SENIOR, N. W.
, An Introductory Lecture on Political Economy Delivered before the University of Oxford on the 6th of December, 1826 , London, Printed for J. Mawman, 1827, pp.39, 8vo

 シーニア『経済学序講』、1827年刊初版。
 略伝:シーニア Senior, Nassau William (1790-1864) 。イングランド、バークシャー、コンプトン・ビーチャムに国教会教区司祭の長男に生まれる。母は検事次長の娘である。曽祖父はスペインから英国に帰化した牧師。父親による幼児教育の後、イートン、オックスフォードのモウドリン・カレッジを経て、ロンドンのリンカーン・イン(法律学校)に学び、弁護士となる。
 父の教区の慈善事業の実態を見て、経済学を熱心に研究するようになった。最初の経済学を論じた論文は、Quarterly Journalに穀物法を論じたものである(1821)。創設後間もない経済学クラブの会員に1823年に選ばれ、5年間を除いて終生その会員であった。1825-30年オックスフォードにおける最初の経済学教授となった。これは、ドラモント講座と云われるもので、銀行家ドラモント(一時、マルサスの隣人でもあった)による寄付講座である。口座を襲った二代目教授が、友人(オクスフォード時代の教師でもあった)ホエートリイである。シーニアは、1831年ロンドン、キングスカレッジの教授に転じたが、宗教問題がもとで、すぐに辞任している。1847-52年ドラモンド講座教授に再任される。文学にも造詣が深く、何度か大陸に旅行して、トクヴィルやギゾー等とも友人であった。
 経済学の著作については別に書くので、「制欲説」およびマルクスの批判で有名な「利潤最終一時間説」で知られているとだけ述べておく。政府の経済政策立案者としても知られ、「救貧法調査」(1832-4)、「工場法」(1837)、「失業手職工の状況」(1841)等各委員会の委員を務めた。特に最初の委員会の報告書は、シーニアが事実収集、執筆の中心となったもので、1834年の新救貧法制定に結実した。
 経済学史上にその名の現れることは少く、そして、概してマルクス経済学者からの評価は低いけれども(注1)、玄人好みの経済学者というべきか。その一つ、シュンペーターのシーニア評をあげる。「彼はマルサスおよびリカルドーとともに、三人組のなかに数えられるものであろう。すなわち彼は、アダム・スミスとジョン・スチュアート・ミルとの間にある主たる飛び石となる著作をなした三名のイギリス人の一人であった」(シュムペーター、1957、p.1020)。あるいは、ジェヴォンズ(『経済学の理論』第二版序文)が、リカード、J・Sミルに対置して「マルサスおよびシーニアのごとき(なおリカードの誤謬より解放されておらぬとはいえ)真の学説をはるかによく理解した経済学者」とした言葉も付け加えておこうか。

 シーニアの著作には、似たような標題の書物があるので、最初に書誌学的な事実を調べた範囲で記しておく。
 シーニアは、オックスフォード大学の最初の教授職時代(1825年~1830年)に、次の5冊の講義録を出版した。
  1. An Introductory Lecture on Political Economy. (1827)――この本が、本書である。
  2. Three Lectures on Transmission of the precious Metal from country to country, and the mercantile theory of Wealth. (1828)
  3. Two Lectures on Population. (1829)
  4. Three Lectures on Cost of Obtaining Money and on the effects of private and Government Paper Money. (1830)
  5. Three Lectures on the Rate of Wages, with preface on the causes and Remedies of the last disturbance.(1830)
 高橋の手になる訳書「経済学」に付された解題によると、これらが、まとめられ百科事典の項目として、1836年にグラスゴーで出版された。全五編からなる Encyclopædia Metropolitana の、第一編第一部第五項の政治学中の経済学として書かれたのが、 “Outline of Political Economy” (以下 “Outline” と称す)であると(注2)。ともあれ、Outline の部分が1836年に出版されたのは確かなようである。また、標題紙裏(あるいは遊び紙か)に ”The following pages from the Article Political Economy in Encyclopædia Metropolitana. A few Copies have been struck off separately for private distribution.” と印刷された本があることから、Outline  には、抜き刷りのような形で発行されたものもあるようである(Google book および British library のカタログから)。 
 そして、1850年に Encyclopædia Metropolitana の叢書のような形で、独立した単独の書物として、”Outline” とほぼ同じ内容で、”Political Economy” が出版された。書肆はロンドンおよびグラスゴーのRichard Griffin Co.である。この本は、1850?,1854,1858,1863,1872年と6版まで版を重ねた。その間に ”Four Introductory Lectures on Political Economy” 1852 というよく似た標題の本も上梓しているのだから、まことにややこしい。

