DUPIT, A. JULES E. J.,
De la meaure de l'utilité des travaux publics dans Annales des Ponts et Chaussées, II -tome 8, 1844, pp.332-375

 デュピュイ「公共事業の効用の測定について」(『土木年報』1844年、Ⅱ-8巻所収)、初版。
 著者略歴:ジュール・デュピュイJules Dupuit1804-1866。ナポレオン占領下のイタリア、ピエモンテ地方のフォッサノFossanoに生まれる。10歳で家族と共にフランスに移住、パリ郊外のヴェルサイユで学ぶ。物理学に堪能であったことから、1822年理工科学校に入学し、続いて1824年土木学校へ進学する。家系は取り立てていうほどのことはなく、彼自身が理工科学校の理念である平等主義の体現者であり、能力によって高級官僚に上り詰めたといってよい。
 土木公団の技術官僚となり、1828年サルト県への赴任を振り出しに、各地で舗装道路の維持管理、架橋、洪水の予防等の公共事業に従事した。1843年レジオンドヌール勲章を受く(高級官僚は一定の期間勤め上げれば受賞できるようだ)。1950年パリの主任エンジニアに就任。デュピュイの技術者としての最大の功績はオスマン知事のパリ改造計画に参画して上下水道整備に着手したことである。もっとも、オスマンと意見を異にし、実際に任せられたのは下水道の整備のみであった。パリ市民は彼の穿った暗渠の余りの巨大さに「デュピュイの洞窟」と呼んだ。1855年2級全国監察官に就く。土木公団官僚の頂点1級全国監察官に次ぐ地位である。この地位のまま1886年パリにて逝去。
 技師としての仕事のかたわら公共事業の経済学的な研究を志し、その成果を『土木年報』(Annales des Ponts et Chaussées)や『エコノミスト』(Journal des économistes:フランスの経済学術誌)に発表した。経済学協会の会合にも活発に参加した。経済学上の重要な業績は『土木年報』に1844と49年に掲載された2論文である(後者については別途取りあげる)。1860年頃からは古典派に不満を抱き、より一般的な経済問題にも挑戦し、著書『商業の自由』(La liberté commerciale 1861)を著した。それは、むしろ伝統的経済学に回帰したものであったが、専門「経済学者」からの批判は免れなかった。ワルラス『要論』の出版(1874年)を機に、限界効用概念のフランスの先駆者としてデュピュイが再発見された。

 デュピュイは、土木公団に属するエンジニアであった。これら土木公団のエンジニアの中から経済に関心を持ち、経済を論ずる「エンジニア・エコノミスト」といわれる一群の人々が登場した。本題に入る前に、フランスの土木学校・土木公団のことを一瞥しておく。
 日本では古来、建築に対し作事、土木工事に対しては普請の語が用いられた。「土木」なる用語は、明治期に英語のcivil engineeringの訳語として作られたようである。ちなみに、ヘボンの『英和語林集成』(1886年)を引いてみるとcivil engineerに築造方とされている。civil engineering(1750年頃英で成立した言葉)のcivilは、政府に対する民間の意というより、military engineeringに対するものであろう。築城術等に対し、道路・橋・運河等に関する技術を意味する。
 フランスはエリート主義の強い国であるが、とりわけ理科系のエリートが尊重された。大革命後の1794年、貴族に独占されてきた職業エンジニアを一般大衆に開放すべく理工科学校École polytechniqueが開設された。文字通り多科目科学技術学校であり、狭い専門教育を排した。選抜は、学力試験よる。平等主義を担保するために、授業料を無償化し奨学金が設けられた(後ナポレオンによる揺り戻しがある)。18世紀では、政府の技術者となるためには、理工科学校を優等で卒業し、上級の土木学校(École nationale des ponts et chaussées)や鉱山学校(École nationale supérieure des mines de Paris)に入学する必要があった。例えば、18世紀フランスを代表する数学者コーシーの若年の経歴を見ても、理工科学校を首席で卒業し、土木学校へ進学、軍事施設建設の技術将校として働いた。これを見てわかるように、土木学校(橋と道路の国立大学校)と言い条、卒業後に軍工兵部隊へ奉職する者もいた(別に、メジェール工兵学校があった)。
 土木学校を卒業して土木公団に入ったものは、国家の指導者・エリートとしての自覚を持ち、親密な知識・科学者集団を形成していた。土木学校においては、相互教育と実地研修とが重視された。学生は、実地研修を通じて卒業生の公団エンジニアと交流を持った。公団に入ってからも、人脈は拡大され、現場では相互に教育し合い、技術、知識の交流が行われた。それは純粋の土木技術に止まらず、経済の方面にも及んだ。「このように、エンジニア・エコノミストにとっての工事現場は、重農主義者のサロンに相当するものだったと想像される」(栗田、1992,p.65)。その他に、土木公団の機関紙ともいうべき『土木年報』が、エンジニア・エコノミストの知的交流の場を提供した。そこには、平均して年3本の経済論文が掲載されたという(同、p.70)。
 それでは、なぜエンジニアが経済学に係わり、エンジニア・エコノミストとなるものが出てきたのか。まず、第一にミクロ的には、エンジニア本来の職務として、道路・橋・運河等の建設を実現するには、それが有用であることを証明しなければならない。税金(あるいは資本)を投入しても、それ以上の見返りがあることを示す必要がある。「費用便益分析」が要求されたのだ。ちなみに、現代の我が国でも、国土交通省道路局・都市局によって、「費用便益マニュアル」なるものが公開されている。エンジニアは、経済学を必要とし、公共事業に効用概念を適用しようとした。デュピュイは、そこから効用概念を再定義するに至った。第二に、マクロ的には(注1)、土木公団無用論・有害論に対して公団を擁護するためにも、経済学を必要とした。エンジニア・エコノミストが依拠した経済学は、(フランス)古典派経済学である。それは、自由競争に基づき独占の非効率を非難する。彼らは、競争原理の経済学に則って政府独占有用論を展開するというディレンマを抱えていた。デュピュイは、消費者余剰の概念を発見することによりその解決を図ろうとした。「かれらは主流派の自由主義経済学が等閑視した公共事業という分析対象に取り組み、そこでの自由競争の弊害あるいは不可能性を明瞭に示すことによって、古典派経済学の空隙を埋めると同時に、自分たちの職務を正当化することにも成功したのである」(栗田、1992、p.85)。

