McCULLOCH, John. Ramsey,
The Principles of Political Economy: with a Sketch of the Rise and progress of the Science., Edinburgh and London, William and Charles Tait: and Longman and Co. , 1825, pp.x+423, 8vo.

 マカロック『経済学原理』、1825年刊初版。
 著者略伝:マカロック McCulloch, John Ramsay (1789-1864)(注1)。スコットランドのダンフリースアンドギャロウェイ州(Dumfries and Galloway)、ホウィトホーン(Whithorn)生まれ。小地主エドワードの長男として生まれるも、5歳にして父を失う。祖父の手で初等教育を受けるが、その祖父も間もなく他界。再婚した母の下から数年間学校に通う。後、エディンバラ大学に進学。ここでは、スミスの弟子のデュゴールド・ステュアートが道徳哲学と経済学(1799-1810)を講じていた。当時グレート・ブリテンで最も著名な哲学者であり、戦争で大陸との交流が断たれていたから、聡明な学生はエディンバラでステュアートの下で学ぶのが流行でもあった。ローダーディルや後に彼の盟友となるジェームズ・ミルもステュアートの講筵に列した。にもかかわらず、「彼らは経済学者としては、同じ教科書(『国富論』:記者)を使って独学で、あるいは、お互いに教え合うことによって経済学を学んだにすぎない」(ディーン、1982)とされている。大学は卒業せずに、法廷外弁護士の事務員となるが、馴染めずに直ぐに退職。経済学の研究に専心する。
 1816年の国債についての論文が処女作である。このパンフレットをリカードに送ったことで、二人の交流が始まった(1816年6月9日付リカード礼状が残る)。雑誌『スコッツマン』(Scotsman)の創設者の一人となり、創刊の年以来寄稿している。1818-21年には、同誌の編集者となる。また1818-28年の間ホィッグ系の雑誌『エディンバラ・レビュー』(Edinburgh Review)の定期寄稿者ともなった。以後も寄稿を続け、37年間に78編の論文を寄せている。この雑誌はその名称にかかわらず実質的な本拠はイングランドにあり、大きい影響力を持つグレート・ブリテン唯一の経済専門誌でもあった。
 1820年エディンバラで経済学の講義を始める。リヴァプール、ロンドン(ウェスト・エンド及びシティ)でも教室を持った。1824年にはロンドンでリカード記念講義を開設し、銀行家、貿易商、国会議員等多くの有力者が聴講した。経済学諸原理の概説、現実を説明するため提唱された諸理論の相違、経済学と政治学の差異、社会諸階級に対する研究の効用等がこれらの講義内容である。『経済学の発生、進歩、特殊目的及び重要性』(A Discourse on the Rise, Progress, Peculiar Objects and Importance of Political Economy 、1824)は、講義出席者の便に供するための小冊子ある。また、講義の内容を拡大して1823年版『大英百科事典』の補遣(Supplement to Encyclopedia Britannica)として『経済学』(Political Economy)を著した。
 1823年「経済学クラブ」(Political Economy Club)に出席、会員となる(1828?)。議会の機械特別委員会(1824)及びアイルランド特別委員会(1825)の専門家証人を務めた。エディンバラ大学に講座を開設しようとしたが果たせず(ジェ−ムズ・ミル同様スコットランドには学問的地位を獲得できなかった)、1828年新設されたロンドン大学の経済学の教授に就く(1837年まで)。オックスフォードのドラモンド経済学講座のナッソー・シーニア(1825年就任)とともに、最初の経済学講座の教授である。1838年文具調達局(Stationary Office)の局長となり終身その地位にいた。

 さきに、マカロックは自分の講義をもとに『大英百科事典』の補遣として『経済学』(1823)を著わしたと書いた。これは紙幅の関係で経済学の歴史と原理に関する簡潔な叙述であった。それを膨らまし、本書『経済学原理』初版(1825)が上梓された。前年出版の講義録ともいうべき『経済学の発生、進歩、特殊目的及び重要性』も、その大部分が『原理』の第一部に再録されている。第二版は1830年、第三版は1843年、第四版は、1849年、第五版1864年発行。著者の死後にも、1878,1885,1886年に重版を発行、1870年には普及版も出ている。仏訳(1830)、独訳(1831)、イタリア訳(1853)訳、スペイン訳(1855)も出された。J.S.ミルの『経済学原理』が出るまでは、正統派の教科書として権威を保ち、「十九世紀の最初の四十年間にイギリスで出版されたもののなかでは最も成功した論考であった」(シュンムペーター、1957、p.1003)。
 副題は、初版がwith a Sketch of the Rise and Progress of Scienceである。第三版では、with some Inquires respecting their Application, and a Sketch of the Rise and Progress of the Science と応用が加わり、第五版ではwith some Inquires respecting their Application と応用のみになる。初版が理論中心の叙述であったのに対し、第二版以降実際的な考察を加え、理論を経済の現実への応用することに傾斜し、政策的、実際的性格を増大させている。

