LAUNHARDT, W.,
Mathematische Begründrung der Volkswirtschaftslehre. , Leipzig, Verlag von Wilhelm Engelmann, 1885, ppviii+216, 8vo.

 ラウンハルト『経済学の数学的基礎』。1885年刊、初版。
 著者略歴:1832年ハノーヴァーに生まれ1918年同地に死す、教育も同地で受けた。1848年工業専門学校卒業。1854から15年間ハノーヴァー王国の建築行政に携わった。1869年フェンロー=ハノーヴァー鉄道建設に従事した後、母校ハノーヴァー工業専門学校の教師に招かれる。担当は、道路・鉄道・橋梁の建設である。1875年校長に就任。1880年工業専門学校(Polytechnische Schule)の工科大学(Technische Hochschule)昇格より初代学長となる。1880年王立建築アカデミー会員、1898年プロシア上院議員、1913年建築・交通の業績に対する皇帝からの金メダル受賞等の数々の栄誉受ける。 晩年には視力を失い盲目となる。最後の著書では、技術文明を論じた。
 ラウンハルトは、高速道路建設計画の設計から次第により一般的な効率的輸送体系の研究へと進んでいった。後に、それらは『ネットワーク計画の理論』(Theorie des Trassirens,1887-8)としてまとめられる。この本の第一部では、鉄道運賃の「限界費用価格形成原理」が扱われている。自然独占産業である鉄道には競争が働かず、競争産業のように私的資本の内部利益率の最大化と社会資本費用の最少化が一致しない。鉄道会社が独占力を行使し利益率を市場率以上に維持すると、資源は有効活用されず社会的厚生は最適ではなくなる。社会的には限界収入=限界費用ルールによって効率を求めるのが望ましいが、その場合この産業では総費用が賄えぬ場合が多い。そこで、ラウンハルトは鉄道の公有を主張する(主著『基礎』でも論じられている。後述)。後にデュプュィの再評価を通じてなされた、ラーナーをはじめとしてロンドンスクール・サークルやホテリングの仕事のさきがけとなったものである。
 また、彼の仕事には工業立地論において古典的な「三点問題」がある。すなわち、原料供給地、動力燃料供給地、消費地の三点及び各財の運賃が与えられた時の、輸送費最少となる生産地点を求める問題である。早くも、1882年の工学雑誌掲載論文においてラウンハルトは、この問題に幾何学的に解を与えている。後に斯道の大家アルフレッド・ヴェーバーが『工業立地論』(1909年)で、ラウンハルトを知らなかったとして記述したものである。
 自国のチューネン、マンゴルドの伝統を継承し、ワルラスとジェヴォンズの影響の下に数理経済学を研究した著者は、次代のボェーム=バベルク、メンガーへの橋渡しとなる。しかしドイツでは数理学派は「外来植物」とされ認知を受けなかった。当時のドイツの経済学会はシュモラーをはじめとする歴史学派の支配の下にあったのである。
 時代はまた、ウィルヘルム二世のプロシア大学近代化と技術研究重視方針の下、英仏の技術に追いつかんとした時である。ドイツの技術者達は、その手段の一つとして工業専門学校を大学相当の工科大学に昇格させんとした。上記ハノーヴァー工科大学への昇格もその一つである。この政策には、伝統的ではあるが工学部門を持たない大学からかなりの抵抗を受けた。昇格後も、数学者フェリックス・クラインはゲッチンゲン大学とハノーヴァー工科大学の合併に努力するが実らなかった。ラウンハルトのへの名誉学位授与も、叶わなかった。大学の教授連の反対があったのである。1899年皇帝は工科大学に学位授与権を与えて、両者は対等の形となったが、依然両者の溝は深かった。これらの時代背景も、当時大学の法学部に属した経済学者と工科大学に所属したラウンハルトの仕事の相違になにがし表われているようである。

 本書は、序文にあるように、ワルラスの『経済財の価格決定の数学理論』(但し独訳版, 1881)とジェヴォンズの『経済学の理論』(1879)を参照して書かれた。3篇33章よりなる。内容を見てみよう。
 第一篇の標題は、「交換」である。はじめにラウンハルトは、効用関数を仮定する。彼の効用函数は、本来 x の全累乗の項からなる数列とされたが、近似的には最初の二つの項だけで充分である。したがって、ある財貨の効用函数 f (x)は、
