FRIEDMAN, M. with the assistance of Rose D. Friedman,
Capitalism and Freedom, Chicago, University of Chicago press, 1962, pp.202, 8vo.
MILTON. & ROSE FRIEDMAN,
Free to Choose A Personal Statement, New York, Harcourt Brace Jovanovich, 1980, pp.xxii+338, 8vo.

 フリードマン『資本主義と自由』1962年刊、および『選択の自由』1980年刊、ともに初版。
 著者略歴:Milton Friedmanミルトン・フリードマン(1912-2006)。ニューヨークのブッルクリンに貧しいユダヤ系の家庭に生まれる。両親は、ハンガリー=オーストリア帝国(チェコスロバキヤ領を経て現在ウクライナ領域)生まれで、共に十代で渡米した移民である。父親は生地の卸売業、母は縫製工場で働いていた。労働環境は「白人奴隷」とされるほど劣悪であった。一家は、ミルトンの生後、ニュージャージー州に移住して、生地の小売を生業とする。高校三年生の時に父が亡くなる。奨学金とアルバイトでラトガーズ大学(小私立大学、後に州立大学となる。彼の教育クーポン制議論を考えると面白い)へ進学する。数学と経済学を勉強した。アロー同様、数学のできる裕福でない家庭の学生としてアクチュアリー(保険計理人)を目指した。しかし、大学の授業でアーサー・バンズとホーマー・ジョーンズに出会って大きな影響を受け、経済学に引かれた。後者は著名ではないが、連邦銀行の調査担当副頭取を務めた人物。
 1932年卒業時に、多くの大学院に願書を出し、シカゴ大学の経済学部とブラウン大学の応用数学科の奨学金が得られた。前者はホーマーの推薦があった。「シカゴ大学へ行くことを選択した理由は、大きな恐慌の真っ只中で経済学は応用数学よりも緊急かつ重要であることが明らかであったからだ、と思います。間違いありません。これは一個人としての私に大恐慌が与えた主な影響だったと思います」(パーカー、2005、p.50)と述べている。当時のシカゴ大学は自由主義経済学の牙城であり、ヴァイナー、フランク・ナイト、シュルツ、ミント等の錚々たる教授陣を擁した。自ら大学院生は教授陣からではなく院生同士から学ぶとした、受講生にはボールディングがいた。とりわけ、隣の席には、後に妻となるローズ・ディレクターがいた。ロシア(現ウクライナ)生まれのユダヤ系移民で、兄は経済学者のアーロン・ディレクターである。1933年シカゴ大学で修士号を得て、コロンビア大学で数理経済学のホテリング、景気循環論のミッチェル及び制度経済学のJ・M・クラークの下で1年間研究をし、シカゴに戻って、1934年シュルツの研究助手となる。
 1935年にはNRC(国家資源委員会)、37年NBER(全米経済研究所)に勤務する。後者では、クズネッツと共著で『専門職の所得』を39年に著す。人的資本論の嚆矢をなす著述であり、博士論文ともなったが、同時に医師免許制廃止論から反発を招き46年迄出版は遅れた。この間、38年にローズと結婚する。40年に一時教職に就くも、41年にはNYに行き、コロンビア大学のシャウプ(シュウプ税制で著名)とNBERのルスー・マックとともに戦争財政の研究に従事する。同年シャウプの勧めで財務省に入省(43年まで)。インフレを抑え戦費調達する租税改革案を検討した。「実際、所得税の源泉徴収制度を考案し開発したことに係わり」(ブレイト・スペンサー、1988、p.140)といっているから、我々にも大きな影響を与えたわけである(もっとも、日本はドイツをまねて米国に先行して導入されている)。ワシントンの2年間は政策がどのように作成されたかを見聞する貴重な実地教育であったが、幸い「ポトマック熱病」に罹る前にワシントンを離れられたとしている。43-45年、コロンビア大学戦争研究学科統計調査班で数理統計学者として働いた。飛行機材料の統計的研究も行っていた。
 46年古巣のシカゴ大学に、准教授として招聘される。ナイトは健在だったし、ハイエクが招かれていた。親友のスティグラーや義兄のディレクターもいた。自由市場主義経済学の世界的中心地であった。これからが、経済学者フリードマンの本格的な活躍が始まる。ヴァイナーの後任として大学院で「価格理論」、学部で「貨幣理論」を講義する。53年には、フルブライトプログラムで英ケンブリッジに滞在した。ジョーン・ロビンソンやカルドアとどのような議論があったのか興味をそそられるところである。『実証的経済学の方法と展開』(1953)、恒常所得仮説で知られる『消費の経済理論』(1961)、講義をもとにした『価格理論』(1962)および『資本主義と自由』(1962)の出版によりその名声を不動のものにした。しかし、なんといってもフリードマンを世に知らしめたのはそのマネタリズム思想であろう。すでに上記『実証経済学』でも扱われていたが、『貨幣の安定をめざして』(1959)及びアンナ・シュウォーツとの共著『合衆国の貨幣史1867-1960』でマネタリズムを展開する。1966年アメリカ経済学会の会長に就任は、その影響力の大きさを象徴するものであろう。就任演説が「貨幣政策の役割」である。同年からサムエルソンらとともに『ニューズウィーク』のコラムに執筆するようになり、一般読者も獲得した。ローズとの共著である『選択の自由』(1980)や『奇跡の選択』(1984)は、啓蒙書である。1972年心臓病で大手術を受けるも回復、76年にノーベル経済学賞受賞。77年シカゴ大学を辞し、スタンフォード大学のフーバー研究所に研究の場を移した。2006年サンフランシスコで94歳にして亡くなる。マネタリズムは、その後新しい古典派の経済学が出現する触媒の役割を果たした。しかし、マネタリズムそのものは、諸国での導入結果が思わしくなかったことやマネー・サプライのコントロールが困難であることが判明したこともあって、斜陽期を迎える。
 大手銀行の副頭取の子として銀の匙を咥えて生れてきたスィージーがマルキストとなったのに対し、移民階級の二世として最底辺の母子家庭に育ったフリードマンが社会保障を否定する自由主義者となったのは皮肉である。また、彼の身長は155センチというから米国においてはかなりの小兵である(ちなみに、ガルブレイスは2メートルを超えていたと思う)。これだけみても、彼には克服すべきものが多く、負けじ魂を育てたように思える。