 次に、本書の内容について書く。著者の最初の単行本である。幸いにして39頁よりなる小冊子なので、読むことができた。邦訳はないので、引用文は参考文献も参照して、適宜訳したものである。

 経済学は不完全である。この講義を興味あるものにしたい。経済学の目的と、それが何ができるかを説明する。
 自然状態は同じであるのに、英国は、古代に比べて現代の経済状態は進歩している。同時代でみると、空間的にも相違がある。南アフリカは、自然は豊かなのに生活は極貧である。そこでは、一週間の労働で一年の生活必需品を獲得できるといわれながら、飢饉が頻発する。これらの現象は人智で解明・制御できぬ環境に起因するかどうかを解明したい。英国人にとって、自分たちの優越性を維持・増進できるかが、より興味のある所である。その優越性が、自国の制度、政府,習慣に起因するものかも知りたい。これらの疑問に答える科学であり、「富が何から成り、如何なる手段によって生産され、如何なる法則により分配されるか、そして生産の容易化と分配の規制により、各個人に最大可能な富の量を与えるような制度と習慣が何であるかを教える」(p.7:以下本書からの引用は頁数のみを表示)。これが、経済学である。
 経済学は、理論的と実際的の二大部門に分別可能である。「第一の理論部門は、富の性質、生産および分配を説明し、観察および自覚の結果たる極めて少数の一般的命題に依存することが解る。そして、それら命題は、ほとんどすべての人がそれらを聞くと、かれらに馴染みある考えであるか、少なくも知っているとして、すぐ納得するものでもある」(p.7)。
 その結論も、その前提同様よく知られたものである。「富の性質と生産に関するものは、普遍的な真実である。富の分配に関するものは、特定の国の特定の制度――例えば奴隷制度、穀物法、救貧法の如き――に影響されがちであるが、事物の自然状態は一般的法則としてあり、特殊攪乱原因によって生じる例外は、追って説明可能である」(p.7-8)。
 経済学の実際的部門は、ずっと難しい研究である。多くの前提は、理論的部門と同じ証拠事実による。しかし、それは数多くて列挙困難であり、本当の結果が外見上とは大きく異なる諸現象からの帰納に依存するものが多い。過去の行為の動機を探り、あるいは新しい動機から起こる行為を予測しようと努める時、大きな誤りを犯しやすい。例えば、救貧法は、英国人口を増加させるか等々。我々が長らく身近なものとして来た制度でさえ、あらゆる帰結を調査することが不可能なことが多い。まして、まだ試されたことのない制度の効果を推し測ることはずっと困難である。
 経済学の実際的部門と理論的部門の区分についての不注意が、意見の相違を生む。論理学や力学の精確性に近づくことを主張するものは、その注意を理論的部門に集中すべきである。蓋然的な前提からは、蓋然的な結論しか演繹できない。それも確実性の低い結論を出すことが出来だけである。「当講義で次の叙述が真実であることを明らかにしたい。富の性質、生産、分配を扱う経済学の理論的部門は、定義に基づかないすべての科学に相応した確実性を持つことが可能であることである。そして、実際的部門の多くの結論、それも最も重要なものが、同様の確実性と普遍性をもつ理論的部門の結論に直接依拠することも明らかにしたい」(p.11)。
 次いで、シーニアは経済学に対する反対論を記す。まずは、富の追求は人間の最も卑しい活動であり、徳や知識あるいは名声の追求に比べて劣る。富に関する科学は、道徳科学の首位に位置付けることはできない、とするものである。著者の回答は、富の追求は将来の生活必需品、娯楽品を蓄積するものであり、人類全体にとって、道徳的改善の偉大な源泉であるとする。蓄積の能力と意思を増加させる制度は有益であり、貯蓄の動機と手段を減少させるのは、害悪である。有益と害悪双方の発生を明確に評価できる制度があるのなら、それらの一方を進展させ他方の減少させることの相違を教えるこの科学は非常に価値がある。
 著者のもう一つの回答は、富はその保有者自身の幸福にとってさえも好ましくないものかもしれない。しかし、その数々の不都合を増大させる制度の永続を防ぐこと、それを経済学は教えてくれるというものである。富の普及は、富者のみならず労働者階級にも生活必需品、便宜品を確保する。のみならず、彼等の道徳や幸福に、貢献するというより必須でもある。貧困の悲惨は害悪の小部分である。大きな害悪は不安全の全般的感情である。備えがなければ、今目の当たりにしている他人の欠乏状況以下に、いつの日にか、自分自身落ち込む恐れがある。幸福の主たる源泉は、社会の好意である。貧困は人を無慈悲にし、性格を歪め、そして酒に溺れさせる。貧困は人を下品な無知の状態にする。貧しい親は子供に教育を受けさせる意志も能力も持たない。真の信仰を持てない結果を生む。貧困の下では正義の遂行は困難である。犯罪者は匿われる。このような社会では、人や財産の安全はない。宗教、好感情、法という三大犯罪抑制因が力を持たず、手近な快楽を求めて犯罪に手を出す。
 欠乏下にある一国の悲惨さを誇張したとは非難されないだろう。それでも、極端なケースであり、文明化社会ではどこも直面したことのない危険を叙述したのではないかと言われるかも知れない。これに対してシーニアは答える。自分が書いたのは、大抵の人口稠密社会住民の現状であると。
 