     y = αx - αx
のごとく二次式の形になる。この近似形は、y が x = 0 と x = α / αl とに対して零となり、 x = α / 2αl に対して極大となる、お馴染みの山型の効用函数の形式を満たす。とりあえずは、効用関数が総ての人にとって同一であるとの仮定を用いている。そして、ラウンハルトは面白いことに、需要・供給函数をともに、この効用函数から導き出しているのである。
 効用方程式が y = f (x) である財貨Aの数量 a を所有する第一所有者と、効用方程式 y = φ (z) であるもう一つの財貨Bを数量 b 所有する第二の所有者がいる。この二者の交換から初める。第一者の財貨Aの x 単位を、第二者の財貨Bの z 単位と交換する。
 交換後の第一者の効用関数は、   N = f ( a - x ) + φ (z)     (式1)     
である。ここで、(式1)の右辺第一項は上記効用函数 f (x) = αx - αlx 、第二項は φ(z) = βz - βlz2 の具体的な式で置き換える。さらに、pl 、pll を A,B の単位価格とすると、取引がなされる時 z = plx /pll であるから、z を x で表し、(式1)を変数 x のみの函数とする。これを、x について微分し、効用の極大式を求める。これが、A財の供給函数(曲線)である――さらにラウンハルトは、効用函数の係数(α、β等)を記号ではなく、具体的な数字を与えて、より具体的な供給函数として例示している(以下同様)――ついで、第二者の効用函数    N =φ(b - z)+ f (x)     (式2)    
から、z について同様な手続きでB財の供給函数を算出している。
 
 次に、第二者は x の需要者であるから、(式2)を x の関数として表現し同様の x 微分手続きを経て、A財の需要函数を求める。そして、第一者はzの需要者であるから、式1を z の函数とし、z について微分してB財の需要関数を導出する。こうして、A財・B財、二財の需要・供給曲線が描かれる。各財の需要・供給曲線の交点から均衡価格と取引量が求められる。当然二財の均衡価格(価格比)は一致する。そして、均衡価格での交換は両所有者の効用の総和、従って国民経済的な効用(二者では少し大げさであるが)が極大になることを示す。
[図(Fig.4.)は上がA財、下がB財の需要・供給(山型のもの)曲線、横軸は価格比 pl/pll
 しかし、以上の記述の後に以下の言葉が続く。「需要供給の一致する均衡価格における交換によって国民経済的に効用の極大が達せられるとするこの重要な命題は、市場における価格をめぐる競争によって疑いもなく供給と需要の均等がもたらされるという事情と結びついて、『自由競争支配の自然的な諸作用によって、即ちlaissez faire, laissez passer…(自由放任)によって、一般的最善が最も確実に確保される』との結論を不用意にも導き得る。ワルラスもこの結論には彼の不断の聡明な分析によって到達したのであるが、以下の諸研究によって証明されるごとく、この結論には重大な誤謬が存在する。」(訳書, p.24:強調原文)とワルラス的な自由放任が最善を招くとの考えを、ラウンハウトは否定するのである。
 ここでいう諸研究とは、次のような事例である。引き続き二者取引とする。一度に均衡価格で取引する(この時二者の効用増加額は等しい)(注1)のではなく、複数回の均衡価格以外での取引を経て、均衡価格取引に達する場合である。一人が、(その者にとって)均衡価格より高い価格から初めて価格を段階的に下げて分割販売できるとする。この時、均衡価格一回取引の場合に比べて、その者の複数回合計した効用増加分は大きくなり、相手は効用増加分が減少する。普通は富者が価格決定権を持っており、二者通計の総増加効用は均衡価格一回取引の場合より少なくなる。しかし、貧者(取引前効用の少ない者)が価格決定権を持ち、取引を彼に有利な価格で行う場合には、二者通計の総増加効用も、均衡価格一回取引時通計を上回るのである。さらに、貧者が少しづつ絶えず変化する価格で需要を満たして行くなら、自らの利益と国民経済的な利益を一層拡大することが出来る。
