愚俳人/信雪
〜短歌・俳句など〜
Believe In Snow

信雪創作工房

*掲載出版物情報

ずいぶん昔に作ったものばかりですが・・・

掲載書

選者

発行

掲載句

わたくしたちのサラダ記念日』 俵万智選 河出書房 窓の外進路指導の部屋の中せんせの声の合間の雨音」 信雪
私が高校生のとき『サラダ記念日』が話題となった。その作者が選者となって現代の万葉集としてまとめられた。恥ずかしく、懐かしいうたである。
朝日歌壇93』 近藤芳美選 朝日ソノラマ社 黒い雨我も生徒も戦争を知らぬ教室窓を風うつ」 信雪
意外にも教壇に立つことになってから作った歌が近藤芳美先生に選ばれた。『黒い雨』は井伏鱒二の作品のことである。
『朝日俳壇94』 金子兜太選 朝日ソノラマ社 こほろぎの壁にはねたる昼深し」 信雪
龍野の城下町には白壁の土塀がある。その土塀の際に枯れた草がある。秋のけだるい午後のまどろみの中、その枯草から蟋蟀が白壁に向かってはねる。
『朝日俳壇98』 金子兜太選 朝日ソノラマ社 あんぱんの三口目つひに秋深し」 信雪
おなかが減って、一口目、無造作にあんぱんにかぶりつく。二口目あんこが出てきたのに気付く。三口目で、ようやくまわりの空気が冷気を帯びて、秋になったことを知る。
『朝日俳壇99』 金子兜太選 朝日ソノラマ社 春の蚊や目的もなく青みたる 信雪
風呂上り何気なく、壁を見ながら髪を乾かしている。すると、そこに一匹の蚊が弱々しく、淡い薄緑の身体をささえてとまっている。おまえはどういった理由でこの世に生を受け、そしてどうして、そんな体の色をしているのだ。透けてしまいそうな薄緑の蚊。どういった目的で生きているのか。そんな弱々しさで生きていけるのか。 自戒。
*朝日歌壇、朝日俳壇への投句は、最近おさぼりしています。
『第1回俳句甲子園』 有馬朗人
黛まどか選
NTT出版 魂の溢れだしたる甲子園 信雪
内容・20万句の甲子園にちなんだ俳句の応募の中から有馬朗人、黛まどか選の入選句を載せる。2000 3月発売
『日本一短い手紙「友へ」一筆啓上』 
文庫本が発売されました。
  角川書店 内容・一筆啓上賞120823通の応募の中から入選作品を載せる。
信雪の作品は佳作160篇のなかに掲載されています。

「葉を裏返す白い風が強い。
君もこんな日には小さな冒険を思い出しますか。」
[・あの頃の君へ]でこの作品をモチーフにした短編を公開
友への手紙作品集がHPで公開されています。
http://www.post-hokuriku.go.jp/tegami/index.htm(外部)作品集の佳作のところ

『日本一短い手紙「友へ」一筆啓上』角川文庫
発売中。全国書店店頭で419円

 


信雪思索工房


金子兜太先生

高校のときに読んだ『放浪行乞』で金子兜太さんを知った。父が川柳を作る関係で、韻文にはもともと興味があった。はじめは、有季定型の俳句を好んで鑑賞していたが、山頭火の句を知って衝撃を受けた。そして、ぼそぼそとつくり始める。大学ではまったく作らずに卒業後、また、ぼそぼそと作り始める。朝日俳壇の入選句にとってもらうのは、なぜか金子兜太先生ばかりであるが、かなりの影響を受けて作っているので、必然なのかもしれない。俳句は五七五という短い中で表現するために偶発的に秀句ができるのではと思っていた時期もあったが、兜太先生だけにしか、選ばれないことで、かえって、そうではなく日々の自分の嗜好とか考えている思考が表現されるようになるのだなと実感した。といっても俳句は共感の文学であるので、誰かに自分の句を好いてもらえるのは非常にうれしいことである。
何年か前に姫路文学館で金子兜太による「永田耕衣」についての公演があった。会場はお歳を召された方でいっぱいであった。当時20歳代は途中をぐんと空けて僕だけだったと思う。初めはある程度前のほうに座っていたのだが、お年寄に席を譲るうちにかなり後ろのほうになっていた。
生前の車椅子で聞いておられた永田耕衣 さんの姿が小さく見えた。その公演の途中何度か兜太先生と目が合った。ユーモアを交えてかつ詳細に永田耕衣についての評論が述べられたが、非常に面白い内容であった。会場で唯一の若造を見る眼の眼光の鋭さを感じた。

永田耕衣

永田耕衣さんは哲学にも通じ、仕事を続けながら俳句を続けた。これも文学館でその死のすぐあとに遺作展が開かれた。司馬記念館ができて間もない頃だったと思う。そこでみた、書画の迫力と「茄子ミイラ」におどろいた。耕衣は、ナスが枯れてしなびていくのを眺めていたという。
いちど実だけを部屋でおいて、しなびていくのを観察したことがあるが、なかなか茄子というやつはしつこい。そうこうしているうちにカビを発見して慌てて捨ててしまった。たぶん、永田耕衣ともなると捨てないのだろう。?
「夢の世に葱をつくりて寂しさよ  耕衣」
先に俳句は共感の文学だと、かってに書いたが、何十歳も離れた人間との、また時代を超えての共感は非常に難しい。しかし、その共感が完全に一致ではなくとも、少し分かるような気がするといったふうな、かすり、をみせるとき、そこに意味や価値や面白さが生まれるような気がする。