DE QUINCEY, T. ,The Logic of Political Economy,Edingburgh and London, William Blackwood and sons, 1844, ppix+260, 8vo. ド・クインシー(注1)『経済学の論理』初版。 著者は、イギリス・マンチェスターに富裕な商人の子として生をうける。幼くして父を失い、パブリック・スクールを抜け出し、放浪無頼の人生を送る。その間、麻薬服用の習慣(当時は違法ではなく、薬種商で売っていた。)に染まる。『阿片常用者の告白』、『深き淵よりの歎息』等の幻想文学者として著名。麻薬中毒症状のさも重かった無気力の時期、気晴らしに経済学に興味を向けた。1919年友人がリカードの著書『経済学および課税の原理』(初版?、第二版?)(注2)を送付してきた。2年間近くの間、ただこの本しか読まなかった。 「こんな深遠な本が19世紀英吉利で本当に書かれたのだろうか、そんなことが、果たしてあり得ることだろうか。…しかも学園にいたことはなく、常に商業上の心配事や議員としての心労に煩わせている一英吉利人が、欧羅巴中の大学や一世紀に亘る思想の流れが毛筋一本の幅だけも進歩させ得なかったことを、見事成就したなどということが、一体、ありえるだろうか」(ド・クインシー p.145)。ド・クインシーにとって、リカードとコウルリッジは神なのである。 前回アップしたベイリーがアンチ・リカードなら、今回取り上げるド・クインシーは、プロ・リカードである。悪くいえばリカード理論の俗流化、よくいえばリカード理論の論理化・精緻化をなしたといえる。以下本書の中心主題と思われるその価値論について記す。 ド・クインシー自身は、使用価値・交換価値という従前の分類をより精密にして説明しているが、彼独特の用語で判りづらいため、ここではミルの引用文を利用させてもらう。物が交換価値を持つためには、効用と獲得困難(注3)の二条件が必要である。大抵の取引の場合は、価格はDという要素(すなわち獲得の困難)にのみによって決定される。他方、Uという要素(すなわち内在的効用)は、価格には全く作用していない。しかし、Uなくしては買われなかったであろうから、購買者には作用したのである。他方100回に1回しかない取引の場合(ド・クインシーの表現)であるが、骨董品の購入などの時は、Dが背後に退き、Uが価格の可能的最高限度を決定する。再生産が困難または不可能な財の場合は、購入者の趣向や購買力によって定まるUにまで価格が上昇するのである。UとDは、交換価値に関して一方が潜在的となり他方が顕示的となるのである。 第二に、ド・クインシーいわく、リカードは地代・賃金・利潤等を労働価値説にもとづいて統一的に説明し、従来の学説を一新したにもかかわらず、『原理』第四章で市場価格を持ち出して、後退してしまった。市場価格は商品の多少によって生じる労働価値からの乖離にすぎないのである。「価格は需要と供給で決定する」とする世界を風靡している狂った格率は、リカード同様、無価値であるとする。 第三に、マルサスのリカード価値論批判を批判した。マルサスは価値の尺度と価値の原因を混同していると攻撃した。マルサスは穀物と労働の平均(『経済学原理』)や支配労働量(『価値尺度論』)を価値の尺度としリカード価値論を論破したとした。これに対し、ド・クインシーは不変の価値尺度があるとしても、それは価値の根源とは別物である。リカードに従い、あくまで投下された労働の分量が価値の原因・根源なのであると主張する。 ド・クインシーは、マーシャルが使用したような幾何学的図表も使用しており、リカードが地代や賃金の説明に図表を使用していたら、学習者はもっと楽に学べただろうと書いている。一方、エッジワースの言によれば、ド・クインシーが数学的研究を進め微積分を応用したなら、全部効用と限界効用の区別も判然とし、ジェヴォンズの先行者となっただろうと惜しんでいる。価値の決定に効用の働きを取り入れたところに、多少とも著者の独創性が感じられるが、残念ながらそれは全部効用であって、限界効用でなかったのである。 米国の書店より購入。写真で見られるとおり、表紙はぼろぼろで、今回本を開いたりしているうちに、表表紙が取れてしまった。本の中身はきれいで、しっかりしている。 注1)フランス貴族風の姓であるが、元々クインシーであったのを母親がド・クインシーと改めたとある(ド・クインシ− 訳者解説の年表による)。ただ、クインシーはフランス・ノルマンジー起源の名前であるようだ(21世紀研究会編『人名の世界地図』文春新書)、経済学者でもQではじまる姓は、Quesnet, Quetletとフランス人(系)の名前しか思いつかない。いずれにしても、この手の名前は索引でもDかQか本によって記載が異なるので迷惑である。 注2)『経済学および課税の原理』であることは、当然として書いたが、「その書物から受けた大恩をかえすために、それがどのような本であったか、その名を挙げるのは、著者に対する私の義務であると思う。」(ド・クインシー p.142)と書かれていながら、本の名前が書かれていない。もっとも、旧訳(田部重治訳)で確認したところ、こんなふうには訳されていないが。読んだ時期も書き方が錯綜しているので、『原理』で間違いないと思うが、一抹の疑念が残る。 注3)獲得の困難について、文学者らしい面白い表現がある。かがんでみて、足元にあるようなものは無償であるが、かがむ動作を絶えず繰り返すには大層な努力が伴うので、ついには、この仕事を有償で他人に任せたくなると。カナダの野いちごを例に挙げている。 (参考文献)
(H20.9.20記) |