 初版の構成は、第一部「斯科学の発生と進歩」、第二部「富の生産」、第三部「富の分配」、第四部「富の消費」よりなる。すでにジェームズ・ミルは、『経済学要綱』(1821)において、経済学を、生産・分配・交換・消費と四区分していたが、マカロックはセーに従い、生産・分配・消費の三分法である。以下主として、マカロック『原理』について触れた数少ない邦語文献である高橋と堀の本に拠りながら内容を見てみる。
 第一部と第二部については、その冒頭の文のみを写す。「経済学とは、交換価値をもち、人間にとって必要か有用、あるいは快適な物品ないし生産物の生産、分配、消費を規制する法則についての科学である」(本書[principles 初版]、p.1:以下本書からの引用は頁数のみ表記)と書かれている。そして、生産について、「自然と人工の働きはすべて、変形(transmutations)に要約可能で、事実それ―形態的、空間的変化―より構成される。経済学において、生産とは物質の生産(それは全能の神のみがなしうる業なので)ではなく、効用、従って交換価値の生産と理解する。我々の欲望の満足や享楽の享受に適するよう既存の物質を占有したり、変更したりすることによってである。このように使用される労働のみが、富の源泉である」(p.61:下線は原文のイタリック、特に注記の無い限り以下同様)と。
 (価値・価格論)
 第三部分配論の最初に価値・価格論が置かれている。この部分を少し詳しく見てみる。彼は、価値を二種類に分ける。第一は「交換あるいは相対価値(exchangeable value or relative value)」、第二は「真実価値(real value)」である。前者は「一定量の労働あるいは労働によってのみ獲得できる他商品との交換力や購買力との関係におけるもの」であり、後者は「専有や生産に消費された労働量、あるいは考察時点で該目的のために要求される労働量の関係におけるもの」(p.211)である。需要がなければ、交換価値も真実価値も生じない。商品の生産や専有に必要とされる労働量が、専ら真実価値を規制し決定する。そして、「独占が存在しないとき、かつ市場において商品供給が正確に有効重要に相応するとき、これらの交換価値はその真実価値と一致する」(p.215)。この状況の下では、生産に要する労働量が増加し真実価値が増加すると、その交換価値も増加する。生産力を増加する新発見や工夫も真実価値を増加するものではない。生産に要する労働量が不変である商品はないから、不変の価値標準となる商品はない。
 一定量の労働量やその生産物が常に同じ真実価値であるといわれるのは、労働を購入する人が、同量の労働量に対してその労働による生産物の一定比率を支払うということを意味しない。それが、「本当に意味することは、…[独占がなく正常な市場状態で]…生産に必要な相対的労働量が、商品の所有者が商品を相互に、並びに労働と交換しようとする際の比率を決定するということである。今想定する市場状態の下で、一定の労働量で生産された商品は、同量の労働量で生産された商品と、規則正しく相互に交換・購買される。しかしながら、そのことは、それを生産したのと厳密に同一の労働量と交換・購買することではない」(p.221)。「実際は、常にそれ以上で交換されるだろう。利潤を構成するのは、この超過分である。資本家は、すでに投下された所与の労働量の生産物と、同量の労働が投下されるべき生産物とを交換する動機をもたない。あたかも、利子を受け取らずにお金を貸さぬように。」(p.221-222注)(以上section1)。
 進歩した社会では、生産物は、労働者、資本家、地主の三階級に分割される、ある時点の賃金率や利潤率は産業にかかわらず実質的に等しいことを示し(section2)、生産費が価格の規制原理であるとする。「商品の生産費[第四版の相応する文章では、「商品の生産費または真実価値は」となっている(第四版p.329):記者]―スミス博士とガルニエ候により自然価格または必要価格と名づけられた―は、後にみるように、それを生産し市場にもたらすのに必要な労働に等しい。今生産費を形成する要素を問わないなら、生産費が永続にして究極の、交換価値または価格の規制者であることは明白である。ただし、独占に支配されず、生産に必要な新たな資本と労働の適用により無限に増加できるあらゆる商品についてである。確かに、このような商品の市場価格と生産費は、始終一致しているわけではない。しかしながら、長期間乖離することは不可能であり、絶えず一致する傾向がある。生産費以下―すなわち、消費を償いそして普通平均率の資本利潤を稼ぐ以下―で売却するなら、誰も商品の生産を継続できないことは明白である」(p.250)。この文から、マカロックの生産費には、平均利潤が含まれていることは明らかであり、自然価格(生産費)は、投下労働量に等しいことが予示されている(以上section V)。
 そしてマカロックも、リカードと同様にアダム・スミスを引用し、社会の最も初期段階では、投下労働量のみが商品の交換価値を決定することを述べる(section W)。その後、土地が私有されると地代が発生する。スミスは、地代が生産費の一部を構成するとした。マカロックはリカードに従い、商品の真実価値は生産に要した労働量により規制されるという原理は、地代の発生によっては、影響を受けないと考える。「こうして、以下のことが確立された。土地が占有され地代が地主に支払われる状況は、商品価格に影響しない、すなわち社会の最初期段階において交換価値を規制する原理に、何ら違いは生じない。次に、資本の蓄積と使用、そして賃金率の変動が商品価値に与える効果の研究を進める」(p.287)(以上section X)。
