代の見方であろう。
しかし、中国にかんしては、称賛のみが書かれている。私の見た範囲では、『社会史入門』、『現代経済学』および『開発と低開発』(原著刊行年は、それぞれ1970、73、79年)のいずれもがそうである。『現代経済学』(1976、p.357)では、一番具体的な事実があげられている。「巨大な製鉄所が、主要な機械産業のために生産しているが、他方、田舎では、小さな鍛冶が農機具をつくっている」と述べられている。大躍進時代(1958-1961)の「土法製鋼」のことであろう。銑鉄と鋼鉄の区別もつかず、古鉄を村の「溶鉱炉」にぶち込み、英国の鉄生産量を追い越すとしていたものである。また、「中国では、耕作者が自分で努力すればうまくゆくような方法で、集団化が推進され、大衆―「貧困又は中下流の農民」―にたいして直ちに利益をもたらしていった」(同、p.406)とも書かれている。こちらは、「人民公社」のことを指しているのだろう。これも、同時代に大量の餓死者が出ていたこと、および公社間の貧富差の拡大と非効率および生産意欲の減退により公社は解体されたことは、歴史が明らかにしている。
ロビンソンは、「ソ連を凌駕する日も近いのではなかろうか」(同、p.404)と予言し、「中国の社会主義は世界史上のなにか新しいものである。チェコの改革者たちは社会主義に人間的な相貌を与えようとした。中国人は経済発展を人間的な価値感覚にもとづいて確立するといういっそう野心的な方向に踏み出した。それはまだ成功した革命の栄光の中にあって、そこから脱出できた過去の悲惨さと大敗の記憶によってたすけられてもいる。これからの二十年のちに、人類がそのようなプログラムを実現する能力があるかどうかは明らかにされるだろう」(ロビンソン、1972、p.130)とした。なるほど、現在中国はロシヤを大きく凌駕したが、それは彼女の期待とは異なる「社会主義市場経済」によってであった(それでも、社会主義は低開発国の発展を容易にする体制であるという彼女の見方は真理かもしれない)。
これを見るに彼女は、経済学を学ぶのは経済学者に騙されないようにするためだという有名な警句を吐いたが、経済学者自身もまた騙されるのだ。もっとも、「理論家の政治的態度に同意できないとの理由で、分析そのものを拒否するなら馬鹿げている」ともいっている。思想・信条如何にかかわらず、彼女の経済学は偉大である。
(価値論)
以下は本書「第三章 労働価値説」とその「付録 社会主義経済における価値」および第二版で付加された「付録 価値論」の概要である。
『資本論』第三巻の精密で明確な記述は、第一巻の独断的態度と表面的には相当違っているように見える。その相違の原因は、分析に付加されたというよりも、省略されたものにある。第一巻は、商品の交換価値は、その商品に含まれる労働の分量(直接労働と生産手段に具体化された労働)によって測定されるとする「純然たる独断的声明(dogmatic
statement)から出発する」(p.15)。第一巻では、価格が価値に一致する傾向があるとした。第三巻では、もはや、相対価格は価値に対応していない競争経済の状態を描いている。
マルクスは、一定の可変資本はそれに比例する剰余価値を生む、すなわち剰余率が各産業を通じて均等であるとの仮定から出発した。このため自ずから技術的困難に陥った。全産業の賃金が等しければ、労働者1人当たりの剰余率は、1人当たりの純生産力に従がって増減する。そして、一人当たりの生産力は労働者1人当たりの資本量に依存する。よって、労働者1人当たりの剰余率は、労働者が使う資本量により増減するのである。
たしかに、搾取の事実が利潤を生むのだろう。しかし、搾取率が、論理的にも歴史的にも、利潤率よりも優先する理由はない。搾取率算出のために剰余量を雇用労働量で除すことと、利潤率産出のために剰余量を資本量で除すことに区別はない。産業が異なれば、異なる搾取率、利潤率および資本・労働比率をもつて歴史的に発展すると考えて当然である(p.20)。
