MANGOLDT, von H.,
Die Lehre vom Unternehmergewinn. Ein Beitrag zur Volkswirthschaftslehre, Leipzig, B. G. Teubner., 1855, pp.vi+174, 8vo.

 マンゴルト『企業者利潤論』1855年刊、初版。
 マンゴルトの前期の代表作である。後期の代表作『経済学要綱』(1863)とともに、双璧をなす。「企業者の概念はドイツでは「官房学者」(カメラリスト)の伝統のなかの馴染み深い要素であった。またこれに対応するドイツの用語たる Unternehmer(企業者)は、この期間の経済学者が用いつづけてきたところであった[中略]企業者機能の分析は緩慢であったが着々と発展し遂にマンゴルトの著作のなかでその絶頂に達していた」(シュンペーター、1957、p.1168-1169)。
 まずは、企業者理論を大きく前進させ、マンゴルトの理論の基となったチューネンの所説をみる。チューネンは『孤立国』第2部第1編第7章「企業者所得、勤勉報酬、経営利潤」(注1)でいう。企業者が得る収入から1)投下資本の利子、2)船の難破、火災、雹害等にたいする保険料、3)企業を統制・管理する事務員・管理人給与、を除いた残余が企業者所得(Unternehmergewinn)である。企業者所得が存在する理由は、すべての危険に対する保険はなく、一部の危険は企業者が負担せねばならないからである。販売商品の価格低落(及び販売量減少:記者)を保障する保険はない。
 平均価格で計算すれば、価格低下は価格上昇で相殺されるから、この危険に対する報酬は不要だと思われるかもしれない。しかし、保険会社はこの原理を使うことにより(もっとも、上記のごとく、この種の保険はないとしている:記者)、財産の一部しか危険にさらされないが、企業者個人は全財産を賭けねばならない。上手く行けば生涯安楽に暮らせるが、失敗すれば、全財産を失い労働者に没落する。そして財産が2倍になったときの幸福感は、全財産を失ったときの幸福の喪失感より小さい。財産の一部増加による幸福感増加も、同額を失ったときの幸福感の減少より小さい(限界効用逓減の法則?:記者)。このため、企業者に利得が必要なのである。
 更には、自己の計算で働いている企業者は、日夜経営に腐心している。企業者はその苦労により、自己の世界の発明者・発見者となる。「有用な新機械の発明者が、それを利用して古い機械以上に多く産出する余分を当然に受け、この余分を彼の発明の報酬として享受するのと全く同じく、企業者がより多く管理人以上に産出したもの」(チューネン、1989、p.366:強調原文)は、勤勉報酬(Industriebelohung)として、彼に帰属する。
 チューネンは、こうして、企業者所得と勤勉報酬を併せて、「経営利潤」(Gewerbsprofit)と呼ぶ。かくて、
  企業者所得+勤勉報酬=経営利潤、
  経営利潤+資本収益(Kapitalnutzung)=純収益
としている。しかしながら、資本収益には費用としての利子支払を含むのか否か、私にはよく読み取れない。明確に定義された記述がないようである。
 ともあれ、チューネンは、企業者機能を危険負担者としてだけでなく、革新者としても捉えている。それ以前の企業者理論の二つの流れ、一つはカンティロン、ミル等の危険負担者としての、もう一つはボードー、ベンサムの革新者としての役割を統合した(へバート/リンク、1984、p.79)。シュンペーターは、『景気循環論』(1958、Ⅰp.151)で、「危険負担は企業者機能の一部ではない。危険を負担するのは資本家(銀行家:引用者)である」としたから、チューネンの統合を再分離して、企業者を革新者概念に純化したということか。

