梟の詩  
  四国八十八ヶ所巡り   
 
 
 
005号     2003/3/15 (土)
 
 
 
  <四国遍路を読む>  
 
 
 

しばらく「八十八寺めぐり」に出られないで、うずうずしていた。本屋さんで辰濃和男さんの「四国遍路」(岩波新書)を見つけ、手にとって見た。彼は朝日新聞の論説委員の一人で、75年から88年まで「天声人語」を担当した経歴があり、しかも24年前新聞の取材で一度回った経験がある。70才を前にして、何もかもどこかに追いやって四国路を踏みしめたいという思いにつかれて、歩いてめぐった四国遍路の記録である。「歩いて」と言う点に多いに共感して読んだ。
彼の歩き方は、季節のよい時期を選び、秋、春、春、秋、秋、春と6回に分け、県ごとに区切って歩いている。徳島県をまわり、いったん家にかえってから、つぎ高知県、そして愛媛県、香川県という順だ。
「四国遍路」でたくさんの事を学んだが、いちばん大きいのは「動詞」を大切にするということだと述べている。特に「食べる」と「歩く」が基本になる二つの動詞だと。
「食べる」と言う動詞については、「大切なのは、心身の中心は胃にあると思い、胃のこころを尊重し、胃の気持ちにしたがって食べることで、そのことによって私たちは、人間という自然、あるいは自然の一部である人間の存在に思い巡らすことができる。何よりも、体を動かすことが胃を快調にし、胃が快調になれば歩く力が倍化するという循環のこころよさをお遍路の体験は教えてくれた。」と。
(ぼくも30才すぎから約20年間ジョキングを続けた経験から、とても良く分かることだ。)
「遍路道はまた、私たちが生きてゆくうえで、『歩く』という動詞どれほど大切なことかを教えてくれた。人間を中心に据えるのではなく、自然を中心にした融和を体得するには、ひたすら歩くことが必要だった。歩きながら、こころを解き放つ機会を多く持った。自然に溶け込むためには、こころを解き放ち、五感を全開させることが大切だった。そういうことを路上で日々、学んだ。」(ぼくの願いも、ここまで悟りきるほど歩きたいというもの。)
「着る」「(滝に)打たれる」「包みこむ」「回る」「捨てる」「ほどこす」「いただく」「ゆだねる」…と続く。
「四国遍路」は、空海(弘法大師)が生まれ育ち、若かりし頃山岳修行者として駆け巡った所である。空海が死ぬ時、弟子達に、「吾れ永く山に帰らん」という言葉を残した。空海にとって、山とか峰というのは特別の意味を持っていた。その「山」とは、西日本最高峰の石鎚山でなければならないと作者は推測している。
ぼくにとって、「山」といえば浅間山に他ならない。