しかし、企業間競争の働きは、一般利潤率を成立させる。均等利潤率の成立である。均等搾取率から均等利潤率の移行は資本主義の歴史的発展過程ではなくて、経済分析の発展過程である。初期労働価値説から、相対需要と相対費用との相互作用による価格理論への移行過程である。
マルクス自身の論議に従っても、労働価値説による価格理論を展開することはできなかった。批判者たちの議論は、論理的には論駁できないものであった。しかし、相対(生産)価格論から、価値を除いても重要な部分には何等影響はない。それでも、マルクスが「この理論を利用したのは、資本主義制度の本質についてのある種の思想を表現するためであった」(p.20:一部改訳)。ここでいう「ある種の思想」とは、第一に、労働を売る以外に生活手段を持たない労働者階級の存在が資本制の基礎であること。第二に労働だけが生産的であることである。こうして、「利潤を「支払われない労働」と見るマルクスの方法と[中略]資本主義過程が労働者の生命そのものに襲い掛かる略奪組織であるかのような画像」(p.26)が描かれる。
「マルクスは、連想の重要性にはっきりと気づいていた。かれは、代数式さえ、しばしば、政治的含意から無縁でないことを指摘している。かれは、搾取率がs /(s +v ) ではなくs /v で表示されなければならないことを強調する。この二つの式は、まったく同じ状況を表現している。しかし、それらは資本主義過程に対する二つの異なった態度を意味する。s /v の比率は、労働の「生産物からの労働の排除」という「現実の事実」を現す。一方、s /(s +v ) の比率は、「資本家と労働者が、それぞれ生産物の形成に寄与した異なる要素比率に従って分配される、一つの協働関係という偽りの概観」を呈する」(p.26:改訳)。
マルクスは労働のみが生産的とした、と上に書いたが、資本もまた生産的である。あるいは、資本は労働を生産的にするために必要である。資本による労働の生産力増大は、マルクスの説明を不自然なものにした。労働価値論では、一定の強度の1人1時間当たりの労働は不変であるとする。それゆえ、1単位時間労働の生産物価値も一定である。一方、技術進歩等により時間の経過とともに実物の生産量は増加する。一定労働で生産できる実物生産量は増えるのだから、商品価値は絶えず減少する。価値と生産物の交換比率は絶えず変化するので、価値は実物の生産量の尺度としては使えない。思うに、成長会計分析で、成長率に対する労働力増加寄与率と資本増加寄与率との残差を技術進歩寄与率で表現したように、可変資本と不変資本の増加分を合わせても、技術進歩による生産増を示せないようなものか(注1)。「商品と労働力とがたえずその価値を変更するのにこれを価値で計算しようとする困難がマルクスの多くの説明の紛らわしい理由となっている。そして、価値の概念によって、かれがいい表わそうとしている重要なアイデアは、価値の概念を用いずによりよく表現できる」(p.24:強調原文)。
実際上の価値測定の問題もある。マルキストは、労働時間で価値を測定することにこだわっているが、「実際の統計調査の可能性から自分たちを切り離し、みずから大きな技術的困難を招来している」(日本版序文p.2)。実際測定しようとすると、複雑労働を単純労働に還元する困難が出てくることをいっているのであろう。
また、社会主義経済における価値法則にも言及している。マルクスは社会主義経済の経済法則については何も述べていない(と記者は思っている)。ロビンソンは社会主義経済でも、収穫逓減の法則が働く限り、労働価値論を貫徹すると最大量の生産が得られず、労働力の浪費が生れることを農業モデルで示している。このことは、労働の限界生産性が一定でない場合は、工業でも同じことであると思う。
以上みてきた相対価格論としての価値論は、マルクス経済学体系の中心ではない。しかし、マルクス自身およびその批判者たちは、それが中心問題だと考えた。正統派経済学は、均衡の概念と結びついた短期分析である。マルクスは主として長期動態分析に関心があった。実質賃金と利潤率との変化、資本蓄積の進展、独占の発達と衰退、社会の階級構造と技術的変化の関係等である。著者は、「マルクスの理論のいかなる実質的部分も労働価値説によっていない」(p.26)と考える。