 自由放任では、勢力を持つものが弱者の負担で個人効用を増加させ、富者を益々富める者にし、貧者を益々貧しくする。価格をめぐる競争の結果は参加者の熟練や不屈の意志に依存しているので、弱者を援助する政策は一般的社会厚生増加に資するとラウンハルトは考える。
 以上は彼の(複占といえるであろう)モデルの数値例計算によって導出されたものである。この非正当的結論は、著者の「特殊な函数形、特に二次効用函数、の嗜好」(Niehans, 1998)あるいは「基数的効用の概念と効用の個人間加法性の概念」(Backhaus, 2000, p.439)の故に導かれたと評されている。更に加えるに、ヴィクセルからは、そもそもラウンハルトは最初の段階から計算法を誤っていると批判されているのである(注2)。
 「しかし諸欠点は容易に除去される、そして新々厚生理論においてはじめてさらに発展せしめられ、公理的に基礎付けされた、ワルラスの主張に対する正当な批判がある。いずれにせよ、交換による利益の問題に対するラウンハルトの詳論とそれに結びついて関税……問題の取り扱いに関しては、今日でもなお精読に値する。」とのシュナイダーの評価(訳書序言、一部訳文訂正)も付け加えておきたい。
 この後、交換は二財をもつ多数人や多数財をもつ多数人のケースに拡張されるが、中心は上記二者交換(特に8-10章)にあると思われる。この篇では、残る部分で重要と思われるのは、シュナイダーもいう関税の17章であろうか。輸入品に関税を懸けると価格がそれだけ上がるが、輸出国の製造業者は利益を削って輸出価格を下げ、輸出減に対抗する。関税収入や消費者レントを考慮して、国民経済の便益が最大となる「最も有利な関税率は、国内商品が輸入のない場合にもつ価格と、外国商品がその生産者にいかなる利益をもたらさない場合でも供給される価格(p)との間の差額の1/3に等しい。」(訳書, p.72)とする。
 第二篇の標題は「財貨生産」である。労働、企業家利益、地代、資本利率、労賃等が扱われている。主要と思われる所を書いてみよう。
 まず、労働(19章)である。労働と交換に受けとる享楽財の効用函数から、労働の不効用を表す「苦痛方程式」を差し引いたものが、労働の余剰を表す方程式である。これを第一篇同様に時間について微分し余剰が最大になる式が求められる。この最も有利な一日の労働時間を表す曲線は、単位時間当たりの労賃の増加とともに増加して極大値に達し、ついで減少することが示せる。極大値(この時の賃金を「奨励賃金」と称す)に至るまでは、労賃の上昇は労働時間延長の刺激を与えるが、これを越えるとより短い時間で最大享楽を入手し得る。
 しかしここで、人間には生活維持のための最低限の享楽財が必要であるという制限がある。最も有利な労働時間の式で最低限の生活を満たす労賃を「最低労賃」と称し、労賃がこれ以下になると、生活のためにかえって労働時間を延長しなければならない。この労働時間延長は「飢餓労賃」水準に達するまで続く。この労賃を下回ると労働の苦痛が激烈になり、生活の享楽を相殺するに及ばなくなる。こうして個人の労働供給曲線は、労賃上昇にかかわらず供給減となる部分を持つのである。飢餓労賃と最低労賃の間及び奨励労賃以上の労賃水準の部分である。
 労賃と労働供給の外見上のこの矛盾は、各労働者の供給曲線を統合して総労働供給曲線にすると解消することになる。各個人により生活費が異なるため上記三労賃水準がそれぞれ異なること及び職業間労賃格差のためである。
 次に「企業者利益」(22章)である。著者は「企業家はその経済的役割に基づいて常に資本家と労働者から分けられる第三の人物として把握されるべきである。」(訳書, p.95)とする。そして、企業家の利益が製品価格に付加されるものとすれば、この利益額の最大化の条件から「利益追加額が需要曲線の接線影(サブタンジェント:記者)に等しくなければならない。」(企業家利益の基本方程式)ことを示す(注3)。このことは、現代用語で表現すれば、最大利潤を追求する企業において、価格の一定割合である価格―費用マージンは、需要の弾力性(ラウンハルトにはこの概念はない)の逆数となるとするよく知られた式のことだろう(Niehans参照)。さらには、企業家利益を表す方程式が、資本利率と労賃を下げれば、上昇することから、しばしば強調される労働と資本の対立は正しい理解ではなく、「労働者に敵対的に対峙するのは資本家ではなくて、資本と労働を利用する企業家こそ資本家をも労働者をも圧迫するのである。」(訳書, p.98)としている。
