EDGEWORTH,F.Y., New and Old Methods of Ethics, or “Physical Ethics” and “methods of Ethics”., Oxford & London, J. Parker & Co.,1877, 8vo, pp ix+92, with Errata エッジワース『倫理学の新方法と旧方法』、初版。 フランシス・イシドロ・エッジワースの処女作。著者の名前の「フランシス」はフランス人の意味であり、「イシドロ」はマドリッドの守護聖人であり(と思う)、「エッジワース」はアイルランドの本貫の地名に由来するように、アイルランド・フランス・スペインの血の入り混じった複雑な性格の人物である。あの「トニオ・グレーゲル」のように。 生涯を独身ですごした。エコノミック・ジャーナルの共同編集者であったケインズのごとく男色趣味があったかどうかは知らない。木石でなかった証拠には、後にシドニィー・ウエッブの妻となるパトリシアには求婚した事実がある。本人は、「体系書だの結婚だのといった大規模な事業は、一度も自分の心を引いたことがない」と韜晦しているが。 数理経済学者とされる著者は、高名な文学者を叔母に持ち、古典を自在に引用できるほど文学的才能があった。この本を書いた頃も、ロンドン・ベットフォード・カレッジで英語学・英文学を講じていた。ケインズをしてマーシャルより偉大と言わしめた数学的才能は独習で身につけたようである。 戦時中に行った講義を後にパンフレットとした4編を除けば、エッジワースには、3冊の著作しかない。「案外つまらぬ書物で、一読に値するほどのものでない」(ケインズ『人物評伝』全集邦訳p.345)とされる『メトレティケ』と『数理心理学』とこの本である。 シジウィック『倫理学の諸方法』に対するアルフレッド・バラットの批判を契機に本書を執筆。 第一節は、バラットとシジウィックの論争を批評し、様々な条件を考えながら形而下的な倫理の可能性を考察する。非快楽的な行動と共感を巡って、倫理学の三つの方法である功利主義者、利己主義者そして直感主義者にとっての重要性を論じている。次いで、「正しさ」直覚の形而下的条件の確認可能性を論じ、様々な反論を考察している。 第二節は、『倫理学の諸方法』の要点解明の試みと題されている。 まず、利己主義、直感主義が検討され、そして功利主義の意義が説かれている。そして、(厳密な)功利主義「最大多数の最大幸福」の意義を論じ、証明を試みている。それから導かれた帰結は、一般常識と符合するとしている。そこでは、グスタフ・フェヒナーの「精神物理学」からフェヒナー方程式が引用され、検討されている。 中心的な所と思われる部分を目次からまとめてみると概略次のとおりか。 ――フェヒナーに従い、もっとも刺激的なものが、(単一の感覚に起因する)快楽にたいする最大の容量があるところに適用できる時、所与の量の刺激が最大量の快楽を生む。そして、快楽に対して最大の容量を持っているといわれるのは、同じ量の刺激に対して、より大きな快楽が獲られる時のみならず、同じ刺激の増分に対してより大きな快楽の増分が獲られる時でもある。 同様に、最大の幸福力のある者に最大の配分するのが最大量の快楽を生じるということ。最大の幸福量のある者とは、同量の富に対してより大きな快楽を得る者のみならず、同量の富の増分に対し最大の快楽の増分を得る者である。―― その後、高等な快楽に対する方程式は、組み立て及び解釈可能。倫理における数学的推論は無用ではないとして、仮説的な理論の前提として4の題目をあげているが、その題目の一つに「快楽関数の二階は連続して負である」と書かれている。 この、効用関数の性質として第一階導関数が正、第二階導関数を負と明確に述べたことの外に、極大値を求めるのにラグランジュ乗数の方法を使用した点に本書の特長がある。後者は、ジェヴォンズやワルラスが未だその理解が及んでいない時期であり、時代に先んじていた。 米国の古書店より購入。薄い紙表紙の本。セロテープで補修がなされており、装丁の状態はよくないが、原装のままであるので、製本に出すのに迷うところである。市場にあまり出ない本で、かなりの稀購書であると思う。 本書の内容については、慣例により書きましたが、3頁ほどの目次をもとにまとめただけのもの。それさえ、晦渋をもって知られるエッジワースの文のこと、ギリシャ語やラテン語の成句が散りばめられ、倫理学の述語もわからず、よく理解できておりません。あしからず。 (参考文献)
(H19.12.8記) |