ヒルファーディング等のマルキストは、マルクスの体系の一部たりとも捨てようとはしない。「マルクシストたちは何故、今日にいたってもこの神秘化を続けなければならないのだろう。マルクスの体系は、建設的批評によって、無意味なものと矛盾したものとから解放され、そして多くの欠点があつたにせよ元通りのあの透徹した分析体系であることをどうしてマルクシストたちは明示しようとはしなかったのだろうか。この理由は、おそらく、労働価値説がずっと以前からすでに理論ではなくなり、一つの信条となりはててしまつたからだろう」(p.137)。著者は、「この論考で価値論は実際の問題の争点には不必要であり、無意味であると論じ」(日本版序文p.1:強調原文)ることによって、マルクスの経済体系は、価値論はなしに構成できると考える。しかし、価値論無しの経済学をマルキストは、マルクスの経済学としては認めないのではないか。
(利潤率の傾向的低下の法則)
まずは、マルクスの所説である。表現を統一するために、表記は英米式で統一する(具体的には剰余価値はS で表記)。
『資本論』第三巻第三篇は、「利潤率の傾向的低下の法則」と題されている。第三篇は、第13章から15章までの3章から構成される。
最初に、「第13章 法則そのもの」をみる。「利潤率の傾向的低下の法則(Gesetz des tendenziellen Falls der
Profitrate)」は、「利潤率の累進的(fortschreitenden)低下の法則」(マルクス、1974、p.838)とも呼ばれている。マルクスにおいては、剰余価値は可変資本に比例して発生する。普通の数値例では、剰余価値と可変資本とは同額とされる(剰余価値率S /V = 100%)。剰余価値とそれを生み出す可変資本が一定であっても、不変資本が増えれば、S /(C +V )である一般利潤率は、分子が大きくなるので下がらざるをえない。ここで、一般利潤率とは産業全体の平均利潤率のことである。それは価値表示であるが、社会全体としては価格表示と同じであることが前提されていることを注意しよう。そして、資本主義の発展は不変資本が可変資本に比して増大する過程なので、時とともに利潤率は低下する。マルクス自身の言葉では、「可変資本と比べて不変資本がこのように漸次に増大していくということは、剰余価値率または資本による労働の搾取度が変らないばあいは、一般利潤率の漸次的低下という結果にならざるをえない。ところがわれわれのみたように資本主義的生産様式の発展とともに不変資本と比べて、したがって動かされた全資本と比べて、可変資本が相対的に減少していくというのは、資本主義的生産様式の一法則なのである」(マルクス、1974、p.834)。
続く「第14章 反対に作用する諸原因」においては、「反対に作用する影響力が、一般的法則に対してそれはたんに傾向でしかないという性格を与えるような影響力が、はたらいているにちがいないのだ。だからこそわれわれも一般的利潤率の低下を傾向的低下とよんだのである」(同、p.854)として、この法則の貫徹を妨げ傾向的法則に留める反対要因を6つあげている。それら要因を標題にした各節が書かれている。その中最後のものは、実際は利潤率の計算方法についてのものであるので、これを除いた5節の標題のみを書く1.労働の搾取度の増大、2.労働力の価値以下への労賃の引き下げ、3.不変資本の諸要素の低廉化、4.相対的過剰人口、5.外国貿易、である。これら反対作用の諸原因は、資本主義発展による利潤率低下傾向を生じさせるのと同じメカニズムから発生する。「一般的に示されたように、一般的利潤率の低下をもたらすのと同じ原因が、この低下を妨げおくれさせ、部分的には麻痺させる反対作用をよびおこす」(同、p.861)のである。