 資本とは、人間を助けたり、生産を容易にしたりするために、人間の勤労によって生産される商品の別名に過ぎない。「それは、実際に、過去の労働の蓄積された生産物に他ならない」(p.288)。資本が生産に使用される時には、商品の価値は直接の労働量だけでなく、蓄積労働(生産に必要な資本)も含めた合計量によって規制されねばならない。「それゆえ、資本は以前の労働の蓄積された生産物であるから、資本の使用は商品の交換価値が生産に必要な労働量に依存する原理に影響を与え得ないように思われる。」(p.289)。
 資本家による労働者雇用および賃金率の変動が、価値に及ぼす効果について論争が行われてきた。利益は「蓄積された労働の賃金」の別名に他ならず、資本を使用して生産された商品価格の一部である。資本を労働者自身で所有するか資本家が所有するかで商品価格に相違はない。よって、資本家が資本提供することによって、合計投入労働によって交換価値が決定する法則に変化はない。問題は、賃金率変動の価格に与える効果である。(投下労働量に変化がなくても、賃金率変動により交換価値が変化することを見つけたリカードに従い)これを二つに分けて考える。第一は、商品が同一の耐久力を持つ資本によって生産される場合であり、第二は不均等な耐久力を持つ資本によって生産される場合である。
 第一の場合実質的な困難はない。同一の耐久力を持つ固定・流動資本を使用するなら、賃金の騰落は同じように影響することは自明であり、交換価値に変動はない。但し、価格(貨幣で計測された価値)には影響する。貨幣も一商品であり、耐久力が異なる他の商品の価値を決定するのと同じ条件に従う。
 第二の場合に、取り掛かる。リカードは、賃金上昇によって、あらゆる商品価格が上昇するわけではないこと示しただけでなく、賃金上昇によって必然的に価格が下落したり、賃金下落により必然的に価格上昇したりする例が多数あることを示した。「さてこうして、どのような商品を、他商品の相対価値を計測する標準としても、それは一定期間に回収される資本によって生産されたものに違いないので、賃金が上昇する時、標準商品比べて耐久力の少ない資本で生産されたすべての商品の交換価値は上昇するだろうと思われる。賃金が下落する時は逆となる」(p.309)。「こうして、賃金率の変動が価格に与える影響は、主に金銀の生産に使用される資本の性質に依存することが明白である」(p.311)。貨幣素材生産に使用される資本に比べ、流動資本をより多く固定資本をより少ない比率で使用する商品は、賃金が上昇する時、価格が上昇し、賃金が下落する時下落する。逆に、流動資本をより少なく固定資本をより多い比率で使用する商品は、賃金が上昇する時、価格が下落し、賃金が下落する時上昇する。
 以上のリカード理論にもとづく考察から、マカロックは更に次のように述べる。「しかしながら、賃金率変動を原因とする商品交換価値変動のほとんどは、比較的小範囲に限定されていることが観察される」(p.311)。事実上、大部分の商品は、ほとんど等しい固定・流動資本比率で生産されている。そして、賃金が上昇しても、利潤率低下や生産性向上で、相互に比較すると、商品価値はほとんど変化しない。賃金率上昇が相対価値をかなりの変動させるのは、極端な場合である。そして、賃金率の変動が特定商品の交換価値を動揺させても、「全体価値」に増減がないことが観察されるに違いない。耐久力最小資本の生産物価値を増加させるなら、それの最大資本の生産物価値を減少させる。集計の生産物価値は、ほぼ同一に保たれる。結論はこうである。「特定の商品について、交換価値は直接に真実価値、すなわち生産と市場にもたらすに必要な労働量、であるとするのは厳密にいえば真実ではない。しかし、商品全体として見る時には、それはほとんど正しいと認めてよいものである」(p.312)。
 こうして、マカロックは、賃金変動による交換価値の変動幅は少ないとし、さらに、個別の交換価値に変動があっても、「全体価値」が不変であるからには価値決定原理に大した影響がないとみる。リカード理論に従って考察しながら、最後は、リカードが解決できず、「価値修正論」を原則に対する例外とした一応の決着(スティグラーのいう「93%の労働価値説」)の結論だけに飛びついたのである。この難問に対し終生解決を求めて思索した、師の苦衷も理解せずに、余りにも簡単な割り切り様である。
 続けて、マカロックはいう。以上説明した原理は、リカードによって進められたものと実質的に同じである。しかし、「リカード氏は、交換価値が投下労働に依存するとする彼の大原理を修整する傾向をもつ」と。彼のいう修正とは、いわゆるリカードの「価値修正論」ではない(それは上述で考慮の必要なしとした)。それは、「商品が購入または生産された後、それらが使用に適するまで保持される商品に限って、時にその付加的価値が、労働の結果と考えられず、その商品に投下された資本が実際に使用されたならば生ずべき利潤の等価物とされることである。」ことである。「しかしながら、偉大な権威者と異なると感ぜざるを得ないとの躊躇にもかかわらず、私は、この例外を設ける適当な理由を見出せないことを告白する」。
 50£の新ワインを貯蔵庫に寝かし1年後55£の価値になったとする。この5£の付加価値は、「50£の資本が封鎖された時間に対する補償」と考えるべきであろうか。しかしそうではなく、「それはワインの上に実際支出された付加的労働の価値と考えるべきである」(以上p.313)。以下の例を考えれば、それを証するに足る。熟成しない一樽のワインを持つとして、それにある変化またはある効果が加えられれば、1年後に付加価値を持つであろう。一方、既に熟成したワインは百年・千年たっても好ましい変化がないので、一銭も価値が付加しない。付加価値は、ワインに対して生じた変化または効果がもたらしたことが明らかである。「時間そのものは、いかなる効果も生じない。それは単に、有効となる原因の作用する余地を与えるだけであり、それゆえ価値とは関係ないことが明白である」(p.314)(以上section Y)。