(以下、ページ数のみの表示は『資本主義と自由』からの引用、上または下とページ数のみの表示は『選択の自由』からの引用である)

 本稿は『資本主義と自由』を取りあげるのを目的としたものであるが、まず、導入部として、姉妹本ともいうべき『選択の自由』第四章にあるフリ-ドマンのマトリックスを掲げる。
 
    誰のためか
 誰のお金か  自分  他人
 自 分    Ⅱ
 他 人  Ⅲ  Ⅳ

 お金を負担と受益する者によって四つの組み合わせに分類する。例をあげると、Ⅰは、自分が自分のために商品を購入する。Ⅱは、他人にプレゼントする(節約の動機はあるが、もらった人が喜ぶとは限らない)。Ⅲは、社費でランチを食べる(節約の誘因は少ないが、受益を最大にしたい)。Ⅳは、社費で他人のランチをおごる(節約も受益の最大化誘因も少ない)等々である。使うお金に対して、できるだけ多くの価値を入手したいという誘因はⅠ~Ⅳとなるに従って減少し、気安く支出しがちになる。官僚もお相伴にあずかる福祉制度は、ⅢまたはⅣの領域である。福祉支出の持つこの特徴が、欠陥が発生する原因である。
 福祉支出は、本来目的とする貧困者のために使われるというより、官僚を含む中間層や上流階級に流れがちである。フリードマンの計算では、米国において1961年に直接的な福祉給付およびあらゆるプログラム(老齢扶助、社会保障給付、農産物価格維持、公営住宅等)に約330億ドルを使った。これを5,700万の消費単位(家族数)の約1割の最低所得層570万で割れば、消費単位当たり約6,000ドルが即金で交付できることになる。所得の下位2割の階層に交付するとしても、3,000ドル交付できる。しかし、年収2,000ドルでさえ、全所得の下位3分一の境界線だという(p.217)。彼の提案する負の所得税(後述)を採用すれば、現在の半分以下の負担で目的を達成できると主張する。
 おおよそ以上のような議論(上例は両著の議論の組合せた)がフリードマン流である。あるトピックスを取りあげ、一般的分析を行い、結論を出す。そして、実証研究によるデータを用いて自説を補強する。データのもとになった研究は結論だけが提示されているので、専門家でもないかぎり、信頼性については著者を信じる他はない。本書には、教育クーポン制、負の所得税等優れたアイデアが見られるが、それらは体系的に結合されてはいない。悪く言えば思い付きを並べたものである。ユダヤ系の学者から想像される、堅固な理論体系を構築するというやり方では決してない。
 『選択の自由』の訳者「解説」には、「著者の主張がしばしばあまりにも単純明快過ぎることを、学術レベルで討論の対象とすべきではない」と書かれている。貨幣数量説を説明するために日本の1973年の例を上げている所など、思わず眉に唾をつけてしまう。オイルショックによる狂乱物価をそれ以前の通貨増大で説明しているのである(下p.243)。「特に一般読者向けの書物は、彼の理論的(実証的)な研究からすべての提言が導かれているような印象を与えている。しかし、実際にはそうではなく、彼独自の価値判断に基づいたものも少なくない」(橋本昭一他、1998、p.275)ともされ、政策提言と理論的立場が使い分けられているようである。『資本主義と自由』が一般書なのかはわからないが、同様の注意が必要であろう。また、これも『選択の自由』のことであるが、「われわれの考えでは」云々が繁出するが、この「われわれ」がミルトンとローズのことか、それとも多数の経済学者集団のことか分明でないのが気になる。
 著者の自由主義や個々の議論にたいする反対はあろうが、上例のごとき経済の官僚化による経済効率の低下については、資本主義が継続するかぎり問題となり、本書が取り上げ続けられることになるのだろう。「これまで説明してきたような理由で、特殊利益は一般利益を犠牲にしながら社会を支配してきている。今日の新しい支配階級は、大学に収まっている連中であり、報道機関であり、とりわけ連邦政府の官僚機構である」(下p.282)と。今日(『選択の自由』の時代)産業の国有化を支持する人たちでさえ、産業効率が改善されるという幻想は持たず、一つの必要悪としてみているのである。

 『資本主義と自由』が発刊されたのは1962年である。「今日米国において経済的自由をおびやかしている最も重大な短期的問題―もちろん、第三次世界大戦の勃発は別として―は、国際収支問題」(p.63:下線引用者)云々と書かれているように、キューバ危機の切迫した状況のさなかに書かれているのだ。また、サムエルソンがアメリカ経済学会の会長(1961年)に就任し、ケネディ政権の経済諮問委員会の影のフィクサーとして活躍した時代である。ケインジアンが全盛の世で、ひとり自由主義の気を吐いたのである。にわか仕込みの自由主義者では、決してない。

 これから、『資本主義と自由』の章立てに従がって、その内容をみることにする。ただし、理解を助けるため、『選択の自由』からの議論を使って適宜補うことにする。

 『資本主義と自由』の目的は、経済的自由主義の体制であると同時に、政治的自由のための必要条件としての競争資本主義の役割を論ずることである(序説:Introduction訳書では序章となっている)。「まえがき」に、元となった講義では、「まず原理を取り扱う本書の最初の二章の内容を洩れなく説明し、そのあとで諸原理を様々な特殊問題の組み合わせに適用した」(p.v)と書かれている。1・2章の原理的な部分は、やや詳しくみていく。