「第15章 法則の内的矛盾の展開」では、この法則と恐慌や資本主義体制崩壊の関係が述べられているが、今の論点とは直接関連が少ないと思うので省略する。
さて、マルクスは傾向的法則と反対要因の存在を述べたのであるが、そのどちらが優勢と考えていたのか。すなわち、結局は利潤率の低下は現実に観察されると考えていたのか。答えは然りであろう。次のように述べているからである。「最近の30年間だけでも以前のすべての時代と比べて社会的労働の生産力が著しく発展してきているのをみると[中略]これまで経済学者たちを悩ましてきた困難、すなわち利潤率の低下を説明する困難にかわって、反対の困難が、すなわち、なぜこの低下がもっと大きくもっと急速にならないのかを説明する困難があらわれてくる」(同、p.854)と。利潤率は、もっと低下してしかるべきだと思っていたのだ。
以上のマルクスにたいするロビンソンの批判はスウィージーと同趣旨であるので、より詳しい後者に従って記す(『資本主義発展の理論』第6章:数式は原著どおりと限らない)。
価値と価格は等しいとして、S を剰余価値、C を不変資本、V を可変資本とすると、利潤率(p )は次の式で表せる。
ここで、s' は剰余価値率(S/V )、o は資本の有機的構成(C/V )である。
この式から、利潤率は剰余価値率に比例し、資本の有機的構成に反比例することがわかる。もちろん、分子には1が加わっているから正確には反比例ではない。o の1に比べての相対的な大きさにより影響を受ける(注2)。概略⊿p ≒⊿s ―⊿o が成立する。
マルクスは、有機的構成が高度化するとき剰余価値率は不変であると仮定した。s' が一定ならば、o が大きくなればp は減少する。利潤率低下傾向の法則を問題なく示せる。
さりながら、スウィージーは次のように考えた。有機的構成が高度化することは疑問の余地はない、しかし同時に剰余価値率不変を仮定することは妥当かと。有機的構成の高度化は、労働生産性の向上を伴う。それは普通、剰余価値の増大となり、剰余価値率を上昇させると考えられる。労働生産性の向上は、産業予備軍を生み賃金を押し下げるためである。(補足すると、新規投資が技術革新を含まず単なる資本の量的拡大だけだとしても、一定の労働量での生産物は増える。そもそも、追加資本に生産性が期待できなければ、投資は実施されないであろう)
こうして、有機的構成の高度化と剰余価値率の上昇が併進して進行するとするなら、上式で明らかなように、利潤率の動向は二つの率の変化率に依存することになる。剰余価値率の上昇率が有機的構成の高度化率より小さければ、利潤率は低下する。その逆は逆である。
マルクスは、長期では資本の有機的構成の変化は、剰余価値の変化を相殺するほど大きいと考えたからからこそ、一次的近似として剰余価値率一定の仮定を採用したとスウィージーは考える。このマルクスの判断も、スウィージーは否定する。過去1世紀以上にわたって、不変資本が物量で急速に増大したことは事実である。しかし、有機的構成は価値表現である。生産性の向上により、生産財は低廉化していることを考慮しなければならない。利潤率を考えるに、有機的構成の高度化は一般的印象ほど急速ではなく、剰余価値の変化の重要性もそれに劣らない。
そもそも、資本主義的生産過程は資本蓄積過程であることからも、利潤率低下の圧力が不断に働く。しかし、資本家はそれに指をくわえてみているわけではない。彼らは、技術革新により、利潤率の維持のみならず向上を目指す努力を続ける。「彼らの行動が利潤率の回復に成功するか、それとも低落への道を早めるだけの結果に終わるかは[中略]一般的な理論的根拠によっては決定されえない論点である」(スウィージー、1967、p.129)。思うに、利潤率低下の傾向は存在するが、実際に低下するかは反対要因の大きさによっても決まり、事実で検証するほかないということであろう。
