MALTHUS, T. R.
, Observations on the Effects of the Corn Laws, and of a Rise or Fall in the Price of Corn on the Agriculture and General Wealth of the Country, London, Printed for Johnson and Co., St. Paul's church-yard, 1814, pp44, 8vo
 ------------- , An Inquiry into the Nature and Progress of Rent, and the Principles by which it is regulated, London, Printed for John Murray, Albermarle street, 1815, ii+61, 8vo
 ------------- , The Grounds of an Opinion on the Policy of Restricting the Importation of Foreign Corn; intended as an Appendix to "Observations on the Corn Laws", London, Printed for John Murray Albermarle street; and J. Johnson and Co. St. Paul's church-yard, 1815, pp48, 8vo

 マルサス『穀物条例論』、いずれも初版。
 以下の3論文(発行順)からなるが、岩波文庫(改造社文庫も収録順序が異なるだけで全く同じ)が、これら論文をまとめて『マルサス穀物条例論 -地代論-』として標題を付けているので、ここでもこの名称で一括する。
1.『諸考察』(『穀物条例及び穀物価格騰落の我国農業及び一般的富に及ぼす諸効果に関する諸 考察』)1814年
2.『地代論』(『地代の性質と増大、及びそれが支配される諸原理に関する研究』)1815年
3.『諸根拠』(『外国穀物輸入制限政策に関する見解の諸根拠 -『穀物条例に関する諸考察』への付録として』)1815年

 1790年代、ナポレオン戦争とそれによる大陸封鎖令によって、イギリスの大陸からの穀物輸入は困難となり、国内においても旱魃・冷夏による不作が継起したことから、穀物価格は高騰した。産業革命以後の三大一揆の一つとされる「主婦の一揆」が起った1795年には、小麦クォーター当たり108シリングを突破した。しかし、ナポレオンのモスクワ遠征が失敗に帰し平和の曙光が見え始めると、封鎖令解除によってフランスから廉価な穀物が輸入され、穀物価格が暴落するのではないかとの懸念が地主をはじめとする農業関係者に生まれた。この間イギリスは、急激な人口増加もあって穀物輸入国に転じており、国防上、穀物自給問題も考えねばならなかった。
 1813年いわゆるパーネル委員会は、現行(1804年施行)穀物条例改正の必要性を掲げた報告書を出し、委員長が議会演説を行った。現行法では、小麦価格が63シリング以下になる時には、輸入禁止的関税を課している。この基準価格を引き上げようというのである。結局修正案提出等の経緯を経て、小麦価格80シリングに達するまでは穀物・穀粉の輸入を全く禁止する法案が1915年に成立した。こうして、1813年から1815年にかけて、穀物条例改正について諸家が論争に参加した。穀物法弁護論には、マルサスの他、スペンス、ジェィコブ、シェフィールドがおり、反対側にはリカード、トレンズ、J・R・スミス等がいた。一般的には地主側利益の代表マルサス対資本家側利益の代表リカードの論争とされることが多い。
 マルサスは『諸観察』を書くことによって論争に加わった。当時、「パンフレットの形で公開論争に加わることは、科学的論文で同様な見解を発表するよりもずっと危険を冒すことであった」(ウィンチ,1992,p.103)。現に、このことにより、リカード派学者との不和を生じ、彼らの画策もあって、マルサスはそれまでの意見の発表の場を奪われた。ホイッグ党系『エディンバラ・レビュー』から、トーリー党の機関紙『クォータリー・レビュー』に寄稿するようになったのである。