(記者云う、救貧法改正に奔走したシーニアらしく、以下貧困に関わる詳細な事実を書いている。一応まとめを続けて書くが、余り重要と思われない。一段下げて*を付して掲げる。以下重要でない部分は同様)
  *穀物価格と死者埋葬数が反対の動きを示すことから、穀物価格の動向いかんで生死を分ける多くの人がいたことが解る。ロンドンでは、かつて人口がずっと少なかったが、その日暮らしの人が2万人いた。現在でも、ランカシャーやヨークシャーの手織り職人は、14時間労働で動物並みの生活をしている人が何千、何万といる。私の描いた全般的貧困の極端ケースは文明国にはあり得ぬことではない。英帝国の大きな部分が過去30年に、急速に没落した。
 次に、英国からの移民奨励の費用に関する下院委員会の報告書によって記述する。アイルランドやスコットランド地方では、人口過剰――雇用需要を上回る労働働者がいる。この過剰の効果は、その過剰部分を貧困に陥れるだけでなく、労働階級全般の状況を悪化させる。イングランドでは教会税が過剰人口を支えている。それがなく、慈善に頼るアイルランドでは、略奪の悪弊が見られる。イングランド人なら逃げ出す最低の乞食救済教会(Mendicity Society)生活でも、アイルランドからロンドンへの移住を呼ぶ。アイルランドの下層民にとって、どのような境遇の変化でも好ましい。同様に、世界で一番豊かな国の、最上に家族を養える労働者が、渡航費用が貯まると直ぐ、家族を残して、アメリカへ移住する。移住もできない貧しい人の負担となる家族を残して、労働階級の最悲惨層ではない人々が、豊かな自然に恵まれた国から脱出することに熱心である、この国の一般的な悲惨とはどのようなものであろうか。幸いにイングランドにおいては、一般的な悲惨さは飢えて溝壑に死す者が出るほどの状況ではない。とは言ものの、イングランドは、欧州各国より富裕で繁栄はしていても、同様な厄災に全く無縁というわけではない。