  (第1章 経済的自由と政治的自由の関係)
 民主的社会主義者は「全体主義的社会主義」を非難するが、他方でロシアのような経済組織を採用しても、政治組織を通じた個人の自由が保証できると信じている(記者いう、シュンペーターのいう社会主義の文化的多様性はその一つ)。それは幻想に過ぎない、経済と政治には密接な関連があり、社会主義社会では個人の自由を保証するという意味で民主的であり得ないと主張する。ロシアほどでないにしても、政府の干渉を増大させる動き、集団主義(コレクティヴィズム)への傾向は、英国をはじめとする諸国において、二つの世界大戦を通じて加速された。民間の寡占や独占よりも、政府こそが自由市場体制を阻害するようになった。自由よりもむしろ福祉が、民主主義諸国での支配的風潮となったことを憂いる。
 フリードマンは、自由には二つの価値があるという。一つは人びとの間の関係における自由であり、今一つは自己の自由を行使しようとする個人の価値である。前者が優先され、後者はその人の倫理と哲学に属し個人に任される。社会組織は善人が善行をなし、悪人が悪行をなさないようにする必要がある。社会は分業と専門家によって相互依存の状態にある。何百万人が相互に日々の糧を供給し合っている。取り組むべきは、相互依存状況を個人の自由と調和させることである。
 経済活動を相互調整する途は二つしかない。一つは強権の行使を含む中央指令経済であり、もう一つは個人の自発的協力、すなわち市場によるものである。自由私企業制交換経済すなわち競争的資本主義は、経済取引の当事者双方が自発的で十分な情報をもっているならば、双方が利益を享受する。自由市場制度は、政府の必要性を排除しない。むしろ、政府は「ゲームのルール」を定め、ルールを裁定し、実行のための審判者として必要とされる。
 市場は経済的自由を与える。このことは、単に経済的意義以上のものを持っている。政治的自由は、個人が権力からの強制を免れることである。自由を保持するためには、強制権力の集中をできるだけ完全に排除し、排除できない権力は何であれ分散と分配をはかる必要がある。経済の組織化を政治統制から分離することにより、市場は強制権力の力の根源を排除する。中央指令経済では、政治権力と経済力が同一人の手に握られている。市場経済では、それらが分離されていることにより、経済力は政治権力への抑制ないし対抗力となりうる。
 その例として、社会主義社会での急進的改革運動(資本主義復活運動等)が困難なことを述べた後、米国のマッカーシズムの経験をあげている。共産主義者として職を追われた人びとを「根本的に保護したのは、彼らがそこで生計を得ることのできる私的市場の存在であった[中略]この事件にまきこまれた人々の不つり合に大きな割合が経済のなかの最も競争的な部門―小企業、商業、農業―すなわち、市場が理想的な自由市場に最も近づいている部門にはいっていったことである」(p.23-24)。パンを買う人は誰も、その原料の小麦が共産主義者によって作られたか共和党員によって作られたか、はたまた黒人によって作られたか白人によって作られたかは関心がないという。なるほど、農民等の顧客に直接接しない仕事ではそうであろうが、小売店では見た目や風評が売れ行きに関係すると私には思えるのだが。
 また、後の章を参照すれば、フリードマンが唱える自由主義は、(経済的)個人主義と呼ぶべきものかも知れない。関税を論じては、「けっきょくのところ、自由主義者が単位として考えるのは個人であって、国民ではなければ特定国の市民でもない。したがって自由主義者からみれば、もし米国とスイスの市民が相互に利益となる交換を全うすることを妨げられるならば、それはあたかも米国の二人の市民がそうするのを妨げられるのと同じように自由の侵害である」(p.147)という。自由主義は国益を超越しているのである。また、税制について、「法人税は廃止されるべきである。これが実行されてもされなくても、法人企業は配当金として支払わなかった収益を個々の株主に帰属させるように要求されなければならない」(p.150)というくだり。企業は擬制であるかのような表現である。国についても、「自由人にとって国とはそれを構成する個人の集まりであって、個人以上の何ものかではない」(p.1)として、政府は方便であり手段であるとしている。

