MALTHUS, T. R., Definitions in Political Economy, preceded by an inquiry into the rules which ought to guide political economists in the definition and use of their terms ; with remarks on the deviation from these rules in thier writings., London, Jhon Murry, 1827, pp.viii+261, 8vo. マルサス『経済学における諸定義』1827年刊、初版。 著者略歴:マルサスMalthus, T. R.(1766-1834)。現在ではロンドンの通勤圏となっているサリー(Surrey)州のドーキング(Dorking)近郊ウットン(Wotton)にあるルカリ邸(The Rookery:山鴉邸)に生まれる。7人兄弟の第6子にして次男。父ダニエルは、祖父が南海会社の重役を務め、大きな地所を所有していたという家系であり、相続財産で生活できる有閑階級であった。ルカリ邸も小要塞のごとき建物であった。ダニエルは、文学に親しみ、園芸を愛し、大陸に旅する優雅な生活を過ごした。ルソーへの傾倒者でもあった。マルサスが誕生したばかりの当月(1966年3月)に、滞英中のルソーは、ヒュームと連れ立ってルカリ邸を訪れている。 父親による家庭教育を受けた後、12歳からバース近郊の私塾、更にウォリントンの学院で学ぶ。同校閉鎖以後は元教員ウェーイクフィールド氏の個人教育を受ける。いずれも親元から遠く離れた地で、非国教徒的教育を受けている。このことは、後のマルサスの経歴から見て不審とされる(当時は、大学進学にも国教徒たることが条件であった)。特に彼が敬愛したウェーイクフィールドは、後に急進思想のゆえに数年間投獄された人物である。ともあれ、1784年18歳でケンブリッジのジーザス・カレッジに入学。大学では、チューターのフレンド(この人も反国教会派として大学を追われる)とその師であるウィリアム・ペイリーの書に大きな影響を受けた。数学優等試験の第九位合格者として卒業する。 ジェントリー階級の次三男の多くがそうであるように、マルサスもまた、早くから国教会の聖職に就くことを望んでいた。ポートレイトからは窺えないが、マルサスは口蓋裂の障害を持っていた(注1)。説教に支障がないと考えたのであろうから、言語にはそれほど不自由しなかったのかも知れない。大学卒業後、マルサスは1789年ウットン教区にある小教会の牧師補に任ぜられる。これを振出しに、国教会の聖職者の途を歩み、終生僧籍を保持した。1793年並行してジーザス・カレッジのフェロー職にも就いた(1804年まで)ので学問の世界とも縁が切れなかった。 1798年『人口論』を匿名で発表。父ダニエルとの炉辺の対話から、人口法則を発想した。人口は幾何級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加しないとして、当時のゴッドウィン・コンドルセ等が主張する人類の未来に対する楽観を打ち破った。このため、貴族主義的で反動的な保守主義者との批判を受けた。マルサスが被った不評は人口原理そのものにあるのではなく、それを救貧法改正という喫緊の政治的課題にそれを適用しようとした点にあるともいわれる。 1799年の北欧諸国とロシア(対仏戦争中に旅行できた大陸国)、および1802年アミアン和約による短期講和中にフランス・スイスと、再度に亘る大陸旅行を経験する。ケインズ『人物評論』によると、『人口論』初版は先験・演繹的で大胆で輝かしい才気に富んでいるのに対し、第二版(1803)以降では一般原理は帰納的検証に圧倒されて冗漫になっている。ケンブリッジ風の先験的方法から、帰納的議論へのマルサスの移行は、この大陸旅行の経験で助長されたと(ケインズ、1980、p.115-118)。 大学で経済学を修得しなかったマルサスは、つとに経済学を研究していた。1800年『食料高価論』出版。1804年38歳で結婚。自らの思想に忠実であったのか、晩婚である。1805年東インド会社社員を教育する東インド・カレッジ(ヘイリーベリー・カレッジとも称される)で、現代史と経済学(Political Economy)の教授となる。