 我々はこの状態にいつまでも満足することはできないと考える。健全な経済学原理が普及して、大臣や世論を助け、改革に反対する無知や偏見、個別権益を克服することにのみ希望が見いだせる。この問題の重要性を考え、話し、書く人は多いが、この科学の結論は信じていない。それらの問題を経済学の理論ではなく、実務家の意見や常識に導かれて論じている。ここで実務家と云うのは、経済学が扱う対象に経験を有する人のことである。しかし、誰もが経験者である。すべての人が、地代、利潤、賃金からなる収入を持ち、それを商品と交換しているに相違ない。
 毎週20回の交換をしない人はいない。この経験により、売買における人間の情念を理解すること、大商人のそれに異ならない。実務的論理家にして実務的経済学者に成らざるを得ない。日常の取引に従事しつつ、商売や製造の特定部門に献身する人は、その経験以上に、一般的な見識を自然に身に着けるようである。自分にとって有益または有害と考えるものが、共同社会にとっても同様に違いないとしばしば考えるようになる。かくて、毛織物製造への機械導入は民衆の難儀となると考える貧しい職工や、穀価のクオーター当たり10シリング下落は国全体で2千万ポンドの損出となると計算する人達が出てくる。
  
 *さらに、(シーニアの経済学教授職を襲うことになる)ホートリイの著書「論理学要論」からの引用による記述が続く。「常識」の性質、及び、より良き指針があるにもかかわらず、それに従う馬鹿馬鹿しさを書いている。ホートリイの云う常識とは、如何なる規則の体系または学問の助けも受けないで、判断を下すことである。我々が日常に生起する無数の事例に止むを得ず使っているもの、確固たる指針の原則もなしに、その場その場で最良と考える行動を取らざるをえない場合に従うものである。しかしながら、常識は「次善の策」の指針にすぎない。確立された学問の準則が持てるのなら、その方が常に望ましい。個別の知識体系を持っていないという点において、常識は汎用性があるので好まれる。しかし、この点で、ただの常識を信じる者はあざけりを受ける。自分自身が信ずべきものがない場合、彼が知識として保持している学問の準則に頼れぬ場合にのみ、常識が選好されるのである。それゆえ、人間とって、なべて推測による判断より、体系的知識が好ましいことは明らに証明されているのである。もしそのようであると信じるならば、経済学の事項を常識に頼っていると告白する人たちに、もっと好意的であるべきであろう。

 経済学は、ずっと科学以前の術であった。その最初の実践者も助言者も、正しい目標を目指すことなく、正当な手段を使うこともなく、また知識や正直さや、明確な目的に欠けたところがあった。ヨーロッパに於ける最初の経済学の実践者、富の生産、分配、消費に政府権力の影響力を行使した人達は、半未開の君主たちであった。彼らの助言者は、地主、商人、製造業者であり、自身の直接的な利益のみ追求し、彼等が掴んだ独占が社会の他の人に与える影響については、ほとんど考慮しなかった。個人的利益の追求からは、国民の嫉視、曖昧な物言い、健全な原理が歯止とならなかったことと相まって、理論的・実際的錯誤の不幸な結合である「重商主義」が生まれた。ここでは、重商主義とは、一国の富は金銀のみによってなり、補助金や貿易統制により輸出を輸入より増大させ、差額の現金支払いを求める信条だと言っておく。商品を貨幣と引き換えに手放す商人同様の賢明さ、でしかない行為である。その商人は、お金を貯金箱に貯め込んで、得た金を労働者賃金支払や在庫積増に使用しないのである。
    