 論文紹介の前に、時代背景を知るために、もう一つ余談を付け加えておく。
 シュンペーターが『景気循環論』で、コンドラティエフの第二長期波動(1843-97)の主因として挙げたのは、鉄道建設である。19世紀は鉄道の世紀といってもいいだろう。社会や文化に大きな影響を与えた。各駅の時計の時間合わせの問題を通じて「鉄道時間」→標準時の普及をもたらしたことは直ぐに思いつく。最近読んだ本には、鉄道旅行の普及により単行本の読者が増え、本を選ぶために書評が始まったと書いてあった。交通機関の発達は経済の地域間格差を減少させ、文化を普及させる。交通路の役割は「人民の結合と利害の調停」にあるとする社会主義者エンジニアも出現した。交通網の整備により、フランス国内諸地域で実現したことを地球規模で再現する。世界の交流を通じて、永久に戦争をなくす理想の実限を夢見た(栗田、1992、p188)。しかしながら、鉄道は兵員と兵站の移動をも容易にした。現実の歴史では、普仏戦争(1870-71)で鉄道を利用したモルトケの作戦によりフランスは一敗地にまみれた。
 経済思想だけが交通機関発達の影響を受けなかったというわけにはいくまい。限界革命の起源を公共事業(特に鉄道)と結び付けたのは、経済学史家のT・W・ハチスンである。限界概念の必要性は、同じ財または生産要素の継続的単位が、異なる消費者効用または生産者報酬を持つときに生ずる。古典派体系では効用は重要性を持たなかった。それゆえ、古典派は、企業に対する平均収入と限界収入との間に乖離の無い競争市場を主として分析した。「限界分析の先駆者たちが、多くの場合に、独占の諸問題、明らかに急激に増加する報酬、多額の固定費用と低い可変費用とを取り扱わねばならなかった人々であったことは当然であって、そこでは消費者の効用が問題の不可避的部分であろう、公共事業、特に鉄道および運輸制度の場合は、すべてこれらの要素を含み、それらの実際上の価格形成問題は19世紀中葉の数十年間に急速に重要性を増しつつあった」(ハチスン、1957、p.21)として、それを証明するものとして、フランスの土木技師デュピュイ、アメリカの鉄道技師エリオット(『交易法則について』1839年)およびラードナー(『鉄道経済』1850年の著者:ジェヴォンズに影響を与えた)をあげている。さらにクールノーが独占理論の例とした鉱泉の例示は、「公共事業にいちじるしく似ている」(同)と書いている。これらの著者は既に本HPで取り上げている。個人的には、デュピュイ、エリオットおよびラードナーは、「プレ・限界革命トリオ」とでも呼びたい。
 そこで、これら三人の母国である、米・英・仏の鉄道営業距離数の動向を『マクミラン新編世界歴史統計』を使ってグラフにしてみた。