 第三に「資本利率」(24章)である。その利子理論は「短くいくらか簡略ではあるが、それはフィッシャー理論の基本的要素に先行している。多くの点で、ラウンハルトは20頁で、ボェーム=バベルクが約500頁でなした以上を成し遂げている。(注4)」とNiehansは、大層なほめようである。確かにラウンハルトは、「提供される利率」と「貯蓄者が要求する利率」を区別している。前者が資本の限界生産力に相当するかは分明でないが、後者はフィッシャーの時間選好(time preference)率に該当するであろう。貯蓄は現在の消費減・現在の享楽を減らす代わりに、将来の利子収入による所得増・享楽増をもたらす。現在及び将来の享楽の総計を最大にする条件を上記二利率の関係として示し、資本形成の基本方程式を求めている。提供される利率が要求される利率よりも大でないなら貯蓄は止まることが示せる。
 基本方程式は総資本供給の式であるが、それに対する総資本需要の式は示されずに、需要の構成内容が6に分け言葉で述べられ、利率に依存すると記されるだけである(一部については既出の需要式を参照するよう書かれている)。そして総資本需要と増資本供給の均等化は利率を確定すると述べられているだけである。私の誤読でなければ、この辺りは、はなはだ物足りない。
 第三篇「財貨運送」に入る。「真に力に満ちて最高に生産的な創造性」(シュナイダー)と評価される篇である。章を追ってみてみる。まず、27章の「財貨販売の市場領域」である。生産物の消費地価格は、生産地での生産物価格(包装費等固定的運送費を含む)プラス消費地までの運賃である。運賃は輸送距離と重量に比例する。すなわち、トン・キロメートル単位の運賃率に距離を乗じたものが運賃となる。以下の議論では特定商品を扱うから、重量は捨象し、運賃は距離に比例するとしてよい。そして地形も平坦で運賃は距離のみの函数であるとする。
 これらの前提から、ある地点で生産される財貨は生産地から離れるに従って運賃が増え販売価格が高くなることから、次第に消費量が減り、ついには需要量がゼロとなる「運送限界」距離が求められる。生産地を中心として、運送限界を半径とする円が販売可能な「市場領域」である(注5)。市場領域の大きさは円の面積であることから、運賃率の2乗に反比例することが示せる。また、消費者がこの領域内に均等に分布すると仮定すると、中心地に近いほど大きい需要量の領域全体総計は、運送価値の3乗に比例し、運賃率の2乗に反比例することが導ける。ここで、運送価値とは運送限界の運賃額である。そして、消費者が一様に分布しているのではなく、生産地に集住している場合は、総需要量、企業家の利益が3倍になる。さらには、企業が独占力を持っている場合には、企業利益はいずれの場合も大きくなるが、独占利益は消費者が生産地にいる場合、一様に分布している場合の4倍になる。
 28章標題は「外国の財貨と競争する場合の販売領域」である。最初訳題の「外国(auswürtig)」を「外部」の誤訳だと思ったが、当時ドイツは統一前で領邦国家に別れており、互いに隣接した小国であったことを考えるとこれでよいのであろう。
 要するに、類似の財貨が二地点で生産される場合の販売領域の問題である。財貨は代替的である。例示では道路舗装の資材である玄武岩と石灰岩が用いられている。生産地はAとBであり、その距離は l だけ離れている。両生産地における「同一価値量」の財貨価格(Preis für gleichwerthigen Mengen)を pl と pll とする。これらは、単位価格ではなく、同一の効用を持つ財貨量の値段であることが要注意である。これら同一価値量の重量は一般に異なることから、それらの運賃率は fl と fll となる。この時、Aから x Bから y の距離を持つE地点において、両財貨の同一価値量が同一販売価格であるとするならば、
  Pl + flx = pll + flly (式3)
が成立する。そしてこの条件を満たす線は一般により劣等な財(ラウンハルトの用語では、同一価値量において重い財)の販売領域を囲む楕円形を描く。逆にいえばこの楕円内が劣等財の販売領域なのである。