スウィージー(ロビンソン)に対する、批判として長坂(1958)のものをみてみよう。選んだのは、偶々手もとにある本であったに過ぎない。スウィージーは、利潤率の定式を有機的構成と剰余価値率という二つの変数の個別運動に分解するあまり、それらの二つの変数間の関連を見失っているとの批判である。S とV は、「生きた労働」S +V として一体化して把握すべきもので、これが「対象化された労働」C に対して相対的に減少することを見失っているとする。
S の増加が労働者数の増によるものなら、それは生きた労働およびそれに比例して対象化した労働を増加させるので、C +V を増大させるであろう。それは、利潤率S /(C +V ) を低下させる。次に労働者数を一定とするなら、S の増大は、労働日の延長と剰余価値率の上昇による外ない。今、S =(V +S )× [S /(V +S )] と分解できる。右辺の()は労働日(付加価値)であり、[ ]は剰余価値率を反映している。剰余価値率は無限に増大するとして、その極限ではVが無限小に近づき[
]は1に近づく。それは、労働日がすべて剰余労働時間となるときである。しかし、労働日(労働時間)には24時間という絶対的な限界があり、結果的にSには限度があることになる。一方C +V は、無限に増加可能である。よって、利潤率S /(C +V )は低下する。思うに、このケースでは、労働者数が一定ならV +S が一定となることがポイントか。
次に置塩信雄のスウィージー批判をみる。これも、生きた労働と対象化された労働の関連にもとづくものである。長坂批判の洗練されたものとみることができるかも知れない。『資本制の基礎理論』や『マルクス経済学Ⅱ』で展開された。置塩自身が『岩波経済学辞典』(1992)に「利潤率低下傾向の法則」として書いたものが、簡にして要を兼ねており私には一番わかりやすい。それでも、用いられた記号が解りにくいので、ここでは置塩の証明の改良版と思われる『岩波小辞典経済学』の記法を使用する(注3)。
付加価値をE ( =S +V )とすると、利潤率p は次式で表せる。
ここで、E は、生きた労働の価値である。C は不変資本であるので、E /C は「生きた労働/生産手段に具体化された労働」の比率である。マルクスは、この比率は資本主義の発展とともに減少していくと考えた。利潤率はこの上限を越えられないから、通時的に減少していく。証明終わり。
置塩は、マルクスが有機的構成というとき、それはC /V ではなくて、端的にはC /E すなわち「生産手段に対象化(具体化)された労働/生きた労働」を意味するとする。上式のE /C の逆数である。置塩解釈の有機的構成が高度化するとき利潤率低下することは、上式で証明された。しかし、普通の有機的構成C /V の高度化傾向は大方の人が認めるであろうが、置塩解釈の有機的構成E /C が高度化することは、資本主義発展の必然であろうか。なるほど、それを示す『資本論』からは引用なされている。マルクスが肯定していたとことは解る(注4)。しかし、E にはS が含まれているから、剰余価値率の動向も影響するであろう。私には、スウィージーの批判に戻るようにも思えるのだが。
置塩のスウィージー批判に対する反批判の該当するものが、スウィージー『マルクス主義と現代』(1982)の第2章「補論A 利潤率の傾向的低下の法則」に載っている。「この問題を、一種見せかけの数学的な議論によって解決しようとしたマルクス主義者が何人かいる」(同、p.72)と批判されている何人かのマルキストに、置塩も含まれているのかもしれない。置塩は英文論文"A
Formal Proof of Marx's Two Theorem"を1972年に発表しているから、スウィージーは置塩論文を見たことも考えられる
スウィージーはいう、この法則は予言ではない。予言がマルクスの意図であれば、「傾向」という言葉を除いて「利潤率低下の法則」と名付けであろう。今一度、p = s' / (o +1) を取り上げる。この法則は、資本主義の発展につれて、資本主義の有機的構成が剰余価値率よりも急激に増大する傾向があることを意味する。有機的構成(高度化率)が剰余価値率増大率より大であることを、「見せかけの数学的な議論によって解明しようとした試み」は、以下のとおりであるとスウィージーはする。純粋数学的には有機的構成の高度化には上限はない。他方、剰余価値率の増大には限度がある。必要労働をゼロにするまで削減することは、労働者の餓死を意味するからである。よって、有機的構成の増大率(無限)>剰余価値率増大率(有限)が証明されるというもの。