 さて、ここでフリードマンがいう自由主義とは、そもそもいかなるものか気になるが、「原理を取扱う最初の二章」には明確な定義はない。私の見出せたのは、第12章にある次の文章である。「自由主義哲学の核心は個人の尊厳を信ずることであり、他の個人が自分と同じことをする自由には干渉しないということを条件にしながら、個人が各自の考えにしたがって自己の能力と機会を最大限に利用する自由を信じることである」(p.219)。ここには、ミルが『自由論』で論じた「自分以外の人の利益に関係しないかぎり」という限定がついていないのが、気になるところである。しかしながら、それをないがしろにしていないことは、上記の二つの自由の価値を論じた所でもわかる。
 『選択の自由』では、もう少し明確に述べられているので補足しておく。自由論(及びそれに密接に関連する平等論)に該当するのは、その「第五章 何のための平等か」である。「平等と自由は、同一の基礎的な価値観、すなわちすべての個人は、それ自体として究極的な目的、とみなされなくてはならない」(上p.269)あるいは「すべての個人は、自分自身の目的を達成するため献身する権利が与えられており、誰か他人の目的を促進するための道具としてだけ使われてはならない権利を持っている」(上p.270)としている。「自由」と「平等」は矛盾しない。アメリカ建国期には、平等は神の前の平等を意味した。平等は、人は誰一人として同様でないという理由によって重要で、各人は異なる価値観、好み、能力を有している。それゆえ、人にはそれぞれの生活をする権利がある。建国の父たちは、民衆の中には優れた人、エリートがいることは認めていた。だからといって、それらの人が他の人を支配する権利はない。人は自らの支配者でなければならない、「ただしそのとき、人は他人の同様な権利を侵すことがあってはならないという条件がついていた」(上p.271)。そして、民衆が他の市民や外国から脅威によって、権利を侵害されないように政府が必要となる。
 米国では、南北戦争等を通じて、人格的平等すなわち神と法の前の平等が次第に実現されていくと、機会の平等が次に強調されるようになった。しかし、すべての人が完全な機会の平等をもつことは不可能である。人の能力差や家庭環境が異なる時、完全なる機会の平等の概念は実行困難となる。機会の平等の本当の意味はフランス人のいう「能力に応じて開かれている人生」である。20世紀に入ってからは、「結果の平等」が支持されるようになった。競争しても、その決勝線で競争者はすべて一列に並んでいるべきだとされる。それは一部の人にとって、宗教的信念にさえなった。公平な分け前や必要に応じての分配の理念と、人格的自由との間には基本的な矛盾がある。結果の平等を実現しようとすれば、強権的な支配を導入せざるを得ない。大方の人が納得する形で公平な分け前を定義するのは不可能で、みんなが公平に扱われていると満足させるのも不可能である。
 過去100年間にわたって、競争的資本主義が不平等を増大させ、貧富の格差が広がり、富者が貧者を搾取する体制だと言われてきた。フリードマンのみるところ、それは神話であり、逆に自由市場の運営が許されていない社会はどこでも、富者と貧者の格差が増大していき、冨者はより富み、貧者はより貧しくなると断言する。資本主義以前の封建社会、独立前のインド・南米のごとき社会はもとより、かつてのソ連・中国のごとき中央主権的計画経済の国家においても同様であったとする。
 フリードマンの理想とするところは、ワーテルローの戦いから第一世界大戦までの100年間らしい。大英帝国はほぼ完全な自由貿易体制であり、他の米欧諸国も不完全ながら自由貿易体制であった。当時の人びとは、世界の大部分をパスポートも税関もなしで旅行できた。ほどんどの国に自由に移住して、市民権を獲得できた時代なのである。
 『選択の自由』の「むすび」に書かれた結論は以下の通り。個人の自由と経済的自由はという二つの理念は、相携えてその威力を発揮する。「人間の自由に対するもっとも大きな脅威は、それが政府の手にあるものであろうが、その他の手にあるものであろうが、権力の集中であるという基本的な真理」(下p.299)を忘れてはいけないと。

 (第2章 自由社会における政府の役割)
 原理を扱った部分であるが、ここでは政府の役割が論ぜられる。自由主義者はいかなる強制も排し、自由討論と自発的協力を手段とする。「この観点からすると市場の役割は、すでに述べたように、それが服従を求めることなしに全員一致を成り立たせるということ、それが実質的に比例代表制の仕組みになっているということである」(p.25-26)と評価している。しかし、市場はドルの比例代表制であって、一人一票の比例代表制ではない。ドルを持つ人と持たない人には力の差が歴然とあると思うが、そのようなことにはフリードマンは触れていない。
 政治的手続きは不可避であるが、それは社会の団結力にひびを入れる傾向がある。端的には、国論を二分するような問題に対しては、民主主義の投票制はうまく機能しない。歴史上の内乱や宗教戦争が示しているように、それは闘争によって決着がなされる。市場の役割が広がるに従って、その機能により強制の必要がなくなり、社会的団結力に課せられる負担が軽減される。「市場によってカバーされる活動の範囲が広くなればなるほど、明示的な政治的決定を必要とし、したがって同意を達成することが必要な係争点の数はそれだけ少なくなる」(p.27)。
 市場でカバーできない機能が政府の役割として残される。まずは、(市場内外での)個人の行動ルールの設定と審判者としての政府が必要とされる。「これらの点において政府が必要とされるのは、絶対的な自由が不可能だからである」(p.29)。個人の自由の衝突の仲裁者としての政府である。次に、技術独占と近隣効果の理由から政府の介入が要請される。前者は、電話・電力・水道等の生活インフラや輸送等では地域独占が有利なため、公営にするか、民営会社対する政府の公的規制が望ましい。後者は、フリードマンの用語で、普通は外部効果、あるいは外部経済(外部不経済)と呼ばれるものである。景観や公害のように、実際の受益者(負担者)の計算が消費者(生産者)の収益(費用)に反映されない場合である。政府による調整が必要とされる。最後が温情主義的干渉(パターナリズム)である、フリードマンの嫌うところであるが、一定の範囲で認めている。自由は責任を引受けることができる個人だけが主張できる。精神病者や子供等の責任の持てない人には、パターナリズムの対象である。

 第3章以下は自由主義の個別問題への応用編である。章ごとに内容を概説する。
 (第3章 貨幣の管理)
 1930年代の大恐慌は、資本主義経済の不安定性から発生したのではない。政府の金融政策、すなわち連邦準備当局の作為と不作為によって生み出された。恐慌時に貨幣供給量を大幅に減少させたことに原因を求める。『貨幣の安定をめざして』(1959)及びアンナ・シュウォーツとの共著『米国金融史 1867-1960』(1963)によって、歴史的証拠を示したとする。
 少数の人々の決定とその過失が、かくも甚大な影響及ぼす。このような過大な権力と裁量を少数者に委ねる制度は悪である。貨幣は、中央銀行(連邦準備銀行)が管理するには余りに重大である。「これまでに示唆された方法で有望な唯一の途は、金融政策の運用についてのルールを立法化することによって、人によるのではなく、法による統治を達成すること」(p.57)である。裁量的意思決定はしばしば誤る。これに対し、一般的ルールが採択されるなら、それは人びとの態度や期待に好ましい効果及ぼす。これまでしばしば唱えられてきた物価水準を維持するというルールは、貨幣当局がこれを直接達成する手段を持たないから採用しない。貨幣ストック(現金通貨プラス商業銀行預金)を月毎に3~5%の間のX%で増大するようなルールを採るべきだとする。いわゆるk%ルールである。
 このような提言は永遠に遵守されるべき最終的なものではなく、現在のわれわれの知識水準の下での物価安定の最良の方策である。実際に運用したり、もっと研究が進めば、より良いルールが考案できるだろうと書いている。