 ここでいう「ある変化またはある効果」とは、自然の作用のことである。マカロックは、自然の作用を労働に等しいと看做すのである。ワインに働きかける自然の作用もまた、労働とする。後に編纂した『国富論』への注釈(note)には、より明確に書いている。「それゆえ、正しく次のように定義してよいだろう。労働とは、望ましい結果をもたらすもので、人間であれ、下等動物であれ、機械であれ、または自然力であれ、それらによってなされたあらゆる種類の活動か作用であると」(Mcculloch,1863,p.428)。労働概念の拡張により労働価値説の適用範囲を拡大しようとしたのである。
 これに反し、リカードは元々、自然力は(交換)価値に関係ないと見ていた(注2)。しかしながらリカードは、「自然力の作用」であるかどうかにかかわらず、時間の経過とともに価値が増大する商品があることは充分認識していた。それでも、労働以外は価値を付加しないとするリカードとしては、これを認めることができず、少数の例外であるとして排除したのである。リカードは価値論において、希少性によって価値が決定される(絵画の如き)商品とともに、時間の経過によって価値が増加する(ワインの如き)商品を意識的に除外した。後者について、リカードには明確な叙述はない。そこにマカロックは踏み込んで、自然の作用も労働とすることによって、例外を一般化し、価値論を統一的に説明しようとしたのである。
 なお、マカロックの所説で少々腑に落ちぬ点もある。上記引用文において、(リカードの説として)資本の保留による付加価値の増加を述べたすぐ後に、ワインの例をあげている。ワインの価値増加も資本の待忍(耐忍)効果で説明できると、リカードが考えていたようにマカロックは書いている。しかし、ワインの場合は時間の経過により、自然力で品質が向上し、その結果交換価値が上昇するのである。これに反し、リカードが普通、平均利潤率による交換価値増加を問題にする時に例に挙げるのは、固定資本(機械等)である。これらは、時間の経過により、品質が増加することはない。ワインの時間経過による価値増加は、価値論一般で扱う資本の待忍効果よる価値増加(リカード「価値修正論」の原因となる)とは違ったものだとリカードは理解していたに違いない。
 説明ができず、例外として排除したものの、リカードは、ここに彼の労働価値論の弱点があることは十分意識していた。死の前月の手紙にいわく、「困難な価値の問題を私の念想をしめてきましたが迷路からの出口を満足には見出せないでいます。…穴倉に三、四年のあいだ保存されたぶどう酒や、もともと労働の点では二シルも支出されていないでなおかつ百ポンドにも値するようになるオークの木などの困難を私は解決できないでいます」(1923年8月8日リカードからマカロックへの書簡:リカード全集\巻、p.367-368)。そして、マカロックについては、「彼の唯一の目的は、商品相互の相対価値を規制するものは何かを知ることであるということです。そして彼の主張では、それは商品を生産するのに必要な労働の分量であります。しかし、マカロックは、労働という言葉を一般の経済学者とはいくらか違った意味に用いています」(1823年8月31日リカードからトラワへの書簡:全集\巻、p.420)とし、自分たちが絶対価値尺度を発見する一歩手前まで来ていることをマカロックが理解していないとする。
 ここでもマカロックは、師の苦闘する問題を労働概念の拡張という安易な方法で解決したのである。労働が価値を創造するというより、価値を創造する物を労働とすることによって。
 (賃金論)
 次に、マカロックは、SectionZにおいて、普通の労働に支払われる賃金を規制する法則を発見すべく努める。その際賃金を3部門に分けて研究する。(1)市場賃金または実際賃金(market or actual wages)、(2)自然賃金または必要賃金(natural or necessary wages)、(3)比例賃金(proportional wages)の三つである。マカロックの述べる所を、順に説明する。
(1) 市場賃金または実際賃金
 一国の労働者を支持し雇用する能力は、環境の有利、豊穣な土地、領土の広大によるのではない。これらは重要な事情であり、一国の富国化と文明開化の速度を決定するのに重要な影響があることは相違ない。「しかし、労働者を支持し雇用する能力がもっぱら依存するのは、これらの事情ではない。それは、一定時点で一国が保持する、賃金支払に充てられる過去労働が蓄積された生産物、すなわち資本の実際残高によることが明かである。肥沃な土壌は資本の急速な増大の機会を与えるだけである。この土壌が耕作される以前に、それに雇用される労働者を支持するために資本が準備されねばならない。それは、製造業や他のどのような産業においても、それらに従事する人を支持するために資本が用意されねばならないのと同じである。この原理の必然的結果として、各労働者に与えられる生存資料量すなわち賃金率は、全資本の全労働者人口に対する比率に依存しなければならない。もし相応する人口増加を引き起こすことなく、資本量が増加するなら、各個人にこの資本のより大きな分け前が与えられるだろう、すなわち賃金率が上昇するだろう。そして他方、もし人口が資本に比べて急速に増大するなら、各個人にはより少ない分け前しか配分されないだろう、すなわち賃金は減少するだろう」(p.327-328)。一時点での賃金率は、資本の量と労働者人口で決定される。そして長期的な賃金率は、資本の蓄積と人口増加により変動するとされている。