この試みは、数学的にも馬鹿げている。必要労働はゼロにならないが、ゼロに向って無限に小さくなることができる(ツガン=バラノフスキーが想定したような1人の労働者が多数の機械を看視する生産体制のようなものか:記者)。すなわち、有機的構成も剰余価値率も無限大に拡散できるのである。現実には両率とも同じ程度の範囲で変動することが観察されている。
マルクス自身がなぜ有機的構成の高度化率が剰余価値率の上昇より大であるかと考えたかは、利潤率の低下が問題ではなく、低下がもっと急激でなかったのかを問題にしたことがヒントになる。マルクスは、彼の生きた時代の急激な資本主義体制の近代工業化をみた。有機的構成は途方もなく高度化した。「マルクスの利潤率の傾向的低下の法則は、十九世紀における資本主義の条件に根ざしたものということになる。しかし、それだけに、二十世紀に十分に成熟して出現した資本主義にたいし適用された場合、その理論は有効でなくなるということをつけ加えておかなければならない」(スウィージー、1982、p.75)。
マニューファクチャーから機械制大工業への移行期には、普通、労働生産性の増大は剰余価値率の上昇率以上の有機的構成の高度化をもたらすだろう。利潤率低下傾向が、想定される。しかし、一旦、広範な産業が機械化されてしまえば、労働生産性の向上を目指す資本家は、生きた労働を機械に置き換える代わりに、機械をより生産性の高い機械に置き換える。そこでは、有機的構成は高度化するか、低下するかは一概にいえない。剰余価値率の方は、増大可能だろうから、利潤率は上昇すると考えることも合理的である。入手可能な統計によれば、資本の有機的構成は19世紀を通じ高度化しているが、20世紀以降は停滞ないし低下している。有機的構成の低下は不可避ではないとしても、少なくとも有機的構成の高度化に依存して利潤率低下傾向の法則を導出するのは無意味であるとスウィージーはいう。
ここで、取り上げたロビンソン『マルクス経済学』の私蔵本がダニエル・ベルの旧蔵書であることから、次のように連想する。ベルといえば、「脱工業化社会」の提唱者である。脱工業化の社会では資本設備の重要性は減少するから、資本の有機的構成はますます低下する方向に働くように思える。利潤率の低下はより潜在化すると考えられる。さらに、ベルに先駆けて情報化社会を提唱した梅棹忠夫の論文「情報産業論」では、「近代経済学にしてもマルクス経済学にしても、まさに中胚葉産業時代(工業の時代:引用者)に形成され、それの説明原理として登場したのではないか」(梅棹、1999、p.57)としたことを思い出す。梅棹忠夫の論文に対する都留重人、城塚登、(特に)稲葉三千男らのマルクス主義者(あるいはマルクスよりの論者)の批評が厳しかったこと(同、p.99-102)も思い合わせる。さらに脱線すると、「社会主義」ソビエトの崩壊も、情報化社会の発展が、その一因ではないか。中央管理の経済では、工業は統制できても、GAFAは生れそうにない。
以上みた利潤率の動向に対する批判の他に、ロビンソンは次のような批判をしている(スウィージーも触れている)。マルクスの想定が正しいとすれば、この法則のもたらす結果からの疑問である。私にはこちらの批判のほうが、より重大と思える。この批判に対しての反批判はあるのだろうか(注5)。すなわち、利潤率低下傾向の法則は、「マルクスのほかの理論と著しく矛盾している。なぜならば、もし搾取率が不変である傾向を有するなら、生産力が増大するにつれて実質賃金は上昇するはずである。すなわち、労働は増大する総額の中の不変の割合をうけとるからである」(p.51)。資本主義の発展につれて生産力が増大するとき、搾取率が不変のままだと、労働者の分け前が増えるから、実質賃金は増大する。これは、労働者の窮乏化というマルクスの理論の根幹と矛盾しないかといっているのである。「マルクスは、利潤率低下の傾向を説明するためには、実質賃金不変の傾向の論議を放棄する他はない。この極端な矛盾をかれは看過したように見える」(同)。