               (図1)米・英・仏の鉄道営業距離

 エリオットの著書の上梓された1839年には米国では、3,705キロの伸びを示しているし、ラードナーの発刊時1850年の英国の営業距離は9,797キロである。ただ、デュピュイ論文の表れた1844年の仏国の営業距離は822キロと鉄道敷設は遅れている。しかしながら、デュピュイは主に橋や運河を例に上げているので、運河の発達状況を探してみた。
 手近な資料では、運河の統計は見付けられなかった。幸い、フランスに関しては、J.H.クラパム『フランス・ドイツの経済発展 1815-1914』に、革命前、ナポレオン時代、王政復古時代、ルイ・フイリップの時代と大まかの区分で、新設された運河の距離が書かれているのが見いだせた。それを元に、運河の延長距離を積算すると概略下記の(表1)となる。

 年  営業キロ
 1789
 1,000
 1814
 1,200
 1830
 2,100
 1848
 4,100
(表1)フランス運河の延長距離

 7月王政(ルイ・フイリップの時代、1830-48)下、まさにデュピュイの論文が書かれた頃に運河の建設が大規模に行われたことがわかる。ハチソンの限界革命の公共事業起源説が何となく納得できそうな気配である。

(1844年論文)
 政府が道路、鉄道あるいは運河を施設するには、それが有用であることを明らかにしなければならない。事業の公共的効用が示さればならないのだ。「ひとことで言えば、公共的効用をどのように測定すべきなのだろうか。これが、本章(本論文のこと:引用者)における研究課題である」(デュピュイ、2001,p.3:以下訳書からの引用はページ数のみ)。
 効用とその尺度がまず、検討される。著者はセーとともに、価格は消費者が財の効用を評価する尺度であることを承認している。しかし、すべての消費財は、各消費者に対して異なる効用を持つ。裕福なものはワインに30スー(1/2フラン)の値段が付いても支払うが、貧乏人は5スーに価格が低下して初めて購入する。消費者については、消費対象ごとに異なった効用を認める、「それだけではない、それぞれの消費者は、その人自身に限っても、消費できる量に応じて、同じものに対して異なった効用を付与するのである」(p.7)。10スーのワイン100本を買う人が、15スーに騰がれば50本しか購入しない。
 デュピュイは、水という財を例にとって、価格と効用の関係を述べる。1日100ℓの水の利用に対して50フラン(年間)の料金の時、100 ℓ使用していた個人は、料金が30フランに下がったときは、200ℓ使用する。20フランになれば、400ℓ、10フランでは1000ℓ使用する等々とする。安くなれば、飲料水から、家の洗浄、庭の散水、泉水への供給等に利用が拡がるからである。なるほど、最初の100ℓの効用は50フラン以上であるが、次の100ℓの効用は30から50フランの間、その次の200ℓは20~30フラン、そのまた次の600ℓは10~20フランの効用であると考える。
 このように、「同一のものが異なった効用を持つという事実は、つぎのような2つの部分から生産費が構成されているすべてのものの市場価格を考察する場合の基礎となる」(p.12-13)。デュピュイは上記のような財の効用を絶対的効用と呼び、絶対的効用とその購入価格の差を相対的効用と呼ぶ。ここで「2つの部分から生産費が構成されているすべてのもの」とは「それは、非常に多額の部分がいちどきに、[中略]ひじょうにわずかな額が生産物1単位あたりに投下されるような商品である」(p.13)。すなわち、固定費用が大きく、変動費用が小さい商品である橋、運河、鉄道等の価格を研究するのに、これらの効用概念を用いようというのである。但し、せっかく固定費用と変動費用を区別しながら、デュピュイには詳しい費用分析はない(注2)。
 デュピュイによる効用概念を利用した公共投資の評価・選択基準見る。その前に、その当時、土木公団エンジニアたちの共通理解となっていたナヴィエNavierのそれを一瞥する(参照:栗田、1992、p.116)。ナヴィエは、以下の公式で求められた最低必要輸送量を上回る需要が予想されることが、投資の必要条件であるとした。
 Q = (I +E )/e
ここで、Q =最低必要輸送量、I =新投資の利子、E =維持費、e = 輸送費の低下分(輸送量単位当たり)。いずれも年単位。
 必要なのは、建設費の償却は勘定に入れず、輸送費削減額(総額)が建設利子と維持費を賄える輸送量が見込めるということである(Q e > I +E)。使用料(通行料)が課せられるときは、e から料金を引かねばならない。
 ナヴィエの方式の誤りは、全輸送量に同一の効用の数値を用いたことにある(後記(図3)のオレンジ色の枠に相当)とする。そのため、結果的に公共投資の効用を過大に評価することになった。デュピュイは効用の比較に際して、輸送費ではなく生産費を比較する。「交通路の最終的な目的は、輸送費を下げることではなく、生産費(輸送費を含む:引用者)を低下させることにある」からである(p.22)。遠くから商品を運んで輸送費がかえって高くなっても、それ以上に原価が低い商品が持ち込めるなら、輸送費を含むトータルの生産費が低廉な商品は供給される。
 デュピュイの生産費による評価の具体例を示す。これまで、石材の価格が20フランし、10,000トン消費されていたとしよう。そこで、運河の開通により石材の生産費が5フラン下がって、価格が20フランから15フランになったとする。なるほど、「道路(運河と読み換える:引用者)の開通以前に消費していた物資を代替した同種の物資(石材:同)が生み出す効用は、それらの価格の差にかつての消費量をかけた額に等しい」(p.22:強調引用者)。価格低下の直接的な効用は、旧消費量に価格低下分を乗じた数値で示される。ここでは、10,000×5=50,000フランの効用が発生した。
 しかし、価格の低下は、石材に新たな需要を付け加える。その結果、石材の消費量は10,000トンから30,000トンに増加したと仮定する。新たな消費量20,000トンに対しても、また効用が発生する。この時、「生み出された効用が、まえの10,000トンの場合と同様に、1トンにつき5フランといえるであろうか」(p.22)。否である。15フランで石材を購入した人のなかには、石材に大きな効用を認めず、わずか1フラン価格が上って16フランになると購入しない人たちもいるからである。また、2フラン上昇して17フランになったら消費を取り止める人たちもいる。等々。
 これらの相対的効用(価格を上回る効用)の構造、デュピュイの表現では「消費量1トンごとの相対的効用」、を考えるには、「それぞれの消費者が欲求の度合いに応じて、消費を取りやめるだろう価格がわかればよいのである」(p.23)。そのためには、逆に15フランの石材に1フランずつ増税する場合を想定すればよい。1フランの増税(石材価格16フラン)によって、消費量が7,000トン減少する。2フランの増税(同17フラン)は、1フラン増税時の減少額に加えて更に5,000トン消費量を減少させる等、下の(表2)(原論文は数字のみ、順番も入れ替えた)のような結果が観察されたとする。