 次に、Henningsの論文に頼って、マンゴルトの所説を述べる。ナイトは、本書を企業者利潤を単に精巧に分類したに過ぎないものとみた。しかし、それ以上に、企業、企業者、企業者利潤の概念を、通説の分配理論の枠組みの中に組み込む試みがある。それは、「社会主義の挑戦」から発想を得て、著者のジャーナリストとしての経験とザクセン工業化の歴史の研究(ザクセン王国の官報編集者時代に内務省の依頼を受けて研究した)が基になっている。この理論書は、ドイツ経済がはじめて経験した工業景気の最中に出版され、経済成長・発展にとって企業家が重要であり必要であるとの認識を確実に浸透させた。
 第一章は、「企業者利潤理論の歴史的発展」として、英・仏・独の学説が取り上げられている。著者は、通説では企業者とその報酬が充分に説明されてないとして、古典派経済学者は企業者と資本家を同一視しがちであり、セイは企業者の役割を単なる生産要素を結合する管理者としか見ていないとして、ともに退けた。
 第二章が、「企業者利潤の概念と範囲」である。マンゴルトは、前章を受けて、資本家と企業者はしばしば別人であると論じ、企業者の基本的性格を構成するのは、資本所有でもなく、要素結合でもないと結論した。むしろ、それは、企業者精神の下での生産要素結合の危険負担、すなわち、買手を市場で見つけられるか判らぬまま製品を生産するリスクを負う行為にある。なるほど、企業者は資本家で、生産要素を結合するかもしれない、しかし彼の基本的機能は、生産物を市場で販売可能であるとの(客観的というよりも)主観的確信をもって、自身の危険負担で事を行うことである。「このようにして、企業者の本質は、異なる生産手段の結合にあるのではなく、彼ら自身のリスクでそれらを行うことにある」(本書p.36:以下本書からの引用・参照は頁数のみ表示)。
 第三章は、「生産に関する企業者の重要性」である。「他企業が全くあるいは不充分にしか使用できない能力や資本を調達できる範囲において、企業は、その報酬を全面的あるいは部分的に企業者利潤に加えることができる」(p.49)。そして、「企業者収入( Einkommen des Unternehmers)は、通常の賃金、利子、地代(レント)の合計以上のものではないだろうか」(同)。
 このような企業者観からは、利益を希少性レントとする見方が自然に出てくる。マンゴルトは、企業者を資本家から別けることによって、彼の資本持分に対する利子(請求額)を彼の報酬から分離できた。自身の労働に対する賃金も分離する。企業者の役割にとって、自身の資本も労働も本質的ではないから、純粋な企業者報酬は利益から彼の利子請求額と賃金を控除した残余になる。たしかに、市場での生産が成功するなら、すなわち、需要をより速やかに充足させたり、買手により便利であったり、より大量に供給するなら、企業者は彼の賃金と利子を何ほどか上回るものを稼ぐことになる。このように、企業者利潤は、特定生産物を需要する市場の発見、生産要素の廉価な獲得、販売政策の成功、適当な生産規模での巧みな生産結合等、イノベーション(マンゴルトはこの言葉を使ってはいない)にたいする報酬である。
 マンゴルトは、企業者に必要とされる能力をリストにしている。企業者が持つべきものは、
(1) 公衆の顕在的・潜在的な要求、および消費を満足させるために、彼らの支出可能で手持ちしている貨幣額とそれらの変動、を認識する能力
(2) 需要される生産物のアイデアを具体化する、それらの生産と必要な生産要素に対する経済的に最善の過程、抽象的あるいは具体的なそれらの効率性、そして自身と競争者の双方にとってのそれら価格を発見する;競争者との関連で彼自身の能力を判断する;最後に、正当な確信をもって、彼と競争者が生産可能な価格を計算する、能力
(3) いつでも、最安価にして最も効率的な生産方法を見つけ、自分の企業のためにそれらを獲得する才能
(4) 獲得した生産要素を最も利益のでる方法で、かつ、全体としても相互にも、生産に適切な関係において、使用する才能
(5) 獲得した生産要素を常に最効率に使用し続け、効率のより低い、まして有害であるそれらを見分け、排除する能力。
(6) 生産物を正しい量で、最適なタイミングで、もっとも利益が多い状況で、そして、もっとも魅力的なやり方で提供する、才能
である(p.97-98脚注)。
 上にあげた才能はシュンペーターならすべて、イノベーション(革新)の才能と称しただろう。イノベーションの成功は利益をもたらす。マンゴルトは、この利益は一時的独占の状態であると捉える。一時的独占状態というのは、新分野を開拓する天才企業者によって創造されるが、競争と経済進歩により徐々に消滅する利益だからである。
 かくしてまた、企業者利潤は、一般化されたレント概念、「レントとは、一般的に、なにかの独占的状況の存在から派生する利点をいう」(p.44 脚注)と解された。マンゴルトは、特定の生産において、それらの用役が他の生産以上に役立つ特別な状況にあるなら、資本や労働も普通要素報酬を超過するレントを得るかもしれないと観察する。企業者は市場を独占する希少性レントに加えて、自身の個人的資本・労働による希少性レントを得るかもしれない。
 第四章は、「企業者利潤の構成と利潤額の前提」である。こうして、著者は、企業者の所得は三つの部分よりなるとした。第一は、保険不可能な危険にたいするプレミアムである。第二は、企業者にたいする利子および賃金であり、第三は、企業レントである。この企業レントは、さらに細分されて、(A)資本レント、(B)賃金レント、(C)大企業レントおよび(D)狭義の企業者レントである。
 (C)の「大企業レント」は、解りにくいので補足しておく。マンゴルトの説明(p.129)は以下のとおり。
 分業の未発達、需要範囲の過少、遠隔地取引の困難は、一般に必要資本を限定するだけでなく、求められる商品需要をより少なくさせている。分業が進み、需要が絶えず範囲を広げ、交通が便利になると直ちに、経営はますます集中的となり、生産はますます大量となり、そして、ますます多くの資本が要求される。大資本は安い生産費で生産できる。しかし、このように拡大した資本を扱える人の数は、高まった需要に対して僅かである。この結果、集中経営の生産物の生産量は限られ、最低費用で生産できる企業はいまだ市場規模に比べて小さく、より費用かかる企業の生産費用が価格の標準となる。その結果、より大資本の企業者は、他の企業の企業者利潤を超過する利潤を得られるのである。