 (第4章 国際金融・貿易制度)
 この本の出版当時は、ほとんどの国が固定為替相場を採用していた。米国は国際収取の赤字を垂れ流し(トリフィン『金とドルの危機』は1960年に出されている:記者)ていたが、ケネディは為替管理も、ドル切り下げも、関税政策も、景気抑制も行わず、といって金準備も取り崩さなかった。個人でいえば、自分の収入を超えた生活をしながら、それ以上働くこともできなければ、生活を切り詰めることもできず、といって借金もせず、貯金を取り崩すこともない状態だとフリードマンはいっている。
 自由貿易体制と両立する為替調整のメカニズムは、国際金本位制と自由変動為替相場しかないが、前者は不可能である。早くも1950年に著者は、変動相場制に関する論文を書いている。それは、「国際収支のある一つの問題を「解決する」ことではない。それは国際収支問題そのものを解決する」(p.76:強調原文)のだ。変動相場制は貿易取引を不安定にすると批判されることが多い。しかし、変動為替相場制に賛成することは、不安定な為替相場に賛成する意味ではない。それはあたかも国内での自由価格体制を支持することが、諸価格が大幅に変動するシステムを支持することを意味しないのと同様である。価格は自由に変動するが、それら価格を決定する諸力が安定的なため、現実の価格変動は適当な範囲で収まるシステムが望ましい。為替相場の不安定は経済構造の不安定の反映である。相場を固定しても、構造的原因は解消しない。
 その他に、金と外国為替市場を自由化するために、個人の金売買を許可し、金価格保持のための政府在庫を処分することが述べられている。私はうかつにも、F・ルーズベルトが1933年に金保有禁止令を出し、1974年まで米国で金は自由売買できなかったことを知らなかった。その後、外国為替の変動相場制は、広く世界に採用され、不可欠の制度となった。今では、変動相場制の非を鳴らす人はいないだろう。この点でフリードマンの先見性は明らかである。

 (第5章 財政政策)
 ニューデール政策以来、財政政策が最初は投資のためのポンプの呼び水政策として、そして次第に景気循環の平衡装置として、ますます利用されてきた。といっても、景気の過熱を冷やす場面での出番はほとんどなく、不景気の下支えが主な役割である。それも、人びとの抵抗が多い予算の収入=課税政策ではなく、支出政策が用いられた。それは、景気対策だけでなく、政府支出が個人経済に資するべきだとの福祉国家の思想の浸透の故でもあった。
 著者は、財政政策においても金融政策と同様ルールによる運用を求める。政策効果のズレ、知識の不足、判断ミスが存在するからである。経済の安定を特段顧慮することなく、支出は私人のためでなく社会の目標を達成すること、税率は一定期間を平均して計画された支出を賄うように、いずれも不規則な変動を避けるように求める。ケインズの乗数理論の効果が限定的であることも説いている。

 (第6章 教育における政府の役割)
 まず市民としての一般教育。市民の大多数が読み書き能力持ち、普遍的な価値観を受容することは、安定した民主社会形成の基礎である。それらを教育することは、その家族だけでなく社会に近隣効果をもたらす。それゆえ、総ての子供に最低限の学校教育を受けさせる義務が要請される。義務教育の費用が、ほとんどの家庭で負担可能なほど低廉であれば、親が直接に費用負担することができる(少数者には公的扶助)。そうとなれな、住民の全生涯にわたって費用を税金として徴収し、子供の学齢期に払い戻すという複雑な現在の方法は不要となる。しかし、家庭によって、財力や子供数にばらつきがある。さらに、初等教育の水準を維持するにも、多くの費用がかかる。このため学校教育は公的負担で賄われている。
 義務教育と公的負担は近隣効果で正当化されても、教育を政府が実施すること、「教育産業の国営化」は、正当化できない。著者が提案するのはクーポン(証票:本書では、ヴァウチャーとも)・システムである。政府は一定水準の学校教育を義務付け、親にその費用に支払い可能なクーポンを交付し、親はそれで公認の教育サービス機関に支払う。クーポンには、子供一人当たり最高額が定められており、親はこれに自分の資金を付加して自由に学校を選べる。現状では、特別の負担なしに公立学校へ通わせられるので、補助を受けるのでもなければ他の学校へやる人は少ない。私立学校へ子供を通わせる親は、学費と税金と二重に教育費を負担させられているのである。
 そして学校間競争は教育の格差を広げるのではなく、底上げをもたらすとする。多少楽観的に過ぎるのかと思えるが、自由主義者としての面目は次の一節に現れているようである。「われわれの現在の学校制度は、機会均等どころか、まったく逆の働きをしている可能性が大きい。それは例外的な少数者―そして、これらの人びとにこそ将来の希望がかけられている―が、彼らの当初の貧困を乗り越えて行くのをいちだんと困難にしている」(p.105-106)。教育に投資が足りないというより、投資に対する成果が余りに少ないのが問題である。それは、親にも親でないものにも同様に課される税金で教育が負担されているからである。政治的過程の決定に順応することが求められ、市場のように多数の人の選好が反映されない。教師の給与もその水準ではなく、余りに硬直的で均一なことに問題がある。どのような職業でも、特別の才能を持つものは少数者であり、多数の労働者は給与の標準化を支持し、格差に反対する。移民期の米国は多様な言語と慣習をもつ「人種のるつぼ」のなかで、英語教育と安定した共通の価値観を作り出すことに公教育の重点が置かれた。今日では、順応性の過剰が危惧され、むしろ多様性が重んじられる。それには国営教育よりクーポン制度が望ましい。
 高等教育を総ての人が受けられることは望ましい。しかし、初等中等教育とは異なり大学等の高等教育は、近隣効果も少ない。高等教育を受けない人の犠牲において、高等教育を受ける人の費用を政府が助成金支出している。これを正当化する理由は全くない。教育に要する全費用を学生に請求すべきである。高等教育のための貸付金を政府が準備するのが適切である。高等教育の国営化の根拠もより低い。米国では高等教育における公部門シェアも実際に低い。しかしながら、現実に政府の財政援助を廃止することは政治的に困難である。それに代わる穏健な改善策として、高等教育のクーポン制を提案する。政府の補助は学校よりも個人に交付され、個人が学校を選ぶようにすべきである。
 職業的専門的な学校教育も、高等教育と同様、初等教育のような近隣効果を持たない。それらは共に、人的資本投資というべき投資形態の一種で、物的資本投資と同様に考えればよい。投資の収益は教育を受けることによって得られる増加収入である。投資の費用は、訓練期間中の得べかりし機会所得および授業料・教科書代等の経費である。収入支出のフローを予想利子率で割り引いて、正の数字であれば投資することになるのであろう。そして当人または親がその収益(の一部)を享受することになる。
 ところが、ベッカーやシュルツの人的資本の研究によれば、人的資本投資の収益率が物的資本の収益率より高いことが示されている。それは人的資本への投資が不足していることを示唆しているという。予想されるのは、人的資本投資の資金調達が物的資本のそれより困難であろうことである。融資の際、人的資本は(奴隷制でもないかぎり)担保とならない、人的資本の生産性は借り手の協力に依存する。安全性が少なく回収費用は大きいのである。また平均収益は高くとも、収益の変動幅は大きい。しかし、市場の不完全性によって投資は妨げられてはならない。現在の教育資本市場の不完全性は、出資者を親とか後援者に限定しがちである。能力を持った人が必要資金を入手できないことは、社会の富と地位の固定化する。フリードマンの提案は、政府が最低の能力以上の個人に職業訓練資金を提供することである。融資を受けた個人の返済は、将来ある一定上の収入がある時、その超過分の一定割合を返済する仕組とする。支払いは所得税納付と結合できるので余分な管理費用は最小に抑えられる。