労働日の延長や実質賃金の切り下げによるものと違って、生産力増大による搾取率の増大には限度はない。マルクスは、価値計算にもとづいて考えるから、所与の労働時間で創出される価値S +V は一定である。そのため一見、S /V は賃金低下のみによって増大するように見える(実際は生産力増大→商品価値低下→労働力価値、実質賃金率低下→剰余価値率の上昇)。そして、実質賃金は常に不変である(あるいは無意識的に生産力向上は賃金財産業には影響しない)と仮定していたから、実質賃金率不変と剰余価値率不変は矛盾しないと出来たのだとロビンソンはいう。
(雇用理論その他)
価値論と、利潤率低下以外の章は、雇用、有効需要、利潤論、賃金論、不完全競争論、および動態分析に関するものである。ここでは、雇用理論、有効需要論を主として大胆に以下にまとめてみる。
マルクスは、資本家の投資についてその誘因をなんら問題としていない。資本家が投資の源泉である利潤を獲得できる限り、投資は行われる。利潤見込みや利子率は投資に関係しないのだ。マルクスの考えでは、蓄積率の低下は貯蓄がなされる資金の減退によるもので、投資誘因の低下によるものではない。それでも、景気循環の鍵は投資の変調にあるということをマルクスは気づいていた。
しかし、マルクスの景気循環論は、労働予備軍の理論である。労働供給量と資本保有量の関係で雇用が決定される。労働供給に比べて資本保有量が大きい時、失業(予備軍)は減少し賃金が上昇する。賃金上昇は剰余を減少させ資本蓄積率を低下させる。雇用に対する需要の増加率は低下する。労働節約的機械の導入も、雇用を減少させる。失業(予備軍)は増大し、賃金が下落する。この産業予備軍の循環をマルクスは10年周期の景気循環と同視した。マルクスの循環理論は長期的なもので、短期的な有効需要の変動によるものではない。両者を混同したのである。
マルクスの景気循環論には有効需要の問題は起こりえない。恐慌は総生産量の低下で特徴づけられるが、マルクスの循環論には生産量の低下はない。総生産量は資本量によって決定されるので、剰余が実現されない問題はおこらないし、有効需要の不足もない。実質賃金が高騰しても、資本家支出(奢侈品と資本財)の減少は、労働者支出の増加によって埋め合わされるので、総生産量が低下することはない。「実質賃金があがれば(剰余の大きさに支配される)資本蓄積率が低下する。しかし、総生産量は、賃金財および資本財とともに低下しない。技術が変わらなければ、総雇用量も維持される」(p.115)。この場面では、セイの法則が君臨している。
マルクスは、完成された景気循環論も資本主義の長期運動理論も繰り広げてはいない。断片や覚書が残されているだけである。彼が展開しようとしていた議論の方向は一種の過少消費論である。労働者はその貧困で消費を制限される。資本家消費も蓄積意欲により制限を受ける。消費需要が制限され消費財生産が抑制されると、生産財生産の抑制を招く。両部門の不均衡が慢性的状況となるというものである。
この議論を完成するためには、投資は利潤率に依存し、利潤率は究極的に消費力に依存する理論、すなわち有効需要原理に基づく利潤率理論が必要である。その代わりに、マルクスは資本の有機的構成の高度化による利潤率低下の理論を展開し、この理論は過少消費説と複雑に縺れ合っているとする。「利潤率低下の理論は、マルクスを迷路に追込む役目をはたしている、そしてかれはついに有効需要の理論をつきとめるにいたらなかったのである」(p.70)と結ぶ。ロビンソンのケインジアンとしての見解であろう。
