ロンドン/マルクス・エンゲルス




 マルクスとエンゲルスは、共にイギリスに亡命し、そこで死んだ。マルクスのイギリスでの住居としては、歓楽街であり、外国人居住地区でもあったソーホーのものが良く知られている。そこのディーン通りに、場所を変えて二か所に住んでいた(Dean Street 28及び64)。1850年から1856年にかけてである。28番地の建物は、旧跡を示すプレート・銘板(ロンドンではブルー・プラーク呼ぶ)が表示され、現在はイタリア料理店となっているようだ。その後もロンドンを転々としている。
 今回訪れたのは、終焉の地である。ロンドンの北部、メトロのチョーク・ファーム(Chalk Farm)駅徒歩15分くらいの所である。住所はメイトランド・パークロード(Maitland park Road 101-108, Hamptead)である。当時の建物は空襲で被災し、取り壊されている。現在は、集合住宅(市営アパート)になっている。ただ、マルクス居住を示すプラークは表示されていた。「カール・マルクス 1818-1883/哲学者/1875-1883この建物の敷地に居住し死す」とある。ブルー・プラークならぬ、茶色のプレートであった。表示主体が違うためかしらん(注)。
 訪問時、この土地の地図をグーグル・マップに落とすのを忘れていて、小雨の中、探しあぐねていたら、通りがかりの夫婦(インド人のように思えた)が、「マルクスの家を探しているのか、あっちだ」と、態々案内してくれた。「日本人か、ハイゲート墓地には行ったか」と尋ねられた(ように思う)。ハイゲート墓地(行っていない)で、「あのー」というや、日本人と見れば「マルクスの墓はあっちだ」と案内してくれるとの小話を思い出した。

 エンゲルスの晩年の居宅は、リーゼンツ・パーク・ロード・122番地(Regent's Park Road 122)である。ここは、建物が当時のまま残っている。「フリードリッヒ・エンゲルス 1820-1895/政治哲学者/1870-1894ここに居住」なるブルー・プラークが表示されている。プリムローズ・ヒルという公園近くで、今でも高級住宅街なのだそうだ。ここで、資本論を編纂し、国際労働運動を指揮した所である。カウツキーやベルシュタインも出入りした。
  ハントのエンゲルスの伝記を読んでいて、かなりの豪邸との印象を持っていた。しかし、実際に見ると、建物自体は、4階全部を所有していたとはいえ、写真に見るように連棟で「大邸宅」とは思えない。間口というか、1軒の幅は5メートルくらいのものか。古い建物が残っているのが、地震のない国イギリスらしい。
 エンゲルスの没地は、同じ通りの南にある41番地である。上記プラークから判るように、ここに越して、1年もせずに亡くなった。マルクスとエンゲルスの住居は近く、繁く往来があった。

 小生が訪ねたのは、まずエンゲルスの住居、次いでマルクスの住居であった。リジェント・パークを見学した後、ロンドン動物園の傍を通り、徒歩で言った。道に迷ったり、雨にあったり、同行の妻には、不評を買った。ちなみに、イギリスでは博物館、美術館は無料だが、動物園は確か4、5千円の料金、丸谷才一のエッセイでロンドン動物園のサンドイッチは美味しいとあったので、入りたかったが、食べにだけに入るには入園料は高すぎた。

おまけ:今回の旅行(2019年6月)の宿は、ブルムスベリーであった。そう、ケインズのロンドン居住地ほんの近くである。大英博物館にも直ぐで、夕食は近くのパブへ行った(そのギネス・ビールのうまかったこと)。博物館前にある、ミュージアム・ターバンというパブである。見ると、そこの壁にマルクスの写真が飾ってあった。尋ねると、マルクスもよく訪れたとのこと。大英博物館の図書館(今は別の場所に移転)に日参していたのだから、当然と言えば当然である。今回も、マルクスが共産党宣言を講義したパブがあるなどを知ったので、そこへも行きたかったが時間がなかった。ここで、思わぬ余得である。

  (注)今ネットで調べると、マルクスのプラークには、”Erected Camden London Borough Council ” 、エンゲルスのそれは”Creater London Council”と刻印されている。

 (参考) 小島恒久 『マルクス・エンゲルス紀行』 法律文化社、1980年、改定版第2刷

(2019.6 訪問、2019.8.8作成)



赤色印の上マルクス、下がエンエルス旧居


写真:マルクス終焉の地


写真:マルクスのプラーク


エンゲルスの旧居(中央)


玄関。ドアに122番地と表示。横にプラーク。


パブでのマルクスの写真。






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