 (第7章 資本主義と差別)
 資本主義の発展は不当な差別をなくしてきた。どのような社会でも、差別が残存するのは独占的な部門であり、最も競争的な部門は差別も最少である。自由市場は経済的効率性とは関係のない属性を分離するからである。企業経営において、経営者が生産性と無関係な選好をするなら、高コストとなり競争に敗退することになる。黒人から商品を買ったり、同じ職場で働くことを好まぬ人は、自分の選択の幅を狭めている。人種や宗教に差別を持たない人は、最も安く買える。差別をする人は、結果的にそのことによって代価を支払っている。もっとも、例えば、使用人を雇うのにその美醜で選ぶのは差別ではないが、人種で選ぶのは差別である等、好みには是認されるものと否認されるものがある。差別には、原理的に難しい問題があることは認めている。
 著者は自由主義者として、競争によらない法律的な強制による差別解消の試みには反対する。人種、宗教による雇用差別禁じる公正雇用慣行立法。労働組合加入を雇用条件とする勤労権法。学校教育における人種統合等である。

 (第8章 独占と企業及び労働組合の社会的責任)
 競争的市場は、参加者が価格を与えられたものとして行動する。誰も価格に対して影響力を持たない。独占の存在は、参加者が財・サービスに対して支配力を持つことにある。独占には三大部門がある。第一は、産業部門。スティグラーらの研究によると、政府の監督が拡がったこともあって、産業の85%が競争的だとされる。独占領域が拡大しているとはいえず、独占の重要性は過大評価されている。第二は、労働の独占=労働組合である。労働組合は就業者の1/4を組織している。多くの組合は、影響力がなく、特に賃金について限定的な力しか持たないが、労働者の側では過大評価する傾向がある。自らの実証研究により、労働組合が組合員の給与を上げればその他の労働者の賃金が下がると見積もる。組合が特定の職種・産業の賃金を引き上げれば、その産業の雇用量は減少するともいう。産業とは異なり、労働は次第に独占度を高めてきた。そして、労働組合はむしろ生産物の独占を実現するために利用されてきた。価格低下時に、ストライキによる生産調節によって、不法な産業カルテルを合法化したのである。第三は、政府による独占と政府の独占支持。郵便、電力、水道、高速道路のような政府による独占よりも、ラジオ・テレビを監督する連邦通信委員会や利率の最高限度を決まる連邦銀行局のような政府を利用したカルテルや独占的行動の方が急速に発達したし、重要でもある。
 独占に対する対策としては、企業にも労働にも独占を支持する手段を取り除いて、反トラスト法を厳格に実施することである。その他には、税法の大幅な改正を提案する。企業には法人税の廃止。個人には、合法的脱税の途を防ぎ、所得税率の累進性を低下させることである。フリードマンの年来の主張だと思うが独占の対策としては、私にはもうひとつ理解できない。

