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事 故 に つ い て

事故直後のことを思い出すのはとても辛いが、事実のみを記録しておこうと思いこのページを追加した


2007年11月8日(木)

16:00頃 学校より帰宅後バイクでアルバイトに向かう
16:15頃 ファミリーマートに立ち寄る
16:20頃 河瀬高校前交差点で事故に遭う
16:40頃 担任のK先生より妻に電話があり、「篤史が事故で病院へ運ばれたのですぐ行って欲しい」
      とのことであった。
16:45頃 K先生より「心肺停止で危険な状態です」と再連絡があった。
16:56  妻より「篤史が事故で心肺停止状態なので、すぐ病院へ」との連絡が入った
      私もだいぶあわてていたのだろう、そのときは心肺停止の意味を理解していなかった。骨の1本や
      2本は折れているだろうが、救命処置を行えば何とかなるだろうと思っていた。
17:05  病院から篤史の携帯で「すぐ来て欲しい」と連絡をうけた。
      状況を確認したが、あまり詳しく説明してもらえず気をつけて急いで来てくださいとのみであった。
      このとき事故が深刻な状況であることを理解した。
17:10  妻、病院到着
17:25  私、病院到着
      このときには先生を始め高校および中学の同級生が来てもらっていた。
      すぐに処置室にいる篤史のもとへ行ったが、素人の私が観ても内臓はかなりの圧迫を受け、頭部も
      耳から血が出ていたためもう助からないのではと思った。
      病院のスタッフの皆様もおそらくせめて私どもが到着するまでという必死の救命処置をして頂いてい
      ました。
17:30  何とか最後の望みをということで担当医に篤史を何とか助けて欲しいと必死に懇願しましたが、もう
      手の施しようがないという言葉が返ってきました。
      せめてもの救いは体の表面には切り傷のような目立った傷が無かったことであった。
17:40  自宅にいた祖父・祖母に篤史が死亡したことを連絡したが、私もまともに話せる状態で無かったため
      完全に理解していないようであった。このあと篤史の兄達に連絡を取った。
20:30  篤史を病院より自宅に連れて帰る
21:00  枕経をあげてもらう。

      通常私どもの地区では寺葬が多かったが、ちょうどお寺で報恩講開催中のため自宅葬を行うこと
      とした。お通夜・葬儀にはたくさんの方のご列席を賜りありがとうございました。

      11月9日の新聞記事

      篤史はこれから釋成篤(しゃくじょうとく)として浄土で暮らします

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