 ここで、資本とは資本一般ではなく、労働者の食料等の生存資料とされていることは、上記引用直後の次の文によっても明らかである。「この原理を例証するために次の通りと考える。賃金支払いに一国が充当する資本を、小麦標準として、1千万クオーターの量とする。同国の労働者数が2百万とするなら、各人の賃金は、すべて共通標準に換算して、5クオーターとなるのは明白である。さらに、資本量が労働者数より大きな比率で増加するか、労働者数が資本量より大きな比率で減少するのでなければ、賃金率が増加できないことも、より明白である」(p.328)。それゆえ、この資本は賃金基金に相当する。よって、マカロックは「賃金基金説」であるとされる。高橋(1993、p.374)はいう、「おそらく彼は最も厳重、無制限なる賃金基金説を表明せるものであろう」。しかし、マカッロクは労働者の生活の安定のために労働者の団結権を認めていたので、厳密な意味での賃金基金論者ではないとする見解もある(堀、1950、p295)。賃金基金説によれば、賃金率は賃金基金と労働者人口で決定されるので、一部労働者が賃金を引き上げても、他の労働者の賃金を引き下げる結果となり、全体の賃金率に変化はなく無意味となるからである。
(2)自然賃金または必要賃金
 しかしながら、賃金に変動があるとしても、賃金減少の範囲には明らかな限界がある。労働生産の費用は購入者によって支払われる。労働者階級は彼自身と家族を養うに足る食料その他の必需品が獲得できなければ、絶滅する。これが、賃金の下限を形成する。そして、「自然賃金または必要賃金」が定義されてきたのは、この理由による。「一時点に関するかぎり、市場賃金率は、資本と人口との比率でのみ決定されるとの命題ほど確立されたものはない。しかしこの作用の研究においては、特定の時点だけでなく、持続期間の平均においても考えなければならない。そして、このように考えると、平均賃金率はこの命題に全面的に依存するものでないことにすぐ気付く」(p.337)。靴の価格は時々の需給関係には依存するが、生産費を下回れない。労働者も全く同様である。平均として、育て維持するのに十分な賃金率なくしては、労働者を市場にもたらせない。生産費が大原則となる。「商品の平均価格を決定するのと同様、自然賃金または必要賃金を決定するのはこの費用である。いかに労働需要が減少しようが、労働者の維持に必要な商品の価格が上昇すれば、自然賃金率または必要賃金率もまた上昇せねばならない」(p.337)。
 ここでは、リカード的生存賃金説が説かれているのである。しかしながら、自然賃金又は必要賃金は、最低生存費そのものではなくそれに規定される平均的な賃金概念のように思われる。リカードの如く現実の需給関係とは独立した抽象的な概念ではなく、現実の労働需要と無関係ではないもののごとくである。
(3) 比例賃金
 比例賃金とは、「すなわち労働者の勤労による生産物で彼に帰属する分け前」である。それは、「その時の市場賃金率又は現実賃金率の大きさに一部依存するし、また事実上この市場率に入り込み形成するところの諸商品の生産の困難さにも一部依存する」(p.362)。小麦換算で英国と合衆国の労働者賃金がほぼ等しいと仮定する。両国労働者の境遇(必需品・奢侈品に対する支配力)は、ほぼ等しいであろう。しかし、比例賃金率は英国の方が、合衆国よりも高いだろう。なぜなら、耕作地の肥沃さ故に、アメリカで小麦100クオーターを生産する同一労働は、英国では小麦60-70クオーター以上生産しないからである。そうして、両国労働者は一定労働に対し生産物の同一現物量を獲得するので、英国では合衆国よりも労働生産物のより大きな割合、したがってより大きな実価値を獲得することは明らかである。
 最後の比例賃金は、全生産物中の労働者の分け前を示し、これが続くsection[において、地代を除いた勤労の生産物の資本家・労働者間分割の議論に繋がるのである。ここでリカード利潤理論の真の意味するところは、資本蓄積が利潤低下の原因ではなく、土壌の肥沃度の減少が真因であるとする。「それゆえ、土壌の肥沃度の減少が、根底において、利潤下落の重大にして唯一の必然的原因である」(p.380)。

 最終の第四部が「富の消費」である。これについても、冒頭の部分のみを訳しておく。生産の定義と同様に、「消費とは、創造が困難であると同じく、物質の消費または消滅を意味するのではなく、商品を有用または必要とする性質の消費または消滅を意味するにすぎない。それゆえ、技術と勤勉の生産物を消費することは、実際には、物質から効用を構成する物を奪う、そして結果的に労働によって伝えられた価値を奪うことである。こうして、消費の計測は、消費された生産物の大きさ、重さ、数によってなされるのではなく、専らその価値による。」そして、「我々は、使用または消費できる商品のみを生産する。消費は人間の勤労の最終目的である」(p.390)。

 以上で『経済学原理』の内容を概説したので、以下『原理』を離れて、マカロックの経済学全般について述べる。リカードの経済理論は、ジェ−ムズ・ミルとマカロックの手によって祖述され、大衆化され、あまねく普及した。あるいは、少し遅れるがド・クインシーも加えてよいのかも知れない。そうして、リカード主義(内実はともかくとして)が勝利したのである。リカードの死を知ったミルがマカロックに宛てた書簡にいう「あなたと私だけが彼のただ二人だけの真実の弟子なのです(You and I are his two and only two genuine disciples)」(1823年9月19日:リカード全集\ 書簡集、p.436)。マカロックはミルの死後その価値論を弁護し続けたほとんど唯一の経済学者であった。
