海越ゆる歌舞〜雅楽海外公演回想録エッセー〜

ヨーロッパの風 1990秋

2 イタリア1

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目がさめた。ベランダに出てみた。前には森が広がっていて、その向こうに、石の建物の屋根が見える。どうやら教会のドームらしい。ここは、ローマだ。あの教会のドームは公演場所になるバチカン宮殿だ。

国を越えるたびに次の国の言葉の中で「ありがとう」をまず始めに覚えた。ローマのパルコデイプリンチベホテルを出るとき、ルームサービスのおばちゃんに「ペルッファボーレ(よろしくおねがいします)」といった。すると元気な声で、「こんにちは」「ありがとう!」と知っている限りの日本語がかえってきた。とにかく元気な人がイタリアには多い、おばちゃんは、鼻歌交じりに部屋の掃除を始めた。

とにかくイタリア人は明るい。バスで移動しているときに、石畳の街中で渋滞に巻き込まれ、その時、横の車の男の人がこっちに向かって手をあげてくる。こちらもそれに答えて手を上げた。しかし、その車はその後、悲劇にあうのだ。よそ見をしていたために、前の車に衝突をした。それほどの勢いではなかったけれど、すこし車がへこんでしまった。渋滞していたので、どうなるんだろうと思ってバスから見ているとお互いの運転手が降りてきて、ひと言ふた言話をして、そのまま笑顔で車に乗り込んだ。「えっ、それで終わり?」その後、こちらに、もういちど手を上げて、愛想をふるまいて、去っていった。言われてみれば、ドイツのぴかぴかに洗っている車と違って、泥がついたままだし、へっ込んだ車もある。

ローマでは、車が楽しそうに、ちょこちょこと、生き物のように、石畳の道をすごいスピードで走り回っている。イタリアで断然多い車が、当時フィアット500とよばれた車であった。そう 、ルパン三世が乗っていた車だ。イタリアだからフェラーリが多いのかと思ったけれど、 5日間でフェラーリなんて、たったの一台しか見なかった。いつか乗りたいと思っていたフィアット500は帰国後まもなくして、生産中止になってしまった。公演に間にあわさなければならないという段になって、警察が先導してくれた。

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ポンペイの夏

ポンペイはまだ夏なのか。もう10月の終わりだというのに、その日はとても暑い日だった。8/25の噴火のあの日も暑い日だったのだろうか。ポンペイはベスピオ火山が紀元79年に爆発して、その火山灰で埋め尽くされた街。その発掘した遺跡である。円形劇場があるし、大浴場もある。円形劇場の舞台があったところに降りて楽師の一人が還城楽(げんじょうらく)の一節を一指舞った。とても大きな 、失われた街。読めないけれど、イタリア語の解説本を買った。

〜ポンペイ未稿〜

ナポリの白ワイン

ナポリの空と海はひときわ青い。昼食はナポリの町で一番高いビルの最上階のレストラン。窓からはお城が見えた。カストロヌオヴォだ。その向こうには地中海が広がっている。白ワインがとてもおいしい、ここではパスタとエビとポテトのから揚げのようなフリッタータが出たと思う。日本食に似ていてすごくおいしい。上機嫌のまま、路地を行くと頭上に洗濯物が建物から建物に渡して干してある。そのむこうに、からっとした空。この青い空で南イタリアの印象が決まった。はやく笛が吹きたくなってきた。

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ローマ公演

いよいよ、初めての公演の幕が開いた。初めての公演は、招待客を中心として日本文化会館で行われた。客席に今は亡きトランペット奏者ニニロッソの姿もあった。演目は管絃「越殿楽」「陪臚」舞楽「春庭花」「八仙」「右方還城楽」 であった。
舞楽 「八仙」(はっせん)の舞の途中ドスンという大きな音がして、照明が落ちた 。何かの演出だろうか、その瞬間にはよくわからなかったが、非常灯の下で舞は続けられた。なんだか、これくらいの灯りのほうが、雅楽の雰囲気が伝わっていいなあと悠長に思いながら、笛を吹いていた。不思議と客席もざわつくこともなく、舞楽の演奏は終わった。それが落雷による停電だと聞かされたのは、楽屋に入ってからであった。八仙の曲は雨乞いの曲で、南都楽所が演奏するときには 本当に雨が降ることが多いのだけれど、海外公演で落雷にまでいたるとは思いがけないことだった。

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バチカン公演

バチカン宮殿の前の広場に世界中から集まった何万という数のキリスト教の巡礼者が集まっている。この前で演奏をするのだ。ものすごい歓声と拍手の中、ラファエロがデザインしたという黄色と青のストライプの服をきた護衛兵が守る中央の高段にローマ法王ヨハネパウロ二世が到着した。驚いたのは法王の祝福の言葉の中に日本語で私たちに向けた言葉があったことだ。「音楽はすべての人の心を安らかにします。」というとてもありがたい言葉だった。南都楽所の楽頭の蘭陵王の舞、白い宮殿の石に赤い装束が映える。祝福を受けるために集まったウエディングドレスをきたカップルも数組いる。

ローマ法王の手

私はこのとき実は演奏者には加わらない予定であった。蘭陵王の面付けを行うため、直垂を着て楽坐の後ろにたって控えていた。面付けが終わると楽師からせっかくであるからということで、演奏に加わる許可がおりた。緊張しながら、息を入れていたが、ふと法王の席を見るとそこは空席である。次の瞬間、私の肩に感触があった。誰なんだろうと吹きながら振り返ると、それは、法王の手であった。たまたま一番後列にいた、私の肩に 、法王は手をそっと置いておられたのだ。下っ端楽生の私はよけいにどきどきしながら、吹いた。舞人と法王の握手もあった。宮殿前の広場に雅楽を響かせた後、中央の道を直垂の南都の楽人が歩いていった。大きな拍手と、穏やかなとびっきりの笑顔を巡礼者たちからいただいた。「すべての人の心を安らかに・・・」とてもおおきな幸せをいただいた。

ローマの灯

ローマ滞在最後の夜、街へ出た。スペイン階段に登る。映画のワンシーンみたい。そう、ここはローマの休日でオードリーヘップバーンがジェラートを食べるところ。しっかりと、ジェラートの屋台が出ていた。ローマの街燈はすべて、オレンジ色で、たくさんの人がいる。あまりの雰囲気のよさに一緒に行った何人かはすっかり、うっとりとなってしまった。階段の踊り場の一箇所が気に入って腰掛けて夜風に当たった。Tシャツにジャケットでちょうどいいくらいだ。たくさんの人たちがオレンジの明かりの中を行き交う。この人たちに雅楽を聞いてもらったんだと思うと、不思議な興奮があった。

そのあとだったか、前だったか、スペイン階段の近くの帽子屋さんで前と後ろにつばのあるシャーロックホームズのかぶっているような帽子を買った。雅楽の演奏者は直垂(ひたたれ)を着るが、頭には烏帽子(えぼし)をかぶる。その烏帽子をうしろさがりにかぶることを、「阿弥陀にかぶる」といって 、よしとしていない。このとき、この帽子を阿弥陀にかぶると店長のかっぷくのいいおじさんが「のん」といって前に深くかぶるようにと直してくれた。ああ、この帽子も阿弥陀にかぶってはいけないんだと思った。

いよいよ水の都ベネチアへ・・・中世の歌劇場での公演イタリア2で・・・未完