 増税額
=相対的効用
(価格)
[フラン]
 格増税額
についての
減少消費量
[トン]
 減少した
効用計
[フラン]
 1(価格16)  7,000  7,000
  2(価格17)  5,000  10,000
  3(価格18)  4,000  12,000
 4(価格19)  3,000  12,000
  5(価格20)  1,000  5,000
  (計)  20,000  46,000
      (表2)

 この場合、需要増加分に対する相対的効用の平均値は5フランではなく、2.3フランだとわかる(46,000/20,000)。
 ここで、上表の数字を用いて石材の価格に対する消費量の関係、デュピュイのいう「消費曲線」を、部分的であるが描くことが可能である。次に(図2)として示してみる(原論文にはない)。縦軸は価格(15フラン)に対する相対的効用で示したから、相対的効用5フランが価格20フランを表している。上表を下から逆に読んで、20フランから1フランの価格低下により1,000トンの消費が増加し、更に1フラン下げると3,000トンの追加消費が生れ、次の1フランの低下では4,000トンの追加等が認められる。これらから生じる計5,000フランの相対的効用、同12,000フランおよび同12,000フランの相対的効用等を並べれば、20フランから15フランまでの段階的に生じる相対的効用の計のグラフができる。これらを総て併せたものが、5フラン価格低下によって生じた追加消費の相対的効用の総計(46,000フラン)である。これらは、価格と消費量の関係を表す段階でもある。段階を形成する価格変化を小さくすれば段階は曲線に近づく。


      (図2) 