 そしてこの境界線は一般に楕円としたが、運賃率が同一で価格が異なる時には、双曲線を描く。運賃・価格とも同一ならAB地点を結ぶ線の垂線となる。すべて円錐曲線である。かくて、「周囲に所在する多数の原産地と競争するある原産地の販売領域は、多角形になり、その周辺はいわゆる円錐曲線のひとつによって形成される。」(訳書, p.133)
 ここでAとBを結ぶ線上の販売の境界線を考える。線上に消費者が均等にいるマーケットと考えてもよいだろう。この時、境界線はAからzl、Bからzllの距離にあるとする。AB間の距離がlであることを考え、(3式)から
         (4式)
となる。それを図示したのが下図fig12である。A点での生産価格plの財貨は運賃額が加わり、その販売価格はAからBに向かっての右上がりの直線で示される。AB間の任意の地点での販売価格はその点から立てた垂線とこの直線の交点の高さで求められる。B点で生産価格pllの財貨の販売価格はBからAに向かって左上がりの直線で同様に示される。両直線の交点が(4式)の境界線である。線分の傾きが運賃率を表すから、境界線は生産価格と運賃率によって決定される。
 例えば、B地点で生産される財貨の生産価格が非常に高ければ、B地点でさえ安価なAの生産品が需要されることになるが、運賃率が低ければ(優良な財貨)Bを超えた右側の延長線上のC以遠では、B生産品販売価格がA生産品を下回り市場を得ることもできる(下図Fig13参照)。





 これらの結果から、交通が不便な間は高価で劣等な財貨も競争状態に入ることがなくある地域を支配できるが、「交通手段の完備によって、生産価格の低下に、また財貨の品質の改善に向けられる志向や努力に対する強力な刺激が発生する。」(訳書, p.135)のである。
 ラウンハルトのAB線上の距離の経済効果の分析は、よく知られた1929年のホテリング論文の原型であろう。前者の場合はABが固定されているが、後者は更に相互の距離を変化させる効果を考えることにより立地論となっている。そして後者は、スミシーズ論文(1941)等によって引き継がれ、発展してゆく。
 29章は「国内の財貨と競争する場合の販売領域である。生産地を同じくする代替材の市場領域を扱っている。前章の線上の市場の例から容易に想像されるように、より安価でより劣等な財の販売領域が生産地を中心とする円をなし、より高価であるが優良な財の市場はそれを囲むリングの形態となる。
 この章の数値例の分析では、複占から進んで寡占を扱っている。市場価格の方程式からはじめて、生産価格が異なる5企業の内、1社が排除され4社のシエアと利潤が決定される例である。なにがし、(今は流行らない本であろうか)パオロ・シロス・ラビーニの本を思い出した。参入阻止価格による寡占の長期均衡モデルを論じたものである。
 30と31章は前二章とは逆で、消費地が点に固定されており、生産地がその周囲に一様に拡がっている設定である。30章「財貨購入の市場領域」では、消費地が一点でありその周囲に円形をなしている。運賃率のためチューネンが「孤立国」で示した如く、「全市場領域は多かれ少なかれ多数の異なった耕作諸領域に別れて、それらが市場を環状にで囲むことになる」(訳書, p.150)。31章「隣接する諸消費地への供給」は、空間を正三角形の網で分割し、各三角形の頂点(結節点というべきか)に消費地=都市が存在するケースである。一点を正六角形の中心と点見れば、60度離れた方向に等距離に六都市が存在する。六角形内には生産者が遍在するが、各都市は他都市と競合し(生産)市場を分割することになる。この章はこのように大層なモデルが提出されるが、これを使った分析はほとんどなく竜頭蛇尾に終わっている(と私には思える)。
 第32章は「運賃率」である。鉄道の運賃体系を扱い本書でも中心的な章の一であると思われる。数式の定式化と展開には私の理解できぬ所もあるが、著者の導出した主要な結論部分を以下にあげる。
  1. 販売領域が運賃費用による以外いかなる制限も受けない鉄道会社にとって(諸財貨の)最も有利な運賃率は経営費用の1½ 倍に等しい。
  2. 鉄道会社の鉄道網が、最も遠い運送距離(当該商品の販売限界)まで、伸びておらずその一部の距離にしか達していない(但しモデルでは全方位で一定距離)場合、最も有利な運賃率は経営費用の2倍から1½倍の間にある。