 しかしながら、この勝利にはリカード理論の「俗流化」という評価が付き纏う。上に見たように、マカロックの価値論を見ればそう云われても止むを得ない面がある。それでも余りにも「俗流」とされるのには、マルクスのマカロックに対する悪罵が大きく影響しているのではないか。『資本論』第一巻には、「(ブルジョアの)お抱え医師マカロック」、「生意気な白痴のまねの達人なかんずくマカロック」等、10箇所以上でマカロックを非難している。口の悪いマルクスにしても、回数・程度においてマカロックにたいする罵言・皮肉は他の経済学者を凌駕している(注3)(以上は馬場、2008に拠る)。マルクスのこの悪罵をはじめとする悪評(シュンペーターによるとボェーム=バヴェルクにも激しい批判があるとのことである)により、マカロックは三流の経済学者とみなされ、無視された。マカッロク経済学の研究書とよばれるものはオブライエン(O'Breien)の本のみしかないようである。邦語の研究文献に至っては、ほとんどないに等しい。
 マルクスは、『剰余価値学説史』においても悪罵は止まず、「マカロックは徹頭徹尾リカードの経済学で商売しようとした男」(1970、p.224)とも書いている。経済学史の記述では、独創性がないとするのが通り相場である。しかしながら、リカード自身はマカロックを評価していたのは間違いない。リカードは、自分自身悪文家であることを自覚していた。『経済学および課税の原理』印刷中のマルサス宛て書簡に「いままでのところ私は学説そのものについてはいささかの懸念ももちません、ただ私が心配しているのは用語と配列の問題であり、わけても私が公平な検討をあおぎたいと思っている諸種の意見が何であるかを明確によく説明できなかったのではないか、という点だけです。」(1817年3月9日:リカード全集Z、p.186)と書いている。そしてマカロックに宛てには「私はこのうえもなく感謝しています。私の理論はあなたの才筆によって説明されるならば説得力を倍加するでしょう、私を理解しえない人たちでもあなたなら実に明瞭に理解するという話が、この別荘にあっても聞こえてきます。このお力添えにたいして感謝することは許されましょう…私には誇るべき帰依者が少ないのですが、その人たちのなかにあなたとミル氏とを加えることができるならば私の勝利は決して小さくありません」(一部改訳:1818年8月22日:リカード全集Z、p.235-236)と。後者の書簡は「エディンバラ・レビュー」掲載のリカード『経済学および課税の原理』に対するマカロック書評について感謝を述べたものであるが、リカードの没後刊行されたマカロック『経済学原理』にも当てはまるであろう。

 以上マカロックに独創性がないことを述べた。といって、マカロックが「徹頭徹尾」リカードに拠ったかというとそうでもない。確かに価値論においては、その極限と思われるまでリカードを拡張した。しかし、その他の点ではむしろリカードを否定していることも多い。「価値論」と「賃金論」については、『経済学原理』の所で上述したので、その他の議論を簡単に見ておく(「貨幣・銀行論」以下は、O'Breien、1998に拠るところが大きい)。
 (方法論)マカロックは経済学を思索の学問ではなく、事実と経験の学問であるとした。少数の厳密に定義された戦略変数からなる単純な理論的モデルを構成し、政策を導き出すのがリカードの方法である。これに対し、マカロックは事実の重視を対置し、そのため統計収集に注力した。マカロックはリカードを難解にしている要因として、「リカード氏が最重要原理のいくつかを述べる際の簡潔さ、その前提とする相互関連、例証がないこと、そして論証に用いる数学的型式(mathematical cast)」(Principles 4th ed.、1845、p.17:下線引用者)をあげた。ディーン(1982、p.136)の分類でいえば、リカードの方法論は「数学的」であり、マカロックはマルサス寄りで「歴史哲学的」ということになろうか。理論的考察と経験的考察との結合というマカロックの特質を、オブライエンは、ヒューム、スミスに連なる「スコットランド的伝統」に起源を求めているそうである(服部、1991による)。
 とはいえ、経済学を実際に現実経済に適用する場面では、理屈どおりにはいかなかったようである。穀物法のイギリス経済に与える影響について、マカロックは本人以上にリカードの地代法則を硬直的に適用し、リカードと意見が対立している。また、救貧法についても、『経済学原理』初版においては、その記述が現実を無視し理論先行であったことを自身認めている。
 (貨幣・銀行論)リカードは、貨幣ヴェール観による二分法分析である。貨幣価値は商品貨幣としの価値を有する。マカロックはリカードの考えから次第に離れ、最終的に放棄し、スミス、ヒューム、ソーントンの学説に拠った。ヒュームの正貨の国際的自動配分メカニズム説を受け容れた。貨幣は中立ではなく、貨幣に対する超過需要が、実物面での変動を引き起こし、過剰投資を生む可能性を認めた。リカードの考えに反し、緩やかなインフレが強制貯蓄と経済成長生むとした。銀行政策面では、誰よりも早く紙幣の過剰発行問題を認識し、紙幣の発行を通貨が鋳貨からのみなる場合と同様に制限されるべきとした。