イギリスで最初の経済学教授である。もっとも、該校はカレッジであって、ユニバーシティでないので教員が教授を称するべきではないとの批判が当時からあった――されば、最初の教授は、ナッソー・シーニア(オックスフォード大学ドラモント経済講座)となるか。頻発する学生の暴発騒動により、カレッジは度々廃校の危機に直面した。事態の鎮静のために精力を奪われながらも、マルサスは終生教授の地位にあった。 地金論争を契機にリカードとの交際が始またことは、経済学史上の事件でもある。幾多の問題について、意見を相違させながらも、両人は友情と尊敬を保持した。そのことは、二人の書簡に残っているし、第三者(作家マリア・エッジワース:同名経済学者の伯母)の証言もある。しかし、マルサスとリカードの経済学には大きな違いがあった。経済のヴィジョンに対する根本的相違、その結果としての経済政策の相違そして、何よりも経済学研究法の相違である。マルサスの哲学的・歴史的アプローチに対するに、リカードの論理的・数学的アプローチである。数学教育を受けたマルサスと実務家であったリカードとは、立場が逆転している。具体的には、マルサスの時々の生産量を決定するものに対する関心と、リカードの均衡(あるいは一様な進歩)下での恒久的な生産物分配状態に対する関心の相違となって現れた。 経済学の主流は、偶然にも行動的な弟子を持ったためか、リカード派が支配するようになった。その結果、経験事実による検証よりも、論理的整合性が重んじられ、理論経済学は、ややもすると経済の現実から遊離した。理論を経験によってテストすることは嫌われ、一般化が重んじられたのである。 1834年ヘイリーベリーにて死去。 『人口論』の出版で世に出たマルサスの経済学処女作は、『食料高価論』である。その後、穀物条例に関連する3論文(本サイト、マルサス『穀物条例論』参照)を執筆した。この中では、『地代論』(1815)が重要である。経済学上の主著は『経済学原理』(1820)とされる。さらに、『価値尺度論』(1823:本サイトに登載)および本書『諸定義』を上梓した。マルサスの『原理』は、『国富論』のように首尾一貫した組織的な理論体系を構築するというより、その「大部分は、リカードが提起した理論的諸問題――例えば、価値の尺度、地代の理論等――の議論に終始している」(ディーン、1982、p.137)。『尺度論』では『原理』で採用した価値尺度の訂正を論じた。『諸定義』は経済学方法論を論じながら、『原理』と『尺度論』の補遺というべき内容になっている。 『諸定義』の内容を考えるに、次の四部分に大別出来る。第一、経済学上の定義に関する総論(第一章)。第二、マルサスの採る「定義の原則」による、当時の諸経済学者(派)批判(第二章〜第八章)。第三、『尺度論』補遺(第九章)。第四、マルサスによる経済学術語の「定義集」及びその略解(第十章、第十一章)である。第三部分は、第二部分のベイリー批判の延長と考えれば、三部分に大別できる。主要な第一、第二部分の章について、あらましを以下に述べる。 (第一章:経済学術語の定義と適用諸原則) 数学の術語は一律に定義され、その意味が人により多様に解釈されることはない。経済学では、重要な術語である富、資本、価値、生産的労働等の意味する所について、見解の相違がみられる。新しいより完全な定義を定めるべきだとの提案もある。しかし、その際の不便さと実益を勘案すると、「倫理学や政治学や経済学のように、用語が比較的少なく、しかもそれが日常生活の出来事にたえず適用されるような学問にあっては、まったく新しい命名法が容易にとり入れられるであろうと考えるわけにはいかない」(マルサス、1950、p.10:以下訳書からの引用は該当ページのみを表記)。 このような事情から、経済学の術語を定義するに指針となる諸原則を定める必要がある。マルサスは、四つの原則をあげる。1.教養人の日常会話に出る用語を使用する場合は、その通常の意味と一致する様に定義すべきである。2.もし、日常会話で行われているのと違った区別が必要な場合は、次善の策として、経済学の最も著名な学者、特にその創始者の定義によること。読者に馴染みがあり、誤解が少ないからである。3.それ以上に変更が是認されるのは、変更によって経済学の説明と改善に貢献することが明確に証明できる場合である。