 *体系の一部を支持することにより直接利益を享受した多くの人が積年に乱用してきたことや、100人中99人の同意を長年得てきたことが、はじめての教育で吸収した結果であることは、よく見られることである。その理論の原理が含意する用語、そして実践的妥当性は我々の言語の一部に化している。これらの結果、経済学の問題に常識を適用していると夢想している人は、単に共有の先入観を適用しているに過ぎないことが多い。理論に経験を対抗させるのではなく、啓蒙時代の理論と経験に未開時代の理論を対置している。
 少数の疑わしい前提から精密な結論を出す強固な常識人に、ナポレオンほどの人はいない。彼の常識ははっきりしないが、重商主義の全理論を受容するものであった。セント・ヘレナ島で、彼は語っている。大陸は英国との商業での敗者である、英国商品が優秀で安価であるためである。この品質のため、大陸は自らの市場で廉価販売を招き、更には貿易収支の入超を通じ、その荒廃を生んだ。この取引を大陸システムで終わりにできると彼は考えた。このシステムの主要目的は、確かに英国を荒廃させることにある。しかし、それは大陸には恩恵を与えると信じたように思える。この問題と同盟に関するナポレオンのつぶやきは、いじめられっ子の不平のようである。自分自身とってよいことが解らず、経験を積んで賢明となった後に、自分のしたことに当惑する子供のようにである。この考え、強情が、彼の没落の究極の原因になったとシーニアは考える。しかし、ナポレオンが己の強力な認識力を信じたなら、一般に受容された粗野な理論に過たれなければ、有利な市場を享受していることを損失と信じたであろうか。

 この講義では、時間の関係で、「常識」から導出された他の多くの予断を扱うことができない。贅沢な政府・個人の非生産的消費は、社会の他の成員の利益であるという例と、豊富から生じる生活必需品価格低落は、製造家階級に有害であるという誤りを示唆するにとどめる。これらの意見は、誤りはさておき、非常に逆説的なので、確固とした意見を持つ人が、公平に提示された時は是認するとは思えない。しかしそれらは、各社会の有力な成員の利益にとって望ましい。それらは長年形を変え、折々に繰り返されてきた。耳になじんだ、ある命題が、ありふれているゆえに正しいとするのは、よくある誤りである
 この講義の初めの所で、経済学の理論部門は、観察と自覚の結果である少数の命題によると述べ得た。「ここで、その命題について述べる。

第一. 富は譲渡可能なすべての物よりなり、またそれに限られる。それは、量的に制限されたものである。そして。それは直接・間接的に快楽を生じ、苦痛を防ぐものである。すなわち、交換(ここで、交換とは、絶対的な購入と同様、賃借も含む)可能ものとも云える。さらにまた、価値を有するものとも云える。
第二. 各人は、できるだけ少ない犠牲で、できるだけ多くの富からなる商品を得ようと欲求する。
第三. 労働力や富を生産する他の器具の力は、それらを更なる生産の手段として使うことにより、無限に増加されるだろう。
第四. 農業技術が同様の状態に留まるならば、所与の地域に投下される追加的労働は、逓減的な収穫を生じる。
第五. 所与の地域の人口は、道徳的あるいは肉体的害悪によってのみ、あるいは富からなる商品、すなわち他の言葉でいえば、その地域の住民各階級の個人の習慣が要求する生活必需品、品位品(decencies)(注3)、贅沢品を獲得する手段の欠落のみによって制限される。

 これらの命題の中、第二は自覚より来るものであり、他は観察より生じるものである」(p.35-36)。
 これらの前提が正しければ、正しく議論する限り、誤りはない。シーニアは、定義された用語以外はできるだけ使わないように努めるとしている。しかし、経済学の推論は相互に依存しているので、ある用語の定義は別のあいまいな用語の定義を必要とすることになる。書かれたものでは、セイの定義が最良であるが、口頭の講義には適さない。ホエートリイの定義が役立つ。同じ原因から生じるもう一つの困難は、前提があたかも正しいと仮定されて議論することより必然的生じるものである。