 次に個々の論文(パンフレット)の内容を見てみよう。記述の都合上、刊行順ではない。

『諸考察』
 本論文には農業の収穫逓減の法則が、経済分析のツールとして組み込まれている。『人口論(第4版)』には、なかったものである。前世紀前半までなら、イギリスの農業も劣等地耕作の進捗程度が他の欧州諸国並みあるいは以下であったため、穀物の生産価格も他国と比較して高くはなかった。しかし現在は、劣等地耕作が他の諸国より進んでいるので、生産費は高い。穀物の国際競争力はなく、輸出は論外である。したがって、本論文では農業の保護政策としては、「自給という見地から外国穀物の輸入に対する制限に我々の研究を限定することができるだろう。」(マルサス,1940,p.22)
 イギリスの如き劣等地耕作が進捗している国では、輸入禁止的な高率関税は、穀物価格の高位安定を招き、なるほど国内農業を刺激し生産を増大させるが、それはさらなる劣等地耕作を進めることになる。穀物自給は可能になるかも知れないが、穀価は国際相場からさらに乖離することになる。国内自給可能ということは、豊作の時には(国際的には)穀価が高くて輸出できないから、国内市場での暴落を招来することになる。輸入関税による農業保護政策は自由貿易に比べ、穀価が高く供給が不安定になるとする。
 過去20年間穀物と労働の高価格にもかかわらず、輸出(と人口)が増加してきたのは、諸発明の異常な成功及び戦争により得た欧州商業での異常なる独占が原因である。しかし、ナポレオン戦争が終結し、欧州諸国が復興すると、技術は普及し英国は独占的地位を喪失する。そこで、イギリスが農業保護政策を取るなら、穀物の高価格が高賃金と呼び、欧州諸国との競争において、その有する「例外的な技術、資本、及び機械の諸効果を相殺」(前掲書、P.41)してしまい、外国貿易と製造業の繁栄を維持できなくなるのではないか。のみならず、巡りめぐって保護しようとした農業までにも害を及ぼすことになるとしている。
 しかしながら、マルサスは自由貿易にも害悪があるとして4点をあげている。いわく、安全は富より重要である。またいわく、工業人口の過大割合は国民の安寧と福祉にとって、好都合ではない等々。「そこで、総括すれば、それは明らかに相対立する利益と不利益の問題である、そして問題は最も重大な利害に関係するから、決定には最も慎重な考慮が必要とされる。」(前掲書、p.41)
 結論部分はこうである。「問題が慎重になることを当然要求しているために、さらに特に現在の通貨の不安定な状態のために、いかなる最終的な規制も延期するのが望ましいであろう。しかしもし、現行法をより実効的にするために、その改正に直ぐ着手するよう決心しなければならないのであれば、一時的手段としてもまた永続的な手段としても、禁止的な税として機能するのではなく、保護的な税にして同時に収益のある税として機能するよう、制限には外国穀物に対する定量税という形を取ることに、明らかに相当な利益がある。」(前掲書、p.48)と穀物輸入制限に賛成か反対か、明確な態度の表明を保留している。『諸根拠』の冒頭で、「私の友人の2・3の者は、私の議論が何れの側に最も多く加担しているかについて、意見が一致しなかった。」と自らいうほどである。『人口論』(第4版)での穀物法支持の立場が、この『諸考察』では、中立的立場に変わったといえるだろう。