4.新定義は、引き続き使用される定義と矛盾すべきではない。既存の定義が、時の経過により別の意味を慣習的に確立している場合は、この限りではない。ただし、この場合は、言葉の意味を明示すべきである。 四原則は自然で、適切で、明白であるにもかかわらず、経済学者にしばしば見落とされてきた。「高名な学者たちの著作についてこれらの諸原則からのいちじるしい逸脱をいくつか指摘することは[中略]将来これにたいするいっそうの注意をすこしでもよびおこすことにもなるであろう」(p.13)として、具体的に諸経済学者に対する批判を次章以下で展開する。 本書の根幹とも云うべき第二部分の各論で批判の対象にされる経済学者は次の通り。重農主義者(第二章:2)、アダム・スミス(第三章:6)、セー(第四章:3)、リカード(第五章:10)、ジェームズ・ミル(第六章:22)、マカロック(第七章:39)、およびベイリー(第八章:54)である。章の次に示した数字は、その章の訳書でのページ数である。リカードの後継者ジェームズ・ミルとマカロック、及びベイリーに対する批判がその中心であることが判る。ベイリーの著作の衝撃の大きさが知れる。それについては、別に触れるとして、リカードの弟子筋に対する批判には、以下のような事情があった。 1823年『エンサイクロペディア・ブリタニカ補遺』にマルサスが「人口」の項目を執筆した際、マカロックの手になる「経済学」も同時に掲載された。実は、マルサスは事前に編集者ネイピアを説いて、マカッロク稿の掲載を中止させようとした。「もしもマカァロクによる親リカード的項目が権威ある『エンサイクロペディア・ブリタニカ』に掲載されるようなことになれば、リカードウ体系はなかば公式のお墨付きを与えられることとなり、経済学の正統派として受け容れられることになろう、とマルサスは危惧したらしい」(プレン、1994、p.37)。彼にとっては、リカードの体系は「審理中」であり、未だ実証されていないのである。説得に失敗し、掲載されるや、直ちに1824年1月『クォータリー・レビュー』に於いてリカード、ジェームズ・ミル、マカロック達は、アダム・スミス及びマルサス自身(正統派といいたかったであろう)から離反した「新学派」とすべきであると批判した。マルサスとリカードの間には、論争はあっても尊敬と友情が保たれたことは上述のところである。しかし、マカロックやミルの画策により、マルサスは発表の場を『エディンバラ・レビュー』から、『クォータリー・レビュー』に移さざるを得なかったし、マカロックはマルサスを経済学界の「独裁者」と非難している。これらから見て、マルサスとリカードの弟子筋との間には、感情的な対立もあったであろう。マルサスが特に、リカードの後継者に批判の目を向けたのも肯ける。マカロックの『経済学原理』、は1825年に刊行された。本書ではマカロック『原理』批判にも、多くのページが割かれているのである。 全部の章を取り上げる必要もないので、まず、スミスの章を略述した後、リカードを含めてリカード学派の章を見て、最後にベイリーを取り上げる。 (第三章:スミス批判) スミスは労働を価値の尺度とするのに、その決定的理由を欠いている。また、投下労働を指すのか、支配労働指すのかを、いつも明らかにしていない。次に、「生産的」という術語である。諸国民の富の性質と原因を研究したスミスは、富を物的対象物に限定し、人間労働を富の主要源泉とした。その労働を区分するのに、生産的あるいは不生産的の術語を用いた。量または価値で測定できるほど直接的に富を生産する労働を生産的とし、しからざるものを不生産的と呼んだ。この術語は、一般の会話や著作の用法に反していないし、適用される目的に有用であると認められると評価する。 ちなみに、マルサス自身は「第十章」の定義集で、「生産的消費」と「不生産的消費ないし支出(スペンディング)」なる術語をあげている。前者は生産目的のための資本家による富の使用・消費であり、後者が生活を享楽するための消費と定義している。また、「資本の蓄積」と「貯蓄(セービング)」の術語の略解(第十一章)において「すべての労働がひとしく生産的とよばれる限り、私には、資本の蓄積、および貯蓄と支出(スペンディング)との差異がどうすればはっきり説明されうるかが理解できない」(p.120)と書いている。