  3. 大鉄道会社はより小さな鉄道会社よりも低い運賃率を設定可能である。
  4. 大鉄道会社の鉄道網に接続されて経営される支線の運賃率は、独立採算制で支線を経営する鉄道会社の場合の運賃よりも低く設定できる。ただし、大会社経営の時でも、支線の運賃率は幹線の運賃率より高い。
  5. 鉄道会社にとって最も有利な運賃率は、当然国民経済的に最適なものではない。運賃率が経営費用に等しい時、国民経済的立場からは最も有利である。
     ここで経営費用とは、トン・キロメートルに比例する運賃の原価係数である。固定費は一応無視されている(生産費等に参入)から、これは限界費用にほぼ等しい(注6)。
 そして上記5.によりラウンハルトは鉄道公有を主張する。鉄道会社の私的利益を最大化する運賃は国民経済的利益を20/27に減らす。「この事実は、最も的確に、私的企業に決して引き渡されることのない投下資本として鉄道を特色づけるものである。」(訳書, p.172)一方、巨大な固定資本が必要な鉄道の運賃を経営費用にまで下げると、資本利子は税金によって賄わねばならない。ラウンハルトは、単純に「限界費用価格形成原理」を貫徹するようには主張しない。現実的な租税負担力を考えて運賃設定するように述べている。しかし、国民経済厚生上の観点を別にしても、上記3.4.からも見ても規模拡大による効率化は鉄道公有化を望ましいと考えたであろう。そして、経済政策には現実的であった著者は鉄道公有化についても、ドイツとは法的環境が異なる米国では必要ないと後の著作で述べている。
 最終章「交通手段の改善の諸影響」は全体のまとめである。数式が含まれず文章のみの章は、この最終章と第一章の「序論」のみである。交通の発達は人々の生活の享楽を増進し、飢饉を救い、土地の最適利用と分業を促す。工業のみならず農業にも大規模経営を推進するとするが、著者らしく自由放任の弊害と国家の干渉の必要性を加えることも忘れない。

 マーシャルは数学的に推論しても、著述においては数学を排し付録や注に押し込めたのに対し、本書は数学的表現と数字例で満たされている。本書を通読して思うのは、第一に一貫して微積分で経済分析を押し進める過度な姿勢である。なるほど、著者自ら云うように「最少の手段によって最大の効果を課題とする本学問の研究が、数学の適用なしには満足のゆく明晰性において遂行されないからである。」(訳書序言)ことが理解でき、経済学と最少・最大問題は切り離せず、それを扱うには微積分が不可避であるとしてもである(注7)。第二に、「無慈悲なほど(ruthless)」(シュンペーター『経済分析の歴史』)特殊な効用函数形態に依存している事実である。第三に、わずかな数字モデルの例から引き出した結論をもって、直ちに一般的な命題を定立することである。第四にほとんどの例示が複占モデルであるが、それは競争下で相手が積極的な反撃をしないというクールノー的反応、著者のいう「平和原理」に基づいていることである。
 数々の欠点があるにもかかわらず、本書は、アウスピッツ=リーベン『価格理論研究』とともに「ドイツ語で書かれたこの方面の最重要な書物」(シュンペーター, 1980, p.316)である。そして、本書に見いだされる創造的ではあるが素朴な理論は、後々至るまで多くの学者に引き継がれ、洗練され発展させられたのである。
 
 ドイツの古書店より購入。ドイツの古書の通例として私には高価な本であった。
 サムエルソンは、ある論文でごく最近まで数理経済学者の数はそれほど多い者でなかったとして、まずクールノー、ジェヴォンズ、ワルラス、エッジワース、ヴィクセル、フィッシャー、パレートを列挙し、二線級としてマーシャル、アウスピッツ=リーベン、ラウンハルトをあげている。「これらの学者たちの主要な業績の初版をすべて収集することは、気休めの趣味として格好のものであったかも知れない。」(サムエルソン, 1979, p.248)と皮肉っている。小生のごとき暇人を見抜いたかの如くの言である。

(注1)ワルラスのオークションシステムはこのケースであろう。二者取引であるが、backhausはラウンハルトの競争を不完全競争としている。