『諸根拠』
 『諸考察』の1年後に発刊されたこの論文では、穀物輸入制限に対する曖昧な立場から、ハッキリと輸入制限論に転じている。わずか1年での転身は、理論にとらわれないで現実に応じて柔軟な思考を展開するマルサスの真骨頂というべきか。
 「一定の外国穀物輸入制限に賛成する慎重ではあるが断固とした意見の諸根拠について、(何ら留保もつけず)述べることに今や私は何ら異議をもたない…このように形成された見解の拠る根拠は…主としては、昨年中に起こった輸入制限論の陣営に決定的な重みを与えたと思われる諸事実である。」(前掲書。P.60)その事実とは第一に穀物価格の効果について議会に提示された証拠及び今年(昨年とはされていない!)の経験、第二に為替相場と地金価格の動き,第三にフランスで発布された穀物輸出法があげられている。
 上記諸事実の内、必要箇所のみ摘記する。当年、穀物輸入による低穀価と凶作が同時に起こったため、農業資本が破壊され、耕作と穀物生産は決定的に減少すると予想された。のみならず農業不況は商工業をも巻き込んだ。商業の打撃は農業より大きく、「4分の1の資産、あるいは10分の1の個人が関係」(前掲書、p.64)するほどのかってない不況であった。農業不況は、経済全体に大きな打撃を与えるのである。地主や農業資本家という特定階層の利益ではなく、国民全体の立場に立って農業保護政策を考えねばならない。マルサスは昨年何らかの規制がなされなかったことを悔やんでいる。
 『諸考察』においては、製造業の国際競争力の維持のためには、穀物の低価格が必要としていた。しかし、ここで穀物輸入制限を主張するためには、保護政策が製造業を含む国民経済全体に与える影響を検討しなければならない。マルサスはこれを本論文後半部分で行っているのである。劣等地耕作の不利益は耕作の大改良と労働節約によってある程度相殺することができ、増大する人口に対する食糧自給は可能である。その上で、外国穀物に依存しない輸入制限政策は、ヨーロッパの現状において、自由輸入政策よりも「有効に、わが国のそしてより大多数の住民の富と繁栄に資するものである」(前掲書、p.76)と。
 具体的には、輸入制限穀価80シリング/クォーターは、輸入が実施されると20シリング低下するだろうとマルサスは見積る。その低下による、国と住民に対する影響を労働者、資本家、地主、資本所有者・固定俸給で生活する人と4つの階級に分けて検討している。
 労働者階級の賃金は結局、穀物の貨幣価格と労働需要で決定される。しかるに、穀物輸入の自由化は穀価を下げ、賃金を下げる。労働需要は穀物輸入により農業部門の雇用減が当然予想され、他部門でそれを相殺する需要増は期待できない。資本家については、自由化により農業企業家(資本家の半数を占める)の利潤が減少し、他部門(製造業や貿易業)に資本を移動させねばない。しかし、自由化は農業企業家と地主による製造業向けの従前の消費を不可能にし、需要は減少するので資本移動は困難である(またここで、輸入制限による高穀価がもたらす工業製品輸出への影響は、英国の海運・信用等のメリットでカバーできると『諸観察』と逆の説明をしている)。自由化によって被害を受ける地主階級については、能動的に富の生産に貢献しないが、その利害関係が国家の繁栄に密接に関係していることが強調されている。
 こうして、自由化は「大部分の人々特に国家の諸生産的階級が、この政策によって受ける利益よりもはるかに大きな損害を被ることは明らかであると思える。/外国穀物の自由輸入を制限することは、わが国の現状では賢明であり得策であるように思われる諸論拠を述べた」のであると。(前掲書、p.97)

