ELLET, C. Jr.,
An essay on the Laws of trade, in Reference to the Works of internal Improvement in the United States., Richmond, Printed by P.D.Bernard, 1839, 8vo, pp viii+284
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 エレット『交易法則について』(邦語年表等に記載がないので仮題です)、初版。
 エレットは、ペンシルバニアの農家の生まれ。初等教育を受けただけで、独学で数学と仏語を学び、働きながら資金を貯めパリの理工科学校(エコール・ポリテクニック)に学ぶ。アメリカ立志伝中の人物である。帰国してからは、持ち帰った先端の近代吊橋の技術で、吊橋の大型工事契約を獲得する。有名なのは当時世界一のホィーリング橋とこれも世界で初めて鉄道を通すナイアガラ鉄道吊橋である。しかし、いずれも結果は好ましいものではない。前者は竣工5年後に強風で落ちているし、後者は工事用の仮橋を架けた段階でエレットの派手なパーフォマンスが災いして、施主とのトラブルのため中断している。ちなみにこの橋を完成させたのがジョン・ローブリングである(ブルックリン橋を完成させたワシントン・ローブリングの父。司馬遼太郎の『街道をゆく39 ニューヨーク散歩』に親子の印象的な話が載っている)。最後は南北戦争の時に受けた傷が元で死んでいる。(エレットの生涯は、次の本を参照した。川田忠樹『近代吊橋の歴史』建設図書、2002年)

 著者はまた、鉄道の技師としても働いたが、本書では距離を変数とした独占鉄道会社の需要曲線を導出した。また、序文では簡単な数学しか使用しないので、大方の人には読書の妨げにならないだろうと書いているが、利潤を最大化する運賃を計算するのに微分法を使っている。一定の条件の下で、最大利潤を実現する乗客運賃は固定額プラス変動の2分の3であることも示した。(注1)
 彼の名を今日知らしめているのは、主に上記の吊橋の技術者としてである。そして、デュピュイと同じように「エンジニアエコノミスト」でもある。他にも、独占、空間経済学、費用・便益分析等の業績を雑誌に発表した。よくは知られていないが、限界学派の先駆者なのである(注2)。
 国際経済の理論家でもあり経済史家として高名なJ・ヴァイナーは、エレットをクルーノおよびデュピュイと同列においている(ハチスン『近代経済学説史』による。もっとも、これを記したハチソンの評価は、これら両者より劣り、むしろチューネンに似ているとしている)。

(注1)パルグレイブの経済学辞典による。この事実は周知のことと書いてあるが、知りえたのはラウンハルトの本にも同様な式があったことだけである。
(注2)邦語のものでは、参考にできた文献は上記に記載した他は、ほとんどありませんでした。さしもの浩瀚なシュムペーターの本も著者の名前は注に挙げられた程度で、独立した項目に書かれていません。詳細に鉄道運賃の学説を紹介した『鉄道運賃学説史』等の本にも出てきません。よって、本より人物の紹介が多くなりました。あしからず。

 米国の書店より購入。経済学の本としてではなく、南北戦争関係の本として分類されていた。著者が知られていないせいか、大学図書館の蔵書には、リプリント版以外はないようである。





標題紙(拡大可能)


(H19.1.21記)




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