(注2)「老練な数学者でさえ、この領域においては、誤った諸結論にどれほど陥りやすいものであるかということの一例として、我々はラウンハルトの議論を挙げることができる。…その証明[自由競争による均衡価格は、当事者に最大の追加的効用をもたらすとの証明:記者]は明らかに偽である。…証明をさらに深めようとしてラウンハルトは、数字例を持ち出して来て…正しい極大点に<に気づかずその点>を無意識のうちに通り越してしまった」(ヴィクセル, 1984, p.192-3)
(注3)この文章の後で、「先に計算された最も有利な企業家利益は、…「独占」的に経営され得るときにのみ、達せられ得る。自由競争が除外されない所では何処でも、企業家利益は標識となるだけの量まで下落しなければならない。」(訳書、p.99)と注記している。
(注4)ここでNiehansが20頁というのは、15章「資本形成」、あるいは21章「予備的労働と最終的労働」の記述と併せてのことであると思われる(上記の説明もこれらの章からのものが含まれている)。ボェームの500頁とは、『資本および資本利子』の第一巻『利子理論の歴史および批判』ことか。この本はもっぱら、将来財が現在財より過小評価されることから利子が発生するとしている。
(注5)ここで、生産地を中心点とし、円形市場領域上に、販売価格を高さで三次元表記すれば、その形状はよく知られた「ラウンハウトの漏斗」となる。
(注6)Backhausによると、ラウンハルトは「変動経営費用 = 維持費用 ― 軌道交換費用 + 一般経営費用の一部 + 車両及び他の設備機器に対する利子」と定義しているという(この定義は、本書では記載がなかったように思われるので別の書物中か)。固定資本投資の利子支払が含まれているが、これは変動費用でない。そこで、「限界費用価格形成原理」をラウンハルトのものであるとするのは正確でなく、彼の厚生最大化価格原理を表すのに「平均変動経営費価格形成原理」の方が良いとする(Backhaus, 2000, p.461)。
 ただし、本書には「この場合経営費用は、投下資本が交通(量)の大きさに関係がない限り、この投下資本の利子を除外して決定される。」(訳書, p.161)という記述がある。
(注7)「数学的優雅への願望のために、経済的真理が犠牲になるということは、だんじて許されることができない。私見によれば、ジェヴォンズもワルラスもこの規則に違反しなかったけれども、そのドイツの追随者ンハルトは、しばしばこれを犯したのである。」(ヴィクセル, 1986, P.51)

(参考文献)
  1. ヴィクセル 北野熊喜男訳 『価値・資本及び地代』 日本経済評論社 1986年
  2. ヴィクセル 橋本比登志訳 『経済学講義Ⅰ』日本経済評論社 1984年
  3. 大石泰彦 「解説」(大石泰彦編・監訳『限界費用価格原理の研究Ⅰ』 勁草書房2005年所収)
  4. 鎌倉昇 『価格・競争・独占』 創文社 1958年
  5. パオロ・シロス・ラビーニ 安部一成訳 『寡占と経済進歩』 東洋経済新報社 1964年
  6. サムエルソン 篠原三代平・佐藤隆三編集 『サムエルソン経済学体系9 リカード、マルクス、ケインズ…』 勁草書房、1979年
  7. シュンペーター 中山伊知郎・東畑精一訳 『経済学史』 岩波書店 1980年
  8. T・W・ハチスン 長守善他訳 『近代経済学説史 上巻』 東洋経済新報社 1957年
  9. ラウンハルト 本間祥介訳 『経済学の数学的基礎』 中央経済社、1971年[訳書と略称:原書のイタリック部分は必ずしも区別して表記していない。]
  10. F.A.ルッツ 城島国弘訳 『利子論』 巌松堂出版 1962年
  11. Jürg Niehans “Launhard, Carl Friedrich Wilhelm(1832-1918)” in The New Palgrave Dictionary of Economics, Macmillan, 1998
  12. Ursula Backhaus  ”An engineer’s view of economics: Wilhelm Launhardt’s contributions“ Journal of Economic Studies, 2000, vol. 27, issue 4/5, pages 424-476




標題紙(拡大可能)


(H23.2.21記)



稀書自慢 西洋経済古書収集 copyright ©bookman