『地代論』
 このパンフレットは、マルサスが元々東インド大学で講じていたものを穀物法との関連で急いで出版したと序文にしたためている。『諸考察』。『諸根拠』の理論編ということだろう。
 1815年には、マルサス(本論文)エドワード・ウェスト(『土地に対する資本の適用』)、ロバート・トレンズ(『外国との穀物貿易に関する一論』)、リカード(『利潤論』)と穀物法に関する4つの著作が現れた。発行時期も何れも1月と2月であり、またその何れもが、別個に差額地代を定式化した。差額時代の同時発見といわれる所以である。1900年の遺伝法則の同時発見にもメンデルという先駆者がいたように、差額地代もジェームス・アンダーソン(ルークを加えてもよい)という先駆者がいた。マルクスによればマルサスの地代論はアンダーソンの剽窃ということであるが、現在でもマルサスがアンダーソンの著作を知っていたかどうかは確証できないようだ。
 さて、差額地代といえば現在では、リカードの名と結びついているが、マルサス『地代論』の下記の箇所は、リカードのものといわれても区別できないだろう。「進歩的な国においてはどこでも、生産物価格は、現実に使用されている最劣等地おける生産費用にほとんど等しいか、地代を大方あるいは全然伴わずただ農業資本に通常収益をもたらすだけの既耕地における付加的生産物の収穫費用とほとんど等しいに違いない」(前掲書、p139)あるいは、「それでも、他国に比べて穀物と労働の価格が高いことは、将来の急速な進歩の機会を減らすことは認めねばならない。/だから、これらの価格を人為的にすなわち税金によって、できるだけ増大させないことが、非常に大事である。」(前掲書、p139)
 土地の地代とは、自然の生産物(raw produce)の価値のうち、耕作に要する一切の支出(通常利潤を含む)後、地主に残る部分と定義される。すなわち地代は、生産物の市場価格の生産費を超過する額である。その研究には、まず生産物の高価格の原因究明が第一であるとして、高価格の原因を三つあげている。1.土地生産力の豊饒性2.自らの需要を創造する生活必需品の特性3.肥沃な土地の希少性である。マルサスが特に強調するのは、第一の自然の豊饒性である。土地が耕作人を養うだけの生産力しかなければ、もとより、地代は発生する余地はないという訳だ。地代はアダム・スミスや重農主義者がいうような(部分的)独占ではなく、「生産費を超過する・生活必需品の高価格の原因は、その希少性よりもむしろその豊富性の中に見出されるべきである」。(前掲書、p118)
 マルサスがリカードと明らかに異なるのは、地代は名目的価値でもなく不必要・有害なものではないとする点である。富の最も真実的なかつ本質的な部分であるとする。そして、地代の継続的上昇は,継続的な新土地の耕作と既耕地の改良と関係し、資本蓄積、人口増加、農業改良、及び(商・工業の拡張による)農業生産物の高価格の結果である。これら四つの原因は増進する繁栄と富との最も確実なる指標である。穀物価格が高いと「我々が不平をこぼしている状態こそは、富及び繁栄の増進の必然的な結果であり、又その最も確かな標識であるかも知れない」。(前掲書、p143)
 同じ高穀価・高地代を見ても、リカードは未来を見据えて資本蓄積に不安を感じていたのに対し、マルサスは過去から現在の状態を見て進歩に満足を感じていたのかもしれないと私には思えたりする。
 この論文では差額地代の枠組みにとどまっていたマルサスも、1815年のリカードとの書簡交換を通じて、「自然地代」論に移行してゆき、1829年の『経済学原理』では、これを定着させる。自然地代論とは、耕作に適した土地が制限されている所では、生産の容易さは地代の増加を生じ、最劣等地でも地代が発生するとするものである。

 先に掲載したリカード『利潤論』、マルサス『価値尺度論』と一緒に合本されたもの。英国の書店より購入。現在(2010年1月)ネットで探すと『諸根拠』しか見つからないが、これには$7,000~$9,000の値段が付いている。稀覯書なのだろう。
  
(参考文献)
  1. D・ウィンチ 久保芳和・橋本比登志訳 『マルサス』 日本経済評論社、1992年
  2. 大村照夫 『マルサス研究』 ミネルヴァ書房、1985年
  3. 北野大吉 『英国自由貿易運動史 -反穀物法運動を中心として-』 日本評論社、1943年
  4. 永井義雄他編 『マルサス理論の歴史的形成』 昭和堂、2003年
  5. マルサス 楠井隆三・東嘉生訳 『穀物条例論 -地代論-』 岩波書店、1940年
  6. 横山照樹 『初期マルサス経済学の研究』 有斐閣、1998年

    なお、原文の翻訳については、岩波文庫でページ表示はしたが、鈴木鴻一郎訳(改造社文庫)や横山の引用訳文も参考にして、改めた。


見返しに書かれた手書きの目次


『諸観察』標題紙(拡大可能)


『地代論』標題紙(拡大可能)


『諸根拠』標題紙(拡大可能)

(H22.1.28記)



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