 以上の手続きを経て、新交通路開通による効用の増加すべてを集計できる。「ともあれ、さきほどの46,000フランと、この50,000フランを足しあわせた96,000フランが、ここで問題にしている新しい交通路の効用の総計となる」(p.24)(私の説明では、「さきほどの」と「この」が逆になっている)。理解を助けるために、下の(図3)の消費曲線(これも原論文にはない)で表すと、46,000フランは黄色で表示した部分であり、50,000フランは緑で示した部分となる。先述のナヴィエの効用はオレンジ色の線で囲った部分である。

        (図3)
 
 以上は、新交通路開設の効用増大を評価するについて、石材という以前から輸送されていた商品について計測したものである。「新たに輸送されるようになったものについては、以前から輸送されていたものの消費の増加分と同じ方法、つまり生産費の低下によって効用を図ることはできない。それらの効用の尺度として用いるべきなのは、新しい交通路での輸送を妨げることになる最低水準の課税額である」(p.27)。課税は生産費の増加と見なされるからである。課税の増加は、消費を減少させる。「一般的効用が判明している同種の生産物すべてに課税されたとしよう」(同)。課税を少しずつ増加させると、それに応じて一定量の消費が減少する。この減少量に課税額を乗じたものが、貨幣評価の効用の変化分を表す。課税を増加させ、消費がゼロになるまで進めれば、効用変化分の合計が当該商品の総効用額を示すことになる。この「尺度」は、以前から輸送され、消費されていたものにも応用できるとする(そればかりか、交通路以外に一般の生産物にも応用できるとされる)。
 デュピュイは、課税による方法を石材の所でも一部使用しているので、このあたりは良く判らない。さらには、課税の方法は上掲(図2)のやり方を、消費量ゼロの価格まで拡大することをいっているように見える。しかし、現行価格(生産費に等しい)以下の部分の効用も加えなければ総効用とはならない。その部分を「一般的効用が判明している同種の生産物」で表しているのだろうか。現行価格以下の部分は補助金を出した場合と考えれば良いと思えるのだが。ともあれ、次にあげられている橋の例は無料から始るので、解りやすい。
 デュピュイは、橋の通行人を例として挙げる。無料で年間200万人余りの通行者のある橋に、0.01フランずつ通行税を上げて、0.16フランで通行人がゼロとなる擬制的な場合を想定し、通行税毎の減少通行人の表を作成する。通行税×減少通行人数を積み上げて橋の総効用(彼は「絶対的効用」と呼ぶ)とし、現在の用語でいえば「消費者余剰」と「厚生損失」(「死重損失」とも)に相当するものを導出している。これらは、石材の例と原理的に同じであるから詳細は略し、ここに出てくる用語の概念は、後にグラフの所で説明する。
 ここで付け加えておくとすれば、まず、橋の「この絶対的効用から橋の建設に使われた資本額の利子と維持費を引けばよい」(p.28)。これがゼロ又は正であれば橋の建設は効用をもたらすとしていること。第二に、「歩行者専用の橋の代わりに、車両通行の可能な橋が問題になる場合もあるだろう。そのときには、馬に乗っている人やサスペンションつきの馬車、荷馬車など、通行税を貸す項目ごとに同様の計算をし、それぞれの項目の効用を合計すればよい」(p.29)としていることである。 
 この第二の点に関連して、よくわからない点を少し書いてみる
1. そもそも、デュピュイは新交通路の公共効用の評価について、ナヴィエの輸送費低下による評価を批判して生産費の低下を基準にすべきだとした。デュピュイは、その理論を示すのに石材を例にとった。しかし、新交通路を使用するのは石材だけではない。小麦、鉄、木材等々も運搬されるだろう。橋の公共効用を求めるには、新交通路を使用して運ばれるこれらの商品すべてについて生産費による評価を求めそれらの総和を求めるべきなのだろうか。上記第二の点の引用からみてそう思われる。しかし、デュピュイは何も書いてない。既に輸送(消費に同じ)されていた石材に用いた方法では、新たに輸送される商品に適用できない、として、直ちに通行税(人だけが通行)による方法を示しているだけである。この場面では、方法だけが重要で、公共評価は二の次だからであろうか。
2. そして、この(通行)税による方法は総ての商品に適用できるとする。それなら、なぜ最初から通行税を用いる方法を用いなかったのだろうか。
 直接生産費を用いるにせよ間接的に通行税(税は生産費に等しいとされる)を用いる方法にせよ、それらの背後にある効用を表示するのが目的である。直接に生産費を用いる方法を介在させたのは、問題になるのはあくまで生産費であることを強調したかったからであろうか。
 以上の後も、論文には文章による叙述が続くが、ここからは末尾に附された「ノート」のグラフを使って説明する。「ここで展開した効用に関するさまざまな考察は、グラフを使えば、非常に簡単に表現することができる」(p.44)からである。
 グラフとは、価格と消費量の関係を表現する消費曲線(courbe de consommation)のことである。原図では、縦軸(y軸)が消費量を表し、横軸(x軸)が価格を表している。現代的なグラフとは、軸が逆である。原・限界論者のジェンキンもそうであった(クールノーは現代式)。これまでも、現代式な価格縦軸で示してきたので、それを踏襲する。従って、原論文の図とは、軸が違っていることをお断りしておく。
 価格―消費量関係は、「どのようなものであっても、このような関係は既知のものではない。それどころか、それを正確に知る可能性はないということさえできる。なぜならば、この関係はつねに変化する人間の意志に依存しているからである。[中略]しかし、一般的な法則というものは存在するのであり、変動にさらされながらも、この関係はつねにその法則に従っている。この一般的な法則から、不変の一般原理もまた導き出される。これらの法則の一つは、価格が低下するときに消費が増加するということである。もう一つは、価格の低下による消費量の増加は、価格がすでに低ければ低いほど、より大きくなるという法則である」(p.39)。デュピュイのいう一般的法則は、グラフで表現すれば、第一に消費曲線は右下がりであり、第二に下に向かって凸であるといっているのだと思う。
 デュピュイの消費曲線を見てみる(価格縦軸に変更)。

