FULLARTON, JOHN
, On the Regulation of Currencies , London, John Murray, 1844, pp.xiii+227, Sm Oc.

 J.フラートン『通貨調整論』初版。
 イギリスの金本位制は、1821から1931年まで、100年以上続いた。ナポレオン戦争時の兌換停止を経て、ピール通貨法により、1821年に完全実施されたものの、その後25年、36年、39年と恐慌が発生したため、この恐慌の原因が銀行券の過剰発行にあるのではないかとの疑いが持たれた。このため、議会の委員会や議会外でも活発な議論が行われた。通貨主義と銀行主義の論争である。前者には、オーヴァーストン卿、トレンズ、ノーマンらが属し、後者にはトゥック、フラートン、ウィルソンがいる。
 この論争は、 1.貨幣概念をどう捉えるか2.銀行券の過剰発行はありえるか を主要論点として行われた。結果的には、1844年のピール銀行条例の制定により通貨学派の勝利に帰し、イングランド銀行が銀行券発行の独占権を与えられた。ただし、発券は政府証券を準備として、1400万ポンドまで、それ以上は金の100%準備が必要というものである。もっとも、その後も恐慌が続いたので、原因を他に求めねばならなかったのだが。
 通貨学派は、リカード理論に則り金本位制による自動調整機構を機能させるため。金属通貨のみならず兌換銀行券も流通する混合通貨制の下でも、紙券の量を金の流出入にリンクさせる事を主張した。
 銀行学派は、銀行券の過剰発行が恐慌の原因ではなく、過剰発行があるとするならば、それは社会的な需要によるものとした。フラートンは、「銀行券を発行するのは銀行業者であるが、しかしそれを流通さすのは公衆一般である、だから公衆の協力を俟たなければ、それを発行する力も意志もともに無益である。」(フラートン 福田長三訳『通貨論』岩波文庫p.116)「銀行券の伸縮は、ある一定の事情のもとでは、物価の変動を惹起すると見られているのであるが、実は、かかる変動の原因でなくては、結果なのである。すなはち、それは、かかる物価の変動に先行するのではなくて、反対にそれに追随するのである。」(同書p.132)とする。
 ミルは、いう「私は、また、フラートン氏がこのような事実に基づいてつくり上げた理論は、多大の真理を含むものであり、いかなる形態の通貨原理よりも全真理の表現たるにはるかに近いものであると信じるものである。」(J.S.ミル 末永茂喜訳『経済学原理(三)』 岩波文庫p.402)

 金本位制の時代は遠く過ぎ去った。これまで、人類が掘り出した金の量が50メートルプール2杯分というのだから、続けるのにも限界があっただろう(プール1杯あるいは3杯という説もあり)。イギリスが金本位制から離脱して80年になろうとしている。しかしながら、フリードマンらの現代マネタリズムが「新通貨主義」と呼ばれているように現代にも両派の論争は再現しているのだ。してみれば、現代のフラートンの役回りは、カルドアというところか。

 米国の書店より購入。Ex-libraryである。

(参考文献)
  1. 伊賀隆他 『マネタリストとケインジアン』 有斐閣 1983年
  2. 渡辺佐平 『地金論争・通貨論争の研究』 法政大学出版局 1984年




標題紙(拡大可能)

(H18.5.6記)



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