サービス労働は資本蓄積に資することがないということであろう。 最後にスミスが「真実(リアル)」の術語使用で、最大の誤りを犯したとする。商品の真実価値では、支配労働量を著わし、真実賃金では労働者が受け取った貨幣によって支配することができる生活必需品および便宜品を意味する。全く違った意味に使用するのは、正確を期し難く両立できないとしている。 (第五章:リカード批判) リカードは、その投下労働価値説の証明に全く成功しなかった。生産に要する固定資本の割合が相違する場合の適用例外を認めてはいる。しかし、例外は非常に多いにもかかわらず、その法則に対する例外ほとんどないかのように扱っている。投下労働価値説では、賃金の価値を計測するのに、賃金財(生活資料と快適品)の投下労働量をもってする。耕作が進むにつれて、収穫逓減により、賃金財の生産に要する労働量は増え、リカードのいう真実賃金は増加する傾向にある。しかしながら、賃金財の高騰によって労働者の手にする賃金財の量は減少する(注2)。リカードの術語を使えば、「真実賃金の増加が労働階級とその家族のあいだにおける生活資料および快適品の減少を一般に意味する」(p.29:下線引用者)ことになる。これは、これまで使用されたことがない、全く異常な意味であり、定義に適用される諸原則に反する。 リカードの真実価値の定義は首尾一貫して維持することもできない。また、旧来の見解とも矛盾する。そのことは、真実賃金の尺度とリカードが考えている「人為的貨幣」を用いる場合にはっきりする。標準的な固定資本・流動資本比率の商品を尺度に用いた場合、賃金が高騰する時、なるほど尺度商品に比べて固定資本比率のより低い商品価格は高騰するが、それがより高い商品の価格は下落する。しかし、「上述の労働賃金の騰落の影響はすべて、リカァドウ氏の想像的貨幣ではかられる賃金にまったく依存している。このようにはかり、そしてただこのようにしてはかってのみ、リカァドウ氏の叙述は正しいであろう。[中略]すくなくとも諸商品の価値をその支配しうる労働の分量によってはかっているアダム・スミスにしたがえば、労働の貨幣賃金が一般に騰貴すると、それに比例して貨幣の価値は下落する。そして、貨幣の価値が下落すれば、当のリカァドウ氏も、財貨の価格はつねに騰貴するといっている」(p.32)。 以上がマルサスのリカード批判の大要である。確かに、リカード体系の最も特徴的かつ基本的性格はその価値尺度にある。投下労働価値説により単純化されたモデルは、賃金の騰貴は(投下労働量の増減がない限り)価格や国民生産物には変化を与えず、それに応じて利潤を減少させるのみである。またそうすることにより、リカードは社会の各階級への国民生産物の分配を明らかにしようとした。しかしながら、リカード経済学に対する大方の評価は、マルサスとは異なり、むしろ彼の第3原則である「経済学の説明と改善に貢献することが明確」で、定義の変更が是認される場合に該当すると見るであろう。 (第六章:ジェームズ・ミル批判) ミルの陥った術語混用で最大に非難すべきは、需要と供給についてである。ミルにとっては、特定商品の過剰生産はありえても、一般的過剰生産はありえない。ここで、「一般的過剰とは、種類の異なる大量の商品を自然価格以下すなわち通常生産費以下に下落させ、しかもこれと同様に大量の他の商品の価格をこれに比例して騰貴させることのないような商品の豊富を意味する」(p.41:強調原文)。ミルは、「需要と供給とはつねに一致すること、つまり、いくつかの商品の供給過多はそれに応じた他の商品の供給不足によってつねに均衡するにちがいないこと、したがってまた一般的過剰はありえないこと」(p.41)を証明しようとしている。 ミルに拠れば、ある生産者の購買手段すなわち需要は、自家消費分を除くその生産数量に正しく一致する。供給は需要に一致するのである。そこには、一定量の労働によって生産された商品は、等量の労働によって生産された商品と交換されるというリカードの命題が背景にある。一足の靴と一個の帽子の生産に要する労働量が同じ場合、一足の靴と一個の帽子が交換されるならば、需要と供給は一致する。靴が適量以上にある場合は、靴の交換比率が帽子に比べて低くなり、靴は等量労働以下の帽子と交換される。その時は、帽子は適量以下存在し、等量労働以上の靴と交換されることになる。