 以上本書で扱われた事項の中で、よく取り上げられるものは、経済学の定義とシーニアの経済学命題である。少しく、そのあたりについて付け加えておく。
 『序講』で、経済学を理論的と実際的の二部門に大別したシーニアは、後の著書『経済学』において、経済学の範疇から実際的部門を排除している。過去の経済学者達は、明らかに富を論ぜず、政治を論じた。近代英国学派の経済学者は、注意を富の理論に限定するとしながら、実際は立法者もしくは政治家の領分を犯している。これらの研究は、一般的前提として、倫理・政治および民法刑法の全理論の全考察を含み、特殊前提として社会的事情に影響する一切の事実に関する知識を包含する。このような問題は、「一述作一精神力の限界をはるかに超過する」ので、我々は「自己および読者の注意を、富の性質・生産・分配に局限する」(シィニオア、1929、p.3)。立法の主目的は富ではなく、人間の福祉である。これに反し、著者が云う狭義の経済学の主題は幸福ではなく、富である。「経済学者の結論がいかに一般的で如何に真実であろうとも、これによって一言半句でも助言を与える資格はない。かかる特権はその目指す人々の一般的福祉を助長または既存すべき一切の原因を考察する筆者または為政者に属し、たとえ最要なりともその中の一つだけを考察する理論家に属しない。経済学者の仕事は一般原則の叙述にして、これが推薦または排斥ではない」(シーニア、1929、p.5)とする。また、別の書簡の中で、シーニアは、実地は経済「学」ではなく、「術」に属すると区別している(高橋解題:シィニオア、1929、p.10-11)。
 シーニアが、経済学を理論的と実際的に峻別したのは、各種委員会活動による経済実態調査の結果、非経済的要因の影響の大きいことを知ったからである。そして、彼の経済政策立案等の実践的活動への関与は、政治家あるいは道徳家としての立場でなされたということであろう(福原、1963、p.28-29)。
 ともあれ、経済学の理論部門への限定は、以下に述べる「公理的方法」を純化する方向に働いたのでないかと思える。彼の命題に戻る。『序講』であげられた五命題は、『経済学』においては、第一命題は定義に移され、四命題となった。四命題の順序も『序講』とは異なっているが、内容は基本的に同一である( Person が man になったり、人口が given district のものから world になるなどの細かな言葉の変更があるだけである)。ディーン、福原を参考に、『経済学』のもので命題をおさらいしておくと、第一命題は、「所得最大化原理」。第二命題は、「修正されたマルサス流人口原理」。第三命題は、「資本蓄積の原理」あるいは「資本の機能」。第四命題は「限界生産性逓減の原理」あるいは「農業における収穫逓減」である。
 フィリス・ディーンによると、シーニアはリカード流の先験的な仮定から出発する抽象的推論の方法を徹底的に利用した最初の主要な経済学者なのである。彼は四命題を仮定した。それら命題は、「書斎に座りっぱなしの理論家の個人的観察によって「経験的に」証明でき」しかも、それだけにより総合的経済理論が演繹できるものである。シーニアの云う「科学としての経済学全体の基礎となっている前提は、(自然科学の場合のように)観察からでも、(論理学――数学の場合のように)仮説からでもなく、自己分析から導出されたものである。これこそが、シーニアが「頭脳科学」( mental science )と呼んだ科学が、その仮説を形式にのっとった実験でチェックすることができないにもかかわらず、その原理が、事実に基づく前提を基礎としている、と云える理由なのである」(ディーン、1982、p.143-144)。論理学の如く先験的仮説によるのではなく、自然科学と同様に事実に基づいて科学としての経済学を築こうとしたのである。ただ、その事実は自然科学のように観察によるものだけでなく(注4)、自己分析(=意識、自覚)によるものも含まれているのである。
 このようにシーニア以降、「純粋」あるいは「科学的」経済学にのみ、経済学の範囲を限定しようとした結果、反面では、少数の仮定にはじまり論理的・数学的推論で解決できる問題のみに研究対象を限定することになった。こうして、伝統的な経済学の分野、厚生経済学と経済発展論が二十世紀半ばまで、正当経済学者から無視されることになったとディーンは云う。
 一方シュンペーターは、シーニアの公理的方法を高く評価する、「経済理論として通例知られているささやかな分析的装置を確立…するのに必要にして充分な公準を、意識的に且つ明示的に叙述するとか、経済理論に公理的な基礎を付与したりする最初の試みをなしたりする顕著な名誉は、シーニアに属する。かかる試みの持っている功績は、彼の公準のリストが不完全であり且つそれ以外にも欠陥があったという事実によって割引かれるものでなく」、シーニアの試みたことは「純粋理論における試みとしては、彼の業績は明らかにリカルドーのそれより優れている。」(シュムペーター、1958、p.1208-9)としている。