      (図4)消費曲線[元図(訳書による)では「図1」と「図3」に該当] (注)q は元図にはなく、付け加えた。

 OP 線上に、ある商品の価格 OpOp'Op" を取り、その点から、それぞれの価格に対応する消費量 pnp'n'p”n” を水平に伸ばす。伸ばした点を結んだものが消費曲線である。ON は価格ゼロの消費量であり、OP は消費がゼロとなる価格である。
 pn は価格Op における消費量である。セーによれば、この時の効用がOrnp であらわされる(価格=生産費とされているから、この四角形は同時に総生産費である)。しかし、pn の消費量に対する効用は、Op が最低で、大部分はそれ以上である。pn の消費量の中には、例えば、価格がOp’ になっても、価格Op’ 以上の効用があると評価して、p'n' の量を購入する人が含まれているからである。いま、pp' との差が小さい(従って、rr' も小さい)とすると、Op の効用しか感じない人(実際は、Op Op’ の中間)の消費量は、nqnpn'p' だけである。これらの効用は擬台形rnn'r' で示される。同様に、Op' の効用しか感じない人の消費量はn'q 'n'p' ― n"p" であり、その効用は擬台形r'n'n"r" となる。
 このようにして、消費者にとって価格p (np 量)に対する効用全体(「絶対効用」)は、OrnP で示されることが明らかとなる。現代用語の消費者余剰、デュピュイのいう「相対効用」は、生産費(rnpO )を除いた擬三角形npP でで表せる。「効用としてはもはや三角形npP しか残されない。この効用は、私の主張によれば、np 量に対する支払いをしたあとに、消費者に残された効用である」(p.45)。
 さらに、デュピュイは「失われた効用」の概念を語っている。これを説明するのに彼は、シテ島に架かる橋ポン・ヌフとポン・デザールの例を引く。デザール橋は0.05フランの通行料を課している。それは、通行人から通行料の分だけ効用を奪う。それは橋の建設者に利益をもたらすが、それは「公共の富の分配の変更でしかなく、全体に大きな影響を与えるものではない」(p.42)。建設者が政府であったとしても、移転所得となり同じことだろうと思う。しかしながら、これだけで終わらない。橋の効用を通行料以下(0.04以下)にしか認めない人々は、迂回して無料の遠い橋を利用するしかない。この橋を享受できない人(当然貧しい人になるのだろうと思う)の効用は奪われる。「この損失は完全なものであり、相殺されることはない。それは、機械の無駄な摩擦と同じである」(p.42)。
 この例に倣い、「図4」の消費曲線をデザール橋の通行料(税)と通行量(人)を表したものと解する。この時、通行料Op により通行人から奪われた効用はrnpO であり、渡れなくなった人rN 人の「失われた効用」はNnr である。後者の部分は、現代用語では「厚生損失」あるいは「死重損失」といわれる。