しかし、マルサスにいわせると、等価交換の場合でも、両商品が豊富にあれば、生産費以下で販売されているのかも知れない。そうすると、供給継続は不可能となる。ミルの適量でない場合の議論も不明確である。 「けれども他の商品を購買する手段は、彼が生産し、そしていま手ばなそうと思う商品の数量には比例しないで、その交換価値に比例するということはまったく明白である。[中絡]ひろくみとめられている需要供給の法則によると、数量の増加はしばしば全体の価値を低下させ、事実上、他の商品を購買する手段を減退させる」(p.43:強調原文)。平たくいえば、生産量ではなく、販売額が需要を決定するということであろう。 分業の発達した社会で、一商品の供給の過不足が、別商品の不足と過剰によって決定されるとすること、例えば、靴の需給状態が帽子の需給状態に根本的に影響することはない。「一般的過剰の問題が起きているこの国のいまの社会において、ある特定商品の有効な需要の原因として、その生産費用にかんするものをのぞいてほかのものに論究することは、なおさら見当ちがいなことである」(p.45)。市にホップを持ち込む栽培業者は、帽子と靴のことは念頭にない。彼の求めているのは貨幣である。「大規模な販売者でもある大規模な生産者たちは、かれらの資本の更新、そしてその更新ののちにはかれらが正当な利潤を実現したかどうかの問題にまずはじめにその全注意をかたむけるにちがいない」(p.48)。商品が適当な市場を持つかどうかは、ひとえに生産者が通常利潤を確保できるかに懸っている。 「われわれはつぎのことを、この眼をもって見、また少しもうたがいえない典拠によって知るのである。すなわち大多数の商品が[中略]往々にして生産費以下に下落すること、しかもこれに比例して他のひとしく多数の商品が生産費以上に騰貴するとはとてもいえそうもないということである」(p.54)。一部商品の供給過剰は、他の商品の供給不足を招くことにはならない。「過剰(グラット)という問題はもっぱら、それが一般的であるか、部分的であるかということであって、永続的であるか、一時的であるかということではないことが想起されるであろう」(p.52)。一般過剰が、目のまえに現実に生じているのである。しかし「経済学の理論をきずき上げるにあたって、私の論及してきたような周知の事実が大胆にも否定されるか、一顧にも値しないものと考えられるかするならば、この科学のもつ効用はたちどころになくなってしまうだろう」(p.55)とマルサスは危惧している。それにもかかわらず、リカード、ミル父子、マカロックの学統が英国経済学を支配し、約100年の後ケインズによる再評価がなされるまで、マルサスの危惧は顧みられなかったのである。 マルサスはこの本では、一般的過剰の存在を指摘するが、その原因を究明しょうとしていない。「「供給の増加は有効需要の増加の唯一の原因である」[トレンズ『富の生産』より:引用者]というのはなおさら真実でない」(p.50)として、供給は需要を作り出すとのケインズのいう「セーの法則」は、否定する。生産が継続するには、適切な利潤が確保される必要があるともいう。しかし、その利潤を実現するのに必要な需要については触れていない。むしろケインズが需要不足の一因として指摘したような貨幣愛、貨幣保蔵の可能性を否定するような一節が見られる。「守銭奴はべつとして、ひとはだれも貨幣をそのままでは享受しない。だから貨幣で支払われる大地主も労働者も、けっきょくそれをなにかほかのものと交換するだろうということはまったく真実である」(p.47:強調原文)と。 (第七章:マカロック批判) マカロックは、リカードやミル以上に術語の定義と使用に関して、粗雑で未定見である。マカロックには、1.物的生産物と非物的生産物、2.生産的労働と不生産的労働、3.資本と収入、4.労働者の食料と労働者自身、5.生産と消費、6.労働と利潤、の混同があるとする(p.57)。 まずは、1.と2.の混同について説く。当初マカロックは、富は物質的生産物のみからなると定義していた。ところが、生産的労働に非物質的生産を含めたことから、富に非物質的生産物も含めるようになった。従僕の奉仕から得られる満足も富となったのである。ここに、同一の人口と生産物をもった豊かな二国があるとする。一国は大地主が地代収入を従僕を維持することに消費し、他の一国は地代を製造品購入に消費するとする。