2000年に英国の古書店より購入。ベルの署名、書き込み、覚えが記入されている。捜してみて当時のinvoiceは出てきたが、メールは保存されていないので、署名本としての価格付けがなされていたかは不明。当時買った本と比べると、本体だけの倍くらいの価格か。
(注1)そして、さらには、商品価値が低下する時、実質賃金(生存財)が不変とするかぎり、労働力の価値も低下する。それゆえ、一定の価値をもつ可変資本の労働力にたいする購買力は増大するとロビンソンはいう。この場合、単位そのものが変化するといっているのであろか。もう一つよくわからない。
(注2)マルクスの再生産表式の例をみてみると、有機的構成は4や5が用いられているから、o が4から5へ25%アップするとすれば、p が1/4から1/5へ、20%減少する。
(注3)『小辞典』では、S、V、C、E を各労働者1人当たりのものとしているが、この定義を外した。この定義は、「労働者1人当たりの付加価値(E)は労働価値説にたつかぎり通時的に不変であるから」と書かれていることから、通時的に比較可能な数字とするためなのであろうか。かしかし、価値表現である限り通時的に比較可能だし、(利潤)率はそもそも通時的に比較可能であると思う。よく判らない。
(注4)置塩『マルクス経済学Ⅱ』での利潤率低下証明は、英文論文"A Formal Proof of Marx's Two Theorem"がもとになっている。形式的証明としたのは、「マルクスの命題をマルクスの想定からから論理的に導出することを意味する。マルクスの想定それ自体が合理的であるか、またそのための条件いかんという問題はここでは取り扱わない」(置塩、1987、p.170注)とされている。
(注5)置塩は、「実質賃金率が一定であるかぎり、Marxの(利潤率低下傾向の:引用者)論証は成立しない」(置塩、1978、p.138)と実質賃金率一定と利潤率低下法則は両立しないと認めているように思える。
(参考文献)
- 梅棹忠夫 『情報の文明学』(中公文庫) 中央公論新社、1999年
- 置塩信雄 『資本制経済の基礎理論 増補版』 創文社、1978年
- 置塩信雄 『マルクス経済学Ⅱ 資本蓄積の理論』 筑摩書房 1987年
- 置塩信雄 「利潤率低下傾向の法則」 (『経済学辞典 第3版』 岩波書店、1992年 所収)
- スウィージー、P 都留重人訳 『資本主義発展の理論』 新評論、1967年
- スウィージー、P 柴田徳衛訳 『マルクス主義と現代』 岩波書店、1982年
- 都留重人 『現代経済学の群像』 岩波書店、1985年
- 長坂聡 「「利潤率低下の法則」は成立しえないか」(大内兵衛、向坂逸郎監修 『マルクスの批判と反批判』 新潮社、1958年 所収)
- ナサー、シルヴィア 『大いなる探求 下』 新潮社、2013年
- マルクス 鈴木鴻一郎他訳『資本論』(世界の名著44 マルクス・エンゲルスⅡ) 中央公論社、1974年
- ブローグ、M 杉原四郎・宮崎犀一訳 『経済理論の歴史 中 マルクスとマーシャル』 東洋経済新報社、1968年
- ブローグ、M 中矢俊博訳 『ケインズ以後の100大経済学者』 同文館、1994年
- ロビンソン、J 戸田武雄・赤谷良雄訳 『マルクス経済学』 有斐閣、1951年
- ロビンソン、J 都留重人・伊東光晴訳 『マルクス主義経済学の検討』 紀伊国屋書店、1951年
- ロビンソン、J.加藤泰男訳 『不完全競争の理論』 文雅堂銀行研究社、1956年
- ロビンソン、J 佐々木斐夫・柳父圀近訳 『社会史入門』 みすず書房、1972年
- ロビンソン、J 宇沢弘文訳 『現代経済学』 岩波書店、1976年
- ロビンソン、J 西川潤訳 『開発と低開発』 岩波書店、1986年
- 著者不詳 「利潤率低下傾向の法則」 (『岩波小辞典 経済学』 岩波書店、2002年 所収)
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(2020/6/19記) |
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