 商品に対する課税の影響を見るためにも、この消費曲線は使える。再び(図4)をある商品の消費曲線としよう。Op の価格の商品にpp' の税金が課されたとする。その税収入は四角形pp'n'q で示され、消費者の厚生損失は三角形nqn' で示される。課税額を2倍pp" にすると、税収入はpp"n"q となり、厚生損失はn"qn となる。
 pp' 課税時の厚生損失は、nqn' ではなくNr'n' であり、pp" 課税時の厚生損失はn"qn ではなく、Nr"n" だと思う。課税前の価格がゼロの時だけ両者は一致する。本文には「Op を安価でそれゆえに大量に消費されるものの価格とする」(p.46)との限定が付いているので、近似的に成立するとデュピュイは考えているのだろうか。グラフ表示ではそのようには見えないが。
 ここで、デュピュイは、二つ四角形と三角形の幾何学的性質から、「つぎの公理が証明される。課税額を大きくしても収入がそれに比例して増えることはない。一方、失われた効用は課税額を2乗しただけ増大する」(p.47:強調原文)とする。収入が課税額に比例しないことは、当然である。消費曲線が右下がりである限り、価格が上がれば消費量が減るから、税収入=課税額×消費量は、課税額の増大に比例する額までには及ばない。
 次の厚生損失が課税額の2乗に比例して増大するとする「公理」は、どうであろうか。この理由を、デュピュイは、「なぜならば、n"qn の底辺と高さがn'qn の2倍になっているからである」(p.47:図に合わせ、一部記号を変更)と書いている。
 しかし、2乗に比例のことは、消費曲線が曲線ではなく直線(厚生損失がまさに三角形)の時しか成立しない。すなわち、商品価格に対して課税割合が軽微な場合である。ここでは、デュピュイは、詳しく書いていないが、「非常に軽い税 pp’」(p.46)と書いているのが、そのことを示しているのであろう。消費曲線そのものが、下に凸であるカーブを前提にしていることは、「課税によって生じる消費量の変化を知ることができれば、消費量の変化分に課税額の半分を掛け合わせることによって、失われる効用の最高限度をえることができることがわかる」(p.39:強調引用者)との言葉で明らかである。

      (図5)[原図の「図3」に該当]  

 次に、(図5)で、生産費に該当するp から課税額を次第に増やすとしよう。課税収入はある価格M で最大となり、後は次第に減少していく。課税額がゼロp の時は税収ゼロ、消費量がゼロとなる課税額P でも、税収ゼロとなるから当然である。レーガン時代に云われたラッファーカーブである。非常に高い課税額pK 時の税収額pKtu は、低い課税額pp' 時の税収額pp'n'q' と同じかも知れない。税収は同じでも、pK 課税時の厚生損失tunは税収の10倍となるかも知れないのである。むしろ、最大税収をもたらす課税額pM の方が社会的には弊害が少ないことも考えられる。
 
 さらに、「もし、同一のサービスに対してまったく異なった効用を認めている消費者たちを、その効用の評価に応じて、いくつかのグループに分けることができるならば、複数の料金を組みあわせることによって、通行税収入を増加させ、失われた効用を減少させることができる」(p.48)として(図6)をあげている。

         (図6)[原図の「図4」に該当]

 価格Op時の消費者np人のうち、pq 人は価格がOM になっても消費する。さらにその中Mq' 人は価格が更にOp' になっても消費する人々である。このような状況の下で、これらの人々に、これら3段階の価格を支払わせる何らかの方策があるなら、(元の価格がゼロとして)通行税は3つの四角形の合計、OrnppqTMMq'n'p' となる。この時、消費者余剰は3つの擬三角形の合計、nqTTq'n'n'p'P となる。そして、厚生損失は、Nrn である。
 ところで、デュピュイは、(図5)と(図6)の説明の間の所で、本論文で唯一である微分を使った説明をしている。これが私にはよく理解できないが、短いので、ともかくも著者の言うところ引いてみる。またもや橋の通行の例である。「ある橋の通行料金から、A という額の使用した資本の利子を支払うことを考えてみよう。その場合、消費曲線をy = f (x) とするならば、xy = A という方程式をとけばよい。では、最大限可能な収入をあげるにはどうしたらよいのだろうか。この場合には、dxy/dy = 0 という方程式を解けばよいことになる」(p.47-48)。そうして、先の(図4)と同じような図を示し、同じように(図4)のOr'n'p'に該当する四角形を最大租税収入としている。
 ここで、デュピュイのいうA は、年間利子負担額のようなもので、定数であると思われる。それならばその収入曲線は双曲線であり、価格いかんにかかわらず、通行料収入額は一定である。収入xyy(通行料)で微分しても、y にかかわらずゼロで最大値はないはずである。その上にデュピュイは、説明にその収入曲線を双曲線ではなく曲線の両端が軸に接する曲線としてとらえている。よく判らない。こういう所には、訳注は何も書かれていないのである。
 ワルラス『要論』の出版(1874年)を機に、限界効用概念のフランスの先駆者としてデュピュイの再発見があった。限界効用と消費者余剰、特に後者の概念の明示がデュピュイの功績とされている。スティグラー(p.23)の次の評価が妥当なところであろう。「デュピュイは首尾一貫した費用理論を考察しなかったので、完全な最適価格理論に到達することができなかった。そしてデュピュイの仕事からは、視野の狭小という印象をぬぐうことができないのである。消費者余剰概念を明示的に定式化したのは素晴らしいが、その概念に含まれる諸困難については、全く直感的洞察もされていないし、また彼の問題を解くに必要な、一層大きな理論的枠組みを構築しようとする試みもみられないのである」(p.23)。