その結果は、一国は社会の中間層が広汎に成立し、立派な製品が豊富に存在する。他の一国は社会が少数の大地主とその従僕から構成され、便益品は少ない。マルサスにすれば、この二国が同等に富んでいるとすることは、一般人の理解と感情にそぐわない。マカロックは、いわゆる「不生産的労働者」から得られる満足は、シャンパン等の奢侈品の消費と、国民的富に与える効果は同様であると見る。しかし、物的生産は必然的に資本を成長させ、社会構造を高度化するのに対し、従僕奉仕への支出は限度を越えると、資本蓄積を妨害し社会を停滞させる。「不生産労働者」への「顕示的消費」はやはり不生産的なのである。スミスのなした分類は、諸国民の富の原因究明には有効であると考える。 次いで3.の混同について。スミス以来、一国の生産物の内、生産のために使用・保留される部分を資本とし、住民の維持のために年々消費される部分を収入と定義してきた。しかるに、アークライトやワットの消費に宛てられた資材は、直接的に生産のために使用された財よりもはるかに一国にとって生産的である。また、紳士の馬車を牽く馬は、醸造業者の荷馬車にも使用できる。資材のどの部分が生産的に使用されるかを決定するのは困難だとして、マカロックは資本を一国の「勤労の生産物のうち、人間の生活の維持か、または生産を容易にするうえに直接役立たせる部分である」(p.66)と定義した。彼の定義では、収入がすべて資本となる。更にこの資本の定義を広義に解釈して、人間自身を国民的資本の一部を形成すると考えてはならない理由はないとした。マルサスにすれば、「問題は、この二つの物のあいだに部分的な類似あるかどうかということではなく、特徴的な差異があるかどうかという」(p.70)ことがマカロックには理解できていないのである。例えば、採暖のため石炭を地下の貯蔵庫から階上の居室に運ぶことは、それを炭坑から地上に引き上げることに類似している。しかし、従僕への支払いは炭鉱夫への支払いとは明確に目的が異なる。「一つは富の獲得に役立ち、他は富の消費に役立つのである。国民の富の原因を研究するさいに、私はこれ以上に明白かつ有用な区分の線をたやすく考えつくことはできない」(p.74)。同様に、資本と収入の区分も有用なのである。 4.と5.の混同については、ほとんど説明がない。6.の説明に、この章の半分の紙数を費やしている。労働と利潤の混同というより、「マカロック氏の、もう一つのしごく特異な、また想像もできないような名称誤用は、労働という術語を自然のあらゆる作用と利潤の多様性にまで拡張していること」(p.77)の問題である。この点については本サイトの「マカロック『経済学原理』」の「(価値・価格論)」で書いたところと重複するので、それを参照して頂くとして略述する。マカロックは、自然の作用を労働に等しいと看做し、自然の作用もまた、労働とする。自然の力が作用する所で、たまたま価値増加が確認され、他の原因が見つけられない時は、自然の力を労働として価値増加を説明した。価値を追加するものを労働としたのである。労働の概念を拡張することによって、投下労働価値説を貫徹できた。これで、リカードの悩んだワインや樫の木の時間の経過による価値増大の疑問を解決できたと考えた。しかも、マルサスによれば、「自然の諸力がかぎりなく豊富に活用されているときには、自然はいつも無償ではたらき、そして自然の作用は、たとえそれの用いられる対象物の効用にはなはだしく追加することはあっても、価値には決して追加しない」(p.81:強調原文)とリカードが正しく指摘しているにもかかわらずである。マカロックは、労働という術語にまったく新しい意味をにわかに与えた。「労働という術語になんの修飾語をももたせないで利潤、発酵、植物の生育の意味に拡張していること、[中略]そして思うに、この変更はなにものにもまして経済学に不確実と混乱とを大きくひき入れるにひとしいことがわかるであろう」(p.92)。最近の経済学に不信をもたらした大きな原因であった。 ちなみに、ここでのマルサスの説明では、ワインや樫の樹の価値追加分は「リカァドウ氏の述べるとおり、ブドー酒の保存につかった資本が実際に用いられたならば生じであろう平均利潤によってもっぱら規制されるのである。そしてそれが追加的価格の規制原理であって改良の程度ではないことはまったくたしかである」(p.82:下線引用者)としている。