 英国の古書店より購入。頁数が少ないためであろう、製本に際して白紙を10枚ほど加えて、厚みを出している。シーニアの講義録では、外に Three Lectures on the Rate of Wages を私蔵している。
 
(注1) ミーク、ドップによると、シーニアは反リカード的、反労働価値論的、反剰余価値的経済思想家であり、スミスに淵源する価値の生産費説をイギリス経済学主流派に決定づけた(熊谷、1976:参照)。
(注2) 但し、Wikipedia によると、該辞典は、1817~1845年にロンドンで出版されている。全四編からなり、編名も高橋の記述とはとは異なる。
(注3) シーニアは、品位品とは、「社会において現在の地位( rank )を保持するのに要用である諸物」として必需品、奢侈品と意識的に判別していた(柳田芳伸、2000、p.143による)。
(注4) 上の引用でわかるように、ディーンは経済学の前提は、「自己分析」から導出されると書いている。「観察」からの導出が抜けているように私には思える。シュンペーターのように「意識」は「内省的観察」である(シュムペ-ター、p.1210)とするなら、むしろ「観察」のみから導出されると書いた方が良いように思える。 (参考文献)

  1. 熊谷次郎 「N.W.シーニアの経済学説市場の位置」(上)・(下) 北海道学園大学 経済論集第23巻第3号、4号, p.53-89、p.59-77,1976-01,03
  2. シィニオア 高橋誠一郎・濱田恒一訳 『経済学』 岩波書店、1929年
  3. ジェヴォンズ 小泉信三・寺尾琢磨他訳 『経済学の理論』 日本評論社、1981年
  4. シュムペーター 東畑精一訳 『経済分析の歴史3・4』 岩波書店、1957-8年
  5. 高橋誠一郎 『古版西洋経済書解題』 慶応出版社、1943年
  6. 高橋誠一郎 『経済学史』(高橋誠一郎経済学史著作集第三巻) 創文社、1993年
  7. フィリス・ディーン 奥野正寛訳 『経済思想の発展』 岩波書店、1982年
  8. 福原行三 「N・W・シイニョアの経済学についての一考察」 大阪府立大学経済研究22、p.12-188、1962-03-31
  9. 福原行三 「N・W・シイニョアの経済学政策論ついて」 大阪府立大学経済研究26、p.28-47、1963-03-31
  10. 柳田芳伸 「N.W.シ-ニアの福利論」(中谷俊博・柳田芳伸編 『マルサス派の経済学者たち』 日本経済評論社、2000年、 第6章)
  11. Marchi, de N. “ Senior, Nassau William (1790-1864) ” in The New Palgrave Dictionary of Economics, Macmillan, 1998
  12. “Encyclopædia Metropolitana" from Wikipedia (2011) <http://en.wikipedia.org/wiki/Encyclopædia_Metropolitana> ; (2012/7/10アクセス)
  [訳書の引用に際しては、旧字・旧かなは適宜改めた。]





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(2012/7/28記. 2019/5/23 スマホ対応に改めるに際し、重要でない部分を活字ポイントを下げた表示から、*付の一段下げ表示に替えた。)




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