 マーシャルは地代(rent)を土地から引き出されるものに限って使用し、機械その他の生産設備(例として、家・ピアノ等の「賃料」(rent)をあげる)から得られる所得は準地代(quasi-rent)という言葉を使うとする(マーシャル、1965、Ⅰp.95)。もっとも、その生産設備を広く解釈して、工場、企業組織、企業者の才能等までも含める。これらが使用されるのは差額地代にも似た優利点があり、特段の超過利益が得られるからである。ただ差額地代と違うのは、これらが一時的・短期的なことである。
 マーシャルは、「地代と利潤の関係については一世代まえの経済学者も注目して検討を加えていた。そのうちでもとくにシーニョアおよびミル、ヘルマンおよびマンゴルトはその名をあげておくべきであろう」(マーシャル、1966、Ⅲp.144 注(4))といい、企業者利潤も準地代と見る。「実業家の所得のうちには天与の非凡の才能にたいする地代がとくに重要な要素として含まれているとみなしてよかろう。実業家を個々人としてみるかぎりそうなのである(正常価値と関連させてみると、非凡の才能の稼得でさえ、まえに述べたように、本来の地代というよりむしろ準地代とみなすべきであろう)」(マーシャル、1967、Ⅳp.160)。マンゴルトの影響は明らかだろう。
 四半世紀後に、マンゴルトの企業者利潤の構成分析を承けて、フランク・ナイトは危険を次の二つに分類した。(A)保険の掛けられる危険:「リスク」および(B)保険の掛けられない危険:「不確実性」である。企業者利潤は付保できない不確実な危険に対する報酬であるとした。

 マンゴルトは、「企業者の革新的役割よりは配分機能により興味があった。[中略]この意味で、マンゴルドの議論に、成長と発展の動態的問題というよりも、効率的配分の静態的問題を分析する経済理論の方向への最初の一歩を見出せる」(Hennings、1980、p.666)。
 マンゴルトは、企業者を資本家から分離して、経済発展の主役に押し上げ、イノベーターとしてのその役割を強調し、彼のおかれた状況をレント概念を使って一時的独占によるものとした。いずれも、アイデアとしては著者による独創ではないが、企業者を体系的に取り上げたのは彼が初めてである。

 ドイツの古書店より購入。20年以上にもなる集書歴で、この本が売りに出されるのを見たのは、10年以上以前になると思うが一回だけで、それも先を越されて買えなかったものである。かなりの稀覯本である。今回、二度目の出会いで幸いに購入できた。このような、めったに市場に出回らない本は、参照する価格事例が見出せないのか、買い損ねた本に比べても、随分安い値が付いていた。もうけものである。

(注1)『孤立国』の翻訳では、Unternehmergewinnは、「企業者所得」と訳されている。同じ単語を、マンゴルトでは「企業者利潤」にした。翻訳に合わせたことの他に、チューネンとマンゴルトでは、概念が違うからである。チューネンの経営利潤がマンゴルトの企業者利潤にあたると思われる。


(参考文献)
  1. オット/ヴィンケル 井上孝訳 『理論経済学の歴史』 東海大学出版会、1992年
  2. シュンペーター 中山伊知郎・東畑精一訳 『経済分析の歴史 3』 岩波書店、1957年
  3. シュンペーター 吉田昇三監訳 『景気循環論 Ⅰ』 有斐閣、1958年
  4. チューネン 近藤康男・熊代幸雄訳 『チューネン 孤立国』 日本経済評論社、1989年
  5. ナイト、F. H.  奥隅栄貴訳 『危険・不確実性および利潤』 文雅堂銀行研究社、1959年
  6. ハチスン、T.W.  長守善他訳 『近代経済学説史 上巻』 東洋経済新報社、1957年
  7. ヘバート、R. F./リンク、A.N.  池本正純・宮本光晴訳 『企業者論の系譜 18世紀から現代まで』 ホルト・サンダーズ・ジャパン、1984年
  8. マーシャル 馬場啓之助訳 『マーシャル 経済学原理 Ⅰ』 東洋経済新報社、1965年
  9. マーシャル 馬場啓之助訳 『マーシャル 経済学原理 Ⅳ』 東洋経済新報社、1967年
  10. リハ、トマス 原田哲史他訳 『ドイツ政治経済学 ―もうひとつの経済学の歴史― 』 ミネルヴァ書房、1992年
  11. Hennings, K. H., "The Transition from classical to neoclassical economic Theory: Hans von Mangoldt", Kyklos, Vol.33-1980-Fasc. 4, p.658-681




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(2018/08/2記)
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