ここの所が私には疑問である。リカードが自然の作用による価値増加が平均利潤率によって規制されていると、どこで述べているのだろうか。マルサス宛ての書簡のどこかであろうか。よく解らない。そして、リカードは時間の経過によって(労働投入にもよらず)、むしろ平均利潤率以上の価値増大が生じるケースを問題とし、解決できずに悩んでいたのではなかろうか。 (第八章:ベイリー批判) マルサスが、ベイリーの『リカード価値論批判』(『価値の性質、尺度、及び原因に関する批判的論文、主としてリカード氏及び彼の追随者たちの諸著作に関連して』)の評論に最大の紙数を割いているのは前述のとおりである。もっとも、ベイリーの本は出版に際して名前を明らかにしていないので、マルサスも匿名の著者の手になると表現している。「この書物はじつにうまく書かれている」(p.149)ので、「この論文が、いく人かの著名な経済学者たちに感銘をあたえたと考えられるために、この論文を注目する必要がある」(p.96)と同時に批判する必要があったのであろう。 マルサスのベイリー批判に入る前に、ベイリーの所説をおさらいしておく(本サイト、ベイリー『リカード価値論批判』参照)。ベイリーは、価値を二点間の距離に例え、AとBとの間の距離はあるが、Aの距離が意味をなさないように、AとBの間の価値はあるが、Aの価値というのは意味をなさないとする。マルサスにいわせれば、ベイリーの価値は価格にすぎない。しかし、ベイリーの価値は、比較される商品に従い、貨幣価値・穀物価値・布価値等無数に存在し、それらはみな同等である。価値は二物の交換比率を表す、相対的概念にすぎないのである。AとBが同価値である時、AとBに共通してCという内在的かつ絶対的な一資質が存在することを否定する。絶対価値のように見えるものがあるとしても、それはAとC、BとCの交換比率が(ほぼ)等しいことを意味するにすぎない。 また、同時代の商品のみが相互に交換できる(ベイリーの時代にも、先物取引相場―特に穀物―は、あったであろうが、その点ベイリーどう考えていたか聞いてみたい所である)から、価値は同時代の商品間の関係である。リカードが時代を超えて、同一労働によって生産される商品の価値は同一というとき、異時点間の価値比較をする誤謬を犯している。不変の価値尺度となる商品もありえないのである。価値は二財間の交換比率であるから、不変の価値としながら、変動するものを計測することはあり得ない。 さて、以下マルサスのベイリー批判を述べる前に、もう一つ確認しておこう。スミスは、価値の定義を、ある財の所有にもとづく他の諸財を購買する力、すなわち一般購買力とした。そもそも名目価値と区別した真実価値をスミスが求めたのは、時と場所が異なる財の購買力を比較したかったからである。「スミスは地域間の比較ならびに異時点間の比較を行うために、それぞれの商品の貨幣的価値または「名目価格」に代えるに、われわれが例えば貨幣賃金と区別した実質賃金を云うのと同じ意味での・実質価格」を持ち出す、そしてスミスは物価指数のような方法を全く知らなかったので、それを労働タームで表現した価格に置き換えたというシュムペーター(1955、p.392)の言葉を思い出せばよいだろう。 マルサスいわく、それだけでなく「われわれが相異なった時期における諸消費の価値の変動を研究しようとするさいに、[中略]購入に向かう特定の諸商品に影響する諸原因からくる購買力の変動と、購入諸商品に作用する諸原因から生じる購買力の変動のあいだに、はっきりと一線をもうける必要がある」(p.138-139)。穀物価格の高騰は、穀物価値の騰貴か貨幣価値の低下かを区別することが重要だというのである。スミスの求めた如く、時間・空間を超越した価値比較を求め、他商品との比較なしに商品ごとの価値変動を知るには、絶対的価値あるいは少なくとも不変の価値尺度(商品)が必要であろう。 ところがベイリーによると、価値とは同一時点の二財の関係のみを示すもので、異時点間の同一財に価値はありえない。これでは、先月はバターが騰貴していた、あるいは穀物がある時期に騰貴・下落していたとは言ってはならないことになる。マルサスの立場では、貨幣価値は短期的に安定しているので、「もし穀物の貨幣価格が、今年は作年の二倍に騰貴したならば、穀物にたいする評価は以前よりもはるかに高まっていると推論できるのは、ほとんど確実である」(p.125)としてよい。