 (第9章 職業的免許制度)
 中世ギルド制度の崩壊によって、各人は自分の望む商売や職業に就けるようになった。最近は逆流が生じ、特定の職業については、国家の免許を受けた者に限って従事できるようになった。免許制は拡がり、医師、薬剤師、会計士から建築技師、図書館司書、はては害虫駆除者、鶏卵選別士、プロレスラー・プロボクサーに至るまで種々の例があげられている(地方政府の免許を含む)。その目的は、公共の利益を保護する必要があるからだとされる。しかし、ある職業を免許制にしようと議会活動をするのは、その職業の人によって、ボラれたり被害を受けた一般人であることは少なく、主としてその職業に従事している人びとである。彼らは自分たちが顧客からどれほどの利益を得ているかをよく理解しており、専門的知識も顧客よりも豊富である。免許制度の規則には、必ずといっていいほど仲間内に対する統制が含まれている。
 免許制の存在は、生産者グループが消費者グループよりも政治的に集中化されやすいことにある。人は誰もが生産者兼消費者ではある。しかし、消費者としてよりも、ずっと生産者として専門化しているし、生産活動の方に力を入れている。同業者は業界問題について、多くの時間をさけるが、人は消費の僅かの部分を占める商品の問題については関心を払わない。理髪店利用者は理髪業者ほど熱心に理髪店の営業問題に議会活動をしない。特定の生産者グループの力を抑える方法は、ある種の国家活動が厳しく制限されるべきだとの国民的合意である。これを覆そうとする人には甚大な挙証責任が課せられる。免許制よりゆるやかな制度として、登録制と認定制がある。免許制に比べてその順で害が少ない。しかし、いずれも免許制への階梯となりがちである。
 医療免許制度を取りあげる。無免許医師に医療をさせるべきかという、誰もが否定する問題に再考を促す。そもそも、医師免許制は、医師が医師総数を統制するための制度である。医師会は全米で最強の職業別組合であり、その職業への参入制限力を持っている。医師免許を受けるためには、認可された医学部を卒業せねばならず、認可は医師からなる審議会が行うからである。インターン実習も「認可」病院で実施せねばならない。医師会は参入制限の理由として、過度の医師の供給は、彼らの所得を低下させ、非倫理的な医療を行うだろうと主張する。事実上「第一級の医師だけが存在するようにしなければならないのであって、そのために一部の人びとがまったく医療を受けられなくなっても仕方がない」(p.173)との主張である。医師会は医療上の革新に一貫して反対してきた。
 免許制は果たして医者の能力を向上させるだろうか。調査の結果は、技術者が完全に上手くやれるような行為が、ますます医療の範疇に含まれる傾向がある。熟達した医師は、彼らの時間の多くを、他の人のやってもらえることに消費している。また、科学の進歩は、度々気違いじみた人やいかさま師や無名の人でなされる。僅かの確率であるが、免許を持たない偽医者から医学のブレイクスルーが生れるかもしれない。免許制度は医療の質と量を低下させている。「わたしの結論は、医療に従事する要件としての免許制度は撤廃されるべきだということである」(p.178)。そして医師集団が独占力を行使していなかったら、医療はどのように発展しただろうとして、その答えに病院と結合した集団医療が大きく育っただろうとしている。前払い制度や保険と組み合わせた医療チームによるサービスである。このあたりは、免許制の下で、わが国で実現しているように思え、それほど説得的だと思えない。そのせいかどうか『選択の自由』では職業免許制度のことは書かれていない。

 (第10章 所得の分配)
 20世紀になって、西洋諸国では所得の平等を社会的目標とするようになった。市場社会における倫理原則は、人は個人的能力によって生産したもの、あるいは自分で蓄積した富の生産物に対して権利を有するというものである。そして、市場社会で生産物に応じた支払いの本質は、強制によらないで資源の効率的配分を行う機能にある。しかし、この機能が分配の公正に反するのであれば許容されそうにない。
 資本主義の拡大と発展は、不平等を増大させたとの解釈は誤りである。短期的な不平等と長期的不平等を混同したものである。インド・エジプトのごとき低開発国は総所得の約半分が財産所得であるのにたいし、米国では1/5が財産所得である。先進国は低開発国よりはるかに多くの資本を有しているが、人間の生産能力はそれ以上に豊かである。よって、財産からより多くの所得が得られるが、総所得の中の割合としては小さくなる。共産主義国ロシアと比較しても、特権階級とその他の階級の生活水準によって不平等を測定するなら、資本主義国の方が、不平等が「決定的に小さいということは十分ありうる」(p.190)とちょっと行き過ぎともいえる評価をしている。統計資料は誤解を招きやすい。計数が表示される所得単位も重要である。個人の所得分布は、パートタイマーや少額所得の主婦を含む。総家族所得でみれば、分布は変わる。そして、「私の考えでは、子供の数による家族分布が、過去半世紀を通じてこの国での生活水準の不平等を減少させてきた最も重要な単一要因である」(p.192)。少子化が大家族を減らし、不平等を縮小させたというのである。
 所得分配政策については、累進的な所得税と相続税が広く採用された。累進的所得税が不平等を是正する効果が少なかったことは研究者の意見が一致している。その他にも、この税はこれから富裕になる人に課されて、既に富裕な人には少ししか課せられないことが効果を減殺している。税は、既存の富からの生じる所得の使用を制限する以上に、富の蓄積を妨害する。しかも、富自体を減少させる効果はなく、富の追加を減少させるにすぎない。所得税は、現在の富裕者を新来者の競争から保護する効果がある。
 著者は、自由主義者として累進課税を認めない。最良のものとしてシンプルで単一税率の所得税構造を提唱する。「ある免税点を超える所得に対する均一の率の課税であり、この場合の所得は非常に広く定義され、控除は厳密に定義された必要経費についてのみ認められるものとする」(p.196)。著者は現行税制に見られる特例控除を利用した合法的な脱税をなくし、すべての人をカバーし、納税者、徴税者双方にコストがかからぬ単純な税制を目指す。均一税率でも、高所得層は、より高い絶対額を支払うであろうと予想している。

 (第11章 社会福祉政策)
 人道的・平等主義的思想は、累進的所得税の他にも、老齢・遺族年金を筆頭とする社会保障制度や公営住宅・最低賃金法・農産物価格支持等々の雑多な福祉施策を生み出した。それらは、当初の意図とは異なった結果をもたらした。著者は理論面と現実の帰結からの批判を行っている。ここでは、老齢・遺族年金だけを一瞥することにする。この制度は、第一に広範な対象者に対し、年金購入=老後準備を強制すること。第二に、年金の購入先は政府に限定される、すなわち年金供給の国営化すること。そして、第三に、個々人が受領する年金総額価値が、支払う保険料総額に等しくない点で、所得再分配の機構であること、である。年金強制は、温情主義からなされるのなら、独裁的であり人々が自由に自分の資力を処分する自由を奪っている。貧乏な老人の救済が公共の負担になるのを予防するとの考えは、年金制度発足時である大不況時の産物である。当時は高齢者失業が多かったし、老後の準備がなかった。現在は多くの人が私的年金を含めて老後の準備をしている。年金制度の国営化については、他の例と同様に、個人の選択の自由と私的企業間の競争が、年金契約の改良を促し、多様で望ましい商品の開発に導くであろう。所得の再配分については、二つの経路がある。一つの経路は、若年時加入者から老齢時加入者への分配。後者は、支払ったものより多額を受け取る。前者はより少額しか受領出来ないであろう。今一つの経路は、制度が独立採算で継続出来ず、税金の投入を余儀なくされることにある。以上は、自由主義の原則にもとるだけでなく、いかなる原則によっても正当化できず、国民の個人生活への大きな侵害であるとする。