 『土木年報』の標題紙を見てみると、副題として「建設技術ならびにエンジニア業務に関する論文(memoires)と文書(documents);土木公団管理局に関連する法律、法令、命令その他の条例」と書かれている。標題紙をめくると、巻頭に「土木年報」に続いて副題の;以前の部分が繰り返され、本文が始まっている。ページの「柱」にも"memories et document"と書かれている。私蔵する4巻はみなこの形式である。しかし、『土木年報』には2種類あって「法律、法令等」のみを掲載した巻があったようである(栗田、p.68)。そして、年報と言いながら、前期、後期の年二回発行されていた。

 イタリアの古書店より購入。私蔵の他の巻から推定するに、巻末に「表」があったようだが、この巻には「表」なしで製本されているようだ。したがって、上記の(図4)、(図5)および(図6)は、訳書でしか確認できなかった。紙質は変色しコンデションはよくない。R. ISTITUTO VENETO SCIENZE LETTERE ED ARTI BIBLIOTECA(ヴェネト大学、科学、人文および芸術図書館の意か)の蔵書印あり。

(ここまでの記事でかなりの紙幅(容量?)を要したので、1949年論文については別に項目を建てる)


(注1)栗田(p.48、1992)は「そもそも普通のエンジニアにとって、経済全体の分析を目的とする体系的な理論などは興味の枠外にあった。だからこそ、かれらの大多数は純粋なエコノミストになることもなく、エンジニア・エコノミストでありつづけたのである」(強調引用者)としているが、ここでは公団擁護論をマクロ的だとした。
(注2)少し後で、デュピュイは橋の料金を x =A/y (x =通行料、=資本利子、y=通行料)として、通行料は固定費を賄うものとして、平均費用に等しいものと考えている例をあげる。この場合、変動費は無視されている。また、1947年の論文では、取り敢えず変動費を無視して、鉄道料金の費用を乗客当たり2フランと変動費だけを考える例を出している。


(参考文献)
  1. 栗田啓子 『エンジニア・エコノミスト フランス公共経済学の成立』 東京大学出版会、1992.年
  2. クラパム、J・H 林達監訳 『フランス・ドイツの経済発展1815-1914』 学文社、1972年
  3. 小堀憲 『物語数学史』 新潮社、1984年
  4. スティグラー、G・J 丸山徹訳 『効用理論の歴史』 日本経済新聞社、1979年
  5. デュピュイ 栗田啓子訳 『公共事業と経済学』 日本経済評論社、2001年
  6. ハチスン、T・W 長守善・山田雄三・武藤光朗訳 『近代経済学説史 上巻』 東洋経済新報社、1957年
  7. 松浦保 『現代経済学の潮流』 日本経済新聞社、1974年 
  8. 御崎加代子 『フランス経済学史 -ケネーからワルラスへ―』 昭和堂、2006年
  9. ミッチエル、ブライアン・R 編著 『マクミラン新編歴史統計 1ヨーロッパ歴史統計1750~1993』 東洋書林、2001年
  10. ミッチエル、ブライアン・R 編著 『マクミラン新編歴史統計 1ヨーロッパ歴史統計1750~1993』 東洋書林、2001年

 
 左が本論文の掲載された8巻
 
 (論文の最初のページ)


(2021/6/15記)


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