「一商品の価値は一商品の長さほどにはうまく定義づけられないこと、またその変動もそれほど正確には測定されえないことを承認するならば、――これらの変動をわれわれができるかぎり測定しようとつとめることに虚偽の類推はみとめられるだろうか」(p.127)と考える。ベイリーは価値概念の曖昧さを批判し、価値概念の相対化を徹底したのに対し、マルサスは伝統的な価値概念は不正確ではあるが当初の実用目的のためには有効であるとし、ベイリーの定義変更を認めない。 この章の最後に、マルサス『価値尺度論』所載の表についてのベイリー批判に対する反批判が載せられている。この表自体が、マルサスが仮定した数字によって結論を導出しているので、何ごとかを証明しているとは思えない。詳細を紹介しても意味がなかろうし、よく理解できない部分もあるので省略する。ただ、この反批判の件を含めて、以下のことを再確認(本サイト、マルサス『価値尺度論』参照)しておけばよかろう。マルサスは交換価値を「労働と利潤」すなわち「それに現実に投ぜられた[設備に体化された:引用者]蓄積労働と直接労動に、一切の前払いに対して労働で見積もった利潤の変化量を加えた結果得られる労働量によって正しく測定せられる」(マルサス、1949、p.23)とし、それは支配労働量に等しいとした。生産費を労働量で計測したもので価値を測定したのである。但し、上記引用は「同じ国で同じ時期を取ってみると」との限定がついており、この限定をはずして、労働量で計測された生産費を通時的な価値尺度としても拡大しようとしたが、その証明には成功していない。 本書第三・四部分については先述のとおり省略する。 「読者がマルサスの『経済学の諸定義』1827年を精読すれば、最もよく納得しうるであろう。この書物は類書のなかでの標準的著作と呼びうべく、且つ繰り返していうが、今まで受けてきた以上に遥かに多くの注目をひくに値するものである」とするシュムペーター(1958、p.1314)が、特に評価するのは、第一にリカード理論の最良の批判であることであり、第二に術語の定義関する原則に見られる叡智である。第一点については、私にはその傑出点を上手く説明できないので、第二点についてのみ少し補足する。 ホェートリーは、『論理学綱要』(Whately, Elements of Logic, 1826)および『政治経済学入門講義』(Introductory Lectures on Political Economy, 1831)の「附録」において、経済学における推論の重要性を強調し、その困難は使用される術語の曖昧さにありとした。シーニアは、『経済科学概要』(Senior, An Outline of the Science of Political Economy, 1836)において正確な定義による術語の使用を主張し、「公理的方法」で経済学を構成しようとした。さらに、J・E・ケアンズは『経済学の性質及び論理的方法』(J. E. Cairnes, The Character and logical Method of Political Economy, 1857)において、経済学が一層の根本的な概念整備を必要とする段階にあるにもかかわらず、術語が不完全なることを論じた。日常語と共通するために、ややも曖昧となりがちな経済学の術語を正確に定義しようとした類書のなかで、この『諸定義』は小冊子ながら、その嚆矢であり、基本的文献といってよいだろう。 イギリスの古書店よりの購入。一部がカットされた標題紙に薄く図書館印が残っている。図書館印はインク消しなどで消されたものか、良く読めない。表紙には"Royal Statistical Society"の金押しマークがある。 (注1)それゆえ別のところで、Pop(人口populationにもとづく)という東インド・カレッジで学生が付けた彼の仇名は悪意ではないかと書いた。口蓋裂では、破裂音が発音しにくいと思ったからである。しかし、それは日本語のことで、外国語ではどうなのであろうか。『人物評論』の注(ケインズ、1980、p.127)には、マルサスには母音は発音できたが、子音の半分が発音できないと書いてある。
(2014.9.23記) |