 (第12章 貧困への挑戦)
 貧困が存在することは、あきらかである。貧困を軽減するため政府の活動を認めるなら、残された問題は、どれだけを(how much)いかにして(how)という問題である。どれだけという問題は、自分たちにどれだけ税金の額を課すかを考える他はない。しかし、いかにという問題は、もっと考える余地がある。第一に、貧困の軽減を目標とするなら、直接に貧困者援助のプログラムを持つべきだ。特定の職業集団、年齢集団、賃金率集団、労働集団を構成する貧困者ではなく、貧困者一般としてとして援助するプログラムである。現状は、農民対しては農業補助金、老齢者に対しては年金制度、低賃金者には最低賃金法等様々な制度が林立している。第二に、救済プログラムは可能な限り市場を通じて機能するようにし、市場機能を妨げないようにすべきである。
 著者は、負の消費税の制度を提案する。「その主要な目的は、すべての家族に対して最小限の所得を補償するための簡単明瞭な手段を提供することであり、しかもその際、同時に巨大な官僚機構の発生を回避し、個人の責任をできるだけ大幅に維持し、政府の福祉援助を受けるよりは自分で働き、稼ぎ、税金を支払うように個人を誘導する誘因を保持しておくことを目的としている」(上p.254)。所得税の徴収には一定の免税所得がある。普通は、個人所得から免税所得額(精確には諸控除を加えて)を差し引いても、プラスになるから、この超過部分に税率を乗じて税金を支払う。所得が、免税所得額を差し引いた場合、マイナスとなる人には、マイナス部分に税率を乗じて、負の税金を支払う。すなわち補助金を受けとるのである。補助金率が100%以内なら、働いて稼げば「補助金+勤労所得」の合計所得は、働かないときの補助金よりも多くなる(免税所得額になるまで補助金は支給される)。第10章でフリードマンは、単一税率を推奨していたが、ここではマイナスの税率も正の税率同様、累進化することも可能としている。思うに、負の所得税率を100%以上も可能であるが、免税所得額以上の補助金(最低保証生活費が免税所得以上の場合等)となろう。その時は、労働インセンティブはなくなるだろうから、負の所得税率は適当な水準に維持せねばならない。
 重ねていうが、「負の所得税制度は、これが現行の数多くの福祉プログラムに代置するかぎり、現行の福祉体制対する満足のいく改善策だといえる。そうでなくて既存の雑多な福祉プログラムに加えてこの制度を上乗せさせるのであれば、負の所得税制度の導入は良い結果をもたらすよりはさらに弊害を増大させる」(上p.255:強調原文)といっている点が重要であろう。とかく既存制度の整理は触れられないからである。負の所得税制度は現行の所得税制度に組み込むことによって、行政経費を大きく増やすことはない。他方多くの福祉行政経費は削減できる。著者の見込みでは、消費者単位の最低20%層に補助して最低所得に引き上げるプログラムの費用は、現在の福祉支出の半分で済むという。

 (第13章 結論)
 政府の干渉は何事によらず望ましいものであり、悪事は市場のせいにすることが普遍的な感情の時代であった。「社会主義政策」に抗して、経済の進歩を生み出したのは市場の力であることを唱え、自由の維持と拡張を目指す。キューバ危機下の著作とあって、自由を脅かすものとして、「たとえわれわれが核兵器による皆殺しを回避するとしても」(p.227)「クレムリンの悪者からくる外部的な脅威」(p.226)があげられていることが印象的である。

 新自由主義者の啓蒙書の初版本には高値がついている。現在、ABEで探すと、ハイエクの『隷属への道』は、$7,500~$5,750、本書『資本主義と自由』は、$7,500~$3,500(サイン入りは、なんと$48,000と$20,000)が出ている。ちょっと異常な値段である。『選択の自由』は、最初から印刷部数が多かったせいか、高値ではない。『資本主義と自由』の私蔵本(2冊)は米国の書店から購入した。もう二十年以前のことだが、初版本ではあったが、普通の古書としての値段であった。
 
(参考文献)
  1. 気賀健三・千種義人編 『現代経済学の思潮』 秀潤社、1977年
  2. 喜多見洋・水田健編著 『経済学史』 ミネルヴァ書房、2012年
  3. ケステル, パウル-ハインツ 長尾史朗訳 『世界を変えた12人の経済学者』 TBSブルタニカ、1986年
  4. パーカー, R.E. 『大恐慌を見た経済学者11人はどう生きたか』 中央経済社、2005
  5. 橋本昭一・上宮正一郎編 『近代経済学の群像』 有斐閣、1998年
  6. バトラー, エイモン 宮川重義訳 『フリードマンの経済学と思想』 多賀出版、1989年
  7. フリードマン,M. 熊谷尚夫・ 西山千秋・白井孝昌訳 『資本主と自由』 マグロウヒル好学社 1975年
  8. フリードマン, M. & R. 西山千秋訳 『選択の自由』上・下 講談社文庫、1983年
  9. ブレイト, W.・スペンサー, R. W. 佐藤隆三・小川春男・須賀晃一訳 『経済学を変えた七人』 勁草書房、1988年
  10. 根井雅弘編 『20世紀のエコノミスト 生涯と学説』 日本評論社、1994年
  11. ミル 『自由論』 光文社、2006年

 
 
 
 (『資本主義と自由』標題紙)
 
 (『選択の自由』標題紙)


(2022/9/2記)


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