 (国際貿易論)リカードよりむしろ、スミスに従う。生産要素の国際的可動性を想定した絶対優位理論にもとづくものである。リカードの比較優位理論は最終的には誤りだと考える。スミスより進んだ点は「トランスファー問題」を扱った点である。対価を伴わない一方的な国際的価値移転(賠償、贈与、私人の家族間送金等)が交易条件にどのような影響を及ぼすかの問題である。正貨や商品に与える効果だけでなく、需要の移転についても議論した。ケインズとの論争で知られる、オーリン理論の先駆であるとされる。貿易政策では、露骨な自由主義者と見られがちだが、実際は保護政策の弊害を認めながらも、輸入税の賦課を承認した。内国間接税とバランスを取り、消費行動を歪曲させぬ為である。
 (財政論)基本的にはスミス的である。リカードの影響は一時的でしかなかった。部分的にはヒュームやハミルトンの課税論を取り入れている。マカロックの主たる関心は成長維持のために財政政策を使用することであった。重税は成長を阻害するが、課税が適切であれば、勤労と貯蓄を増加させ成長を促す。課税対象が広範で緩やかな間接税が好ましい。グラッドストーンの課税政策(第二次パーマストン内閣の蔵相時代のものであろう)には反対した。課税層が限られているのと、創意と努力を阻害する反成長的な所得税に依存しているからである。
 (経済成長論)自由主義にもとづく資本蓄積と分業というスミス的枠組みを使っている。リカード理論の利潤率低下傾向をも取り込んだが、最終的には収穫逓減の法則が不可避であることも、賃金と利潤が相反することも否定している。技術革新の役割を重視し、機械導入が失業を生むとするリカードの(『原理』第三版)機械論を認めない。「私が立場を共にするのは、…第一版のリカード氏であって第三版のリカード氏とではありません」(1921年6月5日マカロックからリカード宛書簡:リカード全集[、p.433)。農業部門を重視したスミスとは異なり、マカロックは製造業部門を最重視した。
 (農業論)資本家的大規模農業を奨励し、農業改良は収穫逓減の法則を阻止できると考えた。そのため、農地が細分化する均等相続(フランスの相続法)を排し、限嗣相続制の中でも長子相続制を支持した。限嗣相続制は当時厳格な形態でスコットランドに残存していた。それは、農地の自由な処分(売却や担保提供)を禁じた為、農業改良を妨げた。相続ができないと富の蓄積意欲は湧かないが、限嗣相続制は相続者を怠惰にする傾向も持つ。その点、イングランドの慣行である長子相続制は、勤勉の刺激と怠惰の防止の絶妙なバランスに立っており、その利点は「効用のテスト」で確認済であるとする。なにしろ、フランスでは人口の2/3もが農業人口で、生存するための零細な自給農業が営まれているのである(「遺言による財産の譲渡―限嗣相続―フランスの相続法」(’Disposal of Property by Will-Entails-French Law of Succession', 1824))。マカロックはさらに進んで、イギリスの貴族的土地所有を積極的に擁護した。社会の安寧を守る安定的階級であり、専制政治にも民衆の熱狂にも与しない健全な民主主義を育てる保守主義勢力を評価した。彼は、経済の発展にとって「安全と自由」をなによりも重んじ、民衆の騒乱については、非常に憂慮していた。あるいは、こういう所にマルクスに嫌われた原因があるのかも知れない。
 (人口論)当初はマルサスの『人口論』に拠っていたが、シーニアの影響を受け、「リカードの影響下から離れるに同じくして、古典派主流経済学者中の最も極端な反・マルサス主義者となる」(O'Breien、1998)。マカロックは、リカードの利潤率低減理論否定し、農業改良によってそれを永続的に緩和できると考えたから、生産力増加によってマルサス人口法則を否認するのも首肯できる。「救貧法」についても、理論的な立場から、マルサス・リカード同様効果に懐疑的で、批判していた。しかし、救貧法の効果は、理論的に想定される労働者の行動によってではなく、実際の行動によって判断されるべきだと考え直す。1975年に設けられたスピームランド制度という救済方式によって、救貧法は欠陥を持つ様になったが、それは本来社会の安定に寄与し、労働者の道徳的堕落を防ぐものだと評価した。それでも、1834年制定の新救貧法については、制度が厳格で、地域実情を無視した中央集権的な運用がなされていると徹底的に反対した。

 スミス経済学の研究から出発し、リカード理論の強い影響の下に自らの経済学を形成するも、やがて徐々にスミスに回帰し、リカード色を希薄にするマカロック経済学の軌跡は、同時に古典派経済学派主流の動向そのものを示している。
 さて、マカロックに独創性が見られぬことを繰り返したので、最後は名誉回復である。マカロックの業績をリカード体系に「実質的な何ものも附加しなかったし、…附加した仕上げも多くはいかがわしい価値のものであった。」とするシュンペーターも、さりながら、マカロックの編纂物や統計収集書には高い評価をしている。彼の『経済学文献集』(Literature of Political Economy, 1845)(主題別に経済学文献を分類しその概要を書いたものである)を「このようなものとして限りなく役に立つものである」とし、「統計的著作」である『商業と海運の実際的・理論的・及び歴史的辞典』(Dictionary, Practical, Theoretical, and Historical of Commerce and Commercial Navigation, 1832)を「思い切った辛労を投じた書物――は、辞典の形をとっているにもかかわらず、そのなかで事実と分析とが甚だ有効に織りまぜられている論考である。これこそが彼が実際にその長所を発揮したような種類のものであった、――彼は実際その『政治経済学原理』にのみによって判定さるべき人物ではなかった」(シュムペーター、1957、p.1004-1006,1097)としている。この他に、『国富論』やリカード著作集の編纂、稀覯本の復刻等の功績を加えてもよいだろう。

 英国の書店よりの購入。半革装のきれいな本である。日本の書店からそれなりの値段で一本を入手していたが、装丁が傷んで、本が開けられないような状態であった。その後いくばくもなく、この本を得た。やっと読める(眺められる)ようになったのである。重複して買ったのは、もちろん装丁し直す費用よりも安い値段が付いていたからである。

 
(注1) McCullochは、本書の標題紙では、M'CULLOCHと表記されている。The New Palgrave Dictionary では、McCulloch表記であるにもかかわらず、Mの項目の先頭に記載されている。MCの所ではない。日本の辞典とは配列法が異なるようである。
(注2) リカードは、セー『経済学概論』の見解を評して「セー氏は第四章で、生産において、時には人間の労働にとって代わり、時には人間と協働する太陽、空気、気圧などのような、自然の動因によって商品与えられる価値について語っている。しかし、これらの自然の動因は商品に対して、大いに使用価値を付加するけれども、セー氏が論じているように、交換価値を付加することはけっしてない」(リカードウ、1987、下巻p.103-104:下線引用者)とする。そして「機械や自然の動因は、生産物の分量を増加させ、人びとをより裕福にし、使用価値を増加させることによって、われわれに役立っているけれども、その仕事を無償で遂行するため、つまり空気や熱や水の使用は無料であるため、それらがわれわれに与える助力は交換価値を少しも増加させないのである。」(同、p.105)とも書いている。この文脈では、「交換価値」は、真実価値あるいは絶対価値と同じと考えてよいだろう。すなわち、自然力は価値を創造しないのである。
(注3) マルクスは、『経済学批判』(1859)において、フランクリンを労働価値説を最初に意識的に明晰に表現し、「近代的な経済学の根本法則を定式化した。」(マルクス、1956、p.62)人物として持ち上げた。しかし、後に根拠としたフランクリンンの叙述は、ペティの『租税貢納論』をなぞっただけだと気づいた。早合点からペティ以上にフランクリンを評価したのである。「軌道修正」を行うのに18年を要した。この過誤は、マカロックの『経済学原理』や『経済学文献目録』を虚心に読めば防げたものであった。その八つ当たりが悪罵の背景にあるのかも知れないとされる(本注も馬場、2008による)。

(参考文献)
  1. 高橋誠一郎 『経済学史 高橋誠一郎経済学史著作集 第三巻』 創文社、1993年
  2. フィリス・ディーン 奥野正寛訳 『経済思想の発展』 岩波書店、1982年
  3. 服部正治 『穀物法論争』 昭和堂、1991年
  4. 馬場宏二 『経済学古典探索』 お茶の水書房、2008年
  5. 福原 行三 「J・R・マカロクの経済学の性格についての一考察」 大阪府立大學經濟研究 16(2), 44-60, 1971-04-01
  6. 福原行三 「マカァロクとリカードウ」 (「リカーディァーナ」季報6:リカードウ全集月報)
  7. マーク・ブローグ 馬渡尚憲・島博保訳 『リカァドウ派の経済学』 木鐸社、1981年
  8. 堀経夫 『経済学史要論 第2分冊』 弘文堂、1932年
  9. 堀経夫 『リカアドウ価値論及びその批判史』 評論社、1949年
  10. マルクス 武田隆夫・遠藤湘基地・加藤俊彦訳 『経済学批判』 岩波文庫、1956年
  11. マルクス 『剰余価値学説史 V』(大内兵衛・細川嘉六監訳 『マルクス=エンゲルス全集 第26巻』 大月書店、1970年)
  12. 村井名津 「J.R.マカロクとマルサス人口原理」(飯田裕康・出雲雅志・柳田芳伸編『マルサスと同時代人たち』日本経済評論社、2006年 所収)
  13. リカードウ 中野正監訳 『リカードウ全集 Z〜\ 書簡集』 雄松堂、1971-1975年
  14. リカード 羽島卓也・吉澤芳樹訳 『経済学および課税の原理 上・下』 岩波文庫、1987年
  15. Mccloch, J. R. ed. An Inquiry into the Nature and causes of the Wealth of Nations by Adam Smith , with a life of the author, an introductory discourse, notes, and supplemental dissertations, new editions, Edinburgh, 1863
  16. Mccloch, J. R. The Principle of Political Economy 4th ed., Edinburgh and London, 1864
  17. O'Breien ’McClloch, John Ramsey’ in The New Palgrave Dictionary of Economics, Macmillan, 1998
  18. Rigg, J. M. 'McCulloch. John Ramsay' (Dictionary o National Biography, 1885-1900, Vol.35)
  19. Rothbard, M. N, 'The influence of Dugald Stewart'
    (http:// mises.org/daily/author/299/Murray-N-Rothbard)




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(2014.4.27記)



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